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『転生者観察官ノルンの苦労は終わらない 〜神様達がまたやらかしたので、今日も異世界を見回ります〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第十三話 二十五年前の痕跡を追っていたら、同じ手口がもう一つ見つかりました



 管理領域の机の上に置かれたスマートフォンは、朝になっても何一つ変わらない姿を保っていた。


 黒い薄型の端末。画面は消えており、何も知らない者が見れば、ただの黒い板にしか見えない。


 それなのに、主様が昨夜確認した世界外干渉痕は今もごく薄く端末の周囲へ残っていた。


 魔力ではない。


 神力でもない。


 もちろん、タリウス王国の世界で使われている精霊力や魔素とも異なる。


 何者かが、世界の外側から直接この端末へ触れた証。


 ノルンは机の向かいに座り、小さな端末をじっと見つめていた。


「……昨日から何度も見ておりますが」


「うん」


「見た目だけなら、やはり普通ですね」


「そうだね」


「いきなり光ったりも」


「してないね」


「話しかけてきたりも」


「してない」


「中から何か出てきたりも」


「それは僕も嫌かな」


 主様の言葉に、ノルンは少しだけ安心した。


「では、分解致しますか?」


「しないよ」


「なぜですか?」


「借り物だから」


「あ」


 ノルンは背筋を伸ばした。


「そうでした」


「しかもカイルが、かなり長い間持っていた物だからね」


「はい。壊れないとは仰っていましたが、だからといって壊してよい理由にはなりません」


「その通り」


 主様は満足そうに頷くと、机の上へ三枚の透明板を並べた。


 どれも管理領域で使用する解析用の道具であり、対象へ残された魔力、神力、世界情報などを読み取ることができる。


「今日は壊さずに、外側から調べる」


「承知致しました」


「ノルンは記録係」


「はい!」


「それから」


「はい!」


「途中で変な反応が出ても、素手で掴まない」


 ノルンの返事が止まった。


「ノルン」


「はい」


「今、何かあったら掴もうと思った?」


「主様に危険が及ぶのであれば、すぐ私が取り押さえなければと」


「まず僕を守るためにも触らないで」


「承知致しました」


 少し残念そうな顔をしながらも、ノルンは素直に手帳と筆記具を用意した。


 主様は一枚目の解析板をスマートフォンの下へ差し込む。


 淡い青色の光が静かに端末を包んだ。


 数秒後、透明板の上へ複数の文字列が浮かび上がる。


「通常物質判定」


「はい」


「材質構造は地球系世界の工業製品と一致」


「つまり、本物のスマートフォンなのですか?」


「少なくとも外側の構造はね」


「何かがスマートフォンへ化けているわけではない」


「今のところは、そう見える」


 ノルンは一つずつ内容を書き留めた。


「次」


 二枚目の解析板が端末の下へ滑り込む。


 今度は金色に近い光が浮かび、薄い膜のようにスマートフォンを包んだ。


「神力反応」


 ノルンも少しだけ身を乗り出す。


「……ありませんね」


「ほぼゼロ」


「ジジ様達が直接保護した物ではない?」


「少なくとも、普通の神力付与ではないよ」


「では昨夜と同じく、世界外干渉の可能性が高い」


「そうなるね」


 主様が三枚目の解析板を置いた。


 今度は。


 何も起きなかった。


 ノルンはしばらく黙って待った。


 けれど、透明板には文字も光も浮かばない。


「主様」


「うん?」


「壊れましたか?」


「解析板が?」


「はい」


「たぶん違う」


 主様が指先で透明板の端へ触れた、その瞬間。


 板の表面全体に、髪の毛ほど細い黒い線が一気に走った。


 すぐに消える。


 けれどノルンも、はっきり見た。


「今のは?」


「拒否された」


「誰にでしょう」


「このスマートフォンを保護している何かに、だと思う」


「解析そのものを?」


「そう」


 主様は目を細め、端末と透明板を交互に確認した。


「表面の材質や残留痕は調べさせる。でも、もっと深い情報へ触れようとすると遮断される」


