第三十話 強制接続遮断の理由を調べたら、昔の管理側もルークだけを怖がっていたわけではありませんでした
翌朝、ノルンは管理室へ入るなり、いつもより少しだけ胸を張って主様の前へ立った。
「主様」
「おはよう、ノルン」
「おはようございます。それから、ご報告がございます」
「朝から?」
「はい。私は本日、きちんと朝食をいただきました」
主様は机の上へ広げていた記録から顔を上げ、そのまま数秒ほど何も言わずにノルンを見つめた。何か驚くような報告をしたつもりはなかったため、ノルンの方が先に首を傾げる。
「……主様?」
「いや。それ、わざわざ報告されることなのかなって思って」
「重要です!」
即座に反論すると、管理室へノルンの声が響いた。主様は慣れた様子で少しだけ目を細める。
「昨日、主様が仰ったではありませんか。『調査の前に朝ご飯』と」
「言ったね」
「ですから本日は、古代記録板を一度も開かず、手帳も横へ置き、きちんと椅子へ座って最後までいただきました」
「偉いね」
「はい!」
「でも、それは本来かなり普通のことなんだよね」
「……」
せっかく胸を張っていたのに、ノルンの肩が目に見えて下がった。
「褒めてくださった直後に落とさないでくださいませ」
「落としてないよ。ちゃんと褒めてる」
「でしたら最後まで褒めてください」
「朝ご飯をきちんと食べられて偉いです」
「ありがとうございます!」
「観察官にする褒め方じゃない気がするけど」
「本日はそれで構いません」
どうやら満足したらしい。ノルンはいつもの席へ腰を下ろし、三冊目に入った手帳を机へ置いた。
目の前には、昨日までに開かれた古代管理記録が残っている。気を抜けばすぐにでも続きを見たくなるが、ノルンはまず手帳を開き、前日までに判明した内容へ目を通した。
第一接続者候補は、約一万八百年前に旧管理領域へ所属していた外縁監視者。管理領域由来個体で、第二外縁区画の第七反応群を担当していた人物である。
その人物は、現在ルークと呼ばれている第七外在個体と、最初は言葉ではなく一定周期の信号を返し合うところから接触を始めた可能性が高い。やがてルークは管理側の音声を真似るようになり、第一接続者との間で呼称を与え合い、業務時間外にも応答を続けるようになった。
第一接続者側からルークへ与えられたと思われる旧名称は、まだ『――アウ』という断片しか解読できていない。
一方、ルーク側から第一接続者へ与えられた可能性がある呼称は『ノ――ルン』。完全な文字列ではないものの、現在のノルンと極めて近い。
その後、旧管理領域の管理評議会は第一接続者へ私的応答停止命令を出した。第一接続者は異議を申し立てたが却下され、それでも接触を続けた結果、管理側は『強制接続遮断』を決定している。
そして、その遮断後。
第一接続者は第七外在個体を対象として識別できなくなった可能性が高い。それでも感情の痕跡だけは残り、なぜそこへ行くのか自分でも説明できないまま、何度も境界部へ足を運んでいた。
ルーク側にも同じような記憶欠損が起きた可能性がある。実際、旧名称らしき『アウ』という音へ一度は反応し、「知っている気がする」と答えたにもかかわらず、僅かな会話を挟んだだけで自発的に思い出せなくなった。
さらに、ノルン達がまだ知らない最古層では、第一接続者と現在のノルンとの照合処理が始まっている。
現時点での照合率は三十一パーセント。
ただし、その事実を知る者はまだいない。
「では」
ノルンは手帳へ今日の日付を書き込み、気持ちを切り替えるように姿勢を正した。
「本日の確認事項を整理致します」
「お願いします」
「第一。管理評議会が、なぜ名称接続を危険と判断したのか」
「うん」
「第二。第一接続者による異議申請を却下した具体的な理由」
「うん」
「第三。強制接続遮断以外の方法が検討されたのか」
「うん」
「第四。強制遮断によって、双方へ認識や記憶の欠損が発生する可能性を、当時の管理側が把握していたのか」
「そこはかなり重要だね」
