第九十五話 「受けてもいい」と「受けたい」は同じではないので、返事を一つにまとめないことにしました
翌朝、管理区域へ続く通りには、夜の冷たさがまだ少し残っていた。
季節が大きく変わったわけではない。それでも日差しの当たらない建物の影を歩いていると、腕に触れる空気が昨日までよりわずかに冷たく感じられる。通り沿いの店では朝の準備が始まっており、荷車から降ろされた野菜の木箱が軒先へ積まれ、パン屋の煙突からは細い煙がまっすぐ伸びていた。
ノルンは昨日買った焼き菓子の包みを思い出しながら、その店の前を通り過ぎた。
美味しかった。
だから今日も買う。
とはならなかった。
昨日食べた一つで満足している。
わざわざ昨日の選択を今日へ継続させる必要もない。
そこまで考えたところで、ノルンは眉間へ指を当てた。
「……朝からやめましょう」
最近は何を見ても、仕事で扱っている問題へ結びつけそうになる。
焼き菓子くらい、ただ美味しかったで終わらせればいい。
スマートフォンを取り出す。
美咲から新しいメッセージはない。
日曜日十四時。
駅前の新しい店を見てみる。
混雑していたら別の場所へ行く。
予定に変更なし。
ノルンは画面を閉じ、そのまま管理区域へ向かった。
◇
「おはよう」
「おはようございます」
主様はいつもの席にいた。
机の上には端末と飲みかけの水だけがあり、今日は本当に何も変わったものがない。
ノルンは一瞬だけ机を見る。
「何?」
「何でもありません」
「今、机見たよね」
「見ました」
「何か期待してた?」
「していません」
「お菓子とか」
「いりません」
「本当に?」
「朝の確認を始めます」
主様が笑う気配を背中に感じながら、ノルンは自分の席へ座った。
世界状態は安定。
緊急介入を必要とする事象なし。
九人の誤転生者にも、夜間の重大異常は確認されていない。
ルークはすでに起床し、朝食を終えていた。
昨日までと同じく、ミレイアに関する問い合わせはない。過去名についての追加質問もなく、名称・位置・自動接続に関係する異常反応も確認されていない。
ミレイアは起床後、母親と朝食を取っている。
昨夜、自室で何を考えていたかは記録されていない。
昨日の管理記録上では、第二接続は未決定。
将来接続を希望した場合の手順について説明を受けた。
双方に受諾・保留・撤回の権利があることを理解。
恐怖値、接続希望強度は未測定。
ルークへの共有なし。
フローラは慈善行事へ向けた準備を続けている。
参加決定済み。
受付補助希望は提出済みだが、当日の担当は未定。
衣装と鞄の準備はほぼ終了。
アーノルドからの接触なし。
第二王女の参加予定にも変更なし。
その他の誤転生者にも、それぞれの現在の方針を変更するような出来事はない。
ノルンは確認を終えた。
「今日は第十二版の続き?」
予想通り、主様が聞いてくる。
「午後に時間があれば」
「昨日もそれ言ってたね」
「昨日は実際に読みました」
「途中まで」
「途中で止めました」
「今日はどこまで?」
「決めていません」
「最近、そればっかりだね」
ノルンは主様を見る。
「先に終点を決めなければならない理由がありますか?」
「ない」
「では問題ありません」
「そうなんだけどさ」
主様は頬杖をついた。
「昔のノルンなら、『第十二版を最後まで確認します』って朝から決めてそう」
「昔とはいつですか」
「この仕事始めた頃」
「比較資料がありますか?」
「僕の記憶」
「主観ですね」
「厳しい」
ノルンは端末へ視線を戻した。
主様の言葉を完全に否定する気もなかった。
以前なら、確認を始めた資料は最後まで読むことを一つの区切りとしていたかもしれない。
けれど、それが今の自分より正しかったとも、間違っていたとも思わない。
扱っている情報が増えた。
一つの記録から別の記録へ簡単に結論を渡せないことも、以前より強く意識するようになった。
だから途中で止めることが増えただけだ。
その変化にまで「成長」や「改善」という名前を付ける必要はない。
「今日は先に、セレナさんの試験結果を確認します」
「五件のやつ?」
「はい」
「何か出た?」
「まだ見ていません」
「一緒に見る?」
「主様は通常業務をしてください」
「はい」
少し不満そうな返事が返ってきた。
◇
午前九時を少し過ぎた頃、セレナが端末を抱えてやってきた。
昨日から試験していた新しい一覧表示。
従来のように、
『説明希望なし』
『接触保留』
とだけ表示するのではなく、
『本人発言・最終確認時点』
『管理上の現在状態』
『現在の対応方針』
を分ける。
さらに対応方針の横に小さな参照表示を付け、押せばその方針の根拠だけを一段階深く確認できる。
いきなり詳細記録全文を開くのではなく、要約と原記録の間に一つだけ層を置く試験だった。
「五件、終わりました」
セレナがノルンの隣へ座る。
