第十四話 二人目の異常物品を調べたら、持ち主の方が先にこちらを警戒していました
翌朝の管理領域では、カイルから預かっているスマートフォンの隣に、新しく一枚の記録板が置かれていた。
そこには昨夜、ラフェルディア担当の観察官リベルから届いた追加報告が表示されている。
『対象:ミレイア』
『年齢:二十五歳』
『居住地:ラフェルディア北西部・エルネ村』
『現時点で危険行動なし』
『地球系文化との類似行動複数』
『異常物品一件確認』
『形状:小型音楽再生端末』
『世界外干渉痕と思われる反応あり』
ノルンはその文章を最後まで読み終えると、机の上に置いた自分の手帳へ目を落とした。
「主様」
「うん?」
「やはり、似すぎております」
「そうだね」
今日は長椅子ではなく、主様も最初から机の向かいへ座っていた。昨夜から何度も読み返しているらしいリベルの報告を取り上げ、改めて一つずつ内容を確認していく。
「カイルはスマートフォン」
「はい」
「ミレイアは小型音楽再生端末」
「はい」
「二人とも二十五歳」
「ほぼ同時期に世界外干渉痕が確認されています」
「正規の転生記録なし」
「前世世界由来と思われる知識もあります」
主様は記録板の最後の行へ視線を移した。
「そして、前世由来と思われる物品まで所持している」
ここまで共通点が重なれば、偶然の一言で片づけるには無理がある。
ノルンも同じことを考えていたのだろう。難しい顔のまま、手帳の頁を一枚めくった。
「主様」
「何?」
「リベルさんは、ミレイアさんご本人へまだ接触されていないのですよね」
「そう書いてある」
「それなら、異常物品はどのように確認されたのでしょう」
「そこ、僕も気になってた」
主様が記録板へ指を触れる。
「追加情報を開こう」
文字列が淡く光り、昨夜の簡易報告よりも詳しい内容が表示された。ノルンも自然と少し身を乗り出す。
『対象宅への侵入なし』
『対象本人への接触なし』
『対象は村の共同作業場にて、異常物品を使用』
「共同作業場で?」
「うん」
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『用途は作業中の音楽再生と推定』
「普通に使っているのですね」
「かなり堂々とね」
『対象は端末を布袋へ収納して携行。使用時のみ取り出す』
『周囲の村人は当該物品を「ミレイアの音箱」と認識しており、特別危険視していない』
ノルンは少しだけ目を瞬いた。
「皆さん、慣れておられるのですね」
「二十五年間一緒に暮らしているなら、そうなるのかもしれない」
「確かに」
異世界から来た道具。
言葉だけを聞けば異常に思える。
けれど村人達にとっては、幼い頃から知っているミレイアが昔から持っている、不思議な音を鳴らす道具。それ以上でも、それ以下でもないのだろう。
「世界に馴染んでおりますね」
「うん」
「カイルさんのスマートフォンも、銀鹿亭の方々はほとんど気にしておりませんでした」
「長く存在する異常は、その場所では日常になっていくんだろうね」
主様が何気なく口にした言葉を、ノルンは手帳へ書き留めた。
観察官として、覚えておいた方がいい気がしたからだ。
異常だから。
規則外だから。
それだけで即座に排除する。
もしそうしてしまえば、その世界で積み重なった時間や人間関係まで無視することになる。
カイルのスマートフォンは、二十五年間彼の人生と共にあった。
ミレイアの音楽再生端末も。
おそらく同じだ。
「それから」
主様が記録の続きを開いた。
『端末の外見は、地球系世界の携帯型音楽再生機器と類似』
『表面へ神力反応なし』
『魔力反応なし』
『世界外干渉痕あり』
「カイルさんの物と同じですね」
「かなり近い」
「電力は?」
「そこは未確認」
「壊れないかどうかも?」
「まだだね」
ノルンは少し考えた。
「ミレイアさんご本人へ接触しなければ、これ以上詳しく確認するのは難しそうですね」
「そうなる」
「では、私が行きます」
返事は早かった。
主様は、そう言うと思っていたらしく小さく笑う。
「駄目でしょうか」
「駄目とは言ってないよ」
「では!」
「ただし」
