第十五話 観察していたはずなのに、向こうから「やっと来た」と言われました
共同作業場の中で、ミレイアの腰に下げられた布袋が淡い光を漏らしていた。
ほんの僅かな光だ。窓から差し込む午後の日差しに紛れてしまえば、少し離れた場所からでは見落としてしまう程度のものに過ぎない。それでも、最初から世界外干渉の痕跡を意識してミレイアを観察していたノルンとリベルには、その変化がはっきりと分かった。
先ほどまで何の反応も示していなかった音楽再生端末が、誰も触れていないにもかかわらず勝手に起動したのである。
「リベルさん」
「見えてる」
ノルンは声を抑えたまま、共同作業場の内部へ視線を固定した。
ミレイア自身も異変には気づいているらしい。布を仕分けていた手を止め、腰の布袋へゆっくり視線を落としている。
しかし、驚いてはいなかった。
突然起きた異常に対する怯えもない。ほんの少し困ったように眉を寄せただけで、それ以外は妙に落ち着いている。
そこが、ノルンには一番気になった。
「初めてではなさそうですね」
「同意」
リベルの返答は相変わらず短い。
共同作業場では、他の女性達が変わらず仕事を続けていた。大量の布を色や用途ごとに分け、畳んでは籠へ積んでいく。その合間にも冗談が飛び交い、小さな笑い声が何度も響いている。
「ミレイア、その青い布はそっちじゃないよ」
「あ、ごめんなさい」
犬に似た耳を持つ女性から声を掛けられ、ミレイアは一度だけ顔を上げた。
「青は奥でしたね」
「そうそう。今日はどうしたの? 朝から少しぼんやりしてるけど」
「ちょっと気になることがあって」
「また音箱?」
あまりにも自然に出てきた言葉に、ノルンの眉が僅かに動いた。
ミレイアも否定しなかった。
「そんなところです」
「また勝手に光ってるの?」
「はい」
「相変わらず変な箱ねえ」
「昔からですから」
獣人の女性はそれ以上深く気にした様子もなく、布を畳みながら肩をすくめた。
「まあ、壊れないならいいじゃない。うちの鍋なんて去年穴が空いたんだから」
「比べる物が違いません?」
「使えるか使えないかなら同じよ」
周囲から小さな笑いが起こり、ミレイアもつられるように笑った。
けれど。
その右手だけは、布袋から離れなかった。
ノルンはその様子を静かに見つめる。
村人達にとっては、本当に日常なのだ。
ミレイアの持つ不思議な音箱が勝手に光ることさえ、珍しくはあっても大騒ぎするほどではない。二十五年という時間は、この世界には本来存在しないはずの道具すら、生活の一部へ変えてしまっていた。
しかし。
観察官にとっては。
そう簡単に見過ごすことのできる現象ではない。
『ノルン』
連絡石から主様の声が届いた。
「はい」
『端末の反応は確認できる?』
「はい。昨夜カイルさんのスマートフォンから検出したものと、かなり近いと思われます」
『強さは?』
「上がっています」
昨日まで確認できたものは、あくまで物品へ付着した痕跡に近かった。
何かが触れた。
その残り香だけが残っているような状態。
けれど今は違う。
世界の外側から伸びてきた細い糸が、音楽再生端末へ直接繋がっている。そんな感覚があった。
過去の痕跡ではない。
現在進行形で。
何かが。
こちらへ触れている。
「主様」
『うん』
ノルンは周囲に聞こえないよう、さらに声を落とした。
「今、世界の外側からこちらへ干渉されている可能性があります」
連絡石の向こうで、主様が少し黙った。
『分かった。ミレイアへの接触を許可する』
「はい」
『ただし、何より本人の安全確認を優先して』
「承知致しました」
『それから端末へ直接触るのは――』
「致しません」
『……言う前に答えたね』
「学習しております!」
「声」
隣に立つリベルから、すぐに注意が飛んだ。
「……申し訳ありません」
ノルンは反射的に肩を縮めた。
緊張していたはずなのに、リベルは本当にいつも通りだった。
それが今は。
少しだけありがたい。
「行く?」
リベルがミレイアを見たまま尋ねる。
「はい」
「正面から?」
ノルンは少し考えた。
認識阻害を解除し、旅人として自然に共同作業場へ近づく。
最初から転生者観察官として姿を見せる必要はない。何より、周囲には普通の村人達が大勢いる。
「まずは旅人として声を掛けます」
「妥当」
「リベルさん」
「何」
「もし私が前へ出すぎましたら」
「止める」
「よろしくお願いします」
「任せて」
たった一言。
それでも。
心強かった。
二人は互いに視線を合わせ、ゆっくりと認識阻害を弱めていった。
◇◇◇
最初にノルン達へ気づいたのは、共同作業場の入口近くで布を畳んでいた年配の女性だった。
「あら?」
手を止め、珍しそうに二人を見る。
「旅の人かい?」
「はい」
ノルンはできるだけ自然な笑顔を作った。