「意図的なものですか?」


「自然現象なら、こんなに綺麗な境界で止めるとは考えにくいね」


 ノルンはその言葉も正確に記録する。


 書き終えた後。


 ふと顔を上げた。


「では、今も誰かがこの端末を守っているのでしょうか」


「可能性は二つある」


 主様は人差し指を立てた。


「一つは、二十五年前にかけられた保護が今も自動的に継続している」


「はい」


「もう一つは」


 二本目の指が立つ。


「今も世界の外側から、誰かがこれを見ている」


 ノルンの筆が止まった。


「……今も?」


「可能性としてはね」


「カイルさんを見ているのでしょうか」


「端末だけかもしれない」


「あるいは」


 ノルンの声が少し低くなる。


「両方」


「そう」


 管理領域へ短い沈黙が落ちた。


 ノルンの頭に、昨日のカイルの姿が浮かぶ。


 二十五年間。


 この世界で生きてきた。


 母親がいて、友人ができて、冒険者仲間もできた。


 その間ずっと。


 本人が知らない場所から。


 何者かが見ていた可能性がある。


「主様」


「何?」


「それは」


 ノルンは少し難しい顔をした。


「かなり嫌だと思います」


「僕もそう思う」


「本人へお伝えしますか?」


「まだ断定できない」


「はい」


「不確定な段階で『二十五年間、誰かにずっと見られていたかもしれない』なんて伝えても、怖がらせるだけだからね」


「……そうですね」


「だから、もう少し調べよう」


「承知致しました」


          ◇◇◇


 スマートフォンの解析を一度中断した後。


 主様とノルンは、二十五年前の世界記録を改めて開いた。


 今度調べるのは、タリウス王国だけではない。


 カイルの転生が発生した時期に近い時間帯。


 そして、世界の外側から何かが干渉した痕跡。


 普段であれば世界の自然な揺らぎとして処理されるほど小さな異常まで、改めて洗い直す。


「範囲はどこまででしょう」


「最初は、カイルが転生した日の前後三日」


「全世界ですか?」


「まず近隣二十世界から」


「二十」


 ノルンは少し安心した顔をした。


「よかったです」


「何が?」


「いきなり全部ではなくて」


「全部調べ始めたら、今日どころかしばらく終わらないよ」


「ですよね」


 ノルンは窓の外へ視線を向ける。


 そこには数え切れないほどの世界の光が浮かんでいる。


 観察官として働いていると忘れそうになるが。


 本当に。


 多い。


 主様は巨大な世界記録を開き、時間軸を二十五年前の特定日時へ合わせた。


 すると空中へ大きな光の輪が出現し、その内側に二十個の小さな世界記録が並んだ。


「ノルン」


「はい」


「僕が世界外干渉に近い反応を拾う。ノルンは異常点を順番に記録して」


「承知致しました」


「一件ずつね」


「はい!」


 調査が始まった。


 最初の世界。


 異常なし。


 二つ目も問題なし。


 三つ目では一時的な魔力暴走が起きていたものの、原因は現地の魔導炉事故であり、世界外干渉とは無関係だった。


 四つ目には神による直接介入の痕跡があった。


 ただし。


 正式な救済申請。


 正式な処理。


 記録にも残っている。


「問題なしですね」


「うん」


 五つ目。


 六つ目。


 七つ目。


 異常なし。


 最初こそ緊張していたノルンだったが、似たような確認作業が続けば、さすがに少しずつ肩の力も抜けてくる。


「主様」


「何?」


「世界管理のお仕事は」


「うん」


「とても地道ですね」


「今頃気づいた?」


「私はもっと」


 ノルンは少し考えた。


「世界が崩壊しそうになった時に、主様が格好よく手をかざして、全部一瞬で解決されるようなお仕事を想像しておりました」


「そんなことが毎日起きたら僕が嫌だよ」


「確かに」


「むしろ、何も起きていないか確認する時間の方が長いんだ」


「なるほど」


「何も起きないのが一番だからね」


「はい」


 そこだけは。


 ノルンもすぐ納得した。


 観察官の仕事も同じだ。


 転生者を見つけたからといって。


 事件が起こる必要はない。