「結果は?」
「先にいい方から言っていいです?」
「どうぞ」
「昨日みたいな無用な再確認は、五件ともありませんでした」
「それは良かったですね」
「担当者からも、『今すぐ聞き直さなくていい理由が分かる』って」
セレナが画面を開く。
一件目。
『本人発言・最終確認時点:追加説明は今はいらない(前日)』
『管理上の現在状態:説明未実施』
『現在の対応方針:本人から希望があるまで再提示なし』
根拠表示。
『本人が「今はいらない」と発言。安全上、再説明を急ぐ必要なし。本人から再希望があれば対応可。』
「これは問題なしです」
ノルンが言う。
「はい。本人にも再質問してません」
二件目。
『本人発言・最終確認時点:面談は一人で受けたい。ただし難しい場合は二人でもよい(二日前)』
『管理上の現在状態:次回面談未設定』
『現在の対応方針:可能なら担当一名。二名となる場合は実施前に説明』
根拠。
『本人第一希望は一名。二名は許容範囲であり、同等希望として扱わない。』
ノルンは頷く。
「以前の『担当二名可』よりはかなり良いですね」
「ですよね」
「ただし、次回面談まで時間が空く場合は?」
「その時に必要な確認だけする?」
「はい。現在の対応方針が永久設定ではないことは、担当側へ明示した方がいいでしょう」
「そこ、あとで出てきます」
セレナが少しだけ顔をしかめた。
三件目。
『本人発言・最終確認時点:今週は家族への連絡をしないでほしい』
『管理上の現在状態:家族連絡なし』
『現在の対応方針:今週中は本人から希望がない限り連絡しない』
根拠。
『本人が期間を明示。安全上の例外事由なし。』
ここも大きな問題はない。
四件目。
『本人発言・最終確認時点:次の面談は午後なら受けてもいい』
『管理上の現在状態:次回面談未設定』
『現在の対応方針:午後帯で候補調整』
ノルンはそこで止まった。
「これですね」
「はい」
「問題は?」
「担当者が午後三時で仮予定を作りました」
「本人へ確認は?」
「その前に試験担当が止めました」
「理由は?」
「『受けてもいい』を『午後を希望』として扱っていいのか分からなかったから」
ノルンは原記録を開く。
本人との会話。
『次の面談、午前と午後ならどちらがいいですか』
『午前は眠いから、午後なら受けてもいい』
『午後を希望しますか』
この問いはされていない。
そこで会話が終わっている。
「午前は避けたい、は比較的強そうです」
ノルンが言う。
「でも午後に積極的な希望があるかは分からない」
「はい」
「『午後帯で候補調整』だと、午後を選んだように見えます」
「じゃあ?」
ノルンは少し考える。
「『午前を避け、面談設定時に午後帯を候補として提示』でしょうか」
「長い」
「一覧ですからね」
「それ昨日、私が言ったやつです」
「そうでしたか」
「忘れたんです?」
「内容は覚えています。誰がどの言い回しをしたかまでは」
「ひどい」
「業務に支障はありません」
セレナは不満そうな顔をしたが、すぐに表示を修正する。
「でも、これって結構大事ですよね」
「何がですか」
「『受けてもいい』と『受けたい』が違うこと」
「はい」
「前だったら、どっちも『希望あり』に入りそう」
「入り得ますね」
五件目。
そこでも似た問題が出ていた。
『本人発言・最終確認時点:必要なら説明を聞いてもいい』
『管理上の現在状態:追加説明未実施』
『現在の対応方針:説明可能』
「これも弱いですね」
ノルンが言う。
「はい。担当者が『説明希望あり』って読みそうになった」
「本人は『必要なら』と言っています」
「必要かどうか、誰が決めるのか書いてない」
「そこも確認が必要です」
セレナが椅子の背へもたれた。
「五件しかやってないのに、もう増えた」
「何がですか」
「区別しなきゃいけないもの」
指を折る。
「嫌だ。今はいらない。できれば。難しいなら。受けてもいい。受けたい。必要なら。考えてもいい。考えたい」
「全て別の意味になる可能性があります」
「一覧に入らない」
「全部を分類表にする必要もありません」
「でも担当者は迷う」
「迷ったら詳細記録を見ます」
「毎回?」
「重要な判断なら」
セレナは唇を尖らせる。
「便利な一覧を作ってるのに、最後は詳細を読めって言う」
「一覧だけで全て判断できるようにする方が危険です」
「分かってますけど」
「一覧の役割を減らした方がいいのかもしれません」
「減らす?」
「答えを出すものではなく、どこを確認すべきか知らせるものにする」
セレナの表情が変わる。
「案内板?」
「近いです」
「本人が今どう思ってるかを書くんじゃなくて、最後に何を言ったかと、今何をしていいかをざっくり見る?」
「はい。そして、何かを実行する直前には必要な詳細へ戻る」
「……それなら一覧が全部説明できなくてもいい」