「突然申し訳ありません。この村へ来るのは初めてでして」
「道に迷った?」
「少しだけ」
完全な嘘ではない。
エルネ村の場所も、ミレイアがいる共同作業場も分かっていたが、村内部の細かな道順までは知らない。
「宿なら広場の向こうだよ」
「ありがとうございます」
「そっちの兄さんも一緒?」
女性の視線がリベルへ移る。
「一緒」
「口数少ないね」
「いつもです」
ノルンが代わりに答えると、リベルがこちらへ視線を向けた。
「事実」
「自覚はあるんですね」
「ある」
年配女性が吹き出した。
「変わった二人だねえ」
その笑い声に反応したのだろう。
共同作業場の奥で、ミレイアがゆっくり顔を上げた。
視線が重なる。
今度は認識阻害もない。
普通の旅人として。
真正面から。
緑色の瞳がノルンを捉えた。
ノルンは穏やかな笑顔を崩さない。
ミレイアも少しだけ微笑んだ。
そして。
「……やっぱり」
ごく小さな声で呟いた。
ノルンの胸が僅かに高鳴る。
「何がでしょう?」
問いかけると、ミレイアは腰の布袋へ手を添えたまま首を横へ振った。
「いいえ。旅の方ですよね?」
「はい」
「この村へは何をしに?」
「人を探しております」
口にした直後。
リベルが僅かにこちらを見る。
ノルンもすぐ気づいた。
また同じ言い方をしてしまった。
フローラの時も。
カイルの時も。
自分は最初に。
人を探している。
そう言っていた。
「人を?」
ミレイアが尋ねる。
「はい」
「見つかりました?」
「……候補の方は」
ノルンが慎重に答えると、ミレイアの口元が僅かに上がった。
「そうですか」
明らかに。
何かを知っているような返し方だった。
ここまで来れば、無理に誤魔化し続ける必要はない。
「ミレイアさん」
ノルンは周囲に聞こえない程度まで声を落とした。
「少し、お話しできますか?」
ミレイアの表情はほとんど変わらなかった。
「私の名前も知ってるんですね」
「はい」
「やっぱり」
また。
同じ言葉。
ノルンは慎重に尋ねた。
「先ほどから『やっぱり』と仰っていますが」
「それは」
ミレイアは布袋へ視線を落とした。
中では、例の端末がまだ淡く光り続けている。
「これが反応しているからです」
「音箱ですか」
「村ではそう呼ばれてます」
「どうして反応すると、私達が来たと分かるのでしょう」
「ここでは少し話しづらいですね」
ミレイアは周囲を見渡した。
女性達は仕事を続けているものの、全くこちらを気にしていないわけではない。知らない旅人二人がミレイアと話しているのだから、時折ちらりと視線が飛んでくる。
「少し休んできます」
ミレイアが年配女性へ声を掛けた。
「いいよ。今日は朝から変だったしね」
「すみません」
「音箱が壊れたなら、叩けば?」
「壊れますよ」
「壊れないんでしょ、それ」
「そうですけど」
また周囲から笑いが起こる。
ノルンは少し驚いた。
村人達は、音箱が簡単には壊れないことまで知っているらしい。
「こちらへ」
ミレイアが歩き出した。
ノルンとリベルは一度だけ視線を合わせ、その後を追った。
◇◇◇
共同作業場から少し離れた場所には、森から引かれた細い水路が流れていた。
清らかな水は村の畑へ向かって緩やかに流れ、その脇には休憩用なのか大きな平石がいくつか並べられている。近くの木には飲み水用らしい木杯が掛けられており、村人達が日常的に利用している場所なのだと分かった。
ミレイアはそのうちの一つへ腰を下ろした。
ノルンとリベルは少し距離を空けて立つ。
「そんなに離れなくても大丈夫ですよ」
ミレイアが笑う。
「私、何もしませんから」
「こちらも何もしません」
ノルンも穏やかに答えた。
「今のところは」
横からリベルが付け足す。
「リベルさん」
「必要なこと」
「そうですが」
ミレイアが吹き出した。
「面白い方ですね」
「よく言われない」
「でしょうね」
ノルンは少しだけ。
リベルとの距離が縮まった気がした。
本人には。
まったくそのつもりはなさそうだったが。
「それで」
ミレイアが改めて二人を見る。
「どちらから聞きます?」
ノルンの表情が少し真面目になる。
「私達が何者か」
「はい」
「分かっておられるのですか」
「名前までは分かりません」
ミレイアは首を横へ振った。
「でも、普通の旅人ではないですよね」
「なぜでしょう」
「昨日から」
ミレイアの視線がリベルへ移った。
「ずっと誰かに見られていましたから」
リベルの目が僅かに細くなる。
「気づいてた?」
「はい」
「どうやって」
「これです」
ミレイアは腰の布袋を開いた。
そこから取り出されたのは、掌へ収まる程度の小さな機械だった。
淡い銀色の本体。
中央には小さな画面。
その下に丸い操作部。
側面から細い紐が伸び、先端には耳へ入れる形の小さな部品がついている。
