第四十三話 会うと決めた方へ次に必要なのは、もう一度答えを聞くことではなく、安全に会える形を一緒に作ることでした
翌朝、ノルンが管理室へ入った時、最初に確認したのは古代記録用の閲覧台ではなかった。
朝を模した淡い光が天井から降り、白い床と壁際の世界記録を静かに照らしている。昨日と同じように最古層から届いた新しい複製記録は見当たらず、主様の机にも、今のところ古びた管理印の付いた記録板は置かれていない。
以前なら、何もないと分かった瞬間、少しくらいは物足りなく感じたかもしれない。第一接続者が残した記録を読み始めてから、毎日のように新しい疑問と答えが増えていたからだ。
けれど今日は違った。
新しい古代記録がなくても、やることはすでに決まっている。
「おはようございます、主様」
「おはよう、ノルン」
「朝食は?」
「食べたよ」
「睡眠時間は?」
「七時間四十二分」
ノルンは、ほとんど反射的に笑顔になった。
「素晴らしいです!」
「八日連続?」
「はい。八日連続七時間以上です」
「やっぱり数えてる」
「健康管理です!」
「記録は?」
「しておりません」
「頭の中に?」
「必要な範囲で保持しております」
「それを普通は記録って言わない?」
「言いません!」
朝から少しだけ大きな声が管理室へ響き、近くを流れていた世界記録の光が、まるで驚いたようにノルンの横顔を照らした。
主様は楽しそうに笑いながら、自分のカップへ口をつける。
「ノルンは?」
「朝食済み、睡眠時間七時間二十一分です。一度も起きておりません」
「偉い」
「ありがとうございます!」
「今日は何するか、もう決めてる顔だね」
「分かりますか?」
「昨日より分かりやすい」
「またですか!」
最近、皆から表情が分かりやすいと言われる。
少々不本意ではあるものの、今日に限っては否定しにくかった。実際、管理室へ来る前から最初に取り掛かる仕事を決めていたのだから。
ノルンは自分の席へ向かい、三冊目になった手帳を机へ置いた。
昨日、百四十六年の観察官歴を持つセレナと話した。その結果、それまで考えていた『基本規則』『理由・事例・例外判断資料』『現場実践例』という三分類へ、さらに大切な考え方が加わった。
『基本規則は短く、即時使用可能』
『理由資料は階層化し、必要な時だけ戻る』
『現場実践例は推奨条件・不適条件・失敗例を付け、強制しない』
そして、判断する順番も教わった。
『まず基本規則を使う』
『それだけでは足りない時に、理由へ戻る』
昨日は手帳へ書いただけだった。
だから今日は、それを実際の仕事で使ってみたい。
「主様」
「うん」
「本日は、ミレイア様との面会準備について、正式に準備項目の整理を始めたいです」
ノルンが九人への面会意思確認記録を開くと、主様はカップを机へ戻し、少しだけ表情を真面目なものへ変えた。
「会うって答えた人だね」
「はい」
「ルークと」
「はい」
現在、九人の中で明確に面会希望を示しているのはミレイア一人だった。
けれどノルンは、彼女へもう一度『本当に会いますか』と聞くつもりはない。
一度示された意思を、こちらの不安を解消するためだけに何度も確認すれば、それはやがて別の圧力になるかもしれない。
必要なのは回答の再確認ではない。
次の行動へ進むための確認だ。
「ただし、今日はすぐに面会日時を決めるつもりはございません」
「まず?」
「何を準備しなければならないかを確認します」
「基本規則から?」
ノルンの目が少し明るくなる。
「はい!」
「昨日の実践」
「はい!」
嬉しそうに答えるノルンを見て、主様が小さく笑った。
◇◇◇
最初に開いたのは、現在使われている転生者面談基本規則だった。
通常、観察官が対象者と直接話す場合に必要となる最低限の条件が、簡潔な文章でまとめられている。
『本人の接触意思を確認』
『接触場所の安全性を確認』
『終了希望を本人がいつでも表明可能』
『本人が共有を拒否した事項について開示を強制しない』
『緊急時を除き、第三者同席は本人へ事前説明』
ノルンは一つずつ読み、今回の面会へそのまま適用できるか確認していった。
「通常の面談規則としては、かなり使えます」
「ミレイアさんにも当てはまる?」