「そして第五――」
そこで、ノルンの筆が僅かに止まった。
「第一接続者が、その後どうなったのか」
口にした瞬間、胸の奥へ冷たいものが一滴落ちたような感覚があった。
第一接続者が、強制遮断によって壊れてしまった可能性。管理領域から消えた可能性。接触停止命令を破った責任を問われ、何らかの処分を受けた可能性もある。
そして何より、その人物が現在の自分と何らかの形で繋がっているのだとしたら。
知る必要はある。
それでも、怖くないわけではなかった。
「ノルン」
「はい」
「五番目は、今日絶対に調べなくてもいいよ」
主様の声は穏やかだった。急かすでもなく、止めつけるでもなく、選択肢を置くような言い方だった。
「一番から四番までで十分重くなったら、そこで終わる」
「……昨日までの私でしたら」
「うん」
「全部調べます、と申し上げていたと思います」
「今日のノルンは?」
ノルンは少し考えたあと、素直に答えた。
「途中で休憩致します」
「成長したね」
「はい」
「そこは『普通だよ』って言われなくてもいいの?」
「言わないでくださいませ」
主様が小さく笑い、ノルンも釣られるように笑った。
ほんの少し空気が軽くなったところで、二人はようやく古代記録板を開いた。
◇◇◇
最初に確認することにしたのは、『名称接続』という言葉そのものだった。
これまで見つかった古代記録では、当然のようにその表現が使われている。けれど、それが当時から使われていた正式名称なのか、現在の管理系統へ自動変換された結果なのかさえ、まだ完全には分かっていない。
「主様」
「何?」
「まず定義を確認した方がよろしいでしょうか」
「僕もそう思う。僕達、ずっと名称接続って呼んでるけど、実際に何が繋がってるのかまでは分かってないからね」
「名前を付けただけで成立するのでしょうか」
「それなら、管理領域で誰かへ名前を付けるたびに危険な接続ができることになる」
「……確かに」
「ルークとの場合には、もっと別の条件があるはずだよ」
検索条件を入力する。
『名称接続』
該当記録、四百七十二件。
表示された数字を見た瞬間、ノルンは何も言わなくなった。
「一件ずつは――」
「見ません!」
主様が言い終えるより先に答える。
「言う前に成長した」
「昨日学びました!」
「よろしい」
さらに条件を重ねていく。
『外在個体』
八十九件。
『第七反応群』
十七件。
『接続危険性』
六件。
「六件!」
「これなら今日中に見られそうだね」
「はい!」
最初の記録を開く。
『名称接続暫定定義』
二人の表情が自然と引き締まった。
『外在個体と管理領域由来個体の間に成立する相互識別状態』
「相互識別」
ノルンはすぐ手帳へ書き込んだ。
『名称接続=単なる命名行為ではない可能性』
さらに読み進める。
『双方が相手を独立個体として識別し、固有呼称を相互に受容した場合、境界を越えた認識経路が固定される場合あり』
ノルンの筆が止まった。
「境界を越えた認識経路……」
「これが接続の正体に近いかもしれない」
「つまり、第一接続者がルークへ名前を付けたことだけが問題なのではない」
ノルンは記録を見ながら、慎重に考えを言葉へしていく。
「ルークが第一接続者を、単なる管理側の反応ではなく一人の『誰か』として認識した。第一接続者も、ルークを外在反応や観測対象としてではなく、一人の『誰か』として認識した」
「うん」
「さらに、互いに与えられた呼称を、自分と相手を示す名前として受け入れた」
「その結果、境界を越えて互いを見つけるための認識経路が固定された」
ノルンは少し黙った。
「……友達になることが危険、という意味ではございませんよね」
「そこまで単純じゃないと思う」
「ですよね」
「ただ、観測するだけなら生まれなかった繋がりが、お互いを個人として認識したことで生まれた。そこまでは読める」
「『そこにいるから』」
「うん」
一万八百年前、第一接続者はルークから『なぜ応答する』と問われている。