ノルンは世界記録の知識と照合した。
地球系世界。
携帯型音楽再生端末。
「触れても?」
「今は駄目です」
ノルンの右手が出かけ。
途中でぴたりと止まる。
リベルが横から一瞬だけ見る。
「学習しました」
「まだ手が出てた」
「止めました!」
ミレイアは二人を見比べ、楽しそうに笑った。
「本当に変な人達」
「よく言われます」
「ノルン」
突然。
リベルが呼んだ。
「名前」
「あ」
ノルンも。
ミレイアも。
同時に止まる。
「ノルン?」
まだ名乗っていなかった。
三人の間へ、何とも言えない沈黙が流れた。
「リベルさん」
「何」
「今、私の名前を」
「呼んだ」
「はい」
「すまない」
「いえ」
ノルンは小さく息を吐いた。
ここまで来れば、名前だけ隠し続ける意味もあまりない。
「改めまして」
姿勢を正す。
「ノルンと申します」
「ノルンさん」
「はい」
「そちらはリベルさん?」
「そう」
リベルはあっさり認めた。
「お二人は、何をしている方なんですか?」
ミレイアが音楽再生端末を持ったまま尋ねる。
ノルンはすぐには答えなかった。
自分達の正体をどこまで話すか。
ミレイア自身は、まだ転生者だと明言していない。
「その前に、一つ確認させてください」
「はい」
「その端末は、いつからお持ちなのですか?」
「生まれた時からです」
あまりにも自然な返答だった。
けれど。
ノルンとリベルの表情は同時に変わった。
「正確には、母が私の生まれた翌朝に見つけたそうです」
「どこで?」
「私が寝ていた籠の中」
ノルンの胸が大きく鳴る。
カイルと。
ほとんど。
同じだった。
「それは、間違いありませんか?」
つい声に力が入る。
「はい」
「お母様が入れたのではなく?」
「違うそうです」
「誰かが家へ侵入した可能性は?」
「夜中に誰かが入った形跡もなかったと聞いています」
今度はリベルが尋ねた。
「端末はずっと動いている?」
「はい」
「充電は?」
「したことありません」
「破損は?」
「一度も」
ミレイアは少し笑った。
「小さい頃、川へ落としたことはありますけど」
「それでも?」
「普通に動きました」
ノルンの頭に、カイルのスマートフォンが浮かぶ。
水へ落としても。
魔物に踏まれても。
壊れない。
電力も減らない。
共通点が。
また増えた。
「主様」
ノルンは連絡石へ小声で呼びかける。
『聞いてる』
返ってきた主様の声も、先ほどまでより真剣だった。
『一致が増えたね』
「はい」
そのやり取りを見ていたミレイアが、ノルンの手元へ視線を落とす。
「今」
「はい?」
「誰かと話してます?」
ノルンは一瞬迷ったものの。
「主様です」
正直に答えた。
「主様」
「はい」
「上司?」
「はい!」
また声が大きくなった。
リベルが横から見る。
「申し訳ありません」
ノルンはすぐ小さくなる。
ミレイアが声を出して笑った。
「本当に分かりやすいですね」
「何がでしょう」
「その主様という方のこと、大好きなんですね」
「はい!」
「声」
「……はい」
リベルの冷静な注意に、ミレイアはさらに笑った。
張りつめていた空気がほんの少しだけ緩む。
けれど。
ノルンは本来の目的を忘れない。
「ミレイアさん」
「はい」
「昨日から誰かに見られていると気づいたのは、この端末が理由だと仰いましたね」
「そうです」
「どのように?」
ミレイアは手の中の端末へ視線を落とした。
「昔から、これがたまに勝手に光るんです」
「頻度は?」
「決まってません。数か月何もないこともあれば、一週間くらい続けて光ることもありました」
「光った時は、何か起きるのでしょうか」
「大体」
ミレイアは記憶を探るように少し考える。
「誰かが私を見ている時です」
ノルンとリベルが同時に黙った。
「分かるのですか?」
「最初は偶然だと思ってました」
ミレイアは端末を両手で包み込む。
「子供の頃、これが光った直後に母が寝顔を見ていたり、村の子が物陰に隠れて驚かせようとしていたり。成長してからも、誰かに見られている時に光ることが多くて」
「つまり」
リベルが短く確認した。
「観察を感知している」
「たぶん」
リベルが。
珍しく。
少し嫌そうな顔をした。
観察官としては。
かなり相性の悪い機能である。
「だから昨日」
ミレイアはリベルを見る。
「いつもより強く光っていたので、誰かいると思ったんです」
「私の観察?」
「たぶん」
「今日は?」
「朝から昨日よりさらに強くて」
ミレイアの視線がノルンへ向く。
「だから、『増えた』って」
ノルンもようやく意味を理解した。
「私が来たからですか」
「はい」
「では、共同作業場で『今日は来るかな』と仰っていたのは?」
その質問に。
ミレイアの表情が少し変わった。
先ほどまでは何度も笑っていた。