「最初から全部説明することは不可能でしょう」
セレナは画面を見つめる。
しばらくして、四件目の表示を書き換えた。
『本人発言・最終確認時点:午後なら面談を受けてもいい』
『管理上の現在状態:次回面談未設定』
『現在の対応方針:設定時、原記録確認』
「極端ですね」
ノルンが言う。
「でも間違えて午後希望にするよりいい」
「毎回原記録へ戻るなら、一覧の意味が薄くなります」
「じゃあ『午前回避を優先』?」
「本人が午前を明確に拒否したわけでもありません」
「あー……」
セレナが机へ額を付けそうになる。
ノルンは少し考えた。
「『午前は本人負担あり。午後は許容発言あり。設定時確認』」
「長いけど分かる」
「試験です」
「はい」
セレナが入力する。
その時、少し離れた席で記録整理をしていた職員がこちらを見た。
「すみません」
「はい?」
セレナが振り返る。
「今の話、聞こえてたんですけど」
職員は少し申し訳なさそうに立ち上がった。
「私、前に『受けてもいい』って記録を『希望あり』にしたことあります」
室内の空気が少し変わる。
責められると思ったのか、職員の肩にはわずかな緊張が見えた。
ノルンは椅子から立たず、そのまま尋ねる。
「現在の規定では誤記録になりますか?」
「いえ……当時の入力項目が『希望あり・なし・保留』しかなくて」
「では、あなたが独自に作った分類ではありませんね」
「はい。でも、ありにしました」
「他に選択肢は?」
「『保留』もありましたけど、『受けてもいい』って言ってたので、保留じゃないと思って」
セレナが画面から顔を上げる。
「それ、私でもありにするかも」
「ですよね……」
職員の緊張が少しだけ緩む。
ノルンは過去の入力仕様を確認する。
本当に三択しかない。
『希望あり』
『希望なし』
『保留』
自由記述欄は別画面を開かなければ入力できず、一覧上には表示されない。
「この形式なら、『希望あり』を選ぶ判断は理解できます」
ノルンが言う。
「でも本人は『受けたい』とは言ってないんですよね」
「そうですね」
「じゃあ、私が変えちゃった?」
「入力時点で、発言を分類へ変換しています」
職員の顔が曇る。
ノルンは続けた。
「ですが、それはあなた一人の問題ではありません」
「……はい」
「三択を要求した時点で、誰かが変換しなければ記録できない設計です」
セレナが過去画面を覗き込む。
「自由記述、こんな奥だったんだ」
「以前は一覧性を優先したと記録されています」
「また一覧性」
「必要だったのでしょう」
職員は少し迷った後、尋ねた。
「過去の記録、全部見直しますか?」
ノルンはすぐに頷かなかった。
件数は多い。
しかも三択分類が全て誤っているわけではない。
本人が明確に「希望する」と言った記録もある。
「まず、この形式が使われていた期間と対象件数を確認します」
「はい」
「その上で、現在進行中の判断に影響する記録を優先します」
「全部一気にじゃなくて?」
「はい」
「分かりました」
職員が席へ戻る。
周囲にいた他の職員も、少しだけ画面を見る目が変わっていた。
誰かが間違えた話ではない。
入力欄が三つしかなければ、人の言葉は三つのどれかへ押し込まれる。
その時は業務上必要だった。
けれど、後からその分類だけを読んだ人には、元の言葉が見えない。
「ノルンさん」
セレナが小声で呼ぶ。
「はい」
「これ、昔の教材と似てるって言ったら怒ります?」
「怒りません」
「似てますよね」
「構造には似た部分があります」
「でも同じじゃない」
「はい」
「先に言っときました」
「学習しましたね」
「今の、褒めました?」
「事実です」
「それ褒めてない」
セレナは笑いながら端末を閉じた。
五件の試験で、完成形はできなかった。
むしろ新しい問題が増えた。
それでも、少なくとも、
『受けてもいい』
を、
『受けたい』
へ自動変換しない。
その一点は、次の試験へ持ち越せる。
◇
昼前。
ルークは生活区域の共有室にいた。
窓際の長椅子へ座り、昨日選んだ本を読んでいる。
窓の外では数人が作業をしており、時折、道具の触れ合う乾いた音が室内まで届いた。
しばらくして、本を閉じる。
『これ、返していい?』
近くにいた担当者へ声をかける。
『読み終わった?』
『うん』
『どうだった?』
ルークは少し考えた。
『面白かった』
『どこが?』
『最後の方』
『そこだけ?』
『途中も』
担当者が笑う。
『感想、苦手?』
『何言えばいいか分かんない』
『面白かったなら、それでいいんじゃない?』
『うん』
ルークは本を返し、棚の方を見る。
次に読むものを探しているらしい。
担当者が何冊か候補を示した。
『冒険ものと、町の話と、動物の話。どれがいい?』
ルークは三冊を見る。
『どれでもいい』
担当者の手が一瞬止まった。