その返答は、たった一言だった。
『そこにいるから』
今になって振り返れば、あの言葉は単なる優しい返事以上の意味を持っていたのかもしれない。
外在反応でもない。
未知存在でもない。
管理上の観測対象でもない。
そこにいる一人の相手として、ルークを見る。
その積み重ねによって、二人の間には少しずつ接続が生まれていったのかもしれなかった。
続きを読む。
『名称接続成立後、外在側からの識別精度上昇』
『管理領域側からの境界越し認識精度上昇』
『距離・階層隔離による遮断効果低下』
ノルンの表情が変わる。
「距離を離しても見つけやすくなる」
「うん」
「管理領域の階層を変えても、接続が残る可能性がある」
「そう読める」
「それは……管理側が警戒する理由としては理解できます」
「僕もそう思う」
本来、境界外存在と管理領域は隔てられている。
世界の外側にいる存在へ、管理領域側の位置を継続的に把握されること。それだけでも、現在の世界管理基準から見れば軽く扱える事態ではない。
まして一万八百年前。
当時の管理者達は、ルークが何者なのかさえ、今のノルン達以上に分かっていなかったはずである。
「では、実際には何が危険だと考えられていたのでしょう」
ノルンは次の記録へ視線を移した。
◇◇◇
二件目は『名称接続危険性評価・初期』。
作成されたのは、第一接続者と第七外在個体の接触が始まった後。ただし、管理評議会が強制遮断を決定するより前だった。
「これはかなり重要ですね」
「うん。初期段階で何を怖がっていたのか分かるかもしれない」
記録を開く。
『確認済み事象』
『外在側からの管理領域位置推定精度上昇』
『接続個体を経由した管理領域情報取得の可能性』
『接続個体の情動変化に応じた境界反応変動』
ノルンの目が止まった。
「感情?」
「第一接続者側かもしれないし、ルーク側かもしれない」
「続きを見ましょう」
『接続双方の情動反応と境界波形に相関を確認』
ノルンは手帳へ書き加えた。
『名称接続は相互認識のみではなく、双方の感情変化が境界へ影響する可能性あり』
「名前だけの問題じゃないね」
「はい。相手をどう思っているかまで、接続を通じて境界へ影響する可能性がある」
さらに読む。
『現段階危険性:未確定』
ノルンの手が止まった。
「未確定?」
「当時の管理側も、まだ分かってなかったんだ」
次の記録。
『外在個体による管理領域侵入事例なし』
『接続個体による意図的境界破損なし』
『現時点で直接的危険事象なし』
二人とも黙った。
少なくとも、この時点では。
ルークは何もしていない。
「直接的な危険は確認されていなかった」
「そうだね」
「それでも接触停止を検討した」
「未知の固定接続そのものを危険視したんだと思う」
ノルンはすぐ反論しなかった。
管理領域全体を守る立場なら、理解できない経路を、理解できない存在との間へ残しておくことを警戒するのは当然かもしれない。
何も分からない。
だから問題ない。
そう決める方が危険だった。
「だからこそ、その後に何を確認して判断が変わったのかが重要ですね」
「うん」
◇◇◇
三件目は、『第七反応群・名称接続継続観測』。
『接続継続期間、境界安定値に大幅な変化なし』
『第七外在個体からの侵入試行なし』
『管理領域内部への干渉試行なし』
『接続個体への強制情報取得反応なし』
ノルンの眉が少しずつ寄っていった。
「やはり、ルークは何もしていない」
「この時点ではね」
その下に、『ただし』という一文がある。
『接続個体の危機反応時、第七外在個体側より高出力反応を確認』
「危機反応?」
「第一接続者に何かあったのかも」
補助記録を開く。
『外縁設備障害』
『担当監視者、一時転倒』
『身体損傷軽微』
『同時刻、第七外在個体反応値急上昇』
『境界表層への接触反応を確認』
ノルンの顔が変わった。
「ルークが、第一接続者が転んだ時に反応した」
「そう見える」
「助けようとしたのでしょうか」
「そこまでは書いてないよ」