「本人の意思確認は済んでおります。終了希望をいつでも表明できることも必要ですし、情報共有を拒否する権利も当然ございます」
「じゃあ足りる?」
ノルンはすぐには頷かなかった。
もう一度規則へ目を落とし、今回の面会に存在する最大の違いを考える。
「いいえ。足りません」
「何が?」
「ルークです」
今回の面会相手は普通の観察官ではない。
世界の外側に存在し、過去に九人を誤転生させた当事者であり、現在は管理領域から与えられた名称接続を介してノルン達と意思疎通している存在だ。
これまでノルンがルークと話せているからといって、その安全性をそのまま世界内部の転生者へ当てはめることはできない。
「ですので、ここから理由・事例・例外判断資料へ戻ります」
「うん」
昨日セレナから教わった順番を、そのまま使う。
それだけのことなのに、ノルンは少し嬉しかった。
誰かから聞いたことが、翌日の仕事で役に立つ。
規則や経験を次へ渡すということは、きっとこういう小さな場面にも現れるのだろう。
◇◇◇
検索条件へ『世界外存在』『直接接触』『世界内部個体』『安全面談』を設定すると、表示された事例は予想通り少なかった。
「……やはり」
「珍しいからね」
「分かっておりましたが、想像以上に少ないです」
現在の管理制度では、外在個体が世界内部の人間と直接関係を持つこと自体がほとんど想定されていない。継続的な名称付与に制限が設けられているほどなのだから、対話を前提とした資料が少ないのも当然だった。
それでも、一件だけ比較的近いものが見つかった。
「似た事例がございます」
「どれ?」
「『境界外存在との限定応答事例』です」
ただし、直接面会ではない。境界を挟み、音声による応答だけを行った古い事例だった。
『接触時間上限』
『一方的観測禁止』
『相互位置固定防止』
『個人名称使用制限』
『終了信号の事前設定』
並んだ項目の一つで、ノルンの目が止まる。
「終了信号……」
「気になる?」
「はい。本人が『もう終わりたい』と思った時、相手側の了承を待たず接続を終了できるようにしてあります」
「今回も必要そう?」
「かなり」
通常の面談規則にも、終了希望をいつでも表明できることは明記されている。
けれど今回、それだけでは足りないかもしれない。
ルークは二十五年待っている。
九人へ謝りたい。
会いたい。
その願いは以前よりずっと相手の意思を尊重した形へ変わってきているが、実際に一人と会った瞬間まで同じように冷静でいられる保証はない。
もしミレイアが途中で「終わりたい」と言った時、ルークが「嫌だ」と思う可能性はある。
その感情自体を禁止することはできない。
だからこそ、行動の条件は先に決めておく必要がある。
「主様。終了条件は、ミレイア様が終わりたいと仰ってからルークへ納得してもらう形では遅いです」
「事前にルークにも説明する?」
「はい」
「終了希望が出たら、理由を聞かず切る?」
ノルンは少し考えた。
「原則は、それがよいと思います」
「理由を聞く余裕も?」
「接続を終えたあとなら確認できます。ただし、ミレイア様ご本人が話したい場合だけです」
「その場では?」
「終了を優先します」
ノルンは手帳へ二行を書き加えた。
『面会終了希望が示された場合、その場で理由確認を行わず接続終了』
『終了後、本人が希望する場合のみ理由・感想を確認』
「ルーク側が止めたい時は?」
主様の問いに、ノルンの筆が止まった。
一瞬だけ、自分がミレイア側の安全ばかり考えていたことへ気づく。
「……もちろん、ルークにも同じ権利がございます」
「会いたかったのに、実際に会ったら嫌になるかもしれない」
「はい。あるいは怖くなるかもしれませんし、罪悪感が強くなりすぎて話せなくなる可能性もございます」
会いたいと願っていることと、最後まで話し続けられることは同じではない。
ルークにも途中でやめる権利がある。
ノルンは記録へ追記した。
『双方に中止権』
『どちらか一方が終了を希望した時点で終了』
「主様も?」
「僕?」
「管理側の安全停止です」
「ああ。それは必要だね」
二人が大丈夫だと言っていても、境界反応や世界側の安定値に危険が出れば止めなければならない。その判断まで本人達へ背負わせるべきではない。
「三つですね。ミレイア様、ルーク、そして管理側」
「思ったより複雑?」
