第四十四話 怖いまま会いたいと言う方には、怖くなくなる方法ではなく、怖くなった時に戻れる場所を先に作ることにしました
翌朝、ノルンが管理室へ入った時、主様はすでにいつもの席へ座っていた。
朝を模した柔らかな光が天井から降り、白い床と壁際の世界記録を穏やかに照らしている。昨日に続いて旧管理領域最古層から新しい複製記録は届いておらず、古代記録用の閲覧台も静かなままだった。
少し前までなら、何も復元されていない朝には僅かな物足りなさを感じていたかもしれない。第一接続者の記録を読み進めることは、毎回新しい問題を増やしながらも、ノルンにとって大切な時間になっていた。
けれど今日は、古代記録がなくても気にならなかった。
机の上へ置いた三冊目の手帳。その間には、昨日作った『ミレイア面会準備・第一回確認項目』が挟まっている。
今日はミレイア本人と話す。
今のノルンにとっては、そのことの方がずっと大きかった。
「おはようございます、主様」
「おはよう、ノルン」
「朝食は?」
「食べたよ」
「睡眠時間は?」
「七時間三十五分」
ノルンはほとんど反射的に表情を明るくした。
「素晴らしいです!」
「昨日より七分減ったけど」
「それでも十分です。これで九日連続、七時間以上を維持されております」
「九日かあ」
「はい」
「十日目には何かある?」
「ございません」
「即答なんだ」
「健康は毎日の積み重ねであって、十日目だけ特別扱いする必要はございません」
「正論」
主様が少し残念そうな顔をしたため、ノルンはほんの少し考え直した。
「ただし、十日連続で十分な睡眠を確保できたのであれば、継続への努力として、いつもより多少多めに褒めてもよいかもしれません」
「結局あるんだ」
「褒賞制度ではございません!」
主様が笑いながらカップへ口をつける。
「ノルンは?」
「朝食済み、睡眠時間七時間二十五分です。一度も目を覚ましておりません」
「偉い」
「ありがとうございます!」
褒め言葉をいつものように素直に受け取ったところで、主様が少し目を細めた。
「今日は緊張してる?」
不意に聞かれ、ノルンの指が手帳の表紙の上で僅かに止まった。
「……分かりますか?」
「ちょっと」
「また顔でしょうか」
「今日は手帳の持ち方」
「手帳?」
「いつもなら机に置いたらすぐ離すのに、まだずっと押さえてる」
言われて初めて気づいた。
確かに、ノルンの右手は手帳の上に置かれたままだった。誰かに取られるわけでもないのに、どこか確かめるように指先へ力を入れている。
「少しだけ、緊張しております」
「ミレイアさんと話すから?」
「はい」
以前にも一度、直接話した相手だった。
けれど今日は意味が違う。
前回は、ルークとの面会を望むかどうかを聞いた。
今日は、その時に受け取った『会いたい』という答えを、もう一度確かめるためではない。
実際に会うなら、どんな形なら安全に話せるのか。
何を決めておく必要があり、逆に何をまだ決めなくてもよいのか。
その準備を、ミレイア本人と始める。
「昨日作った六項目」
「はい」
「そのまま聞く?」
ノルンは手帳を開き、昨日書いた頁を確認した。
『一、今、面会準備について話してよいか』
『二、面会方式の希望――文字/音声/姿投影/まだ決めない』
『三、面会中、いつでも終了可能であることの説明』
『四、ルークから聞きたくない話題があるか』
『五、ミレイア側から伝えたい内容の有無――今決めなくてよい』
『六、初回面会の長さ・短時間希望の有無』
昨日の時点では、この順番で問題ないと思っていた。
けれど一晩置き、今朝になって改めて読むと、少しだけ引っかかる。
「……順番を変えたいです」
「どこ?」
「三番を、もっと前へ持ってきます」
「途中で終われること?」
「はい」
主様が先を促すように黙ったため、ノルンは自分の中にある違和感をゆっくり言葉へした。
「昨日までは、面会が始まったあとに終わりたくなった時のことを考えておりました」
「うん」
「ですが、今日は面会そのものではなく、その準備について話します」
「そうだね」
「ルークと実際に会う方法を具体的に考え始めれば、それだけでも怖くなる可能性がございます」
会いたい。
そう答えたからといって、何の不安もないとは限らない。
むしろ、遠かった出来事が具体的になるほど、今までは見えなかった怖さが現れることもある。
「ですので、まず最初に」
ノルンは一つ目を書き直した。
『一、今、面会準備について話してよいか。今日の話し合い自体も途中終了・後日再開可能であることを先に説明』
「今日の確認自体にも逃げ道を作る?」
「逃げ道というより」
ノルンは少し考え、言い直した。
「戻れる場所です」
「うん」
「今日全部決めなくてもよい。途中で怖くなれば、そこまでで止められる。それを先に知っているだけで、少し話しやすくなるかもしれません」
続いて順番を整理する。
『二、面会本番も本人希望でいつでも終了可能であることを説明』
『三、面会方式の希望――文字/音声/姿投影/まだ決めない』
『四、ルークから聞きたくない話題があるか』