「……はい」
ノルンは一度呼吸を整えた。
「第一接続者の異常に強く反応した可能性が高い。現時点では、そこまでですね」
「そう」
続き。
『担当監視者より外在側へ応答』
『問題なし』
『第七外在個体反応値、平常域へ低下』
ノルンはしばらく何も言わなかった。
「主様」
「うん」
「これ、心配したのではないでしょうか」
「そう見えるね」
「第一接続者が転倒した。ルークが強く反応した。そして第一接続者が『問題なし』と返したら、落ち着いた」
「記録上はそうだね」
ノルンは少しだけ困ったように眉を下げた。
「危険性評価として残されていると、とても恐ろしい出来事に見えますが……内容だけを見ますと」
「友達が転んだから慌てたようにも見える」
「ですよね!」
思わず声が大きくなる。
しかし主様は、そこで笑わなかった。
「ただし、ノルン」
「はい」
「ルークが慌てただけでも、その出力で境界表層まで反応が届いた」
ノルンの表情が戻る。
「……はい」
「悪意がなくても危険になる」
「そういうことですね」
第一接続者へ危害を加えたいわけではない。
管理領域へ侵入したいわけでもない。
ただ心配した。
それだけ。
けれど、その感情ひとつで世界境界そのものが反応する。
それほどルークの存在規模は大きい。
「主様」
「何?」
「もしかすると、管理評議会が本当に怖がっていたのは、ルークが敵になることではなかったのでしょうか」
「どういう意味?」
「ルークが、第一接続者を大切に思うようになることです」
主様の目が僅かに細くなった。
「続けて」
「もしルークにとって第一接続者が、ただの管理側個体でしかなかったのなら、この程度の異常でここまで反応しなかったかもしれません。ですが、大切な相手になってしまえば」
ノルンは古い記録へ視線を落とす。
「第一接続者に何かあった時、ルークは境界を越えようとするかもしれない。助けるために」
「うん」
「悪意ではなく、守るために」
「……あり得るね」
その言葉を口にした時、ノルンの頭へ佐倉七海の姿が浮かんだ。
美咲を守りたい。
ただそれだけだった。
善意も、愛情も、恐怖も本物だった。
それでも、その気持ちが大きくなりすぎた結果、本人へ知らせず、一人で全てを背負おうとしてしまった。
力の規模はまるで違う。
けれど、誰かを大切に思う気持ちが、必ずしも安全な行動だけへ繋がるわけではないという点では同じだった。
「少し、管理評議会の考えが分かる気が致します」
「僕も」
「ただし、強制遮断まで必要だったかは別です」
「そこは分けよう」
「はい」
ノルンは手帳へ書く。
『管理評議会が警戒した可能性』
『第七外在個体の敵意そのものではなく、第一接続者への感情形成』
『善意・保護行動であっても、外在個体の出力規模により世界境界へ重大影響が生じる可能性』
その下へ、今ではすっかり習慣になった一語を書き加える。
『未確定』
「よし」
「何でしょう」
「最後までちゃんと書いたから」
「もう当然です!」
◇◇◇
三件目を読み終えたところで、主様が古代記録板を閉じた。
「休憩」
「……え?」
「休憩」
「まだ三件です」
「朝に決めたよね。途中で休む」
「はい」
「今、かなり集中してた」
「はい」
「だから十五分」
ノルンの視線が、次の記録へ吸い寄せられる。
『接続遮断方式検討記録』
ものすごく見たい。
「ノルン」
「……はい」
「顔」
「何でしょう」
「見たいって書いてある」
「書いております」
「休憩」
「五分」
「十五分」
「十分」
「十五分」
「十二分」
「十五分」
ノルンは少しだけ頬を膨らませた。
「主様」
「何?」
「交渉というものは、双方が少しずつ譲歩するものではないでしょうか」
「健康に関する交渉はしません」
「強いです!」
結局、主様は一歩も譲らず、十五分きちんと休むことになった。
◇◇◇
休息区画へ移動したノルンは、今度こそ何も開かなかった。