 何も起こさず。


 普通に暮らして。


 普通に人生を終える。


 それが一番いい。


 調査は続く。


 八。


 九。


 十。


 十一。


 十二。


「……ありませんね」


「それがいいんだけどね」


「はい」


 十三。


 十四。


 そして。


 十五番目。


 主様の指が突然止まった。


「……」


 ノルンもすぐにその変化へ気づいた。


「主様?」


「待って」


 十五番目の世界記録。


 世界名は。


『ラフェルディア』


 人間、獣人、その他複数の種族が共存する魔法文明世界。


 現在は大きな世界異常もなく、比較的安定した状態を維持している。


 だが。


 二十五年前。


 カイルがタリウス王国へ現れた日から、およそ二日後。


 世界記録の端に。


 ほんの僅かな歪みが残っていた。


「あります」


 ノルンの声が自然と強くなる。


「カイルさんの時と似ています」


「うん」


 主様が記録を拡大する。


 世界の外側から。


 一瞬だけ。


 何かが触れている。


 そして。


 その直後。


 何かが世界の内側へ入った。


「魂でしょうか」


「可能性は高い」


「転生?」


「正規記録と照合する」


 主様が別の世界記録を開いた。


 二十五年前。


 ラフェルディア。


 死亡記録。


 出生記録。


 転生記録。


 魂路利用記録。


 一つずつ照らし合わせる。


 しばらくして。


 主様の目が僅かに細くなった。


「正式記録にない」


 ノルンも背筋を伸ばす。


「カイルさんと同じですか」


「かなり似てる」


「対象は特定できますか?」


「やってみる」


 記録そのものは膨大だった。


 しかし世界外干渉が発生した場所は絞れる。


 大都市ではない。


 大きな街道からも遠い。


 深い森に近い、小さな村。


 そして。


 干渉発生とほぼ同時刻。


 一人の子供が生まれていた。


「女児」


 主様が記録を拡大する。


「名前は……ミレイア」


「現在は?」


「二十五歳」


「生存されていますか?」


「うん。生きてる」


 ノルンはすぐに手帳へ書き込んだ。


「前世記憶の有無は?」


「この記録だけでは分からない」


「不自然な行動は?」


「確認しよう」


 二人はミレイアの人生記録へ視線を移した。


 一歳。


 二歳。


 三歳。


 大きな異常はない。


 五歳。


 七歳。


 八歳。


「……」


「主様?」


「九歳の時」


「はい」


「村の子供達へ、現地には存在しない遊びを教えてる」


「どのようなものですか?」


「紙を折って、動物や花の形を作る」


 ノルンが世界記録の知識と照合した。


「折り紙」


「うん」


「地球系世界に存在する文化ですね」


「そう」


「他には?」


「十二歳で植物繊維から紙を作る方法を改良してる」


「はい」


「十五歳」


「はい」


「数字の表記と計算方法を、自分なりに簡略化して村の子供達へ教えてる」


 ノルンの表情が少し固くなる。


「主様」


「うん」


「かなり怪しいです」


「僕もそう思う」


 主様はさらに先へ進めた。


「十八歳。村の子供へ九九に近い計算法を教えてる」


「……」


「二十歳では、手洗いや飲料水の管理を中心とした簡単な衛生知識を広めてる」


 ノルンは。


 昨日まで観察していたカイルを思い出した。


 前世の知識を利用し。


 料理。


 石鹸。


 薬草。


 商売。


 ただし。


 大きく世界を変えない。


 自分と。


 自分の周囲が。


 少し暮らしやすくなる程度。


 だから。


 世界記録上の大きな異常にならない。


「主様」


「うん」


「三人目」


「かもしれないね」


 数日前までは。


 三人目もいるのでは。


 そんな話を。


 半分冗談のようにしていた。


 でも。


 本当に。


 それらしい人物が見つかった。


「前世について逆引きできますか」


「やってみる」


 主様は転生記録をさらに辿る。


 しばらくして首を横へ振った。