今朝の一覧試験の話を聞いていた職員とは別人である。
けれど管理区域内では、最近「選択の言葉を勝手に強くしない」という話題が少しずつ共有され始めている。
『本当にどれでもいい?』
聞き返しかけて、担当者は言葉を変えた。
『じゃあ、私が一冊選んでもいい?』
『うん』
『あとで違うのがよくなったら変えていいからね』
『うん』
担当者が町を舞台にした本を渡す。
ルークは表紙を見る。
『これ読む』
それで終わるはずだった。
しかし、数頁めくったところで、ルークがふと顔を上げた。
『ねえ』
『どうしたの?』
『前にさ』
『うん』
『会うのって、相手も会いたいって言わないと駄目って言ってたよね』
担当者はすぐに答えず、質問の範囲を確認する。
『九人との面会の話?』
『うん』
『そうだよ。ルークが会いたくても、相手が会いたくないなら勝手には会えない』
『僕が会いたくなくなったら?』
担当者は少し目を瞬く。
『会いたくなくなったら?』
『うん』
『相手が会いたいって言ったあとでも?』
ルークが続ける。
担当者は慎重に答えた。
『基本的には、ルークも断れるよ』
『一回、会いたいって言ってても?』
『うん』
『九人に会いたいって、もう言ったよ』
『言ったね』
『じゃあ、誰かが会うって言った時、僕がその日は嫌だったら?』
担当者は、そこで管理側への確認が必要かを考える。
安全上の特殊条件がある相手なら、具体的な手順は個別に異なる。
ただ、一般原則として、過去の面会希望が将来の強制同意にはならない。
『その時に嫌なら、嫌だって言っていい』
ルークは少し黙る。
『あとでならいい、も?』
『言えるよ』
『分かんない、も?』
『言える』
『会いたいけど今日は嫌、も?』
『それも言える』
ルークは本を膝へ置く。
『変じゃない?』
『どうして?』
『会いたいのに嫌って』
担当者は少し考えた。
『私は変だと思わないよ』
『なんで?』
『会いたい相手がいても、疲れてる日とか、怖い日とか、今じゃないって思う日はあるでしょう』
『……うん』
『でも、これは私の考え方だから、必要なら管理側にも確認する?』
ルークは首を横に振った。
『今はいい』
『分かった』
『僕、今は会いたいよ』
『うん』
『九人とも』
『うん』
『でも、ずっと会いたいって言ってなきゃ駄目なのかなって思っただけ』
担当者はそこで余計な質問をしなかった。
『分かった』
ルークは再び本を開く。
数行読んでから、もう一度顔を上げる。
『これ、記録する?』
『面会希望に関係するから、必要な範囲では記録するよ』
『じゃあ』
ルークは少し考えた。
『「会いたいけど、会う時はまた決める」って書いて』
『分かった』
『九人とも会いたいのは消さないで』
『消さないよ』
『うん』
ルークは本へ戻った。
しばらくして、窓の外で何かが落ちる音がした。
そちらへ顔を向け、作業をしていた人が拾い上げるのを見届ける。
そしてまた本を読む。
面会の話は、それ以上続かなかった。
◇
ルークの記録がノルンへ届いたのは昼食後だった。
ノルンは最初に詳細を読む。
『全九名への面会希望は維持。本人より「会いたいけど、会う時はまた決める」との記録希望あり。過去の面会希望を将来の実施同意として固定しないことを確認。』
一覧表示。
現在は、
『九名との面会:希望あり』
となっている。
ノルンはしばらくその文字を見る。
「……またですね」
「何が?」
主様が隣から覗き込む。
「『希望あり』です」
「ああ」
朝、セレナと話したばかりだった。
ルークは確かに九人と会いたい。
そこは本人も消したくないと言っている。
だから『希望あり』自体が誤りとは言えない。
しかしそれだけでは、
『面会機会が来れば、その時点で実施してよい』
ようにも読める。
本人は今、
『会いたいけど、会う時はまた決める』
と明確に言った。
「一覧変える?」
「ルーク本人の記録ですから、まず本人の希望に沿う形を検討します」
「聞きに行く?」
「今日すぐに?」
「駄目?」
「詳細記録に本人の言葉があります。緊急に一覧を変更しなければ面会が実施される状況でもありません」
「じゃあ後で?」
「必要な時に」
主様は頷いた。
「これ、ミレイアの話をルークが知ったわけじゃないよね」
「知りません」
「偶然?」
「ルーク自身が考えたことです」
「似てる」
「はい」
「でも繋げない」
「その確認も毎回いりません」
「もう癖になってる」
「直してください」
ノルンは詳細記録へ補足する。
『面会希望の存在と、具体的な面会実施同意を分離。実施時は改めて本人意思確認を要する。』
そしてミレイア側へは何も送らない。
ルークが今日こう考えたことは、ミレイアへ伝える必要がない。
ミレイアが接続について迷っていることも、ルークへ伝えない。