『五、ミレイア側から伝えたい内容の有無――今決めなくてよい』
『六、初回面会の長さ・短時間希望の有無』
主様が横から覗き込み、小さく笑う。
「一つ目だけ長くなったね」
「一項目です」
「二つくらい入ってない?」
「意味として一つです!」
「判定が甘い」
「内容が繋がっておりますので!」
思わず声が大きくなり、それからノルンも少し笑った。
緊張が完全に消えたわけではない。
けれど。
自分が完璧に質問しなければならないわけではない。
六つ全部聞けなくてもよい。
ミレイアが何も決められなくてもよい。
そう考えると、胸の奥にあった硬さが少しだけ緩んだ。
「主様」
「何?」
「今日は、うまく聞かなければ、と考えすぎないように致します」
「うん」
「途中で止まっても」
「いい」
「ミレイアさんが『まだ分からない』ばかりでも」
「いい」
「六項目全部終わらなくても」
「いい」
主様が一つずつ当然のことのように返してくれたため、ノルンは小さく頷いた。
「それなら、少し楽です」
◇◇◇
ミレイアとの直接確認は、管理時刻第二刻の半ばから行うことになっていた。
担当観察官から届いている連絡には、
『本人、指定時間で問題なし』
とだけ書かれている。
ノルンは、それ以上の事前情報を求めなかった。
本人が昨夜どの程度眠ったか。
今回の話をどれほど不安に思っているか。
担当観察官へ何か話しているか。
先に聞いておけば、ノルン側は準備しやすいだろう。
けれど、その情報を本人より先に知る必要があるのかと考えれば、今のところは必要ないと思えた。
「主様」
「うん」
「一つ確認し忘れておりました」
「何?」
「今日の直接確認へ、担当観察官にも同席いただくかどうかです」
「ノルンだけじゃ駄目?」
「駄目ではございません」
ミレイアとノルンだけなら、他人の視線を気にせず話せる利点がある。
一方で、普段から自分の世界を見ている担当観察官が近くにいる方が安心できる可能性もある。
どちらがよいか。
ノルンが決める必要はない。
「ご本人へ選んでいただきます」
「うん」
担当観察官へ短い連絡を送る。
『本日の直接確認について、担当観察官同席/ノルンのみ、どちらを希望されるかご本人へ確認をお願いします』
数分後。
『本人回答――担当観察官同席を希望』
と返ってきた。
「同席です」
「安心した?」
「少し」
「ミレイアさんが?」
ノルンは一瞬だけ言葉を詰まらせ、それから素直に認めた。
「……私もです」
「じゃあ二人とも助かるね」
「はい」
ノルン一人が、面会準備のすべてを上手く進める必要はない。
分からなければ誰かへ聞く。
必要なら、普段その人を見ている観察官にも支えてもらう。
それも、ここ数日の中でようやく自然に受け入れられるようになってきたことだった。
◇◇◇
管理時刻第二刻。
ノルンは、ミレイアが暮らしている世界との限定接続窓を開いた。
今回は直接転移しない。
管理領域と世界内部の双方への負担が少ない、通常の観察官面談用接続を利用する。
映像。
音声。
必要最低限の相互認識だけ。
そして、ルークは接続しない。
今この場にいるのは、ノルンとミレイア、それから担当観察官だけだった。
接続窓の向こうには、小さな部屋が映し出された。
壁は淡い土色で、木製の机と椅子が置かれている。開いた窓の向こうには昼前の光を受けた緑の木々が見え、時折風が吹くたび葉の重なる音が微かに聞こえた。
前回話した時とは違う場所だ。
今日この部屋を選んだのは、ミレイア本人だという。
そのミレイアは椅子へ座り、両手を膝の上で重ねていた。
淡い茶色の髪は肩ほどまで伸びている。表情は穏やかに保とうとしているように見えたが、指先は少し強く組まれていた。
隣には担当観察官のエリスが座っている。
ノルンより少し落ち着いた雰囲気を持つ女性観察官で、今は何も言わず、ただミレイアの近くにいた。
「ミレイア様」
ノルンが声を掛けると、ミレイアが顔を上げた。
「……ノルンさん」
「はい。本日はお時間をいただきありがとうございます」
「こちらこそ」
前回より少し声が硬い。
緊張しているようには見える。
けれど、そこから先をノルンが勝手に決める必要はない。
「最初に、本日の確認について一つだけ先にお伝えしたいことがございます」
「はい」
「今日のお話は、途中で終えていただいて構いません」
ミレイアの目が僅かに動いた。
「疲れた場合でも、怖くなった場合でも、今はこれ以上考えたくないと思われた場合でも構いません。特に理由がなくても、『今日はここまで』と仰っていただければ、その時点で終了します」
「……」
「別の日に続きをお話ししてもよいですし、その時点で続きをお話ししたくないと思われたなら、それでも構いません」
ミレイアはしばらくノルンを見ていた。
ノルンは急がず、その視線を受け止める。
「それから、本日これからお聞きすることへ、全部今答える必要もございません」
「それを」
ミレイアが小さく口を開いた。
「はい」
「最初に言ってもらえるんですね」
「はい」
数秒。