けれど今は。
ほんの少しだけ。
緊張が浮かぶ。
「それは」
端末へ視線を落とす。
「昔から、これが強く光る時」
「はい」
「たまに」
一度言葉を止め。
「声を聞くことがあるからです」
ノルンの背筋が自然と伸びた。
「声?」
「はい」
リベルも完全に仕事の顔へ戻る。
「どんな声」
「分かりません」
「男性か女性かも?」
「分かりません」
「年齢も?」
「はい」
「耳から聞こえるのですか?」
「違います」
ミレイアは自分の頭へ人差し指を当てた。
「直接、ここへ入ってくるような感じです」
ノルンは小さく息を呑んだ。
ほぼ。
カイルと同じ。
「最初に聞いたのはいつですか」
「……生まれる前」
ミレイアの声が少し小さくなる。
「正確には、今の身体で目を覚ます前です」
ノルンは何も挟まず、次の言葉を待った。
ミレイアは水路へ視線を向けた。
透明な水が石の間をゆっくり流れていく。
「私、昔」
一度だけ息を整える。
「別の世界で生きていました」
本人から。
言った。
「その世界の名前は?」
ノルンが静かに尋ねる。
ミレイアは顔を上げた。
「日本です」
それで。
ほぼ確定だった。
隣でリベルが僅かに息を吐いた。
ノルンはできるだけ表情を変えず、続きを尋ねる。
「前世のお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「水瀬美玲」
「みなせ、みれい」
「はい」
「亡くなった時のお年は?」
「二十四歳でした」
「死因については――」
ノルンはそこで一度言葉を止めた。
「無理にお答えいただかなくても構いません」
「大丈夫です」
ミレイアは少しだけ苦く笑う。
「事故でした」
「どのような?」
「駅の階段で、人が倒れてきたんです」
端末を持つ指へ少し力が入る。
「避けきれなくて。一緒に落ちました」
淡々と話している。
それでも。
手に残る力が。
その記憶が決して軽いものではないことを教えていた。
「その後」
ノルンは急かさない。
「次に気づいたら」
「何もない場所でした」
「暗くて?」
ノルンが静かに尋ねると。
ミレイアの目が大きくなった。
「……知ってるんですか」
「似た話を聞いたことがあります」
誰からかは。
まだ言わない。
「真っ暗で、身体もないような感覚でした。それから」
ミレイアが目を閉じる。
「声を聞きました」
「何と?」
二十五年前。
たった一度。
それでも忘れられなかった声。
「『そっちじゃないな』」
ノルンの指が手帳の上で止まった。
カイルは。
『そこじゃない』
『君は、そっちじゃない』
そう聞いている。
「他には?」
「『君はこっちの方が楽しそう』」
ノルンも。
リベルも。
何も言わなかった。
「それから」
ミレイアは眉を寄せる。
「笑いました」
「楽しそうに?」
思わずノルンが尋ねた。
ミレイアの目がこちらへ向く。
「どうして分かったんですか」
「……」
もう。
ほぼ。
隠す意味はない。
同じ存在。
そう考えるのが自然だった。
「ミレイアさん」
「はい」
「同じような経験をされた方を、私達はもう一人確認しております」
ミレイアの目が大きく見開かれた。
「私以外に?」
「はい」
「日本人?」
「詳細については、ご本人の許可が必要になります」
ミレイアは数秒黙った。
けれど。
すぐに。
静かに頷いた。
「分かりました。聞きません」
ノルンは少し驚く。
「よろしいのですか」
「だって、私だって勝手に前世のことを知らない人へ話されたら嫌ですから」
「……ありがとうございます」
カイルも同じだった。
フローラについて。
ノルンが答えないと分かれば。
無理には聞かなかった。
「ただ」
ミレイアの声が少し揺れた。
「その人は」
「はい」
「元気ですか?」
「はい」
ノルンはすぐに答えた。
「二十五年間、この世界で普通に生きておられます」
ミレイアの目がほんの少し潤んだ。
「そう」
「そして」
ノルンは少し笑う。
「その方から、もし同じような方が困っているのであれば伝えてほしいと」
「え?」
カイルの言葉。
それを。
できるだけそのまま渡す。
「『勝手に転生させられても、ちゃんと人生にはなる』と」
ミレイアの唇が僅かに震えた。
「そう」
一度、俯く。
「そう、なんですね」
「はい」
「よかった」
本当に小さな声だった。
ノルンは何も挟まなかった。
フローラから。
まだ見ぬ転生者へ。
カイルから。
ミレイアへ。
顔も知らない。
名前も知らない。
それでも。
似た経験をした者同士の言葉が。
少しずつ。
繋がっていく。
どこか不思議で。
温かい。
そんな空気が生まれかけた。
その時だった。
◇◇◇
ミレイアの手の中で、音楽再生端末の画面が突然強く光った。
「っ……」
ミレイアが息を呑む。
ノルンも反射的に立ち上がった。
