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パパ  作者: 磯野山頭火
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第二話 オカルト研究部

 龍山大学オカルト研究部は、四十年にわたる歴史に終止符を打とうとしていた。

 部長の早坂聖也は、理工学部物理学科の三年生だった。ここ二年間、部員は彼一人しかいない。二年にわたって一人で占拠していた学生会館三階の部室を自治会に取り上げられ、資料とガラクタの山を積み込んだリアカーを前にして、途方に暮れていた。

 かつて、唯一の先輩から「これはツチノコの抜け殻だ」と紹介された大きな蛇の抜け殻は、リアカーの中に雑に詰め込まれ、半分に裂けていた。捨てられなかっただけでも、まだマシというものだ。

 カッパの手ということになっていた猿の手のミイラは有ったが、ネッシーの皮膚ということになっている青いビニールの合皮シートは見当たらなかった。どうやら、処分されてしまったらしい。

 いつから使われているのか見当もつかない古いノートパソコンも、無造作にリアカーへ放り込まれていた。再び電源を入れたとき、元どおりに動くかどうかも怪しい。

 早坂が実験の授業で部室を留守にしている間に、退去作業は強制的に執行されたのだった。

 これから早坂は、部室の代わりに与えられた学生会館一階の共用ロッカーに、荷物の中から価値のあるものを選んで収めなければならない。自治会の執行部からは、価値の低いものは処分するようにと言われていた。

 与えられたロッカーは、わずか二つ。学生自治会からすれば、それすらも歴史あるオカルト研究部への温情ということらしかった。

 先代の部長は、早坂の先輩にあたる人物だった。激情家で弁が立ち、自治会を相手にしても一歩も引かなかったため、執行部もおいそれとは手を出せなかった。しかし、早坂は違う。大人しく、口も達者ではない。自治会は、ついにここが好機とばかりに部室の片付けを強行したのだった。

 早坂は背こそ高いものの、ひどく痩せていて威圧感がない。手足も細く、すらりと長い。少し姿勢が悪く、猫背気味なので目立たないが、背筋を伸ばせば一九〇センチに届きそうな長身だった。

 顔も細長く、鼻が高い。そのため、高校時代には「初号機」と呼ばれ、からかわれていた。

 初号機とは、国民的ロボットアニメに登場する機体の名前である。厳密には汎用人型決戦兵器、人造人間という設定らしいが、彼をそう呼んでいた同級生たちの多くは、そんな細かい設定など知らなかっただろう。ただ、細長い顔と高い鼻が、何となくそれらしく見えた。それだけの話だった。

 特に腕が長かったので、もう少し品のよい高校に通っていれば、あだ名は「劉備玄徳」になっていたかもしれない。

 もっとも、早坂には劉備のように人を集める人徳はなかった。リアカーに積まれた荷物の埃にむせて咳き込んでも、心配してくれる者は誰もいない。

 早坂は、どうにかして部室を取り戻さなければならなかった。

 そのためには、秘策が必要だった。自治会の決定を覆し、誰もが納得せざるを得ない、とっておきの秘策。

 すべてをひっくり返すような、起死回生の一手。

 早坂はリアカーの荷物を前に、必死に考えを巡らせた。


「あんた、オカルト研究部の早坂さんだろ? 俺は経済学部四年の結城だ」

 部室の前に立ち尽くしていた早坂に声をかけたのは、彼と目線の高さがほとんど変わらない長身の男だった。

 短い黒髪に切れ長の瞳。ネイビーのジャケットに白いシャツ、グレーのスラックスを合わせ、足元には茶色のローファーを履いている。背筋を伸ばし、両手をポケットに突っ込んだ立ち姿は、清潔感があり、どこか余裕を感じさせた。

「はぁ……」

 早坂は曖昧な返事をした。部室を追い出されたばかりで、目の前のリアカーには処分するにも運び出すにも困る荷物が山積みになっている。そこへ、見覚えのない長身の男が突然現れたのだ。困惑するのも無理はなかった。

「さっき、学生自治会に相談に行ったら、早坂さんのことを紹介されたんだ」

 結城は、早坂の反応など気にする様子もなく続けた。

「紹介? どういうことですか?」

「幽霊とか亡霊とか、そういうのに詳しい人を探してるんだ」

「ちょっと今、それどころじゃなくて……」

 早坂は、リアカーに積まれた荷物へ視線を落とした。事情を説明する気力もなければ、相談に乗る余裕もない。

「自治会から聞いた。部室を強制退去になって困ってるんだろ? 手伝うぜ」

 結城はそう言うと、返事を待たずにリアカーの取っ手を握った。

「えっ、いや、そんな……」

 早坂としては、できれば断りたかった。見ず知らずの相手に手伝ってもらうのも気が引けるし、事情を聞かれれば説明しなければならない。面倒なことになりそうだという予感もあった。