二人が別々に似た問いへ辿り着いたからといって、管理側がそれを「二人は同じ気持ちだ」と結びつける理由にはならなかった。
◇
午後。
フローラの屋敷には、慈善行事の主催側から正式な案内が届いた。
封を開けたのは母親だった。
フローラも同じ部屋にいる。
窓辺には準備を終えた衣装が掛けられ、昨日選んだ肩掛け鞄も小さな机の上に置かれていた。
『配置、決まったみたい』
母親が書面を読む。
フローラの手が少し止まる。
『受付?』
『違うわ』
『そっか』
ほんの少しだけ肩が落ちた。
自分でも受付をやってみたいと言っていた。
希望が通らなかったことを、何も感じないわけではない。
『何になったの?』
『寄付品の分類補助。冬物衣類と日用品の仕分けですって』
フローラが瞬きをする。
『仕分け?』
『ええ。会場奥の作業区画。一般の来場者からは少し離れた場所みたい』
母親が案内を渡す。
フローラは受け取り、担当欄を読む。
衣類。
毛布。
保存の利く生活用品。
状態確認。
分類札の取り付け。
搬送前の箱分け。
『……結構、本当に働くんだ』
『慈善行事ですもの』
『もっと、受付で名前を書いたりするくらいだと思ってた』
『嫌?』
フローラはすぐに答えなかった。
受付をやってみたい気持ちはあった。
人と話す。
案内をする。
自分にもできるか確かめてみたい。
その小さな期待が外れたのだから、残念ではある。
けれど案内に書かれた作業を読んでいると、別の感情も湧いてくる。
『毛布って、どこに送るの?』
『孤児院と、冬の支援対象になっている家庭ね。医療施設へ回るものもあるみたい』
『服は?』
『大きさと状態で分けるのでしょうね』
『私、分かるかな』
『当日説明があるそうよ』
フローラは案内をもう一度読む。
『……やってみる』
母親が微笑む。
しかし、すぐに褒めたりはしない。
『分かったわ』
『受付じゃなかったの、ちょっと残念だけど』
『それも言っていいのよ』
『うん』
『希望が通らなかったからといって、参加をやめても構わないわ』
フローラは顔を上げた。
『やめないよ』
今度は答えが早かった。
母親はそれを聞いても、意味を大きくしなかった。
『では、作業しやすいように袖まわりだけもう一度確認してもらいましょうか』
『うん』
フローラは自分の衣装を見る。
公爵令嬢として場へ出るための服。
それでいて、箱へ物を入れたり、札を付けたりする邪魔にはならないよう調整する。
昨日選んだ肩掛け鞄も、受付で立っているより仕分け作業の方が役に立ちそうだった。
『これ選んどいてよかった』
鞄を持ち上げる。
母親が笑う。
『そうね』
『でも汚したらどうしよう』
『使うための鞄でしょう?』
『そうだけど』
『帰ってきたら手入れすればいいわ』
フローラは鞄を見下ろす。
少し考えてから、肩へ掛けた。
『じゃあ、使う』
その一言には、以前の彼女なら少し躊躇したかもしれない種類の軽さがあった。
高価なものを雑に扱うという意味ではない。
綺麗に見せるためだけに持つのではなく、必要だから使う。
それだけのことだった。
◇
研究枠に入った時、ノルンは第十二版の続きを開いた。
昨日止めたのは、
『双方の関係意思維持が再接続成功の主要因と考えられる』
という記述。
原記録では確認できない因果関係だった。
今日は、その直後から読む。
『長期相互接続モデルにおける基本姿勢』
一、相手の存在を信頼する。
二、短期的な無応答を関係終了と判断しない。
三、接続意思を長期的に保持する。
四、再接続可能性を否定しない。
五、相手の応答を待つ。
主様が隣で眉を上げる。
「これ、ルールになってる」
「モデル上の基本姿勢ですね」
「第一接続者が全部言った?」
「確認します」
一。
『相手の存在を信頼する』
原記録に完全一致する発言なし。
近いものとして、
『見失うことと、失うことを同じにしない』
が引用されている。
しかしこの発言は、呼称を使わず相手を見つけにくい状態を許容する文脈だった。
存在を信頼し続ける精神論ではない。
二。
『短期的な無応答を関係終了と判断しない』
これは比較的原記録に近い。
一度の応答が次の約束ではない。
返事がないことを失敗としない。
そうした記録は複数存在する。
三。
『接続意思を長期的に保持する』
第一接続者側については、管理上の接続継続状態が十三年間維持された。
ただし、本人の心理状態が均一だったわけではない。
外在側については確認不能。
四。
『再接続可能性を否定しない』
本人は接続終了を希望しなかった。
だが「再接続可能性を信じ続ける」といった明確な発言は確認できない。
五。
『相手の応答を待つ』
ここでノルンの指が止まる。
第一接続者はむしろ、
『待つって決めると、待っちゃう』
『来たら記録して』
『私が毎回探さなくていいように』
と述べていた。
「反対じゃない?」
主様が言う。