ただし。
今回は触らない。
主様から何度も言われたことを、きちんと覚えていた。
「リベルさん」
「干渉量上昇」
リベルもほぼ同時に立ち上がり、周囲へ薄い遮断結界を展開する。
村人達に異常を悟られない程度。
それでいて。
何かが起きればすぐ守れる程度。
「ミレイアさん、その端末を一度地面へ」
「待ってください」
「ですが」
「これ」
ミレイアの声が震えた。
「初めてです」
「何がですか?」
「文字が」
ノルンが画面へ視線を向ける。
いつもなら。
曲名。
再生時間。
簡単な操作表示。
そうしたものが出るはずの小さな画面に。
今は。
別の文字が浮かんでいた。
ラフェルディア文字ではない。
日本語。
ノルンは世界記録の補助を使い、その内容を読む。
『やっと来た』
ノルンの顔から。
笑みが消えた。
日本語を読めないリベルが、低い声で尋ねる。
「何て書いてある」
「『やっと来た』です」
ミレイアの手が僅かに震える。
「私に?」
「まだ分かりません」
文字が変わる。
『二人も来たんだ』
今度は。
意味が明確だった。
「……私達です」
「見えてる?」
リベルが周囲へ意識を広げる。
気配はない。
魔力もない。
神力もない。
しかし。
世界外干渉だけが。
端末へはっきり繋がっている。
そして。
三行目。
『観察官って、思ったより早いね』
ノルンの背中を。
冷たいものが走った。
「主様」
『見えてる』
主様の声も。
先ほどまでとは違う。
低い。
『ノルン、動かないで』
「はい」
『リベルも』
「了解」
ミレイアが、ノルンとリベルを交互に見る。
「観察官?」
もう。
完全に隠すことは難しい。
けれど。
今は説明より。
端末の方が優先。
さらに文字が変わる。
『こんにちは』
その直後。
『二十五年ぶり』
ノルンの胸が強く鳴った。
二十五年ぶり。
誰に対して。
ミレイアか。
端末か。
それとも。
管理側か。
「主様」
『返事はしない』
「はい」
『目的が分からない』
正しい判断だった。
ノルンも理解している。
しかし。
端末には次の文字が浮かぶ。
『返事しないんだ』
ノルンの目が細くなる。
「こちらの会話も」
『拾ってる可能性がある』
主様が答える。
『でもまだ返さない』
「はい」
その次。
『慎重だね、管理者』
今度は。
管理領域の主様が。
完全に黙った。
ノルンの右手が僅かに握られる。
主様が世界管理者であることを。
相手は知っている。
これは。
かなり大きな問題だった。
『ノルン』
「はい」
『ミレイアを端末から少し離して』
「承知致しました」
ノルンはミレイアへ向き直る。
「ミレイアさん。一度、端末を置いて離れてください」
「分かりました」
ミレイアは素直に頷き、近くの平石へ端末を置いた。
三人で三歩ほど距離を取る。
それでも。
画面は消えない。
次の文字。
『その子に何もしないでね』
ノルンの表情が変わった。
「するつもりはありません」
反射的に答えてしまった。
『ノルン』
主様の声。
「……申し訳ありません」
もう。
遅い。
返事をした。
端末の画面が一瞬だけ止まり。
次の文章が浮かぶ。
『知ってる』
「……」
『君はそういう子だもんね』
ノルンの心臓が。
強く鳴った。
どうして。
自分のことを知っている。
ノルン自身には。
相手へ会った記憶などない。
「私をご存じなのですか」
今度は主様の制止より先に。
ノルン自身が尋ねた。
画面が数秒止まる。
『まだ知らないよ』
「……まだ?」
『でも見てたから』
ノルンは完全に言葉を失った。
見ていた。
誰を。
いつから。
カイル。
ミレイア。
主様。
それとも。
ノルン自身。
次の文字が表示される。
『今日からよろしくね、ノルン』
その瞬間だった。
世界外干渉反応が。
消えた。
少しずつ弱まるのではない。
本当に一瞬で。
何もなかったように。
音楽再生端末の画面も暗くなる。
耳へ残るのは。
水路を流れる水の音。
木々を揺らす風。
遠くで鳴く鳥の声。
さっきまでの異常だけが。
まるで。
最初から存在しなかったかのように。
消えた。
「……」
ノルンはしばらく動けなかった。
リベルも。
珍しく。
何も言わない。
ミレイアの顔からは血の気が引いていた。
「ノルンさん」
「はい」
「今の」
「……はい」
「何なんですか」
ノルンも。
それを知りたかった。
「分かりません」
だから正直に答える。
「ですが、二十五年前にミレイアさんをこの世界へ送った存在と、同一である可能性が高いと思います」
「やっぱり」
ミレイアは胸元へ手を当てる。
「あの声」
僅かに震える。
「夢じゃなかったんですね」
「はい」
ノルンはもう誤魔化さなかった。
「恐らく」
ミレイアは目を閉じた。
二十五年間。
誰にも説明できなかった。
夢なのか。