ノルンの背筋がすぐに伸びた。
「はい!」
「フローラの時みたいに、最初から相手へ正体を明かさないこと」
「はい」
「カイルのように、向こうから転生者だと認めた場合は、その時の状況を見て判断」
「はい」
「それと」
「はい!」
「リベルと一緒に動くこと」
そこで。
ノルンの返事がほんの少しだけ遅れた。
主様は見逃さない。
「嫌?」
「違います!」
「じゃあ何?」
「少し緊張致します」
「リベルに?」
「はい」
以前一度だけ会った。
複数の観察官が集まる合同会議。
黒髪。
眼鏡。
静かで。
必要なこと以外はほとんど喋らない男性。
その時。
ノルンはいつもの調子で元気よく挨拶をした。
すると。
リベルは一歩だけ後ろへ下がった。
「主様」
「何?」
「もし本当に嫌われていた場合は」
「ないと思うよ」
「ですが」
「リベル、人と距離を取るタイプだから」
「私と正反対ですね」
「かなり」
主様は笑った。
「だから、ちょうどいいかもしれない」
「どういう意味でしょう」
「ノルンが前に出すぎたら、リベルが止めてくれる」
「……」
「リベルが慎重すぎたら、ノルンが前へ進める」
ノルンは少し考えた。
「なるほど」
「相性は悪くないと思うよ」
「主様がそう仰るのでしたら」
ノルンは胸元へ手を当てる。
「全力で仲良く致します!」
「全力じゃなくていいよ」
「なぜですか?」
「たぶんリベルが疲れる」
「……承知致しました」
今度の返事は、少しだけ小さかった。
◇◇◇
ラフェルディアへ向かう前に。
ノルンには、もう一つやることがあった。
昼前。
王都西区の銀鹿亭へ入るなり、いつものように元気な声が店内へ響く。
「こんにちは!」
女店主がすぐに気づいた。
「今日も来たね」
「はい!」
「今度は何を探してるの?」
「本日は借り物を返しに参りました!」
「カイルなら奥で飯食ってるよ」
「ありがとうございます!」
ノルンは店の奥へ向かった。
カイルは昨日と同じ机に座っていた。
ただし今日は、地図や計算表ではなく、大きな肉料理を前にしている。
「カイルさん」
「ん?」
カイルが顔を上げる。
「お前、朝から来る時と昼から来る時があるな」
「本日は返却です」
ノルンは魔法鞄からスマートフォンを取り出した。
「ありがとうございました」
「ああ」
カイルは端末を受け取ると、まず画面をつけた。
「百パーセント」
「減っておりません」
「そりゃそうか」
「それから」
「何か分かった?」
ノルンは少しだけ考えた。
どこまで話してよいのか。
カイル自身に関係することであり、危険性の判断にも必要な情報。
隠しすぎる理由もない。
「この端末が、通常の物ではないことは確認できました」
「まあ、それは知ってる」
「二十五年間充電不要で壊れない時点で?」
「そう」
「ただし」
ノルンは周囲へ視線を向け、少しだけ声を落とした。
「世界の外側から、何らかの保護を受けております」
カイルの手が止まった。
「世界の外?」
「はい」
「誰かが?」
「そこまではまだ分かっておりません」
「今も?」
さっきまでの軽い調子が少し薄れる。
ノルンは嘘をつかなかった。
「現在も誰かが維持している可能性と、二十五年前に施された保護がそのまま継続している可能性。その両方があります」
「……」
カイルは画面を消した。
黒くなった端末をしばらく見つめる。
「ずっとさ」
「はい」
「これ、俺の物だと思ってた」
「カイルさんの物です」
ノルンはすぐに答えた。
「え?」
「誰が送ったのかは分かりません」
「……」
「でも、二十五年以上カイルさんが持ち続けてきた物でしょう?」
「そうだけど」
「返せと言うつもりはありません」
カイルの表情から、少しだけ力が抜けた。
「そこは変わらないのか」
「はい」
「変な力ついてるのに?」
「それだけで取り上げる理由にはなりません」
「危険じゃない?」
「現時点では、世界にもカイルさんにも悪影響は確認されておりません」
「そっか」
カイルは少し笑った。
「なら、まあいいか」
言い方そのものは軽い。
けれど。
ノルンには分かった。
少し。
安心した。
