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イベリス (Iberis)    作者: Naoko
2部 ミラ
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          6話 騎士叙任

 ミラは、かすかな振動を感じた。

次の瞬間、機体全体に圧力が掛かり、振動と共に音が伝わってくる。

彼らの小さな宇宙船は、ラーウスの大気圏に突入したのだ。


 うす目を開けると、横の小さな窓から陽の光が差して彼女の顔を照らした。

眩しさに目を瞑る。

その光は、ゆっくりと動いて遠のいたので、彼女は再び目を開け、自分の前に誰かがいるのに気が付く。

マルクがミラに覆いかぶさるように、彼女の上に身を乗り出していた。


 彼は、片手を窓の枠に掛け、その額を窓に付けるかのようにして外を見ている。

彼の顔に陽の光が当たっており、彼が見ている下にはラーウスの森が広がっている。

ミラは、その仮面のような横顔から、何も感じ取れなった。


 彼女は、バルナがエルナトを攻撃した時、マルクはどこにいたのだろうと思った。

もし彼がそこにいたのだとしたら、宇宙空間からだったはずだ。

ラーウスの名の通り、灰色の惑星を見ていたのかもしれない。


 マルクはミラと目が合うと、窓から手を離し、自分の席に腰を下ろした。

代わってミラが、彼が見ていた窓から見下ろす。


 時はすでに午後の遅い時間で、雲の切れた青い空が豊かな緑の森を覆っていた。

空には橙色の縁取りがあり、遠い空の向こうから、濃い青の夜の帳が来ようとしている。

この日が終わろうとするように、ミラの旅も終わろうとしていた。




 ミラとマルクがサライの地に降りた時、夕方の茜色が、すべてのものを染めていた。

乗客たちは、それぞれに散っていき、人気の無くなった滑走路には、彼らだけが残される。

それは何の変哲も無い田舎の空港で、ミラにとって初めてではないのに、同じ場所とは思えない。

マルクも、どこにでもある小さな空港だと思った。


 ミラの肩にかけられた空っぽの布袋は、古いぼろ切れのようだ。

腰につけた小袋も垂れ下がっているだけで、ベルトの短剣だけが重く感じられる。

二人は、黙って立っており、

彼らを運んできた船が飛び立つ準備を始めたので、その音だけが聞こえる。



 しばらくすると、舞い上がる砂埃が近付いて来た。

それはロバが引く荷馬車で、二人の女が乗っており、彼らから少し離れた所に止まる。

荷馬車から降りたのは、年を取った方の女で、彼女は二人の方へ歩いてくる。

ミラには、それが誰なのかすぐ分かった。


 ミラがキラルに会ったのは霧の中、ただ一度だけで、しかも二年以上も前だ。

その顔すら覚えていないのに、間違えることはなかった。

夢にまでみたキラルなのだ。


 ミラは、「キラル・・・」と言った。

マルクは、聞き間違いかと思ってミラを見、それからその老婆の方に目をやった。


 その時マルクは、あのキラルだとは思えなかった。

ラーウスのキラルを見つけるのは、不可能のはずだ。

こんなに簡単に会えるはずはない。

同じ名前の別の女ではないかと思ったりする。


 彼は、ミラを迎えに来るのは、サライに住んでいる者だと聞かされていた。

まさかキラルが、何の警護も無しにやって来るなどと考えられるはずもない。

もし彼女が、あの女戦士・ベラトリックスと呼ばれたキラルで、

シャルム王と手を組んでバルナを滅ぼしたキラルだとしたら、

これは絶好の復讐のチャンスだ。


 ミラは、そんなことを考えているマルクにはおかまいなしで、

キラルの前に崩れるように跪き、祈るように両手を胸のところで組み、うつむいて泣き始め、

「やっと会えた」と言った。

その様子も、マルクを混乱させる。


 ラーウス人ではないはずの女が、なぜキラルを知っているか。

しかもキラルが、このみすぼらしい女を迎えに来るなんてありえない。

それにしても、ミラのこの崩れ方は何なのだ。