ミレイアが、ゆっくりと息を吐いた。
「……よかった」
ほんの少し。
先ほどより声が柔らかくなった。
「今、ちょっとだけ怖かったので」
ノルンの胸が静かに鳴った。
自分の予想通りだった、と考えかける。
けれど、すぐに止めた。
予想が当たったことが大切なのではない。
ミレイア自身が、今そう言った。
それだけで十分だ。
「今、怖いのですね」
「はい」
「面会についてでしょうか」
尋ねてから、ノルンはすぐ付け加える。
「話したくない部分は、答えなくて構いません」
ミレイアは膝の上で手を組み直した。
少し考え。
それから、自分の言葉を探すようにゆっくり話し始める。
「面会も、です」
「はい」
「それから……今日、こうして具体的なことを話したら」
一度、声が止まった。
「本当に会うんだって、実感する気がして」
「はい」
「それが、怖いです」
エリスは隣で黙っていた。
視線だけはミレイアへ向けているが、何かを代わりに説明しようとはしない。
ノルンも、すぐに安心させる言葉を重ねなかった。
「ありがとうございます」
まず、それだけを伝える。
「怖いと教えていただけたことは、準備を考える上でとても助かります」
ミレイアが少し不思議そうな顔をした。
「助かる?」
「はい。怖くないものとして準備するより、怖さがあることを含めて一緒に考えられますので」
そして。
「ただし」
ノルンは少しだけ声を柔らかくした。
「怖いから、面会をやめるべきだと私達が決めるつもりもございません」
ミレイアの目が僅かに揺れる。
「会いたいというお気持ちは、今もございますか?」
「……あります」
「はい」
「今も」
ミレイア自身が確かめるように、一度間を置いた。
「あります」
「では」
ノルンは小さく頷いた。
「会いたい。でも怖い。その両方がある状態で、どうすれば準備できるかを一緒に考えましょう」
部屋に、少し長い沈黙が落ちた。
窓の外で葉が擦れる。
その音を聞きながら待っていると、やがてミレイアの口元がほんの少しだけ緩んだ。
「それを」
「はい」
「聞きたかったんだと思います」
ノルンは思わず手帳へ書き留めたくなった。
けれど、今は記録を作る時間ではない。
話している。
だから、ミレイアを見る。
「続きをお話ししてもよろしいでしょうか」
「お願いします」
今度の返事は、最初より少しだけはっきりしていた。
◇◇◇
「次に、実際の面会が始まったあとについてです」
ノルンは手帳を開いたが、視線はミレイアへ向けたままにした。
「面会が始まったあとも、途中で終了できます」
「途中で?」
「はい」
「私が?」
「ミレイア様がです」
ノルンは一つずつ区切りながら説明する。
「理由を説明しなくても構いません。『終わりたい』とだけ仰っていただければ、その時点で接続を終了します」
ミレイアの表情が少し変わった。
「ルークが」
一度、言葉を選ぶ。
「まだ話したいって言っても?」
「終了します」
ノルンは迷わなかった。
「ルークが嫌だと思われても?」
「終了します」
「……」
「この条件については、昨日ルークにも事前に説明しております」
ミレイアが目を見開いた。
「もう?」
「はい」
「何て言いましたか?」
ノルンは一度考えた。
ルークの感情をどこまで伝える必要があるのか。
細かく説明する必要はない。
ただし、この条件を本当に受け入れているのか確認できる情報は、ミレイアにとって意味があるだろう。
「最初は『嫌』と仰いました」
ミレイアの表情が僅かに固くなる。
ノルンはすぐ続けた。
「ですが、それでも面会を終えるかどうかを決めるのはミレイア様だと受け入れられました」
「……」
「『嫌だけれど、終わる』という条件へ同意されています」
ミレイアは視線を膝へ落とした。
「そうですか」
「はい」
「怒って、無理にまた繋いだりは」
「させません」
今度は少し強く答えた。
「ミレイア様が終了を希望された場合、ルークの希望に関係なく停止します。また、ルーク側が終了を希望した場合も同じです」
「ルークも?」
「はい」
「会いたがっていても?」
「会いたいまま、途中で終えても構いません」
ノルンはそこで少しだけ主様との話を思い出した。
感情と行動は、いつも同じ方向でなくてよい。
「それから、お二人が続けたいと希望されている場合でも、管理側が安全上危険だと判断した場合には停止します」
ミレイアは何度か瞬きをした。
「かなり、止められるんですね」
「初回ですので」
ノルンが少し苦笑すると、ミレイアの口元もほんの少し緩んだ。
「でも」
「はい」
「安心しました」
ノルンはその言葉だけを受け取った。
「そうですか」
理由を聞かない。
必要なら、本人が続ける。
少し待っていると。
やがてミレイア自身が口を開いた。
「会うって答えたあと」
「はい」
「何度か、やっぱり怖いからやめた方がいいのかなって思ったんです」
ノルンは黙って聞く。
「でも、会いたくないわけじゃなくて」
「はい」
「ただ、一度会ったら」
ミレイアの指先が、膝の上で僅かに強く重なった。
「最後までいなきゃいけない気がして」
