5章 忘れられない想い 1話 純白の世界
青い空に、白い雲がひとつ、ぷかりと浮かんでいる。
その何気なさがアリアの心を沈ませるので、彼女は思わず、頬杖を付いていた腕を窓枠に寝かせ、頭を横にしてそこに乗せた。
すると、オーデン伯爵の城へ、人々が集まってくるのが見える。
フロースの結婚式に列席するのだ。
アリアは、昨日のリハーサルでのフロースを思い出す。
彼女は、淡々と忙しいスケジュールをこなし、メイド・オブ・オナーに選んだプリンセス・アリアに対して礼を尽くして接していた。
それはアリアの知らない、伯爵夫人となる人の様だった。
アクィラ王に挨拶をして分かれた後、フロースは修道院へ戻り、アリアも学校が忙しくて二人は会っていない。
何も言わなくても、アリアには、彼女の気持ちが分かっていた。
今でもフロースは、イベリスへの想いを心に秘めている。
あのイベリスの最後の姿を見たのに、彼の気持ちは彼女から離れてしまったのに、忘れられないでいる。
それなのに、あと数時間で、フロースはオーデン伯爵夫人になってしまう。
そう思うといたたまれず、ほうっとため息をついた。
「まるで葬式にでも行くようだな」
アリアは、その声に後ろを振り向く。
そこに立っていたのは、日焼けした顔にブロンドの長髪が良く似合う、正装したフロースの従兄だった。
「バーディ!」と、アリア狂喜の声を上げる。
アリアは嬉しさのあまり、子供のように飛び上がって彼に抱きつくと、
「来れないんじゃないかって思ってたのよ!」と言った。
バーディは笑いながら、
「歓迎してくれるのは嬉しいけど、こんなところをカイに見られた困るよね」と言った。
アリアは目を輝かせ、
「カイが来てるの!?」と言うと走り出す。
「ちょっと待った!」とバーディはアリアの腕を掴んだ。
「捜したって無駄だ。まだ来てないよ」
「えーっ!? そうなの?」とアリアはがっかりする。
バーディは笑いながら、
「僕だって、久しぶりに君に会えたのに、それはないんじゃない?」と言うと、
アリアも笑って、「御免なさい。だってカイも来れないって聞いていたから」と答える。
バーディは、やれやれと言う顔をした。
「僕も来たくなかったよ。だけど子爵の命令だからね。
親父が、カイの首に縄を付けてでも連れて来いって、それで、撮影の帰りにカイをしょっ引いたのさ」
それを聞いたアリアは、がっくりと肩を落とす。
「そうよね、出来ればわたしだって来たくなかったわ。
こんな結婚式、無い方がいいに決まっているのに」
「メイド・オブ・オーナーにしては、ずいぶん過激な発言だね」
そのバーディの冗談にも、アリアはため息をつくだけだ。
「ああ、なんでフロースはあんな人と結婚しちゃうのかしら。
バーディ! どうしてこんなに長く、音信普通にしていたの?
