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独房の外に出た夢人は手早く、気を失ったままの看守の服を剥ぎ取っていった。躊躇のかけらもない、慣れた手つきだった。制服に袖を通し、帽子の中に髪を入れ目深にかぶると、その白い髪と特徴的な輪郭は、驚くほど自然に闇の中へと溶け込んだ。
「行きましょう、秋人さん」
二人は足早に階段を上がった。監視カメラの死角を、夢人はまるで最初から知っていたかのように選んで歩いた。すれ違った刑務官は、一瞬こちらに視線を向けたが、俯いた制服姿にそれ以上の注意を払うことはなかった。正面のゲートを抜け、外の空気に触れた瞬間、広瀬は自分がとんでもない一線を越えたのだという実感が、今さらのように込み上げてくるのを感じた。
だが、後戻りする気は、もう起きなかった。
車に乗り込み、エンジンをかける。バックミラーに映る刑務所の高い塀が、みるみる小さくなっていった。夢人は助手席で、窓の外を流れていく景色をじっと見つめていた。
♢
車は街の明かりを離れ、山道へと入っていった。やがて木立の奥に、小さなログハウスが現れた。
「俺の別荘だ」
広瀬はエンジンを切りながら言った。
「自宅だと、すぐに居場所が特定される。ここなら、しばらくは安全だ」
夢人は車を降り、木々に囲まれた小屋を見上げた。月明かりが、その白い髪をわずかに照らしていた。
「秋人さん」
そして、彼は不意に、広瀬の体に腕を回した。
秋人の心臓が、大きく跳ねた。
「自由になれたのは、あなたのおかげです」
広瀬は努めて平静な声を作りながら言う。
「とりあえず、シャワーを浴びて、ゆっくり食事でもしよう」
「はい」
夢人は体を離し、小さく頷いた。その表情には、これまで独房の中で見せていたどんな無表情とも違う、微かな安堵のようなものが浮かんでいるように、広瀬には見えた。
ログハウスの扉を開けると、長らく人の気配のなかった室内特有の、乾いた木の匂いが二人を迎えた。広瀬は明かりを点け、夢人を中へと促した。
♢
シャワーを終えた夢人は、脱衣所に置かれていた部屋着に袖を通した。それは、かつて広瀬の妻だった女性が着ていたものだった。薄いブルーのルームウェアは、夢人の細い体には少し大きく、袖口が余って、まるで子供が親の服を借りているように見えた。
リビングに戻ると、テーブルの上には湯気を立てるスープと、切り分けられたパンが用意されていた。
「先に食べていてくれ」
広瀬がタオルを首にかけながら言った。
「俺もシャワーを浴びてくる」
「わかりました。いただきます」
夢人は椅子に腰掛け、スプーンを手に取った。その所作は静かで、丁寧で、それでいてどこか作業のようでもあった。彼はスープを一口すすり、パンをちぎり、何の感情も浮かべないまま、それを口に運んでいった。
窓の外では、山の木々が風に揺れ、その影がリビングの床にゆっくりと動いていた。
しばらくして、髪をまだ濡らしたままの広瀬が、部屋着姿でリビングに戻ってきた。
「悪い、ちょっと長く――」
そう言いかけた広瀬の目に映ったのは、空になったスープ皿と、綺麗に食べ終えられたパンの皿だった。そして、それを前にした夢人が、これまで見せたことのない表情を浮かべていた。
「ごちそうさまでした!」
夢人は、笑っていた。
それは、独房の中で浮かべていた、あの静かで底の見えない微笑みとはまるで違うものだった。屈託のない、年相応の青年の笑顔だった。
「美味しかったです、秋人さん」
広瀬はしばらく、言葉を失ってその場に立ち尽くしていた。コバルトの瞳が、キッチンの明かりを受けて、いつもより幾分か明るく輝いているように見えた。あの牢獄の中では、決して見ることのできなかった色だった。
「それは良かった」
彼はテーブルに近づき、夢人の向かいに腰を下ろした。窓の外の闇はどこまでも深かったが、この小さなログハウスの中だけは、束の間、何か穏やかなものに満たされているようだった。
「もっと食べるか?」
「はい、もう少しだけ」
夢人はそう言って、また小さく笑った。広瀬はその笑顔を見つめながら、自分がすでに、後戻りのできない場所まで来てしまったことを、静かに、しかしはっきりと自覚していた。