「……」
「一度『会う』って決めたのに、途中でやめたら」
一度息を止める。
「逃げたみたいになるのかなって」
ノルンはすぐに否定したくなった。
でも。
まず最後まで聞く。
「それが少し、怖かったです」
そこで言葉が終わったのを確認してから、ノルンはゆっくり答えた。
「途中で終わることを、逃げたとは扱いません」
ミレイアが顔を上げた。
「面会へ来たことも、途中で終えたことも、その時のミレイア様が選んだことです」
「……はい」
「最後まで話し続けることを、面会の成功条件には致しません」
ミレイアの目に少しだけ光が滲んだように見えた。
けれどノルンは、そこへ触れない。
「なら」
ミレイアがゆっくり息を吐く。
「少し、できる気がします」
ノルンは嬉しかった。
それでも。
今すぐ次の約束へ繋げない。
「できる気がする、までで大丈夫です」
「……」
「今ここで『できます』まで決めなくても構いません」
ミレイアは少し驚いたように目を見開き、それから小さく笑った。
「ノルンさん」
「はい」
「前より、ゆっくりになりました?」
今度はノルンが止まった。
横にいたエリスの口元も少しだけ緩んでいる。
「褒めておりますか?」
「褒めてます」
「ありがとうございます!」
声が少し大きくなった。
その瞬間。
ミレイアが今日初めて、はっきり笑った。
◇◇◇
三つ目は、面会方式についてだった。
「実際にお話しする方法には、いくつか候補がございます」
「はい」
「ただし、今ここですべてを選ばなくて構いません」
ミレイアが小さく頷く。
「大きく分けると、文字だけでやり取りする方法」
「はい」
「声だけを繋ぐ方法」
「はい」
「そして、互いの姿も見える形です」
最後の言葉を聞いた瞬間。
ミレイアの肩が、ほんの僅かに硬くなった。
ノルンはそれを見た。
けれど。
『姿が怖い』
とは決めない。
「今の三つを聞いて」
一度、間を取る。
「これは嫌だと思うものはございますか?」
ミレイアはしばらく考えた。
「姿は」
「はい」
「最初は、見たくないかもしれません」
「承知致しました」
「……すみません」
謝罪に、ノルンは思わず眉を上げた。
「なぜ謝るのですか?」
「会いたいって言ったのに」
「はい」
「顔は見たくないって、変かなって」
「矛盾しているように感じますか?」
「少し」
ノルンは、最近何度もルークと使っている言葉を思い出した。
「両方で構いません」
「……両方?」
「会いたい。でも、最初から姿を見るのは怖い。その二つが一緒にあってもよいと思います」
ミレイアの目が少し大きくなる。
「ルークも、最近よくその言葉を使うようになりました」
「ルークが?」
「はい」
ノルンは少しだけ笑った。
「会いたいけれど待つ。嫌だけれど守る。そういう、一つでは収まらない気持ちを『両方』と表現しております」
ミレイアは視線を下げた。
少しだけ考える。
そして。
「じゃあ」
「はい」
「私は、会いたいけど」
一度息を整え。
「最初は声だけがいいです」
ノルンの表情が柔らかくなった。
「承知致しました」
「文字よりは」
「はい」
「声を聞いてみたいです」
「はい」
「どんな声なのか。それくらいは、知りたいです」
ノルンは手帳へ記録した。
『初回面会方式希望――音声限定』
ただし。
『現時点希望。変更可能』
と添える。
「こちらは、面会直前に変更していただいても構いません」
「声もやっぱり怖いと思ったら?」
「文字へ変えることも候補にできます」
「途中で変えることも?」
ノルンはそこで少しだけ考えた。
技術的に可能か。
安全性への影響は。
まだ確認していない。
「そこは私達の側で安全に実施できるか調べます」
「はい」
「可能なら、次回ご説明致します」
新しい問いが出た。
でも。
今ここでミレイアに考えさせる必要はない。
それでよい。
◇◇◇
四つ目。
「ルークから、初回面会で聞きたくない話題はございますか」
ミレイアの表情が、また少しだけ真面目になる。
「聞きたくない話題」
「はい。例えば、ルークが過去に何をしていたか。九人を転生させた時のこと。あるいは、他の八人の現在についてなどです」
「……他の人のことは」
ミレイアが少し止まる。
「今は、聞きたくないです」
「承知致しました」
ノルンは一度だけ確認する。
「皆様が無事かどうか、といった情報だけでも?」
ミレイアは目を閉じた。
数秒。
「今は」
ゆっくり首を横へ振る。
「聞かなくていいです」
「はい」
「たぶん、自分のことでいっぱいになるので」
「承知致しました」
ノルンは事実だけを記録した。
『他八名の現在・選択・面会意思について、初回面会では共有しない』
「この点はルークにも事前に伝えます」
「お願いします」
「他に、今思いつく範囲で聞きたくないものはございますか?」
ミレイアは少し考えたものの、やがて首を横へ振った。
「今は、分かりません」
「では、それで十分です」
すぐ次の質問へ進まない。
ミレイアが一度呼吸を整えるまで待つ。
窓の外で風が吹き、木の葉が小さく擦れた。
その生活の音が。