死の直前に見た幻覚なのか。
自分だけが覚えている。
奇妙な声。
それが。
現実だった。
「それで」
ミレイアがノルンを見る。
「観察官っていうのは」
ノルンはすぐ答えず。
主様の判断を待った。
『ノルン』
「はい」
『ここまで来たなら、最低限は説明していい』
「承知致しました」
ノルンは改めてミレイアへ向き直った。
「先ほどは詳しくお話しできず、申し訳ありませんでした。改めまして」
背筋を伸ばす。
「私はノルン。世界管理者直属の転生者観察官です」
ミレイアは数秒黙った。
「……本当にあるんですね」
「何がでしょう」
「そういう組織」
「組織……」
ノルンの頭に。
カイルの。
『異世界管理局?』
という言葉が浮かぶ。
「似たようなことを仰った方が最近おられました」
「日本人?」
「そこは秘密です」
「分かりました」
ミレイアはすぐ引いた。
やはり。
無理に聞こうとはしない。
「私達は、転生者の方々が世界を大きく損なう行動を取られない限り、基本的には観察と見守りを行います」
「捕まえるとか」
「致しません」
「元の世界へ返すとか」
「致しません」
「本来行くはずだった世界へ送り直すとか」
そこで。
ノルンは僅かに目を細めた。
ミレイアも。
そこまで。
考えていた。
「致しません」
今度は。
よりはっきりと。
伝える。
「ミレイアさんが二十五年間、この世界で築かれてきた人生はミレイアさんのものです」
ミレイアの瞳が揺れる。
「私」
一度。
小さく息を吸う。
「この村が好きです」
「はい」
「父も母も、今も生きています」
「はい」
「友達もいます」
「はい」
「だから」
声が少し震えた。
「ここから出ていけって言われたら」
「言いません」
ノルンはその先を遮った。
「大丈夫です」
ミレイアはしばらく何も言わなかった。
けれど。
強張っていた肩が。
少しずつ下がる。
「よかった」
小さく。
「本当に」
ノルンはフローラを思い出した。
カイルも。
結局。
同じだった。
転生したという事実そのものより。
今、生きている場所を失うことの方が。
ずっと怖い。
「それから」
ノルンは平石の上に置かれた音楽再生端末へ視線を向ける。
「この端末も、危険性が確認されない限り取り上げません」
ミレイアが少し笑った。
「ありがとうございます」
「ただし、今のような反応が出た場合は、可能であれば私達へご連絡ください」
「どうやって?」
「……」
ノルンが止まった。
そこまで考えていなかった。
隣でリベルが口を開く。
「連絡具を渡す」
「あ」
「そうですね!」
リベルが長衣の内側から、小さな白い石を取り出した。
「押せば私に届く」
「便利ですね」
「観察官用」
ミレイアは白い石を受け取る。
「これも勝手に光ったりしません?」
「普通はしない」
「普通は」
ミレイアが少し笑った。
「その言い方、ちょっと怖いですね」
ノルンは。
最近の神様達の件を思い出した。
「私も最近、その言葉が少し怖くなってまいりました」
リベルが横からノルンを見る。
「何の話」
「色々です」
◇◇◇
その後。
ミレイアからは、さらにいくつかの話を聞くことができた。
前世の記憶は、生まれた時から残っていたという。
だからこそ。
最初の数年は。
かなり苦しかった。
「日本に戻りたいって、何度も思いました」
ミレイアは水路の流れを眺めながら話した。
「でも赤ん坊でしょう?」
「はい」
「言葉も喋れない。身体も自由に動かない。ただ泣くしかなくて」
前世の記憶があるからといって。
赤ん坊の身体が。
大人のように動くわけではない。
分かっている。
伝えたい。
でも。
何もできない。
「音箱は?」
ノルンが尋ねる。
「母が見つけてくれました。でも、小さい頃は耳につける部分が危ないと思ったみたいで、ずっと母が保管していたんです」
「自分で使えるようになったのは?」
「三歳くらいです」
その頃。
ようやく。
自分の手で端末を触れるようになった。
電源を入れる。
画面がつく。
そして。
前世で聞いていた音楽が。
流れた。
「泣きました」
ミレイアは少し恥ずかしそうに笑う。
「三歳の時に?」
「はい」
「覚えている曲が流れたからですか?」
「それもあります」
ミレイアは遠くの木々へ視線を向けた。
「前の私が」
胸元へ軽く手を当てる。
「本当にいたんだって思えて」
ノルンは何も挟まず、その言葉を聞いた。
「でも」
「はい」
「今の両親も、その頃にはもう大好きだったんです」
ミレイアは困ったように笑った。
「だから、しばらく分かりませんでした」
「何がでしょう」
「どっちが本当の私なのか」
ノルンの胸に。
フローラの言葉が蘇った。
自分は。
本当のフローラを消してしまったのではないか。
前世の自分と。
今の自分。
どちらが。
本物なのか。