彼女は、自分をバルナの騎士と疑っていながら、キラルに会わせることに何のためらいもないのか。



 キラルは前かがみになり、むせび泣く彼女の背中に優しく手を掛けて言った。

「よく戻ってきたね」

そう言った彼女は、どこにでもいる老婆で、

これはどう見ても、長い間、離ればなれになっていた孫娘との再会にしか思えない。


 マルクは動けないまま、攻撃態勢に入るのさえ、そがれていた。

いや、それより、ミラがこの老婆に会うために自分の力を使い果たしたことが、

彼の戦士としての気持ちを萎えさせている。


 彼は、この二人を殺すのは数秒で済むことなのに、

そうして復讐を遂げ、自分もここで果てて終わりにできるのに、

それが何になるのだと思ってしまった。



 キラルはミラを支えるようにして立たせ、マルクを見ると、微笑んで言った。

「ありがとう、この子を連れてきてくれて」

そして、銀貨の入った小さな袋を渡そうとすると、

彼は、「いや、もう十分に貰っている」と言って受け取るのを断った。


 それからマルクは、「ミラ、さらばだ」

と言って二人に背を向け、飛び立つ準備をしている船へ戻り始める。


 ミラは、キラルに支えられながら、荷馬車へと歩き出した。

そして足を止めると、マルクを振り返り、

「待って!」と言って、彼を追いかける。



 ミラは、マルクの前に立ち、凛とした態度で最後の力を振り絞り、

「もう二度と、ラーウスは戦いません」と言った。


 「ですからマルク、あなたも、もう二度とここへ戻って来てはいけません。

ここから遠く、出来るだけ遠く離れ、

誰かと結婚し、子供を育て、その子たちから生まれた子たちと共に住み、平和に暮らして下さい。

それでも、もしあなたがここへ戻って来るようなことがあれば、

あのエルナトで、わたしは喜んであなたの手にかかって死にましょう」


 マルクはそれを聞くと、仮面を外したように笑い、

「あんたは、変わった女だ」と言った。


 マルクは、ミラがラーウス人ではないと思っていたのに、終に、その是非を確かめられなかった。

そして、この女が何者なのかを明かすこともできず、本当の名前すら知らない。

それでも、破壊されたはずのエルナトが再び息を吹き返し、この女に力を与えているようで、

彼女はまるで、エルナトを支配している女王のようなのだ。

マルクは、彼女の背後にある力を感じ、それが平和を望んでいるのだと思った。


 マルクは、「わたしはあなたの従者として、ここへ来ました」

と言うと、跪いて頭を垂れ、

「そしてこれからも、わたしはあなたの従者ですので、あなたに従い、

二度と、ここへ戻ってくることはありません」と誓った。


 ミラは、彼の肩に手を置くと、

「わたしは剣を持っていませんから、わたしの手がその代わりです。

あなたは永遠に、わたしの従者で、わたしの騎士です」と告げる。


 マルクは顔を上げ、彼女を見ると、その目に優しさを込め、

「あなたとわたしの間に、剣など必要ありません」と言った。


それはミラの、マルクへの平和の騎士としての叙任だった。


 マルクは立ち上がるとミラに背を向け、そこを去る。

そして、二度と、彼女に会うことはなかった。




 キラルは、その一部始終を見ており、ミラが戻っても何も聞かず、彼女を荷馬車へと導いた。

待っていたプリシラに会わせ、後ろの荷台に乗せる。

それは、女王が座るにはほど遠いもので、ロバが荷馬車を引き始めると、ガタガタと揺れる。

そうして荷馬車は夕闇が迫る小道を進み、町のはずれへと向かって行く。


 ミラは、明るさを失って深い青へと変わっていく空に、

マルクを乗せた船が残す一筋の雲が、空に残った陽の光を受けながら登っていくのを見上げた。


 「さようならマルク」

彼女はそう言って、真っ直ぐに伸びた雲が解けていくのを、ずっと眺めていたかった。

それなのに、深い夜の空が隠していく。

彼女は、いつのまにか眠ってしまい、それに気付かなかった。



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