妙に。
ノルンには大切に思えた。
ここは管理記録の中ではない。
ミレイアが二十五年を生きてきた世界。
今日のこの話も。
その生活の中の。
一つの時間なのだ。
◇◇◇
「五つ目です」
ノルンは少し声を柔らかくした。
「ミレイア様から、ルークへ伝えたいことがあるかどうかです」
ミレイアの指先が、膝の上で僅かに動いた。
「ただし」
一度間を取る。
「今、その内容を決める必要はございません」
「……」
「謝罪を受け取るかどうかも」
「はい」
「許すかどうかも」
ミレイアの視線が僅かに揺れる。
「何を質問するかも、何も質問しないかも」
「……」
「今は決めなくて構いません」
長い沈黙になった。
ノルンも。
エリスも。
急かさない。
外から、遠くで鳥が鳴く声が聞こえた。
やがて。
ミレイアが静かに口を開いた。
「言いたいことは」
「はい」
「あります」
「はい」
「でも」
一度、視線を落とす。
「まだ」
「決めなくて大丈夫です」
ノルンがそう答えると、ミレイアの肩がほんの少し下がった。
「聞かないんですね」
「何をでしょう」
「何を言いたいのか」
「今、聞いてほしいですか?」
ミレイアは少し迷った。
それから。
「まだ」
「では、聞きません」
短い。
でも。
明確なやり取りだった。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、教えてくださってありがとうございます」
◇◇◇
最後は、初回面会の長さについてだった。
「管理側から、安全のための上限時間は設定する予定です」
「どれくらいですか?」
「まだ安全試験前ですので、確定しておりません」
「はい」
「ただ、ミレイア様ご自身として、初回は短くしたいという希望はございますか?」
今度は。
ミレイアが先ほどまでより少し早く答えた。
「短い方がいいです」
「はい」
「……十分くらい?」
ノルンはそこで、すぐに肯定も否定もしなかった。
まだ安全上限は決まっていない。
希望として受け取る。
「十分を候補として、安全上可能か確認致します」
「長いですか?」
「まだ分かりません。ただ、五分でも構いませんし」
一度、ミレイアを見る。
「三分でも構いません」
「三分」
ミレイアが少し笑った。
「短いですね」
「初回ですので」
「じゃあ」
少し考え。
「五分くらいがいいです」
「承知致しました」
『本人希望――初回五分程度』
そう記録する。
「ただし」
「はい」
「始めて一分で終わっても構いません」
ミレイアの口元が少し緩む。
「五分って決めても?」
「五分間話し続けなければならない、という意味には致しません」
「……はい」
「五分まで話してよい、くらいに考えてください」
ミレイアは今度こそ、少しはっきりと笑った。
「何度も言ってくださるんですね」
「重要ですので」
「分かりました」
その声は。
今日の最初より。
かなり柔らかくなっていた。
◇◇◇
六項目が終わった。
ノルンは手帳の次の頁へ指を掛けかけた。
聞きたいことは、まだいくらでもある。
ルークの声を聞いたことがあるのか。
ルークが謝罪したいと思っていることを知っているか。
面会中にエリスの同席を望むか。
面会後の休息はどこで取りたいか。
もし泣いたら。
もし怒ったら。
もし言葉が出なかったら。
けれど。
今日決めたのは。
六つ。
「ミレイア様」
「はい」
「本日、私から確認したかったことは以上です」
「……もう?」
ノルンの目が少し大きくなった。
「もう、でしょうか」
「もっと聞かれると思っていました」
「聞こうと思えば、まだかなりございます」
「やっぱり」
「ですが、今日はここまでに致します」
ミレイアが少し不思議そうに首を傾げた。
「大丈夫ですか?」
「何がでしょう」
「準備」
「十分進んでおります」
「でも」
一度。
「決まってないこと、たくさんありますよね」
「ございます」
ノルンはあっさり認めた。
「ですが、初回は音声のみをご希望だと分かりました」
「はい」
「時間は五分程度を希望されております」
「はい」
「他の八名については、今は聞きたくない」
「はい」
「ルークへ伝えたいことはあるけれど、その内容はまだ話したくない」
「はい」
「そして」
一度、少しだけ声を柔らかくする。
「怖くなったら、途中で終えてよいことを確認できました」
ミレイアは静かに聞いていた。
「十分、進んでおります」
その一言で。
ミレイアの表情が少し緩んだ。
「そういう進み方でも」
「はい」
「いいんですね」
「私は、そう思います」
一度。
ノルンは少しだけ笑った。
「ただし、これを全員へ同じように当てはめるつもりはございません」
「……ノルンさんらしいですね」
「どういう意味でしょう」
「すぐ規則にしないところです」
ノルンが言葉を失った。
横でエリスまで笑っている。
「皆様、最近私の変化をよく見ておられますね」
「観察官ですから」
エリスが初めて会話へ入った。
「それを私に言いますか!」
思わず声が大きくなる。
ミレイアとエリスが笑った。