自分の人生へ長く寄り添ってきた物を、突然管理側に持っていかれるのではないか。
そんな不安が。
どこかにあったのだろう。
「それから」
ノルンは続ける。
「別世界でも、似た事例が見つかりました」
カイルの目が上がった。
「俺以外にも?」
「詳細はまだ確認中です」
「同じ声?」
「それもまだ」
「前世の物も?」
ノルンは少し驚いた。
「なぜ分かったのですか」
「今そういう流れだっただろ」
「なるほど」
カイルは少し考えた後。
「じゃあ」
スマートフォンを手の中で転がす。
「俺だけじゃないんだな」
その声。
ほんの少し。
変わった。
寂しさ。
というより。
安堵に近い。
「そうかもしれません」
ノルンは慎重に答えた。
「ただし」
「分かってる」
カイルが先に言った。
「本人の許可なしに、詳しいことは話さない」
「はい!」
「そこはもう覚えた」
「ありがとうございます」
「で」
カイルは肉を一口食べてから、少しだけ視線を落とした。
「その人も困ってるなら」
「はい」
「俺は二十五年、普通に生きてるって伝えといて」
ノルンの目が少し大きくなった。
「よろしいのですか?」
「別に名前出さなくてもいい」
「はい」
「勝手に転生させられてもさ」
カイルは水を一口飲み、少しだけ笑った。
「ちゃんと人生にはなるって」
ノルンは。
少しだけ黙った。
フローラも。
同じようなことを言った。
『その方が私と同じように不安なら、大丈夫だと伝えてあげてください』
カイルも。
今。
自分と同じかもしれない、名前も知らない誰かへ。
言葉を渡そうとしている。
「分かりました」
ノルンは柔らかく笑った。
「お伝えできる状況になりましたら」
「頼む」
「はい」
◇◇◇
その頃。
スカーレット公爵邸では。
フローラが中庭の長椅子へ腰掛けていた。
膝の上には本が開かれているものの、もうしばらく頁は進んでいない。
空は晴れていた。
強すぎない陽射しが庭園へ落ち、風が植え込みの葉を静かに揺らしている。少し離れた洗濯場からは、女性達の話し声と水音が時折届いた。
今日はノルンの声が聞こえない。
二日前なら。
それだけで少し落ち着かなくなったかもしれない。
けれど今は。
人探しの仕事もあると分かっている。
転生者観察官。
自分だけを見ているわけではない。
それを理解したからこそ。
少し寂しいとは思っても。
不安までは感じなかった。
「お嬢様」
エレナが紅茶を運んできた。
「ありがとうございます」
フローラは本を閉じた。
「殿下からは」
エレナは少しだけ間を置いてから続ける。
「本日も、お手紙は届いておりません」
「そうですか」
フローラは自分の胸の奥を探るように、しばらく黙った。
アルノルドから手紙が届かない日。
以前なら。
むしろ珍しかった。
多い時は。
朝と夕方。
少し離れた場所へ公務に出れば。
そこからも。
毎日。
何度も。
当たり前のように届いた。
「変ですね」
「何がでしょう」
「以前は、殿下から毎日お手紙が届くことを当たり前だと思っていました」
「はい」
「多い日は、朝と夕方に」
「ございましたね」
「少し遠出をされれば、そこからも」
「ございました」
フローラは苦笑した。
「その時は、愛されているのだから喜ばなくてはいけないと思っていました」
エレナは何も挟まなかった。
「でも」
フローラは湯気の立つ紅茶へ視線を落とす。
「返事がないことが、今は嬉しいです」
自分で口にすると。
ほんの少し。
罪悪感が湧いた。
「変でしょうか」
「いいえ」
エレナはすぐに答えた。
「お嬢様が、今そう感じておられるというだけです」
また。
誰も否定しない。
決めつけない。
ノルンと。
同じ。
「ありがとうございます」
フローラは少し笑った。
「それから」
エレナが思い出したように口を開く。
「ローゼン伯爵令嬢より、次のお茶会について日程候補が届いております」
「クラリスから?」
「はい」
フローラの顔が少し明るくなった。
「三日後、五日後、七日後。その中からご都合のよい日を、と」
「殿下のご予定は?」
言ってから。
フローラは止まった。
エレナも。
何を気にしたのか。
すぐに分かった。
「……」