ノルンは手帳へ視線を落とし、わずかに肩を下げた。
「大変です」
「始まったばかりだよ」
「存じております!」
けれど声ほど嫌そうな顔はしていなかった。
◇◇◇
次に考えたのは接触場所だった。
通常の面談であれば、安全かつ中立で、本人が落ち着ける場所を選べばよい。
しかし今回は、ルークを世界内部へ入れるわけにはいかない。世界境界を越えさせる行為そのものが大きな危険を伴う。
「世界内部での直接面会は、現状では候補から外します」
「じゃあミレイアさんを管理領域へ?」
「それも簡単ではございません」
転生者を管理領域へ呼ぶ手段そのものは存在する。
身体ごと移送する方法。
意識だけを投影する方法。
限定的な接続窓を作る方法。
それぞれ負担も危険性も違う。
「ミレイア様の身体を移送する必要はないと思います」
「理由は?」
「目的が面会だけだからです。より負担の少ない方式で達成できるなら、そちらを優先したいです」
「意識投影?」
「候補の一つです」
もちろん、それも完全に安全ではない。
精神的な疲労が出る可能性があり、世界側との時間差や接続時間にも注意が必要になる。
ノルンはしばらく考えたあと、最初から一つの方法へ決めてしまうのをやめた。
「主様。候補を一つに絞るのではなく、ミレイア様へ選択肢を提示できるところまで調べたいです」
「例えば?」
「一つ目は音声のみ。二つ目は姿を伴う限定投影。そして三つ目は……文字だけです」
「会うのに文字?」
「最初からルークの声や姿へ接することが怖い可能性もございます」
文字だけなら、直接的な刺激はかなり減らせる。
ルーク自身も現在の名称接続では文字に近い意思伝達へ慣れているため、比較的安定した状態で応答できるかもしれない。
ただし、表情も声色も分からないため、細かな感情は伝わりにくい。
「ありだと思う」
「ですよね」
「ルークも文字だと、かなりいつも通りだし」
「それも利点かもしれません」
ノルンは候補を並べ、それぞれの長所と短所を書き始めた。
『文字限定――直接刺激が少ない。表情・声色が伝わらない』
『音声限定――声による感情共有が可能。視覚刺激なし』
『限定姿投影――対面性が高い。心理負担・接続負荷の確認が必要』
『身体移送――現時点では必要性が低く、優先候補外』
「主様」
「何?」
「これ、昨日のお話にあった現場実践例と似ておりますね」
「どこが?」
「『文字面談が良い』と規則にするのではなく、どういう場合に向くか、逆にどういう場合には向かないかを残すところです」
「セレナさんの話がもう使えてる」
「はい」
ノルンは嬉しそうに頷いた。
「身体移送は『優先候補外』なんだ」
「完全禁止にするだけの根拠までは、まだ確認しておりませんので」
「でも使いたくない?」
「非常に」
「正直」
「危険そうなものを無理に平等な候補として扱う必要はございません!」
主様が声を立てて笑った。
◇◇◇
午前中いっぱい使ってそこまで整理したところで、ノルンは手を止めた。
「主様」
「何?」
「休憩します」
「お」
「驚かないでくださいませ!」
「いや、自分から言ったなと思って」
「昨日、考えなくてよい時まで考えないことを学びましたので」
「今日は考える必要がある日だけど?」
「休まなければ、考える質が落ちます」
「正しい」
「もっと褒めてもよろしいですよ」
「自分から休めて偉い」
「ありがとうございます!」
ノルンは満足そうにカップを持ち、管理室の一角に設けられた休憩区画へ移動した。
窓のない管理領域ではあるが、この区画だけは照明が少し暖かな色に調整されている。業務用の白い光から離れるだけでも、目と気持ちがわずかに緩むように設計されていた。
主様も向かいの席へ座る。
「主様」
「何?」
「ミレイア様は、怖くないのでしょうか」
「会うことが?」
「はい」
一度は会うと答えた。
けれど相手は、自分が今の世界へ転生することになった原因の一端を作った存在だ。
二十五年という人生の始まりへ関わった相手と直接話す。
その意味を考えれば、怖さがまったくないと決めつける方が不自然だった。
「怖い可能性はあると思う」
「ですよね」
「会いたいと怖いは両立するから」
ノルンはカップへ落としていた視線を上げた。
ルークも最近、『両方』という言葉を覚えた。