「少なくとも、本人は能動的に待ち続ける状態を避けています」
「なのに基本姿勢が『相手の応答を待つ』」
「はい」
参照元を見る。
第十版。
第十一版。
長期接続研修資料。
その研修資料を開く。
『待機とは常時観測を意味しない。日常生活を維持しながら、相手からの再接続可能性を閉じない姿勢を指す。』
ノルンは少し止まった。
「補足はある」
「はい」
「じゃあ完全に違うわけじゃない?」
「『待つ』の定義を広げています」
「日常生活してても待ってることになる」
「そうですね」
「昨日見た第一接続者に近くなった?」
ノルンはすぐに頷かなかった。
「一部は」
「一部?」
「第一接続者本人が、自分の十三年間をその定義で『待っていた』と呼んだ記録はまだ確認していません」
「そっか」
「後世の研究者が、第一接続者の状態を説明するために『待機』の意味を定義し直した可能性があります」
「悪いこと?」
「それだけでは判断できません」
実際、
『待つ=毎日相手を考え続ける』
と誤解しないためには、この補足は有効にも見える。
日常生活を維持する。
相手からの再接続可能性を閉じない。
それを「待機」と呼ぶ。
制度用語としては整理されている。
問題は、その制度用語が本人の感情を表す言葉としても使われ始めた時だった。
さらに読む。
『第一接続者は十三年間、待機姿勢を維持した。』
ここでは「待機」は制度上の定義。
次頁。
『相手を待ち続ける精神的安定性は、長期相互接続における重要な資質である。』
今度は心理的資質へ変わっている。
「混ざった」
主様が言う。
「はい」
「同じ『待つ』だから?」
「可能性があります」
制度上の待機。
接続を閉じない状態。
本人の心理としての待つ。
相手を思い続けること。
期待すること。
忍耐。
それらが同じ言葉の中で重なっている。
ノルンは改訂会議記録を探す。
そこには意外な議論が残っていた。
『「待機」の語は技術状態と心理状態の双方に用いられており、混同の恐れがある。』
指摘されている。
代替案。
『接続開放維持状態』
『再接続受容状態』
『長期非閉鎖状態』
どれも採用されていない。
理由。
『初学者に理解しづらい』
『既存教材との用語連続性が失われる』
『現場で「待機」が定着している』
最終決定。
『本文では「待機」を継続使用し、技術状態を指す場合は必要に応じ注記する。』
主様が小さく唸る。
「分かりやすい言葉を残した結果、意味が二つ残った」
「はい」
「でも変な専門用語にしたら分かりにくい」
「はい」
「どっちが正解?」
「一つには決められません」
「またそれ」
「実際そうです」
ノルンは第十二版を読み進める。
そして、もう一つ重要な変更を見つけた。
『接続受容確認』
再接続が発生した場合の手順。
第一接続者事例をモデルとして、
『接続継続意思が事前確認されている場合、再接続発生時は原則として受容意思ありとみなす』
ノルンの表情が変わった。
「……これは」
「何?」
「現在の基準とは違います」
主様も画面を見る。
当時の第十二版では、接続継続意思を保持している者について、再接続反応が発生した場合、
『受容意思あり』
を初期状態とする。
もちろん本人が拒否すれば中止できる。
だが順序が違う。
現在は、
過去に会いたいと言っていても。
接続を続けたいと言っていても。
具体的な接続の前には、その時点の意思を確認する。
第十二版では、
『継続意思あり=再接続受容意思あり』
として開始し、拒否があれば止める。
「今日のルークと逆だ」
主様が言う。
ノルンは画面から目を離した。
「ルークは『会いたいけど、会う時はまた決める』と述べています」
「うん」
「第十二版の方式なら、過去の『九人に会いたい』が受容意思として扱われる可能性があります」
「でも今は違う」
「はい」
「いつ変わったんだろう」
「それはまだ分かりません」
第十二版の根拠を確認する。
『継続意思を毎回再確認することは接続者負担を増大させる。第一接続者事例においても、反復的な継続意思確認を避けることが長期安定に寄与した。』
ノルンの手が止まる。
「……ここです」
「何?」
「第一接続者の『毎回まだ待つかと聞かれるのは嫌』が、再接続時の意思確認を省略する根拠に使われています」
主様の表情が消える。
「でも第一接続者が嫌だったのは」
「定期的に継続意思を問い直されることです」
「実際に再接続する時に聞かれることじゃない」
「少なくとも、確認した原記録ではその区別があります」
第十二版では、
毎回「まだ待つか」と聞かない。
という本人の希望が、
再接続時も継続意思があるものとして扱う。
という運用へ広がっている。
同じ「確認を減らす」でも意味が違う。
ノルンは改訂会議を見る。
異論があった。
『定期的な継続確認と、具体的再接続時の受容確認は区別すべき。』
別の委員。
