3話 恋の謎
イベリスは、「あーっ!」と叫ぶ。
そしてアリアの胸のポケットから、小さな花束をもぎ取ると、
「これはファニアの花だ! ラーウスにも生えるんだ!」と、嬉しそうな声を上げた。
イベリスの両手は、その花束を握ってしまったので、
アリアはへなへなと座り込み、両手を地面に付ける。
そして、彼女がはっとして見ると、その先は崖で、
イベリスが抱きとめなければ、落ちてしまうところだったのだ。
アリアを助けた当のイベリスは、彼女のことなど忘れてしまったかのように、
ファニアとかいう花に見入っている。
アリアは、地べたに両手を付け、取り残されたような複雑な心境のまま、イベリスを見上げた。
イベリスはそれに気付くと、
「御免、御免」
と言ってアリアの腕を掴んで立たせ、木陰に彼女を連れて行って座らせる。
そして、その花を見せながら、
「この植物は、惑星スファエの荒野に咲いている珍しい花なんだ」と熱弁する。
「ラーウスに生えるとは思わなかったけれど、
種が、人の服や靴について移動することがあるから、それで運ばれたのかもしれない。
この花には、エンドルフィンや、
少量だけど、フェニール・エチル・アミンのホルモンと似たようなものが取れてね。
ほれ薬の・・・」
とイベリスは、訳の分からないことを並べて説明するのだけれど、
その「ほれ薬」の部分を、アリアは聞き逃さなかった。
アリアは、この花の香りが、イベリスへの恋心を抱かせていたことに気付く。
もちろん、そんなことを、イベリスに知られては恥ずかしいので、
「だから、わたしは、カイのことばかり考えていたのね!」と叫んだ。
イベリスは「カイ」と聞いて、それはフロースの弟で、アリアの好きな男なのを思い出した。
「カイは、君の恋人だったよね?」と、イベリスが言うと、
「そうよ!」とアリアは答える。
アリアは、イベリスにそう言ったものの、カイを恋人と言える段階にはまだ達していない。
彼女は、自分の仕事と、フロース探しに追われているし、
カイは遠距離に住んでいて、「忙しい」と言って連絡もしてこないのだ。
せっかく会いに行っても、「研究に戻らねば」と言って、いなくなってしまった。
若いカイは、今のところ、帝国の姫とどうこうするつもりはない。
そのことは、アリアも分かっている。
彼女は、自分の片思いが、長く続くのを覚悟していた。
さてアリアが、花の香りを嗅いだくらいで、これほど影響されるのは普通ではなかった。
状況が普通でないことや、彼女がイベリスやフロースのことを深く考えていたこと、
イベリスの雰囲気が、気さくになっていたことなど、
様々な要素が、都合よく重なってしまったらしい。
アリアは、イベリスを、「フロースを裏切った男」と思っていた。
イベリスとしては、フロースと何の約束もしていないので、
「裏切った」とは、謂れのない言いがかりだと思うだろう。
その彼に、アリアは軽率な態度に取ってしまったのだから、穴があったら入りたいくらいだった。
しかも昨夜、イベリスに、「抱いて!」と言ったのをしっかりと覚えている。
彼女は、それを思い出しただけでも赤面してしまう。
酔っ払ったような感じだったので、目が覚めたら忘れていたと言うことにならないかとも思う。
イベリスに、自分の「恋心」を気付かれたのでは、との不安は、
雨季とは言え、この乾燥した岩場の風が、重く漂う雲を吹き飛ばしてしまうように、
彼への「恋心」を、跡形もなく吹き飛ばしてしまい、残ったのは自責の念でしかない。
それと共に、人体の不思議を知ってはいたものの、
恋心が、こんなに簡単に、ホルモンの分泌で左右されてしまうのにもがっかりしていた。
アリアが、「人生最大の恥辱」と思ったこの不始末は、
後に彼女が誘惑され、それを噂された時に役立つことになる。
そしてカイとの時が熟した時、彼女は良心の痛みを感じることなく、自信を持って、