 しかし、目の前の男には妙な圧があった。体育会系の人間特有の、こちらの遠慮など気にせず、決めたことをそのまま実行に移してしまう勢いである。早坂の周囲には、あまりいないタイプだった。

 結局、早坂は押し切られてしまった。

 もっとも、渡りに船ではある。大量の荷物を積んだリアカーを一人で運び出すのは、どう考えても骨が折れる。ここは素直に助けてもらうことにした。

 結城はリアカーを押し、学生会館の三階から一階へと荷物を運び下ろした。

 一階のロビーには、壁に沿ってロッカーがずらりと並んでいた。大学公認のサークルだけでなく、未公認の団体や学生の有志グループなども、自治会に申請すれば利用できる共用ロッカーである。扉にはダイヤル式の錠が付いており、利用者が自由に番号を設定できる仕組みになっていた。

 早坂に割り当てられたのは、そのうちの二つだった。

 部室にあった荷物をすべて収めるには、あまりにも狭い。早坂はリアカーの山から必要そうなものを選び出し、ロッカーに詰め込んでいった。

 結城は一通り運搬を手伝うと、近くの椅子に腰を下ろした。早坂が、いかにも曰くありげな物体を手に取ってロッカーへ収めるのを眺めている。

「……それは何だ?」

「河童の手です」

 早坂は手を止めずに答えた。

「本物か?」

「多分、猿か何かのミイラですよ」

「本物じゃないのか?」

「本物なわけないじゃないですか」

 あまりにもあっさりした返答だった。

 結城には、早坂を少しくらいからかってやろうという気持ちもあったのだろう。オカルト研究部の部長ともなれば、こうした怪しげな品を本物だと主張するくらいのことはあるかもしれない。そんな期待が、わずかながらあった。

 ところが、早坂にはまるで手応えがない。河童の手だと紹介されたものを、ただの猿のミイラだと平然と言い切ってしまう。

「なら、そっちは? ツチノコか?」

 結城は、リアカーに残された破れた蛇の抜け殻を指さした。

「ヘビの抜け殻ですね。先輩はツチノコだって言ってましたが、そんなわけないじゃないですか」

 早坂は呆れたように答えた。

「オカルト研究部じゃないのか?」

「オカルトが好きなだけで、信じてるわけではないですよ。ポケットモンスターをやるからって、ポケモンが現実の世界のどこかにいると思ってる人はいないでしょう?」

「……そんなもんか?」

「そんなもんです」

 早坂は、ロッカーの中で荷物の位置を調整しながらうなずいた。

 オカルトを題材にした作品が好きなことと、超常現象の存在を信じることは別問題である。早坂にとって、心霊現象も未確認生物も、興味を引かれる研究対象ではあっても、無条件に信じる対象ではなかった。

 もっとも、部室にあった品々の中には、どう考えても怪しげなものが少なくなかった。外から見れば、信奉者と研究者の区別などつかないのだろう。

「で、幽霊でしたっけ? 信じてるんですか?」

 今度は早坂が尋ねた。

 立場が逆転した。先ほどまでオカルト研究部の部長を相手にしていたはずの結城が、いつの間にか幽霊を信じる側の人間であるかのように扱われている。

 早坂の目には、結城は見るからに体育会系の男と映っていた。体を鍛えることに熱心で、難しいことは勢いで乗り切る。そんな偏見もあったのだろう。頭の中まで筋肉が詰まっているとまでは思っていないにしても、少なくとも、論理や科学を追求する繊細なタイプには見えなかった。