古代記録板も、手帳も、世界記録もない。温かな飲み物を両手で包み、椅子の背へ身体を預ける。
最初の二分ほどは、頭の中に『接続遮断方式検討記録』という文字が大きく浮かんでいた。けれど、湯気の向こうをぼんやり眺めながら呼吸しているうち、少しずつ意識の端へ下がっていく。
代わりに浮かんだのは、第一接続者が転倒した時の記録だった。
ルークが強く反応する。
第一接続者が『問題なし』と返す。
それだけでルークが落ち着く。
「主様」
「何?」
「一つだけ、考えたことを申し上げてもよろしいでしょうか」
「仕事の話?」
「はい」
「休憩中だけど」
「一つだけです」
「じゃあ一つだけ」
ノルンはカップを持ったまま、少し考えた。
「名称接続は、本当に危険な仕組みなのでしょうか」
「どういう意味?」
「今まで私は、名称接続という現象そのものが危険な状態を生むのだと思っておりました。ですが、今確認できている範囲では、接続そのものが何かを壊した記録はございません」
「そうだね」
「相手がどこにいるか分かる。相手へ異常があれば気づく。遠く離れていても見失わない」
「うん」
「それは、使い方によっては」
ノルンは少しだけ笑った。
「とても優しい仕組みにも思えます」
主様はすぐには答えなかった。
カップから立ち上る湯気を一度眺め、それから小さく頷く。
「そうかもね」
「ただ、繋がる相手の力が大きすぎた」
「うん」
「そして誰も、仕組みを理解していなかった」
「……はい」
「分からないものと、大きすぎる力」
「管理側が最も嫌う組み合わせですね」
「そういうこと」
名称接続そのものを悪いものと決める必要はない。
けれど。
優しい使い方ができることと。
安全であることは。
同じではない。
ノルンはその違いを胸の中で整理し、十五分後には予定通り管理室へ戻った。
◇◇◇
四件目。
『接続遮断方式検討記録』
記録を読んで最初に分かったのは、管理評議会がいきなり強制遮断を選んだわけではなかったということだった。
『案一:担当監視者変更』
「普通ですね」
「まずは穏当な方法から考えたみたい」
『結果予測:名称接続継続。担当変更による効果なし』
『却下』
続いて。
『案二:接続個体を別管理階層へ移動』
『試験実施』
ノルンの姿勢が少し変わる。
「実施したのですか?」
「補助記録がある」
『接続個体、一時的に第五管理層へ移送』
『第七外在個体、四十二呼吸後に接続個体位置を再識別』
「……見つけました」
「階層を変えても駄目だったみたいだね」
さらに記録が続く。
『第七外在個体からの干渉なし』
『呼びかけのみ確認』
ノルンは、その二行を何度も読み返した。
「呼びかけのみ」
「うん」
「管理領域へ無理に入ろうとしたわけではない」
「うん」
「ただ、突然いなくなった第一接続者を見つけて、呼んだ」
「そう読める」
胸の奥が少し痛んだ。
昨日まで、決まった時間に返事をしてくれた相手が突然いなくなった。
ルークは探した。
そして見つけた。
それでも何かを壊そうとはせず、ただ呼びかけただけだった。
『案三:接続個体の境界観測権限停止』
『実施』
『第七外在個体側から接続維持』
『効果なし』
『案四:外在側信号遮蔽』
『一時的成功』
「成功?」
「続きを見よう」
『遮蔽継続後、第七外在個体反応値上昇』
『境界探索反応発生』
『遮蔽解除後、平常化』
ノルンはゆっくり目を閉じた。
「……返事がなくなったから」
「探したんだろうね」
「その結果、余計に境界へ負荷を掛けた」
「そう見える」
管理評議会は何も考えず、突然二人を引き離したわけではない。
担当変更。
階層移動。
観測権限停止。
信号遮蔽。
複数の方法を考え、一部は実際に試した。
それでも接続は切れなかった。
むしろ、遮ろうとするほどルークが第一接続者を探し、結果的に境界へ大きな反応を出してしまった。
「主様」
「うん」
「昨日までの推測を訂正致します」
「どれ?」
ノルンは手帳へ、確認できた事実を一つずつ書いた。
『管理評議会は複数の非強制的遮断手段を検討・一部実施』