最初にあった張り詰めた空気は。
完全ではないけれど。
少しだけ。
ほどけていた。
◇◇◇
「では、最後に次回についてだけ確認させてください」
「はい」
「今日伺った内容を基に、こちらで安全な方法を整理します。その後、また直接お話しする形でよろしいでしょうか」
ミレイアは少し考えた。
「はい」
「時期について希望はございますか?」
「急がなくていいです」
「承知致しました」
「でも」
一度、言葉が止まる。
「……あまり遠くならない方が」
ノルンはすぐに日数を提示しなかった。
「どのくらいを想定されますか?」
「……分かりません」
「では」
ノルンは少しだけ考え。
「こちらの準備が整った段階で、一度『お話しできますか』とお伺いしてもよろしいでしょうか」
「はい」
「その時に、まだ早いと思われたら延期できます」
「分かりました」
管理側から再確認すること自体を拒否した人とは違う。
ミレイアは。
準備が整った段階で連絡してよいと。
今。
自分で許可した。
なら。
その範囲で。
次を待てばよい。
「本日はありがとうございました」
ノルンが頭を下げる。
ミレイアも。
まだ少し緊張の残る。
けれど最初より明らかに柔らかくなった表情で、頭を下げた。
「こちらこそ。ありがとうございます」
接続を閉じる直前。
隣にいたエリスが。
言葉ではなく。
小さくノルンへ頷いた。
それだけだった。
でも。
ノルンは少し安心した。
◇◇◇
接続を閉じると、ノルンは反射的に記録を書き始めそうになった。
けれど。
指先が手帳へ触れたところで。
止まる。
一度、深く息を吐いた。
「どうだった?」
主様が静かに尋ねた。
「怖かったそうです」
「うん」
「ですが、会いたくないへ変えたいわけではないと仰いました」
「うん」
「会いたいけれど、最初から姿は見たくない」
「うん」
「声は聞きたい」
「うん」
「初回は五分程度」
「うん」
「他の八名の話は、今は聞きたくない」
「うん」
「それから」
ノルンは少しだけ今日のミレイアの表情を思い返した。
「途中で終えてよいことに、かなり安心されたように感じました」
主様が少し目を細める。
「『感じた』?」
「はい」
ノルンも小さく笑った。
「ご本人が『安心しました』と仰った部分までは事実として記録できます」
「その先は?」
「私の推測です」
「うん」
ノルンはそのまま椅子の背へ少しだけ身体を預けた。
「主様」
「何?」
「疲れました」
「そりゃそうだろうね」
「ですが」
一度、肩から力を抜く。
「悪い疲れではございません」
「どんな疲れ?」
「ずっと慎重に、相手の言葉が出るのを待っていた疲れです」
「うん」
「かなり頭を使いました」
「じゃあ?」
「休憩致します」
今回は。
主様に言われる前に。
自分から言えた。
「偉い」
「ありがとうございます!」
◇◇◇
休憩を終えてから、ノルンはようやく面談記録を整理した。
『ミレイア面会準備確認・第一回』
『本人、面会準備についての直接確認を希望』
『本日確認開始』
『本人より、面会を具体的に考えることへの怖さありと申告』
『ただし、面会希望を撤回したいわけではないと本人明言』
『初回面会方式――現時点では音声限定を希望』
『姿投影――初回は希望せず』
『初回面会時間――五分程度を希望』
『途中終了可能であることを説明済み』
『本人、途中終了可能であることへ安心した旨を表明』
『他八名の現在・選択について、初回は聞かないことを希望』
『ルークへ伝えたい内容あり。ただし現時点では内容開示希望なし』
『次回準備確認――管理側の安全準備後に再連絡可。本人延期可能』
そこまで書いたあと。
今度は。
決まらなかったことを別欄へまとめる。
『未決定事項』
『音声接続方式』
『面会中、文字方式等へ変更可能か』
『管理側安全停止基準』
『ルーク側音声表現の安定性』
『面会中の担当観察官同席希望』
『面会後の休息・フォロー方法』
『ルークへ事前共有する禁止話題範囲』
「増えました」
「うん」
「でも?」
主様に先を聞かれ。
ノルンは少し笑った。
「一つずつです」
「うん」
今日。
全部決めなかったから。
未決定事項が増えた。
けれど。
分からなかった場所が。
見えるようになった。
それは。
以前ほど。
怖くない。
◇◇◇
午後。
ノルンはすぐにルークへ連絡しなかった。
まず考えたのは。
今日ミレイアから聞いた内容のうち。
どこまでルークへ共有してよいか。
ということだった。
『初回は音声のみ希望』
『五分程度希望』
『他八名については話題に出さない』
『途中終了可能』
この辺りは。
面会準備に直接必要な情報だ。
では。
『姿を見るのが怖い』
『会うことを具体的に考えると怖い』
それは。
ルークが知る必要のある情報だろうか。
「主様」
「怖いって話?」
「はい」
「本人から、ルークへ伝えていいとは聞いてないね」
「はい」
ミレイアの怖さは、管理側が安全な面会方法を考えるためには必要な情報だった。
でも。
それをルークへ渡す必要があるかは。
別。