「俺は信じてないが、ツレが……」

 結城は、わずかに気まずそうな顔をした。

 そもそも、幽霊騒ぎを持ち出したのは莉央である。自分自身は超常現象など信じていない。そこは誤解されたくなかった。

 とはいえ、わざわざここまで来た以上、相談そのものをなかったことにもできない。結城は、ひとまず自分の立場を明らかにしておくことにした。

「なるほど。お連れさんが、ですか」

 早坂は納得したようにうなずいた。

「僕もオカルトは信じてませんが、さすがに一般の人よりはだいぶ詳しいので、お連れさんの力にはなれますよ」

 そう言って、早坂はようやく結城の方を向いた。

 その表情には、先ほどまでの途方に暮れた様子とは違い、少しばかり専門家らしい自信が浮かんでいた。


 空中庭園に面した学生ラウンジ。その窓際に設けられたカウンター席で、莉央はノートパソコンに向かっていた。

 ひと息ついてスマートフォンに目を向けると、蓮からLINEが届いていた。通知音に気づかなかったらしい。

『オカルト研究部の部長捕まえた。今から連れてく』

 ちょうど五分前のメッセージだった。莉央が返信を打とうとしたところで、ラウンジの入口から蓮が現れた。隣には、見覚えのない背の高い男がいる。

「莉央、こちら。オカルト研究部の早坂さん」

「……本当に連れてきたの?」

「さっきLINEしただろ」

「そうだけど、こんなに早いとは思わないじゃん」

「近くにいたんだから、いいだろ」

 蓮は当然のように、カウンターに最も近いテーブル席の椅子を引いた。早坂は少し遠慮がちに会釈する。

「早坂です。理工学部の三年で、オカルト研究部の部長をしています」

「高瀬莉央です。どうも」

 莉央はカーボン製の車椅子に座っていた。短いブロンドのボブが窓から差し込む光を受けて柔らかく輝き、澄んだ黒い瞳が早坂を静かに見つめている。白い肌に映える紅色の薄い唇には、小さな笑みが浮かんでいた。

 黒いストラップレスのトップスは胸元にぴったりと沿い、ウエストから下では、非対称のペプラムが優雅に広がっている。胸元にはサングラスが挟まれ、首元には細い黒のチョーカー。濃いグレーのワイドパンツを合わせた装いだった。右手にはアイスコーヒーのクリアカップを持ち、長い爪の先でカップの縁を軽く支えている。

 早坂は、驚いたような顔で莉央を見つめていた。

 その視線は、彼女の美しさに見惚れているというものではない。何か記憶の片隅に残る古い知人の顔を、目の前の相手に探しているようだった。

「美人だろ? まあ、座ってくれ」

 蓮に促され、早坂が椅子に腰を下ろす。

「ちょっと飲み物を買ってくるわ」

 そう言って蓮は席を立ち、ラウンジの自動販売機へ歩いていった。

 残された早坂は、蓮が引いた椅子に座ったまま、向かいの莉央に視線を戻した。

「すみません。結城先輩、いつもあんな感じなんですか?」

「いつもあんな感じです」

「そうですか……」

「何か変なこと言ってませんでした?」

「お連れさんが、幽霊の相談をしたいって」

「アイツ、ツレが幽霊の相談をしたいって言ったんですか?」

 莉央はノートパソコンの画面を閉じた。

 まるで自分が幽霊を信じている、痛い人間みたいじゃないか。蓮に勝手な紹介をされたようで、少し腹が立った。

「それで、オカルト研究部って、幽霊の調査もするんですか?」

「部として、特に決まった活動はないです。今は僕一人なので」

 莉央の機嫌が少し悪くなったのを察したのか、早坂はばつの悪そうな顔をした。それでも、何か言いたいことがあるのか、彼女の顔をまじまじと見つめている。

 そこへ、缶コーヒーを二本持った蓮が戻ってきた。

「砂糖入りとブラック、どっちがいい?」

 青と黒の缶を早坂の前に置き、蓮はその向かいに腰を下ろした。

「ありがとうございます」

 早坂は礼を言って、ブラックコーヒーを手に取った。

「さて、本題に入るぜ。早坂君は将棋に詳しい?」

 青い缶のプルタブを開けながら、蓮が尋ねる。こういうとき、彼にはためらいというものがない。

「ああ。もしかして、聖川広司の亡霊の話ですか?」

「さすが、オカルト部長! 話が早いな!」

「そりゃもちろん、知ってますよ。ネットで話題ですからね。あの『龍王は何処だ?』って亡霊が書いた、という話ですよね?」

「そう、それ! 亡霊が龍王を探してるってやつ」

 龍王とは、将棋の駒の一つである飛車が成った姿を指す。また、将棋界には同じ名を冠したタイトルも存在する。現在、その龍王のタイトルを保持しているのは藤原六冠だ。

 六冠とは、タイトルを六つ同時に保持していることを意味する。藤原蒼馬は、わずか二十二歳にして六冠を達成した若き棋士であり、史上初の八冠独占を期待される将棋界のホープだった。現役最強とも目され、将棋界の枠を超えて一般社会からも注目を集めている。