「ミレイアさん」
「はい」
「両方とも、あなたです」
ミレイアがこちらを見る。
「日本で水瀬美玲さんとして生きた時間も、ラフェルディアでミレイアさんとして生きてきた二十五年も」
ノルンは穏やかに笑った。
「どちらか一方を偽物にする必要はありません」
ミレイアの緑色の瞳に。
少しだけ。
涙が浮かんだ。
「……同じこと」
「はい?」
「昔の私に言ってほしかったです」
涙を滲ませながら。
少し笑う。
「申し訳ありません」
「何でノルンさんが謝るんですか」
「その時はまだ、お会いしておりませんでしたので」
「じゃあ無理でしょう」
「そうですね」
二人とも。
少しだけ笑った。
横ではリベルが黙って聞いている。
いつもと同じ無表情に近い顔。
けれど。
その目元だけが。
ほんの少し。
柔らかくなっていた。
◇◇◇
夕方。
ミレイアを共同作業場へ送り届けた後、ノルンとリベルは村外れの転移地点まで戻っていた。
傾き始めた陽射しが長い影を作り、昼間より乾いた風が森から吹き抜けていく。
「リベルさん」
「何」
「今日はありがとうございました」
「仕事」
「それでもです」
「そう」
リベルはしばらく歩いた後。
ふと。
ノルンを見る。
「ノルン」
「はい」
「思ったより」
「はい?」
「勝手に動かない」
ノルンは数秒黙った。
「……褒めていただいておりますか?」
「褒めてる」
「本当ですか!」
「声」
「申し訳ありません!」
ノルンは慌てて口元を押さえた。
その時。
リベルの口元が。
ほんの少しだけ。
動いた。
笑った。
ように見えた。
「リベルさん」
「何」
「今、笑いました?」
「気のせい」
「本当でしょうか」
「帰る」
「あっ、待ってください!」
先に歩き始めたリベルを追い、ノルンも転移地点へ向かう。
最初は。
少し緊張していた共同任務。
でも。
思っていたより。
悪くなかった。
◇◇◇
管理領域へ戻ると、主様はすでに世界記録を開いて待っていた。
「ただいま戻りました!」
「おかえり」
「ご報告致します!」
「うん」
ノルンは今日起きたことを、順番に説明していった。
ミレイアが転生者であることは確定。
前世は日本。
名前は水瀬美玲。
死亡時二十四歳。
ラフェルディアへの正規転生記録なし。
転生前。
カイルと酷似した状況で。
正体不明の声を聞いている。
『そっちじゃないな』
『君はこっちの方が楽しそう』
そして。
楽しそうに。
笑った。
前世物品である音楽再生端末は出生翌朝。
寝籠の中から発見。
充電不要。
破損なし。
さらに。
他者からの観察を感知するような反応まで持っていた。
そして。
今日。
初めて。
その端末へ文字が表示された。
『やっと来た』
『二人も来たんだ』
『観察官って、思ったより早いね』
『慎重だね、管理者』
『今日からよろしくね、ノルン』
最後の一文まで読み上げた時。
主様の表情が。
もう一度。
真剣なものへ変わった。
「やっぱり」
「はい」
「僕達を知ってる」
「少なくとも」
ノルンは頷く。
「主様が世界管理者であられること」
「うん」
「私とリベルさんが観察官であること」
「うん」
「そして」
自分の胸元へ手を置く。
「私の名前まで」
「そう」
主様は机の上へ指を置き、何度か小さく叩いた。
「問題は」
「はい」
「いつ知ったかだね」
「……はい」
「二十五年前から僕達の存在まで把握していたのか」
「はい」
「それとも」
主様の黒い瞳が僅かに細くなる。
「最近、僕達がカイル達を調べ始めてから見ていたのか」
ノルンも考える。
「『今日からよろしく』という言葉だけなら」
「最近知った可能性もある」
「はい」
「でも」
主様は世界記録へ視線を落とした。
「カイルを送った存在と、ミレイアを送った存在が同一なら」
「少なくとも二十五年前から、世界の外側へ直接干渉できていた」
「そういうことになる」
ノルンは少し眉を寄せた。
「主様」
「何?」
「私」
一度。
言葉を選び。
「少し腹が立っております」
「うん」
主様は否定しなかった。
「カイルさんも」
「うん」
「ミレイアさんも」
「うん」
「自分の転生に何か大きな意味があるのではないかと、長い間悩んでおられました」
フローラも。
そうだった。
転生したことに。
意味があるのでは。
使命があるのでは。
何かをしなければならないのでは。
そう。
考えていた。
「それなのに」
ノルンは膝の上で拳を握る。
「『面白そうだから』」
声が少し低くなる。
「『楽しそうだから』」
「……」
「それだけの理由で」
主様を真っ直ぐ見る。
「本人達の人生の行き先を勝手に変えたのであれば」
それは。
観察官として。
というだけではない。
ノルン自身が。
嫌だと思った。
「きちんと理由を聞きたいです」
「うん」
「そして」