嬉しいけれど怖い。
会いたいけれど待つ。
嫌だけれど守る。
相反して見える気持ちが同時に存在してもいい。
それはミレイアも同じなのかもしれない。
「『会う』と答えたから、怖くないと決めてはいけませんね」
「うん」
「そして、怖いから会いたくないのだとも決めない」
「そうだね」
ノルンは少し冷めた飲み物を口へ運んだ。熱すぎた時よりも飲みやすくなっていて、ゆっくり息を吐く。
「準備確認の時、不安があるか聞きたいです」
「聞く?」
「はい。ただし、不安があるなら中止するという意味ではございません。不安があるなら、その不安に合わせて面会方式を選べるか考えたいです」
「理由は?」
「ご本人が話したくなければ聞きません」
今まで学んできたことが、少しずつ繋がっていく。
無理に過去の経験を当てはめているわけではない。
今必要になったから、以前覚えた考え方へ戻っている。
それでよいのだと、ノルンは少しずつ思えるようになっていた。
◇◇◇
休憩を終えたあとも、ノルンはすぐミレイアへ接触しなかった。
まず担当観察官の記録を確認する。
現在の生活は安定している。大きな異常反応もなく、面会希望を回答したあとに、この話題が原因と思われる強い動揺も報告されていなかった。
「主様。担当観察官へ、面会準備段階へ進む確認をお願いしたいです」
「本人に直接行かない?」
「はい。今の生活へ突然私が入らないためです」
ミレイアには現在の担当観察官との関係がある。
その人を経由すれば、日常の流れを大きく崩さずに確認できる。もちろん、ミレイア自身がノルンとの直接確認を希望するなら、その時は別だ。
ノルンは依頼文を書き始めた。
『以前、ルークとの面会を希望すると回答いただいた件について――』
そこまで書いて、手を止める。
「主様」
「何?」
「この書き出し、少し嫌です」
「どうして?」
「『以前、希望すると回答しましたよね』という確認圧力になりそうです」
「じゃあ変える?」
「はい」
一度示した答えを盾にして、次へ進ませるような文章にはしたくない。
ノルンは最初から書き直した。
『ルークとの面会について、現在、安全な実施方法の検討準備が可能な段階となりました』
『実際の面会を決定する前に、面会方式・中止方法・情報共有範囲などを一緒に確認したいと考えています』
『この準備確認へ進んでもよろしいでしょうか』
『今は進めたくない場合、その旨のみで構いません。理由の説明は不要です』
『希望があれば、担当観察官経由/ノルンとの直接確認のいずれかを選択できます』
最後まで読み返し、ノルンは首を傾げた。
「どうでしょう」
「いいと思う」
「『いつでも変更可能』も入れますか?」
今度は主様が少し考えた。
「必要?」
「……今回は、入れなくてよいと思います」
「どうして?」
「今確認したいのは、準備確認へ進むかどうかだけだからです。面会を正式に決める段階では、撤回可能であることをきちんと説明します」
「一度に全部言わない」
「はい。段階を分けます」
送信先を担当観察官へ設定し、依頼文を送る。
「返事は?」
「待ちます」
「その間は?」
ノルンは少しだけ得意そうに笑った。
「別の仕事を致します」
「もう完全に身についたね」
「はい!」
◇◇◇
昼食前になっても、返事は届かなかった。
何度か通知欄へ目を向けそうになったが、そのたびにノルンは通常観察へ意識を戻した。
世界安定値。
担当観察官からの定期報告。
誤転生反応。
どれも今日の仕事だ。
そして決めていた時間になると、ノルンはきっぱり記録板を閉じた。
「主様」
「何?」
「昼食です」
「返事来てないけど?」
「来ておりません」
「待てる?」
「はい」
胸の奥がまったく気にならないと言えば嘘になる。
ミレイアはどう答えるのか。
直接確認を嫌がらないか。
もしかすると、今は進めたくないと言うかもしれない。
けれど、その答えは昼食を抜いて通知欄を見つめていても早くならない。
「ご飯は待ちません」
「言い方」
「冷めますので!」
主様が笑った。
◇◇◇
昼食と休憩を終えて管理室へ戻ると、通知が一件届いていた。
「主様」
「来た?」
「はい」
ノルンはすぐ開きそうになる指を一度止め、静かに呼吸を整えてから記録を表示した。