「この前のタイトル戦で藤原君が負けて、七冠目を取れなかったのは聖川広司の呪いだ、なんて言われてますね」

 早坂は藤原六冠のことを、親しげに「藤原君」と呼んだ。

「藤原君? まるで友達みたいな言い方ですね」

 莉央が尋ねる。

「実は後輩なんですよ。僕、二浪してるので。藤原君とは子供の頃、同じ将棋道場に通っていて、一つ下のライバルだったんです」

 早坂は笑顔で答えた。どこか誇らしげな様子だったが、話し始めると途端に早口になる。いかにも理系の男子学生らしい語り口だった。

「高瀬さんは、藤原君のファンなんですか?」

「ええ、まあ」

 莉央の返事は歯切れが悪かった。

「なら、安心してください。あれは所詮、噂ですから」

 オカルトの話題が楽しいのか、早坂の表情は次第に明るくなっていた。

「ところで、高瀬さんは聖川広司八段のことは知ってますよね?」

「いや、俺は知らんぞ」

 莉央の曖昧な返事に何かを感じ取ったのか、蓮が会話に割り込んだ。

「それなら、聖川広司から説明しますね」

「長い話は分からないから、サクッと頼む」

 蓮は青い缶を持ち上げ、眉をひそめた。

 先ほど早坂が、二浪しているため自分たちより年上だとさらりと明かしていたが、蓮は特に気に留めていないようだった。

「聖川広司というのは、九年前に自殺した棋士です。デビュー当時は周囲から天才と呼ばれていて、本人も七冠を取ると公言していました。ところが、破天荒な暮らしぶりで身を持ち崩し、最後は自分の娘を道連れにして命を絶ってしまったんです。今回現れたのは、その聖川の亡霊だと言われています。自分が生前に果たせなかった七冠の夢に近づいている藤原君を阻止するため、現世に戻ってきたんじゃないか、という噂になっているんですよ」

「なんでまた、死んで九年も経ってから、そんなよく分からない理由で現れるんだよ、その亡霊は」

「嫉妬説が一番よく言われていますね。藤原君は本物の天才ですから」

 藤原六冠は、将棋界に久しぶりに現れた、一般社会でも話題になるほどのスーパーヒーローだった。

 若い頃の聖川もまた、世間を騒がせた棋士だった。しかし、彼が夢見たのは、自分自身がそうした存在になることだったのかもしれない。藤原蒼馬は、聖川が追い求めながらも手にできなかった、本物の天才だった。

「そう。藤原蒼馬は聖川と違って、本物の天才」

 莉央は、妙に暗い顔でそう言った。

「まあ、亡霊じゃなくてAIですよ。聖川の棋譜を読み込ませて、聖川らしい手を最善手として選ぶように学習させたAI。誰が運用しているのかは分かりませんが」

 蓮は、あっさりと自分の見解を口にした。

「聖川って、人間的にはカスみたいな奴で、周りの人間をことごとく不幸にしていきましたけど、将棋は魅力的だったんです。だから、今でも彼のファンはたくさんいますからね」

 莉央の顔が、さらに曇った。

 蓮は、その変化を見逃さなかった。


 早坂が帰ったあとも、莉央はしばらくノートパソコンの画面を見つめていた。

 画面には将棋の棋譜が表示されている。けれど、将棋に詳しくない蓮には、それがどんな対局の棋譜なのか分からなかった。

「……なあ」

 カウンターの隣の席に移り、タブレットで小説を読んでいた蓮が口を開いた。

「莉央。俺に隠し事してるだろ?」

「何の話?」

「さっきの早坂って奴と話してたときだよ。聖川の名前が出てから、ずっと様子がおかしかった」

「別に。ネットで話題になってる棋士の話をしてただけじゃん」

「そうか?」

 蓮は、それ以上すぐには追及しなかった。ただ、納得していない様子で莉央を見ている。

 こういうところが面倒くさい、と莉央は思った。

 普段は大雑把なくせに、妙なところで勘が働く。しかも、こちらが何かを隠していると気づいても、勝手に答えを決めつけたりはしない。

 問い詰められれば、適当にごまかすこともできる。けれど、蓮はごまかしたことまで見抜いて、それでもこちらが口を開くのを待つのだ。

「私の友達だった」

「誰が?」

「聖川広司の娘」

 蓮の表情が、ほんのわずかに変わった。

「友達?」

「うん。殺された聖川の娘。聖川リョウは、私の親友だった」

 莉央はアイスコーヒーを一口飲んだ。すっかり氷が溶けて、味は薄くなっていた。

 早坂が、父親に道連れにされたと話していた聖川の娘。その子のことを、莉央は知っていた。

 いや、知っていたどころではない。親友だったのだ。

「それ以上は、今は話したくない」

「分かった」

 蓮の返事はあっさりしていた。理由を尋ねることも、話すように促すこともなかった。

「ただ、あのアカウントのことは調べるんだろ?」

「うん」

「なら、俺も乗るよ」

 莉央は答えなかった。

 画面に目を戻し、並んだ棋譜の一手一手を見つめる。

 蓮が隣にいることを、拒むつもりはなかった。けれど、何をどこまで話すのかは、まだ自分の中でも決められずにいた。

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