少しだけ眉を下げる。
「謝るべきところは、ちゃんと謝っていただきたいです」
主様はしばらくノルンを見た。
それから。
穏やかに頷く。
「そうだね」
「よろしいのですか」
「もちろん」
「相手が」
一度だけ迷う。
「かなり強い存在でも?」
「それとこれとは別だよ」
主様の声は静かだった。
「強いから、何をしてもいいわけじゃない」
ノルンの胸の奥が。
少しだけ。
軽くなる。
「はい」
「ただし」
「はい」
「見つけるまでは慎重に」
「承知しております」
主様が少し笑う。
「本当に?」
「はい!」
「二十五年分説教するって言ってたから」
「必要であれば」
「ほどほどにね」
「努力致します」
昨日と同じ答え。
主様は苦笑した。
◇◇◇
その夜。
ノルンは観察記録へ。
三人目の名前を正式に追加した。
『転生者:ミレイア』
『前世名:水瀬美玲』
『前世世界:地球系世界・日本』
『前世死亡時年齢:二十四歳』
『現年齢:二十五歳』
『現世界:ラフェルディア』
『正規転生記録:なし』
『前世物品:携帯型音楽再生端末』
『出生翌朝、寝籠内にて発見』
『充電不要・破損なし』
『世界外干渉痕あり』
『観察状態を感知するような反応あり』
『転生直前、正体不明存在の声を認識』
『発言――「そっちじゃないな」「君はこっちの方が楽しそう」』
『カイルの証言との高い類似性あり』
『本日、異常物品を通じ正体不明存在から接触あり』
そこで。
ノルンの筆が止まった。
次の行。
書きたくない。
というわけではない。
ただ。
少し。
落ち着かなかった。
『相手は世界管理者、および観察官ノルン・リベルの存在を認識している』
さらに。
『観察官ノルンを名指し』
ノルンはその一文をしばらく見つめていた。
今まで。
自分は。
観察する側だった。
転生者が何を考えているのか。
何をするのか。
世界へどのような影響を与えるのか。
それを見て。
必要なら。
近づく。
けれど。
今は。
自分が。
どこかから見られているかもしれない。
「主様」
「うん?」
「観察される側というのは」
ノルンは少し難しい顔になった。
「思っていたより、落ち着きませんね」
主様が少し笑う。
「いい経験になった?」
「そうかもしれませんが」
ノルンは少し頬を膨らませた。
「嬉しくはありません」
「だよね」
「フローラ様やカイルさんを観察する際にも、もっと配慮致します」
「それはいい学びかもしれない」
「はい」
ノルンは記録の最後へ。
もう一文。
追加した。
『今後、対象者本人が知らない状態での観察については、その必要性と対象者への負担をこれまで以上に慎重に判断する』
主様が横からその文章を見る。
「ノルン」
「はい」
「いい記録だと思う」
ノルンは少し目を大きくした。
そして。
嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます」
その時だった。
管理領域の机の端。
何も置かれていないはずの空間で。
小さな光が。
一度だけ。
瞬いた。
「……」
ノルンの笑みが消える。
主様も同時にそちらへ顔を向けた。
「主様」
「うん」
「今」
「見えた」
二人とも。
すぐには動かなかった。
魔力ではない。
神力でもない。
しかも。
ここには。
今。
カイルのスマートフォンも。
ミレイアの音楽再生端末も。
存在していない。
それなのに。
ほんの一瞬。
世界外干渉の反応が。
管理領域そのものへ。
触れた。
ノルンはゆっくり立ち上がる。
「主様」
「うん」
「相手は」
先ほどまでとは違う緊張が。
声へ滲む。
「転生者の持ち物を経由しなくても、こちらへ干渉できるのですね」
「そうみたいだね」
主様の表情から。
完全に。
笑みが消えた。
その直後。
何もない空間に。
再び。
小さな光が浮かんだ。
今度は。
文字。
『見つけられるかな?』
たった一行。
それだけ。
そして。
光は消えた。
管理領域へ。
再び静寂が戻る。
ノルンはしばらく。
文字が浮かんでいた場所を見つめていた。
やがて。
ゆっくりと。
拳を握る。
「主様」
「何?」
「この方」
「うん」
「私達を遊び相手だと思っておられませんか」
「僕も少し、そんな気がしてきた」
「……」
ノルンの眉が。
ぴくりと動いた。
好奇心で。
カイルの行き先を変えた。
面白そうだから。
ミレイアを別の世界へ送った。
そして今度は。
観察官へ。
『見つけられるかな?』
完全に。
遊んでいる。
「絶対に」
ノルンは一度だけ息を整えた。
「見つけます」
静かな声だった。
けれど。
その言葉には。
いつもの元気さとは違う。
はっきりとした意思が込められていた。
主様はそんなノルンを横から眺め。
ほんの少しだけ。
まだ姿すら分からない相手の方を。
心配した。