『ミレイア本人へ確認済み』
その下に続く。
『面会準備確認――希望あり』
ノルンの表情が柔らかくなる。
さらにもう一行。
『確認方法――ノルンとの直接確認を希望』
「……私?」
「そう書いてあるね」
「はい」
少し緊張した。
ミレイアとは以前にも話している。
けれど今度は、具体的な面会準備について相談することになる。
そして最後には。
『希望時期――急ぎではない。都合のよい時』
と書かれていた。
「急ぎではない」
「うん」
ノルンは一瞬だけ『では今から』と考えかけた。
午後の予定には余裕がある。
ノルンの都合だけなら悪くない。
でも、それと十分な準備ができているかどうかは別だった。
「主様」
「何?」
「今日は、まだ連絡致しません」
「どうして?」
「先に確認項目を整理します」
「昨日のセレナさんみたいに、六個?」
ノルンの動きが止まった。
数秒。
「主様」
「何?」
「それは、かなり良い制限です」
「採用する?」
「はい」
本当なら聞きたいことはいくらでもある。
面会方式。
怖さ。
時間。
共有してよい情報。
ルークからの謝罪。
過去について聞きたいかどうか。
けれど、一度に全部考えてもらう必要はない。
「準備確認第一回は、六項目以内とします」
「何を優先する?」
ノルンは新しい頁へ一つずつ書き始めた。
『一、今、面会準備について話してよいか』
「それも一個に数える?」
「当然です!」
相手の時間を使う以上、それ自体が最初の確認になる。
『二、面会方式の希望――文字/音声/姿投影/まだ決めない』
『三、面会中、いつでも終了可能であることの説明』
『四、ルークから聞きたくない話題があるか』
『五、ミレイア側から伝えたい内容の有無――今決めなくてよい』
最後の一つで、ノルンは少し考えた。
「面会時間でしょうか」
「何分?」
「具体的な上限はこちらの安全確認後に決めます。その前に、ご本人が初回を短時間にしたいか確認したいです」
そして六つ目を書く。
『六、初回面会の長さ・短時間希望の有無』
「六個」
「はい」
「他は?」
「次回へ回します」
まだ聞きたい。
少しだけ名残惜しい。
それでも昨日知った。
全部を一度に考えさせる必要はない。
「主様」
「何?」
「これは、ミレイア様にも『今は考えなくてよいこと』を作るということですね」
「どういう意味?」
「今決めなくてよいことは、今聞かないのです。面会してから決めてもよいことを、事前に全部決めさせない」
「例えば?」
ノルンはほとんど迷わなかった。
「ルークを許すかどうかです」
主様の表情が少し変わる。
「それは絶対、事前質問に入れません」
「うん」
「会うことと許すことは別です」
「うん」
「謝罪を受け取ることとも別です」
ミレイアが面会を希望したことは、ルークを許すという意味ではない。
何らかの答えを出す義務を引き受けたわけでもない。
「主様。面会そのものを、何かの結論を出す場にしない方がよい気が致します」
「話すだけ?」
「はい。一回で終わってもよい。また話してもよい。途中で終わってもよい。そして、何も決まらなくてもよい」
ノルンはその言葉を記録へ残した。
『初回面会の目的――結論形成ではなく、安全に対話可能な場の提供』
書き終えたあと、少し長くその一文を見る。
「主様」
「何?」
「これ、かなり大切な気が致します」
「うん」
主様の返事は短かったが、ノルンにはそれで十分だった。
◇◇◇
午後の後半。
ノルンは、ミレイアとの準備確認が進むことをルークへまだ伝えていないことに気づいた。
「主様」
「言う?」
「はい。ただし、まず今話せるか確認します」
名称接続を弱く開く。
「ルーク」
しばらくすると、淡い光が机の上へ浮かんだ。
『ノルン』
「はい」
『今いい』
ノルンは少し目を大きくした。
「まだ聞いておりません」
『聞く?』
「はい。今、お話ししてもよろしいでしょうか」
『いい』
「ありがとうございます」
最近のルークは、ノルンが次に何を聞こうとしているのか分かることが増えた。
でも、分かることと、相手に確認せず決めることは違う。
ノルンはルークが答えるまで待った。
「ルーク。九人の方のうち、以前、会いたいと答えられた方がおられますね」
『いる』
光が少し強くなる。
『会う?』