『担当変更:効果なし』
『階層移動:第七外在個体が第一接続者を再識別』
『観測権限停止:接続継続』
『信号遮蔽:第七外在個体の探索反応増大により境界負荷上昇』
そして最後に。
『管理評議会が即座に強制遮断を選択した、という推測は誤り』
「訂正するんだ」
「はい」
「昨日、かなり怒ってたのに」
「怒っていたからこそです」
ノルンは真剣な表情で答えた。
「私が怒っていることと、実際に残っている記録は別です。自分の感情へ都合よく事実を変えるわけには参りません」
主様は、少しだけ嬉しそうに笑った。
「うん。その通りだね」
◇◇◇
五件目は、『強制接続遮断・危険性評価』。
記録を開いた瞬間、ノルンの表情が僅かに強張った。
『接続経路への直接干渉を伴うため、双方への影響予測不能』
「予測不能」
「うん」
『想定される影響』
『一時的識別障害』
『接続関連情報の欠落』
『感情反応異常』
『管理核損傷』
ノルンの呼吸が僅かに浅くなる。
「主様」
「うん」
「管理側は、強制遮断に危険があることを把握しておりました」
「少なくとも、可能性としては」
「記憶欠損も」
「『接続関連情報の欠落』という形では予測していたみたいだね」
胸の奥で、昨日感じた怒りがもう一度戻りかけた。
危険を知っていた。
それでも切った。
その事実だけなら。
怒りたくなる。
けれど。
ノルンは、そこで記録を閉じなかった。
続きを読む。
『実施非推奨』
「……」
「非推奨だね」
『代替手段の継続検討を推奨』
そして、その下。
『ただし、第七外在個体の反応増大継続時、世界境界安定値への影響を否定できず』
『最悪時、第二外縁区画の恒久閉鎖を要する可能性』
ノルンは長く息を吐いた。
「簡単には、悪者にできませんね」
「そうだね」
「管理評議会も、怖かったのでしょうか」
「たぶん」
「ルークが?」
主様は少し考えたあと、首を僅かに横へ振った。
「それだけじゃないと思う。自分達が理解できない状態が、どんどん深くなっていくことそのものが怖かったんじゃないかな」
ノルンは黙って耳を傾ける。
「ルークが何をするか分からない。名称接続がどこまで深くなるかも分からない。第一接続者を別の場所へ移しても切れないし、遮蔽すればルークの反応が大きくなる」
「はい」
「でも、強制的に切れば第一接続者まで壊れるかもしれない」
「……どちらを選んでも危険だった」
「そういう状況だったんだと思う」
その時、ノルンは初めて、一万八百年前の管理側を記録上の文字ではなく、そこにいた人々として想像した。
停止命令。
異議却下。
強制遮断。
結果だけを並べれば冷たく見える。
けれど。
彼らもきっと、同じ記録を何度も読み返したのだろう。
第一接続者をどう守るのか。
ルークをどう扱うのか。
境界をどう維持するのか。
誰も正解を知らないまま、それでも何かを選ばなければならなかった。
「主様」
「うん」
「昨日の私は、少し管理評議会の方々を悪い方だと思い始めておりました」
「うん」
「訂正致します」
「全部?」
「いいえ」
ノルンは少しだけ眉を寄せた。
「強制遮断を実施した最終理由は、まだ確認できておりません。それに、影響の可能性を把握していた以上、実施後に第一接続者へ何をしたのかも重要です」
「そうだね」
「ですから」
ノルンは手帳へ一行加えた。
『管理評議会の判断評価――保留』
「保留です」
「ノルンらしいね」
◇◇◇
六件目。
『強制接続遮断・実施決定記録』
作成者は管理評議会。
決定票も残されていた。
ノルンは票数を確認し、少しだけ目を見開いた。
「主様」
「何?」
「全会一致ではございません」
強制遮断へ反対した者が、少なくとも三名いた。
『反対理由:接続個体への不可逆影響可能性』
『反対理由:外在個体に敵対行動なし』
『反対理由:継続観測を優先すべき』
「管理側の中でも意見が分かれてたんだね」
「はい」
賛成側の理由も残っている。
『境界安定維持を最優先』
