2話 過去
プレオベール男爵は、「あんただって分かっていたはずだ」と言った。
フロースは、それを否定しない。
自分が保護されれば、お頭が自分を誘拐したことが明らかになり、それを知っているカミラも捕まる恐れがあるのだ。
「誘拐罪の罰は重い。
知らなかったとは言え、プリンセス・アリアを狙って誘拐したのだから、下手すれば死刑だ。
それを恐れたカミラは、あんたを好きだったし、上手く逃がそうとしていた。
それに、あんたも、そのチャンスがあったのに逃げなかったしね。
まあ、それは分からんでもないが」
フロースは、男爵の顔をじっと見つめた。
そして、この男は何者なのだろう。自分の何に気付いたのだろう。また、貧民街が無くなったとは、どういうことなのだろうと思った。
フロースのいた貧民街は都心部に近く、そこを一掃して商業地域に変えようという計画があった。
推進派が計画を進められなかったのは、住民の抵抗や、その土地の利用の仕方で意見がまとまらなかったからだ。
その反対派を指揮している者の一人に、プリオベール男爵がいたのだった。
「帝国警察は、あんたを捜すために、貧民街を一斉捜査すると言ってきた。
ところが軍を要請し、住民をトラックに詰めて連れ出し、貧民街の撤去を始めたんだ。
それは、あっと言う間の事で、わたしのいない時だったし、他の反対派も動けないようにされていた。
これを偶然だと思うかね?」
フロースは、強制撤去が計画されていたものだと知った。
「そう、帝国政府は、あんたを利用したんだ。
あんたがあそこにいるのも、すでに知っていたのかもしれない。
とにかく、あんたを捜すという大義名分の下に、あそこを更地に出来たって訳さ」
フロースは、「じゃあ、カミラや医者はどこに行ったのですか?」と聞く。
「カミラは、逃げずに女や子供たちと残ったから、共に収容所へ送られた。
直に手を打ったから、逮捕されることはないはずだ。
医者は酔っ払ってたし、元は名の知れた人で親戚もいるから、病院へ送られたね。
まあ目が覚めたら、病室に隔離されている自分に気付くだろうよ。
お頭は捕まらなかったが、今はどこにいるのか知らない」
「病人たちは?」
「簡易病院に入れられた。
変な病気を広められては困るってことで、人道的には扱われてるはずだ」
「では、皆さんは、ちゃんとお世話されているのですね」
フロースは安心するのだが、それにしても、何故、男爵が怒っているのだろうと思う。
皆は安全のようだし、病人たちも世話をされている。
そもそも、貧民街の撤去に反対している理由が分からない。
汚い貧民街が綺麗になるのは、いいことではないかと思ったのだ。
それで、「あなたは、何を怒っているのですか?」と聞いた。
男爵は、こんな女に言っても仕方がないと思ったのだけれど、付き合うことにする。
「あそこから追い出されて居場所のなくなった連中には、どんな希望があると思うんだ?」
それを聞いたフロースは驚いた。
確かに、貧しくて汚かったとはいえ、あそこには彼らの家があった。
しばらくの間、そこで生活したフロースは、彼らが、路上よりましな生活をしているのを知っている。
そこに住む人の多くは、都市部での賃金の安い仕事に就いており、交通の便のいい所で生活していた。
ところが、突然に収容所へ入れられたので、次の日に仕事へ行けなかったのだ。
男爵が怒っているのは、彼らが一夜の内に家を失ない、失業してしまったことだった。
それでフロースは、
「あなたが考えていたのは、貧民街を無くすことではなく、
あの人たちが自立して生計を立て、自分たちで貧民街を小さくしていくことだったのですね?」と聞く。
男爵は黙っている。
「それは、あの人たちだけで出来ることではありません。とても大変なことです!」
彼は、「そこが問題なんだ」と答える。
「では、今回のことは、わたしにはどうすることも出来なかったはずです。
政府が、すでにあそこを撤去しようとしていたのですから」
とフロースが言うと、男爵は、
「あんたが顔を知られなければ、あそこは今でも残っている。
我々は交渉している最中で、時間を必要としていた。
あんなことにならなければ、彼らは今夜もあそこで眠り、次の朝、仕事に行けたはずだ」と反論し、
そして、「以前、わたしも、あそこに住んでいたんだ」と言った。
「わたしの父は、男爵として領地を持っていたが、騙され、破産し、自殺してね。
当時、寄宿学校にいたわたしは放り出され、自分の家に忍び込むことまでして、相続するはずだったものをいくらか盗み、あの貧民街へ逃げ込んだんだ。
あそこは食べていくだけの、人が生活する最低の場所で、わたしにとっては屈辱的だった。
死んだ方がましだとも思ったよ。
それでも、あそこだけがわたしに眠る場所を与え、立ち上がる時間と機会を与えてくれたんだ。
お頭がその機会を開いてくれてね。
それで今、わたしはこうして、父が持っていた以上の物を所有するようになった。
それが分かるかね? オーデン伯爵夫人フロース・ディフォーレスト。
帝国政府は、彼らに準備させることなく、一夜にしてあそこを取り去ったのだ。
あんたのせいで」
「どうしてわたしのせいなのですか?
わたしを売ろうとしたのは、お頭の手下ではありませんか。
わたしは騙されただけです。
大体、あの男がお頭を裏切るだなんて、どうしてわたしに分かるのでしょう。
あなたたちは、お互いに忠実だったのではありませんか?」とフロースは言った。
それに対し、男爵はいくらか気を静める。
「あんたの言うことも一理ある。
お頭を裏切ることはゆるされない。
あのうらぎった男は、今頃はどうなっているのか分からないな」と答えた。
フロースは、不安げに聞く。
「犬たちが、彼を殺したのですか?」
「いや、犬たちはあんたを助けただけで、そんなことはしていない。
わたしの部下も、政府側に察知されないように動いているからね。
だから、わざと逃がした。
あの男をどうするかは、お頭だけだ」
そして男爵は、フロースをあざ笑うように言った。
「そうだな、あんたは騙されたんだ。
だが、知っているかね? あんたは、すでにわたしに買われていたんだよ」
フロースは、自分の耳を疑った。
「わたしがあなたに買われていた? どう言うことです?」