「まだ日時は決まりません」
『……』
「ですが、面会を安全に行うための準備確認へ進んでもよい、とご本人からお返事がございました」
一瞬、光が大きく揺れた。
『会う』
「ルーク」
『会える』
「まだ、そこまで決まっておりません」
『でも』
「はい」
『準備』
「はい」
反応が明らかに強い。
ノルンはそれを勝手に嬉しいと断定せず、本人へ聞いた。
「嬉しいですか?」
『うん』
『いっぱい』
「はい」
『会いたい』
「はい」
『今?』
「今ではございません」
『嫌』
「はい」
少し間が空いた。
『でも待つ』
ノルンの顔が柔らかくなる。
「ありがとうございます」
『何する?』
「まず相手の方と、どのような方法なら安全に話せるか相談致します」
『ルークも?』
「もちろん、ルークにも確認します」
『今?』
「今日は一部だけです」
『うん』
今日決めたことを全部伝える必要はない。
ルークにも、一度に全部考えさせなくてよい。
「まず、面会中に相手の方が『終わりたい』と仰った場合です」
光の揺れが止まった。
「その場合、理由を聞かず、その場で面会を終了します」
『嫌』
「はい」
『もっと話したい』
「はい」
『でも終わる?』
「終わります」
長い沈黙が落ちた。
ノルンは急かさなかった。
主様も何も言わない。
やがて光の中へ、新しい文字が浮かんだ。
『その人が決める』
「はい」
『ルーク、嫌でも?』
「はい」
また少し時間が必要だった。
『分かった』
その文字を見た瞬間、ノルンの胸が少し熱くなった。
「ありがとうございます」
『ルークも』
「はい?」
『終わりたい言う?』
「もちろんです」
『……』
「ルークも、途中でお話しするのが難しくなったら、終わりたいと仰って構いません」
『会いたいのに?』
「会いたいままでも、『今日はここまで』と決めてよいのです」
『両方』
「はい」
『分かった』
また一つ、ルークが『両方』を使った。
「それから、管理側が危険だと判断した場合も面会を終了します」
『主?』
「主様と私が、安全のために終了する場合がございます」
『嫌』
「はい」
『でも?』
「必要です」
今度の返事は、少しだけ言いづらかった。
「ここは、ルークが嫌でも管理側が止める場合があります」
『ルーク決めない?』
「はい」
本人の意思を尊重する。
けれど、安全管理の責任まで本人へ渡すわけではない。
世界、ミレイア、そしてルーク自身へ重大な危険が生じるなら、管理側が止めなければならない。
『何で?』
「世界やミレイア様、ルーク自身へ危険が出る可能性があるからです」
『説明する?』
「止めたあとに、可能な範囲でご説明します」
『前は?』
「止める基準は事前に説明します」
『全部?』
「分かっている範囲で」
『分かんないのも?』
「ございます」
光が弱く揺れた。
「その場合でも、危険が大きいと判断したら止めます」
今度の沈黙は、先ほどより長かった。
『ノルン』
「はい」
『難しい』
「はい」
『でも』
文字が一度途切れる。
『置いていかない?』
ノルンの胸が、わずかに締めつけられた。
「はい」
すぐに答え、それから言葉を足した。
「決められる部分は、一緒に決めます。管理側が責任を持つ部分は、理由をご説明します。そして、分からない部分は分からないとお伝えします」
『うん』
『じゃあ』
一度、光が揺れる。
『今決めない』
「何をでしょう」
『会ったら何言うか』
ノルンは少し目を大きくし、それからすぐ頷いた。
「はい。それで構いません」
『謝る』
「謝りたいお気持ちはあるのですね」
『ある』
『でも』
少し間が空いた。
『何言うか、まだ』
「決めなくて大丈夫です」
『褒める?』
「もちろんです」
『もっと』
「面会準備が始まっても、そこだけは変わらないのですね!」
光が楽しそうに揺れる。
主様も小さく笑い、ノルンの胸に残っていた緊張も少しだけ軽くなった。
◇◇◇
ルークとの接続を閉じたあと、ノルンはしばらく机の端を見つめていた。
「主様」
「何?」
「少し怖かったです」
「何が?」
「ルークが『終わりたいと言われても嫌だ』と仰った時です」
「うん」
「以前なら、そこで『ちゃんと分かってください』と強く説明したかもしれません」
「今は?」
ノルンは先ほどのやり取りを思い返した。