『接続深化後の予測不能性』
『管理領域位置情報の外在側固定を危険視』
そして。
『最終決定理由』
二人が同時にそこを見る。
『接続個体への管理処分通知後、第七外在個体反応値急上昇』
ノルンの顔が変わった。
「管理処分?」
「第一接続者が接触停止命令に従わなかった件だと思う」
続きを開く。
『担当解除および外縁区画接近権限停止を通知』
『通知時、接続個体に強い情動反応』
『同時刻、第七外在個体より境界深部への接触を確認』
ノルンの呼吸が止まりかける。
「第一接続者が、もう担当ではいられないと知った」
「うん」
「それにルークが反応した」
さらに。
『第七外在個体、反復信号』
その下には、古い音声を不完全ながら現在語へ置き換えた記録が残っていた。
『行く?』
ノルンの目が止まる。
次。
『いなくなる?』
そして。
『嫌』
管理室から音が消えたように感じた。
「……ルーク」
ノルンの声は、とても小さかった。
続きを読む。
『境界深部接触反応、継続』
『第二外縁区画安定値低下』
『第一接続者、外在側へ応答』
『いなくならない』
次の部分は欠けている。
それでも、一部だけ。
『でも』
『待って』
ノルンは唇を強く結んだ。
第一接続者がいなくなる。
そう思ったルークは。
嫌だった。
だから境界へ近づいた。
第一接続者は、いなくならないと伝えた。
待ってほしいと伝えた。
けれど、ルークの反応は下がらなかった。
『境界安定値、警戒域へ移行』
『管理評議会、緊急決議』
『強制接続遮断を承認』
そこだった。
ルークが攻撃したからではない。
管理領域へ侵入して支配しようとしたからでもない。
第一接続者を失いたくなかった。
その感情のまま、境界へ近づきすぎた。
結果として、ルーク自身の意図とは関係なく、世界境界の安定値が危険域まで下がり始めた。
「主様」
「うん」
ノルンは、声が震えそうになるのを抑えるために少し時間を置いた。
「これ……誰も、悪くないのではないでしょうか」
主様は答えなかった。
「第一接続者は、ルークと話したかった。ルークは、第一接続者にいなくなってほしくなかった。そして管理評議会は、世界境界を守らなければならなかった」
「うん」
「それだけなのに」
ノルンは深く息を吸った。
「全部、壊れてしまったのでしょうか」
最後の声だけが、少し掠れた。
主様はすぐには答えなかった。
ノルンが今、悲しさだけで過去を決めつけないように。
管理評議会を責めるだけで終わらないように。
そして、ルークだけを可哀想な存在へしてしまわないように。
少し待ってから、静かに言った。
「まだ、最後まで見てない」
「……はい」
「だから、何が壊れたのかも、誰の判断が間違っていたのかも、まだ決めない」
ノルンは目を閉じた。
怒りもある。
悲しさもある。
ルークへの痛ましさ。
第一接続者への親近感。
そして。
今になって少しだけ分かるようになった。
一万八百年前の管理側の恐怖。
それらが全部、一度に胸の中へある。
すぐに一つの答えへまとめる必要はなかった。
「はい」
ノルンはゆっくり頷いた。
「まだ、決めません」
◇◇◇
本来なら、その日はそこで調査を終えるはずだった。
ノルン自身も、本当にそのつもりだった。
「本日は、ここまでに――」
手帳を閉じかけた時。
閉じようとしていた古代記録板の一枚が、二人の手に触れられていないまま淡く光った。
「……主様」
「触ってない」
「私もです」
これまでの検索結果とは違う。
もっと古い管理系統の奥から、関連する何かが自動的に浮上してきている。
『関連記録照合完了』
「関連記録?」
次の文字が現れる。
『第一接続者・強制接続遮断実施記録』
ノルンの手が止まった。
「実施記録」
「……あるみたいだね」
主様がノルンを見る。
「今日は止める?」
ノルンは記録板を見つめた。
ものすごく見たい。
強制遮断が実際にはどのように行われたのか。
その瞬間、第一接続者へ何が起きたのか。
ルークへ何が起きたのか。
