4話 束縛と自由
フロースの結婚式から半年が過ぎた。
アリアは、フロースに電話や手紙で連絡するだけで、あれから会ってはいない。
フロースが多くを語らないので、気にはなっていたのだけれど、自分の勉強で忙しかったのだ。
それに、伯爵家から敬遠されているような気もしていた。
嫉妬深いオーデン伯爵は、フロースに関わる男は誰でも嫌っており、アリアを警戒している。
アリアは、伯爵の目を盗み、セフェの海岸旅行を計画したことがあったからだ。
警戒するのは彼女だけはでなく、家族の訪問も制限され、従兄弟のバーディに至っては、けんもほろろだった。
そして終に、アリアはフロースへの訪問を決行した。
フロースの父、ディフォーレスト子爵によって、彼女の具合が悪いと聞かされたからで、アリアは、自分の立場を利用したのだ。
伯爵は、皇帝の娘の正式な見舞いを断る訳にもいかず、認めるしかない。
フロースは、エスペビオスの郊外にある別邸に移っていた。
その別邸は、伯爵家の中心拠点となっている屋敷で、かなりの敷地を有している。
フロースは何度も訪問していたのだけれど、アリアは初めてだった。
彼女は、そこに入った時、背中に寒気を感じる。
高価で由緒ありそうな物に溢れているこの別邸は、温かみなどなく、訪問者を歓迎する感じでもない。
「フロースは、本当に、こんな所に住んでいるのかしら」とアリアは思った。
マルロー夫人がアリアを迎える。
その痩せた女性は、飾り気のない紺のドレスを着ていた。
年の割に、しわが少ないように思えるのだけれど、それは彼女が表情を変えないからかもしれない。
アリアは、彼女が、この別邸の雰囲気を作っているのだと思った。
マルロー婦人の案内で、アリアはフロースの部屋へと向かう。
すると、雰囲気がいくらか柔らかになっていくようだった。
ドアが開き、ふわっと気持ちが軽くなるような香りを嗅ぐ。
それは、フロースの部屋に立ちこめられた香の匂いで、彼女にふさわしいのだけれど、気だるさもある。
フロースは、香の匂いに包まれ、一人静かに椅子に座り、窓の外を眺めていた。
髪は結われており、彼女の顎からうなじが見え、はらりと耳のあたりに垂れた後れ毛が寂しさを感じさせる。
そこだけ時間が止まったかのようだ。
マルロー婦人がフロースに何かを告げ、アリアに気付いた彼女は立ち上がり、挨拶をする。
「プリンセス・アリア、ようこをおいでくださいました」
そう言った彼女の目の焦点は合っていない。
アリアは、マルロー婦人が去るのを待ち、それからフロースの手を握って言った。
「いったいどうしたの? フロース、あなたらしくないわよ」
アリアは、フロースがあまりにも生気がないので驚いていた。
もちろん、彼女の生気の無さは結婚式でも見ていたのだけれど、これは想像を遥かに超えている。
あの時のフロースは美しかったのに、今は、顔色も悪く痩せている。
「お医者様はなんて言っているの?」
アリアは、フロースを座らせると優しく聞いた。
「ええ・・・少し疲れているだけだそうです」とフロースは答え、その目はアリアを見るより遠くを見ているようだ。
アリアは、疲れているにしては具合が悪すぎると思った。
彼女も、看護師になる勉強をしているので、これは異常だということだけは分かる。
「それだけ?」とアリアが聞くと、
「お腹が少し・・・」とフロースは答える。
「妊娠しているの?」
その質問に、フロースは、我に返ったようになり、はっきりと言った。
「いいえ、姫様、わたしは妊娠しておりません」
フロースは、十八歳になろうとしているプリンセスに、夫婦の問題を告げるつもりは無かったのだけれど、情けなさと戸惑いを隠すためについ力が入ったのだ。
フロースは、妊娠などするはずはなかった。
子種を貰えなかったのである。
破瓜の痛みに耐え、その後、毎晩のように続く営みに悩まされても、自分の子を産みたいと言う一心で我慢するのに、いつまでたっても貰えないのだ。
初め、自分はまだ若いので、伯爵は、子供を持つには早すぎると考えているのだと思っていた。
そうしている内に、自分との間に子供をもうける気など無いのだと気付いていく。
伯爵は、彼女が子供の世話で自分を蔑ろにするのが許せないし、それはマルロー婦人の考えでもあった。
婦人は、フロースより若い侍女を伯爵に与えており、その娘は妊娠し、それなりの世話を受けている。
他にも、妾腹の子や甥たちもいるので、オーデン家の血が絶えることはなく、フロースに子を儲けさせる必要はない。
フロースは、自分の子を抱くことすらないのだと思った。
さらにマルロー夫人は、オーデン家のしきたりに従うようフロースを押さえつけ、彼女の自由を奪っていた。
別邸の鍵すら貰えないので、倉庫に入れないどころか、他の部屋に出入りすることもできない。
そのことを伯爵に抗議しても、伯爵は耳を貸さない。
フロースは、牢獄のような自分の部屋で、伯爵を待つだけの生活を余儀なくされる。
ところが伯爵は、どんなテクニックをしても彼女が潤わないので、苛立つようになっていた。
伯爵は、彼女が誰か他の男を思っているから自分に心を開かないのだと攻める。
そうして伯爵は、フロースを苦々しく思うのだけれど、他の男が彼女を見ることは許せない。
それは伯爵が女を官能的に見るからで、自分の妻が、他の男からそのように見られるのは嫌なのだ。
伯爵は、フロースが出かけるのを許さず、訪問者も、自分が気に入るものだけしか招かない。
「これでは、情婦以下だ」とフロースは思った。
そんなひどい扱いを受けているフロースだったけれど、夫の恋慕の情を失うのは恐れていた。
夫の利己的な愛と執着を、愛情と錯覚していたのだ。
まだ二十歳のフロースは、結婚について良く知らず、両親に相談して心配をかけたくないと思っている。
それに、知恵を仰ごうにも、誰に、どう相談していいの分からない。
女性たちは、過去の長い歴史の中で、束縛され自立できない社会で生きてきた。
彼女らは、例え男らしさのない間違った仕方で支配する夫たちであっても、彼らに仕えるしかなかった。
そして女性が教育を受けられるようになり、自立できるようになると、彼女らの道は開かれていく。
ところがフロースは、人生において何を目指すかと言う点で、平衡の取れた見方が出来ていない。
それに、平衡のある見方は、そう簡単に得られるものでもない。
とにかくそうしている内に、フロースは、体がだるくなっていく。
自分の夫は伯爵なのだし、伯爵の寵愛を受けることだけが大切のような気もする。
そんな時のアリアの訪問だった。
久しぶりのアリアの笑顔、心地よい笑い声、たのしい会話。
フロースは笑い、頬に赤みがさし、生気が体に戻っていく。
アリアは、フロースが外へ出るべきだと言い、自分が付き添うから一緒に出かけないかと誘った。
もちろん、マルロー婦人はそのことを快く思わない。
それで、その後のアリアの訪問の申し入れを、フロースに聞くことなく「具合が悪いので」と断ってしまった。
そんなこととは知らないフロースは、自分の部屋で病人のように過ごす日々が続けていく。
彼女は、このまま、人生を終えてもいいと思うようにさえなっていた。
ところが、ある日、転機が訪れた。
オーデン伯爵が、妾の家で火災に遭い、その女と共に死んでしまったのだ。
これは、マルロー婦人も予期しなかったことで、
フロースは、何の前触れもなく、突然、自由になった。