ルークは嫌だと言った。
もっと話したいと言った。
それでも最後には、終わると決められた。
「嫌だと思うこと自体は、消さなくてよいと思えました」
「うん」
「嫌でも終わる。それだけ行動の条件として決めればよい」
「感情まで変えさせない」
「はい」
ノルンは手帳の個人考察欄を開いた。
『安全条件への同意は、感情の同意まで要求しない』
「主様」
「うん」
「これ、かなり重要そうです」
「規定にする?」
「まだです!」
「分かってた」
ルークは『嫌』と思いながら『守る』ことができる。
人が何を感じるかまで規則で縛ることはできないし、縛る必要もない。
必要なのは、安全のためにどの行動を守るかを確認することだ。
「これも、ミレイア様へ同じだと思います」
「何が?」
「管理側から安全条件を提示された時、不安や不満を持ってもよいのです。その感情を隠して『納得しました』と言わせる必要はございません」
「守れるかどうかを見る?」
「はい」
ノルンは頷いた。
また一つ準備項目が増えた。
けれど今度は、増えたこと自体を負担とは感じなかった。
必要になった時に戻ればよい。
昨日知ったばかりの考え方が、今日の自分を少しだけ助けてくれていた。
◇◇◇
夕方。
ノルンは今日整理した内容を『初回面会準備・基本方針』としてまとめた。
『目的――結論形成ではなく、安全に対話可能な場の提供』
『面会希望回答の再確認は行わない』
『次段階へ進む実施確認を行う』
『双方に中止権を設定』
『管理側にも安全停止権を設定』
『中止希望時、その場で理由確認を行わない』
『面会方式は複数候補から本人希望を確認』
『文字・音声・限定姿投影などを候補』
『初回は短時間希望の有無を確認』
『会話内容・謝罪内容・許すか否か等を事前に決めることを求めない』
『安全条件への同意と、感情上の納得を混同しない』
ノルンは一つずつ読み返した。
「主様」
「何?」
「かなり増えました」
「うん」
「ですが、昨日のセレナさんのお話を使うなら、この全部をミレイア様へ一度に説明する必要はございません」
「段階を分ける?」
「はい」
「まず六個?」
「はい!」
準備確認の第一回は六項目。
それ以上は増やさない。
「いつ連絡する?」
「明日に致します」
「今日でもまだ時間あるけど?」
「今日はミレイア様から準備確認希望のお返事をいただきました。ルークへも最初の安全条件を説明しました。そして私は、かなり考えました」
「じゃあ今日は終わり?」
「はい!」
主様が笑った。
「ちゃんとセレナさんの話が効いてる」
「はい」
ノルンは手帳を閉じた。
ところが直後、何かを思いついたようにもう一度開きかけて、寸前で手を止める。
「危ないところでした」
「何が?」
「面会方式の追加案を思いつきました」
「書かない?」
「明日です!」
「忘れたら?」
以前なら、その言葉だけで慌てて書き残していただろう。
けれどノルンは少し考え、手帳から手を離した。
「必要なら思い出します」
「成長」
「はい!」
胸を張るほどのことなのかは分からなかったが、主様は楽しそうだった。
◇◇◇
業務終了時刻が近づき、管理室の照明が夕方を模した柔らかな橙色へ変わっていく。
ノルンは席を立つ前に、九人の面会状況を一度だけ確認した。
『面会希望――一名』
その一名であるミレイアは、今日さらに一歩だけ進んだ。
『面会準備確認――希望あり』
『ノルンとの直接確認希望』
けれど、まだ日時は決まっていない。
方式も決まっていない。
何を話すのかも決まっていない。
それでいい。
「主様」
「何?」
「以前の私なら、今日中に面会日程まで決めたかったと思います」
「だろうね」
「今は、明日六つだけ確認します。その答えを聞いてから、次に考えます」
「うん」
「そして、面会した結果、何か結論が出なくてもよい」
「うん」
それは、ノルンにとってかなり大きな変化だった。
ルークは二十五年後悔している。
九人へ謝りたい。
会いたい。
けれど、会ったから許されるとは限らない。
仲直りできるとも限らない。
ルークが欲しい答えをもらえるとも限らない。
ただ話す。
それだけで終わってもいい。
「主様。面会というのは、何かを解決するためだけに行うものではないのですね」
「うん」