『再接続機会が短時間で失われる事例では、都度確認が機会損失につながる。事前継続意思を尊重する方が本人希望に沿う場合がある。』
さらに別の意見。
『「会いたい」と「今会う」は同一ではない。』
ノルンは、その一文を見つめた。
「残ってる」
主様が言う。
「はい」
「昔にも言った人いたんだ」
「います」
しかし採用されたのは、事前継続意思を基本的な受容意思として扱う方式だった。
理由には、短時間しか成立しない接続機会への対応が挙げられている。
当時の技術条件では、現在より判断時間が短かった可能性もある。
だから単純に、
『昔の制度は間違っていた』
とは言えない。
それでも、
『会いたいと今会うは同一ではない』
という異論が存在していた。
そして現在、ルークがほとんど同じ意味のことを自分の言葉で言った。
ただしルークはこの資料を知らない。
「今日はここまでにします」
ノルンが言う。
「また途中?」
「はい」
「でも重要そう」
「だから止めます」
「重要だから?」
「現在制度との差を確認する必要があります。第十二版だけ読んで続きを推測したくありません」
ノルンは研究メモへ記録する。
『第12版において「待機」が技術状態(接続可能性を閉じない)と心理状態(相手を待ち続ける)の双方に使用され、編集段階でも混同懸念が指摘されていた。代替用語案は理解難度・既存用語との連続性を理由に不採用。』
『第一接続者の「反復的な継続意思確認を望まない」という原記録が、後世では再接続時の都度受容確認を省略する根拠の一部として利用されている。原記録上、定期的継続意思確認と具体的再接続時受容確認は同一ではない。』
『改訂会議に「会いたい」と「今会う」は同一ではない、との異論あり。ただし当時は短時間の再接続機会を逃す技術的問題もあり、事前継続意思を基本受容意思とする方式を採用。現在基準との単純比較は避ける。』
『現行制度へ移行した時期・理由は未確認。』
保存。
主様が画面を見ながら、ゆっくり言った。
「今日のタイトルみたいだね」
「何がですか」
「『受けてもいい』と『受けたい』は同じじゃない」
「タイトルはありません」
「いや、もし付けるなら」
「またですか」
「ノルン、タイトル嫌い?」
「業務記録に不要です」
「小説ならいるのに」
「何の話ですか」
「何でもない」
主様が視線を逸らした。
ノルンは追及しなかった。
◇
終業前。
フローラの配置は寄付品分類補助で確定。
本人は受付希望が通らなかったことを少し残念に感じつつ、参加継続を明言。
アーノルドから接触なし。
第二王女の予定変更なし。
ミレイアから第二接続に関する新しい発言なし。
昼間は母親と過ごし、その後は刺繍をしている。
ルークは九人との面会希望を維持。
ただし、
『会いたいけど、会う時はまた決める』
という本人希望を追加。
セレナの一覧試験では、本人の許容表現を積極的希望へ変換しない必要性が新たに確認された。
第十二版の研究は途中。
現行制度へ至る変更点は未確認。
美咲から新しいメッセージなし。
日曜日十四時の予定はそのまま。
ノルンは一日の記録を閉じる前に、ルークの一覧表示をもう一度見た。
『九名との面会:希望あり』
間違ってはいない。
しかし、足りない。
かといって、
『九名との面会:希望あり。ただし具体的面会時には再度意思決定希望』
と長くすれば、それで完璧になるわけでもない。
ノルンは今すぐ変更せず、セレナの試験対象候補として印を付けた。
本人の詳細記録は残っている。
実際に面会が動き出す前には、必ずそこへ戻る。
それで今日の安全性は確保できる。
「帰る?」
主様が声をかける。
「はい」
「第十二版、気になる?」
「気になります」
「明日読む?」
「分かりません」
「慣れたなあ」
「何にですか」
「分からないって言うの」
ノルンは鞄へ手を伸ばしかけ、少し止まった。
「以前も言っていました」
「今より少なかった」
「主様の印象です」
「そうだね」
主様はそれ以上言わなかった。
ノルンも否定を重ねない。
部屋を出る。
◇
夕方の通りは、朝より人が多かった。
仕事帰りの人々と、夕食の買い物をする人々が行き交い、店先からは焼いた肉や香辛料の匂いが漂ってくる。
ノルンは菓子店の前を通る。
今日は入らない。
昨日の焼き菓子が美味しくなかったからではない。
また食べたいと思わないからでもない。
今日は今のところ買わない。
それだけだった。
スマートフォンが震える。
美咲ではない。
天気予報の通知だった。
日曜日。
晴れ時々曇り。
降水確率はまた少し下がっている。
ノルンは通知を閉じる。
予定変更なし。
駅前の新しい店へ行く案もそのまま。
美咲へ天気を報告する必要もない。
歩き出そうとしたところで、今度は本当に美咲からメッセージが届いた。