「彼への愛を貫いた」と伝えることができたのだった。
とはいえ、変な噂が立った時は、
アリアが一方的に片思いをしていただけで、カイは彼女の気持ちを知らなかったのだし、
「愛を貫いた」と言われても、彼にはその意味は良く分からなかった。
それでも真心は伝わり、カイは彼女を可愛いと思ったのだ。
イベリスは、アリアがそんなに思い込んでいるとは知らない。
しかも朝まで、彼女のポケットにファニアの花束あることすら気付かないでいた。
それは、彼女の寝袋を準備した時、すでに暗くなっていたからで、
男性は、細かい所に気付かないところがある。
それに、「寒い」と言ったアリアを、上着ごと寝袋に入れてしまい、
ポケットの花束も寝袋の中だった。
とにかくイベリスは、花束を見つけた時、
アクィラ王の花嫁探しコンテストに、自分が推薦したスファエの姫のことを思い出していた。
アクィラが気に入る姫だとしたら、彼女ぐらいのものだと思っており、
「そう言えばアリアにも似ているな」と思いはしたが、アリアの「恋心」など気にもしていない。
そして、「自分の推薦は却下されてしまったのだし」とすぐに思い直し、
ケフェルト村へ行くことだけに集中する。
そのころロセウスでは、そのコンテストが始まろうとしていた。
そして、イベリスが恐れていた通り、やはり事件は起こることになる。
イベリスは、それをロセウスに戻ってから聞かされるのだけれど、
コンテストを終わっており、全てはまるく収まっていた。
そして、アクィラから、スファエの荒野の水問題について打ち明けられ、
アリアに内緒で、彼女を被験者Aとして論文にし、アクィラに読ませたのだ。
二人は、このアリアの不可解な行動が、ファニアの小さな花束にあり、
しかも、遠く離れたカイへの想いだったのを興味深く思った。
つまり二人とも、それが、イベリスに向けられたものだとは考えなかったのである。
それは無理も無いことで、
帝国の姫のアリアが、イベリスに関心を持つことなどありえないし、彼女はカイに恋している。
それにイベリスには、ベラを探し出すと言う任務があり、
その手がかりとなるキラルにさえ、会えるかどうかも分からないと言う重荷を背負っていたので、
アリアが言ったのを、そのまま信じてしまったのだ。
そこが単純だとも言えなくもない。
とにかくイベリスは、アクィラが新しく立ち上げたスファエ荒野開発への手助けとして、
そこで取れるファニアの花の効能をさらに追求し、
ホルモン新薬の開発に、アリアの経験を生かしてはと考えたのだった。
イベリスの論文には、
その日の気象、地形、他の薬草との組み合わせ、アリアの健康状態や行動などが詳しく記されていた。
そして、サライに戻る途中、彼女が採取した薬草と場所を丹念に調べ、
そこで撮った写真も添えられている。
ところが残念なことに、重要とも言えるアリアの排卵日のデータが無かった。
まさか独身者のイベリスが、彼女に月のものについて質問することも出来ず、
イベリスは、「あの後、しばらくアリアと一緒にいたのに注意を欠いていた」と後悔する。
それに、やはりこの論文は、アリアのことだとバレてしまうので、
アクィラも、かなり惜しいと思ったのだけれど、闇に葬るしかなかった。
帝国政府から、厳しい抗議を受けてしまっては元も子もない。
こうして二人の、興味深くもあるが、滑稽な研究は、あっけなく終わりを告げたのだった。
どちらにしても、
「アリアが恋心を抱いたのは、イベリスの方だった」と言う肝心な部分が欠落している以上、
この論文は、初めから無い方がいいに決まっている。
ところで、アリアが、かなり後になって気付いたのだけれど、
あの夜、寝袋に入っている自分を抱いてくれたイベリスも、
ファニアの花の匂いを嗅いでいたのであり、
「彼には何の影響も無かったのだろうか」と言う素朴な疑問だった。




