3話 罠
披露宴の間、フロースは、ただひたすら耐えていた。
彼女は、この騒ぎにうんざりしており、開放されたいと願っている。
ところが、その彼女の態度でさえ、楚々としていると好意的な目で見られ、誰もがフロースの美しさを称えるのであった。
フロースは、イベリスに失恋したことで力を落とし、オーデン伯爵との結婚を拒む気力すら無くなっていた。
自暴自棄に陥り、もう誰にも心が動くとは思えないので、
結婚しなければならないのであれば、オーデン伯爵でも誰でも同じだと思ったのだ。
それは、強い打撃を受けた経験のない乙女が考えそうなことで、世の中捨てたものではないということに気付いていない。
もし彼女が気付いていたら、もっと賢く人生を歩めたかもしれない。
イベリスの長いローブは、彼女と彼を隔てる印で、アクィラも彼女に「自分の道を行け」と勧め、
きちんと捨ててくれたのに、それは彼女にとって受け入れがたいものだった。
とはいえ、その親切は無駄ではない。
とにかくフロースは、結婚して立派な伯爵婦人になり、イベリスのように愛せなくても、まだ、自分の子を産み育てるという幸せが残っていると思っていた。
それは普通だったら、その内、どうにかなることだったのかもしれない。
ところがフロースは、別の罠にもかかっていたのだ。
フロースはやっと披露宴から退場し、騒々しい城を後にして、静かな離れへと案内された。
そこには侍女長のマルロー夫人と、五人の侍女たちが待っていた。
フロースは、窮屈なウエディングドレスを脱ぐと、薔薇の花びらが敷き詰められた風呂に入れられる。
それは衰えた気持ちを高揚させ、疲れきった肌を生き生きさせるようだった。
「それにしても」とフロースは思う。
ドレスを脱ぐのは一人では出来ないとしても、風呂に入るのも、すべて侍女たちがついているのである。
そしてマルロー夫人は、表情を変えず、若い侍女たちの動きを見ているのだ。
かといって侍女たちは、そんなマルロー夫人を恐れている様子ではない。
彼女らは、時々含み笑いをしながらフロースの着替えを手伝い、その体に触る。
「やっぱり、伯爵夫人は処女よ」と侍女の一人が、フロースより若そうな別の侍女にささやいた。
それを聞いたフロースは、頭の中が熱くなる。
侍女たちは、くすくすと笑う。
フロースは、マルロー婦人を見た。
婦人は、それを聞いたのか聞かないのか、ただそこに立って侍女たちが動くのを見ており、たまに指示を出すだけだ。
侍女たちは誰も、フロースを、自分たちの主人とは見ていない。
フロースは、彼女らを取り仕切る伯爵婦人ではなかったのだ。
そして自分が、とんでもない所へ投げ込まれたのだと理解する。
彼女は、獣の檻の中に放り込まれた餌食のようだったのだ。
マルロー婦人は、今こそが、伯爵の亡き母、マドロンとの約束を果たす時だと思っていた。
自分の仕える主人は亡くなってしまったとはいえ、その思いは受け継いでいる。
マドロンは、息子をたぶらかすフロースの若さと美しさを憎んでいた。
そして、フロースが美しければ美しいほど、マルロー婦人の妬みも増していく。
それはフロースに始まることではなかった。
前婦人も、そのようにしてマドロンから虐げられていた。
マドロンは、自分の夫の愛情が少なかった寂しさで息子に執着し、その妻に嫉妬したのだ。
マルロー婦人にとって、自分の手中に入ったフロースを損なうのは造作も無いことだった。
二十歳になったばかりのフロースが、この熟年女性との戦いに勝利するはずもない。
さらにマドロンと婦人は、フロースの父親、ディフォーレスト子爵のことも良く思っていなかった。
マルロー婦人に課されたもう一つの使命。
それは、ディフォーレスト家の血をオーデン家に入れないことだった。
特に、フロースを通してだけは避けなければならない。
ヘンリーこそがオーデン伯爵家の後継者であり、それを揺るがすことは許されないのだ。
フロースは、幼い子供のように体を洗われ、寝衣をきせられ、髪をすかれ、寝室に通される。
マルロー婦人はシーツをめくり、「お入り下さい」と言った。
フロースは言われた通りにベッドに入る。
そして、マルロー婦人は、
「今夜は、どんなことがあっても耐えて下さい」と言った。
すでに不安になっていたフロースに、それだけで、怖がらせるのに十分であった。
少しの期間とはいえ、看護学校で学んだフロースは、今夜、何が行われるのかぐらい知っており、少々のことでは驚かない。
ところがここは、彼女を飲み込もうと、うずうずしていたのだ。
マルロー婦人は、「不足の事態が起こらないように、隣の部屋で控えております」と言って出て行き、
その部屋に続くドアは、少し開いたままにされている。
一人残されたフロースは、長い間、ベッドの上で座って待っていた。
そして、「不足の事態とは何の事だろう」とそればかりを考える。
体も冷え、すっかり怯えきってしまった彼女は、ただひたすらここから助け出して欲しいと震えていた。
それなのに、今夜は、誰も彼女を助けに来ないのだ。
ドアが開き、廊下の灯りがフロースの目を射るので細める。
眩しくて何も見えなくなったのだけれど、誰かが入ってきたようだった。
それは伯爵で、ドアが閉まると部屋は暗闇に包まれ、それから伯爵は、ゆっくりと近付いて来る。
フロースは、恐怖に慄き、震える声で懇願した。
「どうか、優しくしてください」