『そういえば日曜、店見たあと時間あったら本屋も寄りたい』
ノルンは画面を見ながら立ち止まる。
本屋。
行きたい。
しかし、その後まで全部決める必要はない。
『いいですね。私も行きたいです』
送る。
すぐに返事が来る。
『じゃあ店→本屋で! 疲れてたら本屋はやめよ(笑)』
ノルンは少し笑う。
『はい。それでお願いします』
今度の日曜日。
十四時に会う。
新しい店を見る。
その後、余裕があれば本屋へ行く。
疲れていたら行かない。
予定が一つ増えた。
同時に、やめてもいい予定も一つ増えた。
そのことに特別な意味を付ける必要はない。
友人同士の休日なら、ごく普通のことなのだろう。
◇
その夜、ルークは夕食を終えた後、昼間に借りた本を読んでいた。
町を舞台にした物語。
最初は「どれでもいい」と選んでもらった本だったが、読み始めてみると意外に面白かったらしい。
ページをめくる速度が、昼より少し速い。
途中、同じ部屋にいた人物が声をかける。
『それ面白い?』
『うん』
『選んでもらったやつ?』
『うん』
『よかったね』
ルークは頷く。
しばらくして、何かを思い出したように顔を上げた。
『これさ』
『本?』
『うん』
『何?』
『最初はどれでもいいって思ってた』
『うん』
『でも今はこれでよかった』
『そう』
『最初からこれが読みたかったことになる?』
相手は少し戸惑った。
『ならないんじゃない?』
『だよね』
『何で?』
『何でもない』
ルークは本へ戻る。
昼間、
『九人とも会いたい』
という希望を消さないでほしいと言った。
同時に、
『会う時はまた決める』
とも言った。
今のルークの中では、その二つは矛盾していない。
九人に会いたい。
でも、実際に誰かと会う日には、もう一度自分で決めたい。
どちらも今の言葉だった。
管理側がそれを一つにまとめる必要はなかった。
◇
同じ頃。
フローラは翌日の予定表ではなく、慈善行事当日の案内をもう一度開いていた。
寄付品分類補助。
午前中に集合。
作業説明。
昼前から本格的な分類開始。
第二王女は開会時と寄付受付の一部に参加。
作業区画へ立ち寄る可能性はあるが、確定予定ではない。
フローラはそこを読んでも、母親へ、
『第二王女が来るならどうしよう』
とは言わなかった。
代わりに、
『毛布って重いかな』
と尋ねた。
『一人で持てないものは、係の方にお願いしなさい』
『公爵令嬢だから?』
『腰を痛めないためよ』
母親が即答する。
フローラは思わず笑った。
『分かった』
『何でも一人でやる必要はないの』
『うん』
『それと、疲れたら休むこと』
『まだ行ってもないのに』
『行くと決めたから言ってるのよ』
フローラは案内を閉じる。
行くと決めた。
その言葉を聞いても、胸が以前のように固くならなかった。
自分で決めたからかもしれない。
それとも、何をしに行くのかが少し見えるようになったからかもしれない。
まだ分からない。
けれど今は、それを確かめる必要もなかった。
『お母様』
『なあに?』
『明日、もう一回だけ袖見てもらっていい?』
『もちろん』
『作業する時に邪魔じゃないか確認したい』
『分かったわ』
フローラは肩掛け鞄へ目を向ける。
受付ではなくなった。
希望した役割ではない。
それでも行く。
誰かに会うためではない。
誰かを避けるためでもない。
今のところは、届いた毛布や衣類を、自分の手で必要な場所へ分けてみたい。
その理由だけで十分だった。
◇
翌朝になれば、また別の言葉が増えるかもしれない。
ミレイアが何かを尋ねるかもしれない。
何も言わないかもしれない。
ルークが九人との面会について考えるかもしれないし、本の続きを読むだけかもしれない。
フローラの慈善行事の日も近づいている。
第十二版にはまだ続きがある。
現行制度がいつ、
『過去に会いたいと言った』
ことと、
『今、実際に会う』
ことを分けるようになったのかも分かっていない。
けれど今日、少なくとも一つだけ、現在の管理側で見落としかけていたものが見えた。
『受けてもいい』
は、
『受けたい』
ではない。
『会いたい』
は、
『今すぐ会う』
ではない。
そして、
『どれでもいい』
から選ばれた一冊を後で好きになったとしても、最初からその本だけを望んでいたことにはならない。
人の言葉は、その時に言われた形で存在している。
後から起きたことが、前の言葉の意味まで書き換えるわけではない。
管理側ができるのは、その間に勝手な線を引かないことだった。
その夜の管理記録には、ルークについて二つの文章が並んだ。
『九名との面会希望あり。』
『具体的面会時には、改めて本人が決定することを希望。』
二つを一つにまとめなかった。
少し長くなった。
一覧としては、以前より不格好だった。
けれど、その不格好さを理由にどちらかを消す必要はなかった。