「話したあと、余計に分からなくなることもある」
「あると思う」
「傷つくことも」
「ある」
ノルンは少しだけ視線を落とした。
それでも。
「本人達がそれを知った上で会いたいなら、安全に会える場所を作る」
「うん」
「それが、今の私の仕事ですね」
「今はね」
「はい」
面会を成功させることではない。
許しを得ることでもない。
ルークが成長したと証明することでもない。
二人がそれぞれ自分の言葉を持ったまま、安全に会える場所を作る。
今のノルンが担うのは、そこまでだ。
「では、本日は帰ります」
「うん」
「夕食もいただきます」
「お風呂は?」
「入ります」
「睡眠」
「七時間以上を目標に」
「スマートフォン」
「主様!」
予想していたのに、やっぱり言われた。
「まだ調べてないよね」
「覚えております!」
「昨日も明日って」
「本日はミレイア様の面会準備がございました!」
「じゃあ明日?」
ノルンは口を開き、そのまま止まった。
明日はミレイアと直接、準備確認をする予定だ。
かなり大切な仕事になる。
その上でスマートフォンについて調べる時間まで取れるのか。
「主様」
「何?」
「明日考えます」
「答えになってない」
「考えなくてよい時まで考えません!」
「また使った」
「正しい応用です!」
主様の笑い声を背に、ノルンは今度こそ管理室を出ていった。
◇◇◇
その夜。
旧管理領域最古層では、新しい第一接続者の記録は復元されなかった。
けれど現在の管理領域では、ミレイアの担当観察官による一件の記録が追加されていた。
『面会準備確認に関する本人反応』
ノルンはまだ見ていない。
担当観察官が通常業務として残した、短い内部記録だった。
『面会準備へ進むか確認』
『本人、少し沈黙』
『その後、「お願いします」と回答』
『ノルンとの直接確認を希望』
担当観察官は、沈黙の理由を聞かなかった。
けれどミレイアの方から、そのあとに一言だけ付け加えた。
『会うって言ったあと、怖くなった日もあった』
担当観察官は口を挟まず、そのまま続きを待った。
『でも、会わないに変えたいわけじゃない』
さらに少し時間を置いて。
『怖いままでも、準備できるか聞きたい』
その記録を、ノルンはまだ知らない。
けれど今日、休憩中に主様と話したこととほとんど同じだった。
会いたい。
怖い。
二つの気持ちは、同時にあっていい。
会いたいなら怖くなくなるまで待たなければならないわけではない。
怖いなら会わないしかないわけでもない。
怖いままなら、どうすればその怖さを抱えたまま会えるのか。
それを一緒に考えることもできる。
担当観察官の記録には、さらに短い補足が残されていた。
『本人より質問』
『途中で無理だと思ったらやめてもいいか』
『その確認も含めて準備すると説明』
『本人、「なら大丈夫」と回答』
その『大丈夫』も、怖くないという意味ではなかったのかもしれない。
途中でやめられる。
逃げ道がなくならない。
だから、もう一歩だけ進める。
そういう大丈夫もある。
◇◇◇
同じ頃、自室へ戻ったノルンは、寝台の横で今日作った六項目を思い出しかけていた。
明日はミレイア本人と直接話す。
確認する順番はこれでいいだろうか。
面会方式の説明はもっと短くした方がいいかもしれない。
終了条件を先に伝えるべきか、それとも不安を聞いてから――。
「……明日です」
途中で自分を止めた。
手帳へ伸びかけていた手も引っ込める。
「明日、お話しすればよいのです」
今夜ミレイアが何を考えているのかは気になる。
ルークが、面会へ一歩近づいたことをどう受け止めているのかも気になる。
けれど今は見ない。
聞かない。
ミレイアにはミレイアの夜がある。
ルークにもルークの時間がある。
そしてノルンにも、自分の夜がある。
部屋の灯りを落とし、寝台へ入る。
明日ミレイアと話すのは、答えを決めてもらうためではない。
怖いなら、怖いと言える。
分からないなら、分からないと言える。
まだ決めたくないなら、今日は決めないと言える。
そんな準備の時間にできれば、それでいい。
そしていつか、本当に面会が実現した時。
二人が何を言うのか。
どんな顔をするのか。
何を持ち帰るのか。
それはまだ、誰にも分からない。
今は、それでよかった。