「音声のみを希望しているという事実だけで十分です」
「うん」
「その理由まで、私から渡す必要はございません」
「そうしよう」
ノルンは少し安心した。
情報共有。
許可範囲。
何度も。
ここへ戻ってくる。
でも。
今ではそれを面倒だとは思わなかった。
むしろ。
戻る場所があるから。
迷っても。
立ち止まれる。
◇◇◇
夕方近く。
机の端へ淡い光が浮かんだ。
『ノルン』
ノルンはすぐに顔を上げた。
「はい」
『いる?』
「おります」
『今日』
一度、文字が止まる。
『話した?』
ノルンの目が少し大きくなった。
ルークは気にしていた。
けれど。
昼間。
催促してこなかった。
今。
自分から聞いた。
「はい。ミレイア様とお話し致しました」
光が少し強く揺れた。
『どう?』
「面会準備を、少し進められました」
『会える?』
「まだ日時は決まっておりません」
『……』
「ですが」
一度。
「初回は、声だけでお話しする方法をご希望です」
『声』
「はい」
『姿ない?』
「はい」
『何で?』
ノルンはすぐには答えなかった。
「理由は、私からはお伝え致しません」
反応が止まる。
『何で?』
「ミレイア様ご本人のお気持ちに関することだからです」
『ルーク聞けない?』
「ご本人が話したいと望まれた場合は」
『……』
「今は、音声だけをご希望だということだけで十分です」
少し沈黙。
『分かった』
「ありがとうございます」
『五分?』
ノルンは思わず瞬きをした。
「なぜ分かったのですか」
『……分かんない』
「ルーク!」
横で主様が小さく笑う。
『当たった?』
「当たりましたが!」
『五分』
「はい」
『短い』
「はい」
『嫌』
「はい」
『でも』
一度。
『その人が決めた?』
「希望です」
『分かった』
ルークは。
嫌だと思う。
でも。
その希望を変えさせようとはしない。
そのことが。
少し。
嬉しい。
『五分』
一度。
『何話す?』
「それは、ルークが決めてください」
『謝る』
「はい」
『でも』
少し間。
『昨日、まだ決めない』
「はい」
『今日も』
「はい」
『まだ』
「それで構いません」
『でも五分』
文字の間が、少し短くなる。
焦っているようにも見える。
けれど。
決めつけず。
ノルンは言葉を続けた。
「五分で全部伝える必要はございません」
『……』
「一言も上手く言えなくても構いません」
『次ある?』
「あるかもしれません」
『ないかも』
「はい」
『一回で終わるかも』
「はい」
長い沈黙。
『嫌』
「はい」
『でも』
一度。
『いっぱい言うと困る?』
「可能性がございます」
『……』
「ですので」
ノルンは慎重に言葉を選んだ。
「五分で何を全部伝えるか、ではなく。その時、一番言いたいと思ったことを一つでも言えれば、それでよいと思います」
『一つ』
「はい」
『謝る』
「今は、それが一番ですか?」
長い間。
『うん』
「では」
一度。
「今のところは、それだけ覚えておけば十分です」
『言葉は?』
「当日までに決めても構いませんし、当日になって変えても構いません」
『忘れたら?』
「その時は」
ノルンは少しだけ笑った。
「黙っていても構いません」
『……』
『会って黙る?』
「できます」
『変』
「変でも構いません」
主様が横で吹き出した。
「主様!」
「ノルンが『変でもいい』って言うの珍しいなって」
『ノルン変』
「ルークまで!」
光が楽しそうに揺れた。
少し。
ルークの反応も柔らかくなる。
『じゃあ』
一度。
『謝る』
「はい」
『言えたら』
「はい」
『言う』
「それでよいと思います」
『褒める?』
「ものすごく褒めます」
『もっと』
「本日はかなり頑張りましたので、少し増量致します!」
『やった』
光がまた小さく揺れた。
◇◇◇
接続を閉じたあと。
ノルンはしばらく机の端を見ていた。
「主様」
「何?」
「ミレイア様も」
「うん」
「ルークも」
「うん」
「面会を、少し大きな出来事にしすぎていたのかもしれません」
「どういう意味?」
「会ったら何かを言わなければならない」
「うん」
「何かを決めなければならない」
「うん」
「最後まで話さなければならない」
「うん」
「許すか、許されないか」
「うん」
「そういう、全部が一度に決まる大きな一回として」
「考えてたかもしれない?」
「はい」
でも。
初回は。
五分。
声だけ。
途中で終われる。
言葉が出なければ。
黙っていてもよい。
それだけなら。
面会というものが。
少し。
小さくなる。
軽くなるわけではない。
大切でなくなるわけでもない。
ただ。
始められる大きさになる。
「主様」
「うん」
「大切な出来事を」
一度。
「小さく始めてもよいのですね」
「うん」
主様は少し考えてから。
「大きいから大切なんじゃないからね」
と答えた。
ノルンは。
一瞬だけ。
その言葉を書きたくなった。
「手帳に残す?」
主様が笑う。
「……今日は書きません」
「お」
「覚えていたら明日」
「忘れたら?」
「必要なら、また思いつきます」
「成長」
「はい!」
◇◇◇