短い沈黙。
フローラは少しだけ目を伏せる。
「私、今」
「はい」
「殿下がいらっしゃらない日を確認しようとしました」
「そうですね」
「まだ、怖いので」
「はい」
「でも」
フローラは少し迷った。
「それを確認することも、殿下を監視しているのと同じなのでしょうか」
「いいえ」
エレナの答えは穏やかだった。
「お嬢様が安心できる条件を確認することと、相手の一日の行動を本人に知らせず調べ続けることは違います」
「……そうですね」
「クラリス様へ、そのままお伝えしてはいかがでしょう」
「殿下がいらっしゃらない日に会いたい、と?」
「はい」
フローラは少し考えた。
そして。
ゆっくり頷く。
「では、そうします」
「かしこまりました」
「三日後がいいでしょうか」
フローラの口元へ少しだけ笑みが戻る。
「ミルクも待っているでしょうし」
「猫の方が一番楽しみにしているかもしれませんね」
今度はフローラも声を出して笑った。
その笑い声は。
以前よりずっと自然に。
穏やかな中庭へ広がっていった。
◇◇◇
午後。
ノルンは管理領域へ戻ると、すぐにラフェルディアへ向かう準備を始めた。
もちろん。
白髪。
白いワンピース。
普段の姿のままでは目立つ。
だから。
現地へ溶け込むための変装が必要だった。
「主様」
「何?」
「ラフェルディアでは、どのような姿が自然でしょうか」
「エルネ村周辺なら」
主様は世界記録へ視線を落とした。
「人間も獣人も珍しくないね」
「では」
ノルンは少し考え。
「猫耳など」
「付けなくていいよ」
「似合わないでしょうか」
「そういう意味じゃない」
「では狐耳」
「増やさなくていい」
「分かりました」
少し残念そうだった。
「普通の旅人でいいよ」
「はい」
ノルンの姿が淡い光に包まれる。
長い白髪は肩ほどの薄茶色へ。
白いワンピースは、生成りのシャツと焦げ茶色のスカートへ変わった。
肩には小さな旅鞄。
街道を歩いていても特別目を引かない、ごく普通の若い旅人姿。
「どうでしょう」
「自然だと思う」
「力加減も?」
「そこは別問題」
「気をつけます」
主様が転移門を準備する。
光の輪の向こう側に。
深い森。
石造りの小さな家々。
タリウス王国とは違う色の空。
ラフェルディア。
「リベルとは村の外で合流」
「はい」
「先に勝手にミレイアへ近づかない」
「はい」
「本人に異常がなければ」
「観察を優先致します」
「そう」
「もし危険があれば?」
「その時は動いていい」
「承知致しました」
返事はいつも通り元気だった。
それでも。
胸の奥には少し緊張がある。
リベルと。
ほぼ初めて一緒に任務へ入る。
そして。
ミレイア。
三人目かもしれない転生者。
「では」
ノルンは主様へ深く頭を下げた。
「行ってまいります」
「いってらっしゃい」
◇◇◇
ラフェルディア。
エルネ村の外れへ転移したノルンを迎えたのは、タリウス王国よりも少し乾いた風だった。
季節そのものは近いらしい。
けれど、生えている木々の形が違う。
葉は細長く、空の青にもほんの僅かに緑が混じっているように見える。遠くでは鳥に似た小型生物が二対の翼を羽ばたかせ、森の上を滑るように飛んでいた。
ノルンは思わず空を見上げた。
初めて訪れる世界。
観察任務だと分かっていても。
やはり。
少しだけ。
楽しい。
「観光じゃない」
突然。
後ろから声がした。
「ひゃっ」
珍しく小さく驚き、ノルンが振り返る。
そこには一人の男が立っていた。
黒髪。
眼鏡。
灰色の長衣。
表情はほとんど動いていない。
「リベルさん!」
ノルンの声が大きくなる。
リベルは。
ほんの僅かに。
一歩。
後ろへ下がった。
「……」
「……」
ノルンも。
今回は。
すぐに気づいた。
「申し訳ありません」
声量を落とす。
「お久しぶりです」
「久しぶり」
返事は短い。
やっぱり。
短い。
「その」
ノルンは少し不安を覚えながらも頭を下げた。
「昨日はご協力いただき、ありがとうございました」
「仕事だから」
「はい」
「嫌ってない」
「え?」
突然の言葉に、ノルンの目が大きくなる。
リベルは眼鏡を指で押し上げた。