そして。
二人が互いを忘れるに至ったのか。
知りたい。
今すぐ。
それでも。
今日だけでも十分すぎるほど重い情報を受け取っている。
昨日、自分で決めた。
無理をしない。
主様とも約束した。
「……明日」
ノルンは記録板から手を離した。
「明日に致します」
主様が少し驚いたように目を瞬いた。
「本当に?」
「はい」
「ものすごく気になるでしょ」
「ものすごく」
「だよね」
「ですが」
ノルンは少しだけ笑った。
「今読んだら、本当に眠れなくなる気が致します」
「正解」
「ですので、明日の私へ任せます」
「うん」
「明日の私は」
「うん」
「きちんと朝食をいただいた後の私です」
「そこ重要なんだ」
「重要です!」
主様が笑った。
ノルンも少しだけ笑う。
重い記録を読んだ後でも。
こうして笑える。
それも。
多分。
必要なことだった。
二人は今度こそ古代記録板を閉じ、その日の調査を終えた。
◇◇◇
ただし。
ノルン達が閉じたのは、現在の管理室へ浮上していた記録だけだった。
そこから遥か奥。
誰も使用していない旧管理領域最古層では、昨日から続いていた照合処理が静かに動き続けている。
『第一接続者・生成記録照合』
『照合率――三十一パーセント』
『次段階照合――接続残滓比較』
一万八百年前。
第一接続者と第七外在個体との間に存在した名称接続。
管理評議会によって強制的に切断された、その接続の痕跡。
そして現在、ノルンとルークとの間に新しく成立している名称接続。
古い管理系統は、二つの接続波形を少しずつ比較していた。
『旧接続残滓抽出』
『現接続反応抽出』
『照合開始』
比較しているのは、名前ではない。
生成構造でもない。
魂とも、記憶とも、少し違う。
誰かと誰かの間へ、一度確かに生まれた相互認識。
その関係が残した、極めて薄い痕跡だった。
『照合率――』
表示が一度止まる。
そして。
『九十二パーセント』
昨日の三十一パーセントとは、比べものにならないほど高い。
けれど。
『完全一致せず』
『同一接続と断定不能』
古い管理系統は、そこで結論へ飛ばなかった。
『ただし』
『接続基礎構造――高一致』
『旧接続残滓の一部が現接続成立時に再反応した可能性あり』
一万八百年前。
強制的に切られた接続。
それは。
完全には消えていなかったのかもしれない。
現在のノルンが。
『ルーク』
と呼び。
ルークが。
『ノルン』
と呼び返した。
その時。
古い接続の何かが。
もう一度、応えた。
さらに照合が進む。
『接続残滓起点照合』
『旧接続個体側残滓――現個体内部に微弱反応』
そこで処理が止まった。
現在のノルンの中に、第一接続者側の接続残滓と似た反応が僅かに存在している。
しかし、それだけではノルンが第一接続者本人である証明にはならない。
何らかの形で継承されたものかもしれない。
管理領域由来個体を再生成する過程で混ざった古い構造かもしれない。
そもそも、旧世代の管理領域由来個体に共通する反応が、偶然似た形を示しただけという可能性も残っている。
それでも。
完全に無関係。
そう処理することも、できなくなった。
古い管理系統は、自動的に次の照合対象を選択する。
『次段階照合対象――強制接続遮断時・第一接続者管理核記録』
そして。
今までにはなかった表示が現れた。
『注意』
『当該記録に封鎖指定あり』
最古層の処理が、初めて自動停止する。
『閲覧権限要求』
『現管理責任者による承認が必要』
一万八百年前。
旧管理評議会が。
後世の通常記録から。
わざわざ切り離した情報。
強制接続遮断が行われた、その瞬間。
第一接続者の管理核へ何が起きたのか。
なぜ。
その記録だけが封じられたのか。
そして。
現在のノルンの中へ残っている微弱な接続残滓が。
本当に。
一万八百年前の第一接続者から続くものなのか。
答えは、まだ開かれない。
翌朝。
朝食をきちんと食べたノルンと。
主様が。
この閲覧要求へ気づくまでは。