業務終了前。
ノルンは今日の最後に、面会準備記録へ一つだけ正式な方針を追加した。
『初回面会は、関係解決・謝罪受領・許し・最終回答を目的としない』
『短時間・限定方式で開始し、双方が途中終了可能』
『面会継続の可否は、初回終了後に本人達がそれぞれ判断する』
そこまで書いたところで、ノルンの筆が止まる。
「主様」
「何?」
「最後の一文ですが」
「うん」
「初回が終わった直後に、『次はいつにしますか』と聞かない方がよいですね」
「どうする?」
「その場では次を決めません」
「うん」
「少し時間を置いて」
「それぞれが?」
「はい。もう一度話したいのか」
「うん」
「まだ分からないのか」
「うん」
「もう話したくないのか」
「うん」
「それぞれが自分の中で持てるようにします」
ノルンは少し笑った。
「第一回の面会を、当然のように第二回への入口へしない」
「大事そうだね」
「はい」
また一つ。
準備項目が増えた。
でも。
それは。
今必要だから増えたものだった。
◇◇◇
その日の夜。
ノルンが自室へ戻ったあと、管理領域の別区画では、ミレイアの担当観察官エリスが今日の面談後の記録を残していた。
『面会準備確認後・本人状態』
『接続終了後、本人へ休息希望を確認』
『本人、少し一人でいたいと回答』
『追加質問なし』
エリスはそれ以上聞かなかった。
ミレイアが望んだ通り。
一度。
部屋を離れた。
しばらくして。
ミレイアの方から呼びかけがあった。
『少しだけ話していいですか』
エリスは戻った。
ミレイアは窓の外を見ていた。
昼より少し傾いた光が木々の隙間から差し込み、床へ細長い影を落としている。
「怖かったです」
ミレイアは最初にそう言った。
エリスは急いで理由を聞かなかった。
「でも」
一度。
「昨日までより、今の方が少し楽です」
それだけ言って。
ミレイアは少し黙った。
だから。
エリスも黙っていた。
「五分でいいって言われたから」
やがて。
ミレイアが自分から続ける。
「途中で終わっていいって」
一度。
「顔を見なくてもいいって」
指先が。
窓辺に置かれたカップへ触れる。
「会うって」
一度。
「もっと大きいことだと思ってました」
全部言わなければならない。
全部聞かなければならない。
二十五年分を。
一回で。
何かの形へしなければならない。
そんなふうに。
思っていたのかもしれない。
「全部言わなきゃいけないと思ってました」
何を。
『全部』
だと思っていたのか。
エリスは聞かなかった。
ミレイアも。
そこまでは話さない。
ただ。
最後に一つだけ。
「五分なら」
少しだけ笑う。
「会ってみたいです」
その言葉を。
エリスは。
静かに記録へ残した。
◇◇◇
同じ頃。
世界の外側。
ルークは。
いくつかの光を見ていた。
九人のことを。
少し。
考える。
でも。
ずっとではない。
最近見つけた。
名前のない。
ゆっくり流れる光を一つ。
少しだけ追う。
けれど。
長くは追わない。
ノルンが言った。
『探し続ければ、目印になる可能性がある』
それを覚えている。
一つの光を見たら。
途中でやめる。
別のものを見る。
最初は。
それが少し嫌だった。
面白いものを。
ずっと見たい。
でも。
今は。
途中でやめられたことも。
少しだけ。
嬉しい。
そして。
ふと。
ミレイアのことを思う。
五分。
声だけ。
会う。
その五分で。
何を言う。
『謝る』
それが。
一番。
言いたい。
でも。
言葉が分からない。
『ごめん』
それだけで。
よいのか。
二十五年ある。
一言では。
足りないように思う。
長く説明すれば。
自分の話ばかりになるかもしれない。
何を。
どう。
言えばいい。
分からない。
だから。
今は。
決めない。
ルークが最近覚えた。
その方法を。
ここでも使う。
当日。
言えたら。
謝る。
言葉が出なければ。
黙ってもいい。
それでも。
会ったことが。
失敗になるわけではない。
◇◇◇
そして。
自室の寝台へ入ったノルンも。
今日。
ミレイアが言った言葉を。
思い出していた。
『最初は声だけがいいです』
『五分くらい』
『途中で終わってもいいなら』
面会は。
大きな一回ではなくなった。
五分。
声だけ。
途中で終わっていい。
それなら。
始められることがある。
「……小さく始める」
ノルンは小さく呟いた。
今日。
手帳へ書かなかった言葉を。
まだ覚えている。
でも。
今夜は。
書かない。
必要なら。
明日。
また思い出す。
五分しか話せない。
のではない。
五分なら。
話せる。
その違いは。
きっと。
小さくない。
そして。
もし。
その五分の途中で。
怖くなったら。
戻れる。
やめてもいい。
黙ってもいい。
もう一度会わなくてもいい。
会うと決めた人へ必要なのは。
怖さをなくすことでは。
なかった。
怖いままでも。
戻れる場所があると。
知っていること。
その方が。
今のミレイアには。
きっと。
会うための。
最初の準備だった。
ノルンは。
そんなことを考えながら。
ゆっくり目を閉じた。