「管理者から連絡が来た」
「主様から?」
「ノルンが、私に嫌われているか気にしていると」
ノルンは完全に止まった。
「主様……」
遠い管理領域のどこかで。
きっと笑っている。
「嫌ってない」
リベルはもう一度言った。
「声が大きいだけ」
「……ありがとうございます」
「褒めてない」
「カイルさんと同じことを仰いますね」
「誰?」
「あ」
ノルンは口を閉じた。
守秘義務。
「何でもありません」
リベルは少しだけ不思議そうにしたものの、それ以上追及しなかった。
「行く」
「はい!」
「声」
「……はい」
今度は意識して小さく返事をする。
二人は並んで村へ向かった。
◇◇◇
「ミレイアさんは、現在どちらに?」
村へ続く道を歩きながら、ノルンが尋ねる。
「共同作業場」
「何をされているのですか」
「布の仕分け」
「お仕事?」
「村人の共同作業」
「なるほど」
ノルンは少しだけ、スカーレット公爵邸の洗濯場を思い出した。
世界が違っても。
人が生活するために必要な仕事は。
どこか似ている。
「音楽再生端末は?」
「持っている」
「今も?」
「たぶん」
「異常反応は?」
「昨日と同じ」
リベルは歩みを止めず、簡潔に説明した。
「魔力なし。神力なし。世界外干渉あり」
「別件で確認している物品と一致しております」
「そう」
ノルンはカイルの名前を出しかけ、途中で言い換えた。
リベルも何も聞かない。
少し進んだところで。
今度はリベルの方が足を止めた。
「それから、一つ」
「はい」
「気になることがある」
ノルンの表情が変わる。
「何でしょう」
「昨日、私が遠隔観察を始めてから」
リベルは村の方向へ視線を向けた。
「ミレイアが何度か、私のいる方向を見た」
「リベルさんを認識した?」
「分からない」
「気配遮断は?」
「使ってた」
「観察官標準の?」
「それ以上」
リベルは淡々と答えた。
「普通の人間には認識できない」
「それでも」
「三回」
ノルンも少し考えた。
「偶然という可能性は」
「ある」
「ですが、同じ方向を三回」
「だから気になってる」
そして。
リベルはさらに続けた。
「今日」
「はい」
「村へ入る前、対象が家から出た時」
「はい」
「小声で言った」
ノルンは黙って待つ。
「『今日は増えた』」
ノルンの足が止まった。
「……増えた?」
「そう」
「何がでしょう」
「不明」
二人は自然と村の方を見る。
もし。
観察官の存在に気づいているのであれば。
普通の転生者ではない。
何らかの特殊な感覚を持っている可能性がある。
あるいは。
ミレイアが所持している音楽再生端末が。
関係しているのかもしれない。
「リベルさん」
「何?」
「今日は、こちらが観察するだけでは済まない可能性がありますね」
「同意」
「必要なら接触を」
「慎重に」
「はい」
二人はそのまま。
エルネ村へ入った。
◇◇◇
エルネ村は、小さく穏やかな場所だった。
石と木を組み合わせて造られた家々が、緩やかな坂に沿って並んでいる。中央には井戸と広場があり、人間だけでなく、犬に似た耳を持つ獣人や、頭部に短い角を生やした種族も自然に行き交っていた。
子供達が駆け回り、籠を抱えた女性達が立ち話をしている。
老人は家の前へ椅子を出して座り。
荷車を押す男性が道の端で子供へ声を掛ける。
種族は違う。
世界も違う。
けれど。
そこにあるのは。
どこにでもある日常だった。
「ミレイアさんは」
ノルンは周囲へ溶け込むよう、小さな声で尋ねた。
「この村で生まれ育ったのですね」
「そう」
「前世があったとしても」
少しだけ言葉を選ぶ。
「本人にとって、ここも故郷」
「そうだと思う」
「はい」
だからこそ。
もし転生者だと確認できても。
勝手に連れ出すことはしない。
カイルと同じ。
フローラと同じ。
今の人生。
今の家族。
今の居場所。
それらもすべて。
本人のものだ。
「共同作業場」
リベルが視線だけで場所を示した。
村の中央から少し外れた場所に、大きめの建物がある。正面の扉は開け放たれており、中では十人ほどの女性達が大量の布を種類ごとに仕分けていた。
その中央近くに。
一人の女性がいる。