もし、あなたが近くにいてくれたら、こんなことにはならなかったかもしれないのに」
「それはどうだろ? 僕なんか、一番にあの伯爵に疎まれていたからね」
彼のその答えに、アリアは自分の初恋の古傷を思い出し、
「それはそうね。今日は、あなたの取り巻き連中はどうしたの?」と、自分が失恋した恨みを匂わせる。
「再会したばかりなのに、厳しい言い様だね」
アリアは、ふふんと笑うと、話題を変えた。
「それで、カイは今どこにいるのかしら?」
「ぎりぎりに来るんじゃないかな。『こんな馬鹿馬鹿しい結婚式なんか出たくない』って言ってたしね」
「そうよね・・・」
と再びアリアは肩を落とした。
「それより、頼みがあるんだけど」とバーディは切り出す。
「フロースに会わせて欲しいんだ」
「フロースに? 式の前に男の人が会うのは無理よ」
「だから君に頼むんじゃないか。
僕がフロースに会えるのは、今しかないんだ。
君なら周りの人間を追い払えるだろ? 僕らだけにして欲しいんだ。さ、行くよ」
バーディが強引にアリアの手を引いていくので、
彼女は仕方なくフロースの控え室へ入り、人々を部屋から追い出し、辺りを確かめてからバーディを呼んだ。
バーディは、控えの間へ入ると静かにドアを閉める。
部屋の中央に、フロースが立っていた。
彼女の前には鏡があり、それを空ろに見ている。
その真っ白なウエディングドレスは、彼女の清純さそのものだった。
首から胸元、そして両腕へとレースが覆い、なめらかな光沢のあるサテンが彼女の胸と腰を包み、白糸で刺繍されたスカートが後ろへ長く伸びている。
清楚で、音を飲み込むほどの静けさを感じさせるそのドレスは、フロースの心臓の音をさえ取り去ったかのようで、彼女の瞳は見えないのだけれど、そこに何か写っているとも思えない。
開いた窓の、薄くて白いカーテンが、そよ風でふわりふわりと揺れ、彼女を慰めるかのように優しく悲しく囲んでいる。
その純白の世界で、色は、結われた柔らかい髪、ピンクがかったうなじ、わずかに見える細い首、横顔、そして手だけだった。
「フロース・・・」とバーディは言って、言葉を失う。
フロースはゆっくりと、その声のする方へ振り向くと、一瞬、驚き、目に明るさを甦えらせる。
そして、その目の輝きはすぐに消えて静かになった。
バーディは、彼女が自分を誰かと間違えたのだと思った。
その悲しさが伝わってきて、
「フロース、とても綺麗だよ。綺麗だけど・・・消えてしまいそうだ」と言った。
するとフロースは、悲しそうに微笑む。
彼女は、そこに存在していないかのようで、姿があるのに、心は入っていない。
「そんなに嫌なら、結婚なんて止めてしまえばいい」バーディが怒ったように言った。
フロースは、泣きそうな顔を左右に振る。
「君はもっと賢い人だと思っていたけどね。今からでも遅くないよ」
そのバーディの言葉に、アリアは何のことだろうと驚いて彼を見る。
バーディは、フロースの手を取り、訴えるように言った。
「フロース、ここから逃げよう」
アリアは驚く。
「ちょっと待って、何を言っているの!?」
それはアリアも考えた事だったけれど、現実にはありえないと思っていた。
「だって、フロースは結婚を嫌がってるじゃないか!」とバーディは答える。
「バーディ、あなたって!」
と二人が言い合っているのを聞きながら、フロースは、
「逃げてどこへ行くの?」と聞いた。
「逃げても、何も変わらないのに・・・」
その時バーディは、フロースが失恋したのだと知った。
失恋から立ち直れないまま、他の男と結婚するのだ。
彼女は深く傷つき、消えてしまいそうに弱くなっている。
バーディは、彼女に背を向け、去りながら言う。
「分かった、フロース。
幸せにとは言わないけれど、君はいつでも変われる、ということだけ言っておこう」
アリアは、またそれに驚く。
「えっ? それだけ? 他に何か出来ないの?」
バーディは立ち止まり、アリアを振り向いて驚いたように言う。
「なんだ君は、フロースが逃げることに反対だったんじゃないのか?」
「だって突然だったから・・・」とアリアは、うろたえながら答える。
「フロースは、それを望んでない。いや、自分の正直な気持ちに向き合いたくないんだ。
今のフロースは弱い」
バーディはそう言うと、ドアを開けて部屋を出て行ってしまった。
ドアから冷たい空気が入ってきて、窓からの風とぶつかり合い、渦を巻き、すべてのものが宙に舞う。
それから、静かに下りてきた。
「今のフロースは弱い・・・」
彼女は、その言葉を心の中で繰り返した。