二十五歳。
栗色の長い髪。
緑色の瞳。
服装も質素で。
村人の中にいれば。
特別目立つような人物ではない。
ミレイア。
彼女は隣にいる獣人の女性と何かを話しながら、楽しそうに笑っていた。
腰には小さな布袋。
そこから細い紐のような物が少しだけ覗いている。
「反応」
リベルが小声で告げる。
「ある」
ノルンにも分かった。
カイルのスマートフォンで感じたものと似ている。
魔力ではない。
神力でもない。
世界の外側から。
何かが触れた痕跡。
その時だった。
ミレイアが。
ふと顔を上げた。
何か音がしたわけでもない。
誰かに呼ばれたわけでもない。
ただ突然。
彼女の緑色の瞳が。
真っ直ぐ。
共同作業場の外。
ノルン達のいる場所へ向いた。
ノルンは反射的に動きを止めた。
気配遮断。
使用済み。
現地へ溶け込むための変装もしている。
その上。
薄く認識阻害まで重ねている。
普通の人間であれば。
たとえ目の前を見ても。
ノルン達を強く意識することはないはずだった。
けれど。
ミレイアの視線は。
明らかに。
ノルンが立つ場所で止まっていた。
「……」
隣にいるリベルも動かない。
数秒。
ミレイアはその方向を見続けた。
やがて隣の獣人女性から声を掛けられると、何事もなかったように笑い返し、再び布の仕分けへ戻っていく。
「見えてますね」
ノルンが小さく呟く。
「たぶん」
リベルの返事も短い。
「昨日のリベルさんだけではなく、今は私を」
「見た」
「はい」
ノルンの胸の奥に緊張が生まれる。
危険な行動ではない。
敵意も感じない。
けれど。
普通ではない。
「端末の影響でしょうか」
「分からない」
その時。
共同作業場の中で、ミレイアが腰の布袋へ手を置いた。
何かを確認するように。
軽く。
布の上から。
その中身へ触れる。
「……二人もいるなら」
ほんの小さな声だった。
共同作業場で働く他の女性達には聞こえなかっただろう。
けれど。
ノルンとリベルの耳には。
はっきり届いた。
「今日は来るかな」
ノルンの表情が変わる。
リベルも、眼鏡の奥で目を細めた。
「誰が」
ノルンが思わず呟く。
もちろん。
ミレイアが答えるはずもない。
こちらの声は届かない距離。
届いたとしても。
今の二人は。
まだ観察対象へ話しかけていない。
それなのに。
ミレイアの口元には。
ほんの少しだけ。
笑みがあった。
怯えているようには見えない。
むしろ。
何かを待っている。
そんな顔。
「リベルさん」
「うん」
「予定を変更します」
「同意」
「必要なら接触を」
「慎重に」
「はい」
ノルンは改めてミレイアを見る。
三人目かもしれない転生者。
けれど。
今までとは。
明らかに違う。
フローラは。
自分が観察されているとは知らなかった。
カイルも。
ノルンから声を掛けるまで。
こちらの存在など知らなかった。
でも。
ミレイアは。
ノルン達が来るより前から。
何かに気づいていた。
「主様」
ノルンは連絡石へ小さく呼びかけた。
『聞こえてる』
「ミレイアさんは、私達の存在を認識している可能性が高いです」
『そうだね』
「そして」
ノルンは一度だけ息を整えた。
もう一度。
共同作業場のミレイアを見る。
「何者かが来ることを待っているようです」
主様の返事が少し遅れた。
『ノルン』
「はい」
『無理はしない』
「承知致しました」
『リベルと離れない』
「はい」
『相手が転生者だとしても、今のところ敵とは限らない』
「分かっております」
ノルンは素直に頷いた。
それでも。
胸の奥に。
いつもとは違う緊張がある。
これまでノルンは。
転生者を探す側だった。
観察し。
違和感を拾い。
本人より先に。
正体へ近づく。
それが普通だった。
けれど。
今回は。
まるで。
自分達の方が。
先に見つけられている。
ノルンは。
ほんの少しだけ。
嫌な予感を覚えた。
そして。
その予感が間違いではないと知るまで。
それほど時間はかからなかった。
共同作業場の中。
ミレイアが手を置いている布袋の奥で。
小型音楽再生端末の画面が。
誰も触れていないにもかかわらず。
静かに。
点灯した。