「ラフェルディアへ正式に送られた記録はない」


「では」


「ミレイアも、別の転生先から抜かれた可能性がある」


 ノルンは小さく息を吐いた。


「同じ時期」


「そう」


「同じような世界外干渉痕」


「うん」


「そして、地球系の前世知識と思われる行動」


「うん」


 偶然。


 それだけで片づけるには。


 少し重なりすぎている。


「主様」


「何?」


「カイルさんの時のような声も、確認したいですね」


「僕もそう思う」


 ノルンは力強く頷いた。


          ◇◇◇


 調査結果を整理してみると。


 カイルとミレイアの間には、共通点だけでなく重要な違いも見つかった。


「カイルさんは」


 ノルンが手帳を見ながら読み上げる。


「転生先であるタリウス王国を描いた原作知識を持っていました」


「うん」


「ですがミレイアさんには、今のところラフェルディアの未来を知っているような行動はありません」


「そうだね」


「では、もし同じ存在が二人を転生させたとしても」


 ノルンは考えながら続けた。


「全員が原作として知っている世界へ送られているとは限らない?」


「まだ何とも言えない」


「前世に、ラフェルディアを題材とした何かが存在していた可能性もあります」


「そこも確認が必要だね」


「はい」


 主様は一度、世界記録を閉じた。


「ただし」


「はい」


「僕達の目的は、転生者を集めることじゃない」


「分かっております」


「ミレイアが何も問題を起こしていないなら」


「まずは本人の生活を優先する」


「そう」


「突然現れて」


 ノルンは想像する。


「『あなたは二十五年前、何者かによって勝手に別世界へ転生させられました』と」


「やめようね」


「はい」


「かなり怖いから」


「フローラ様の件で学びました」


「ちゃんと成長してるね」


「ありがとうございます!」


 主様は少し笑った。


「まずは遠隔観察」


「はい」


「現時点で危険性なし」


「はい」


「それを確認してから、必要なら接触方法を考える」


「私が行きましょうか?」


 ノルンはすぐに聞いた。


 主様は少し考える。


「今回は、まだ行かなくていい」


「承知致しました」


 ノルンは素直に頷いた。


 少しだけ残念ではある。


 けれど理由は理解できる。


「ラフェルディア担当の観察官へ確認を頼む」


「担当の方がいらっしゃるのですね」


「いるよ」


「お名前は?」


「リベル」


 ノルンの表情が少し変わった。


「リベルさん」


「知ってる?」


「一度だけお会いしたことがあります」


 以前。


 複数世界の観察官が集まる合同会議で顔を合わせた。


 黒髪。


 眼鏡。


 静かな男性。


 必要なこと以外は、ほとんど口にしない。


 その時。


 ノルンはいつもの調子で元気よく挨拶した。


 すると。


 リベルは。


 一歩。


 後ろへ下がった。


「私」


 ノルンは少し不安そうに主様を見る。


「嫌われていないでしょうか」


「何で?」


「以前ご挨拶した時、一歩下がられました」


 主様は数秒考え。


「ノルンの声が大きかったからじゃない?」


「……なるほど」


 かなりあり得た。


          ◇◇◇


 同じ頃。


 タリウス王国の王城。


 王太子執務室では。


 一通の封筒が机の中央へ置かれていた。


 送り主は。


 フローラ・スカーレット。


 彼女から届いた。


 初めての返書だった。


 アルノルドは、手紙が届いてからすでに十分ほど同じ封筒を見つめていた。


 少し離れた机では、セドリックが午後の政務資料を整理している。


 しばらく待った後。


「殿下」


「何?」


「十分ほど、同じ封筒をご覧になっています」


「分かってる」


「開けないので?」


「開けるよ」


 返事はする。


 けれど、アルノルドの指は封へ触れたまま動かない。


 セドリックはその横顔を見た。


「怖いのですか」


 アルノルドの青い瞳が僅かに動く。


「私が?」


「はい」


「何を」


「完全な拒絶が書かれている可能性を」


 静かな声。


 だが。


 かなり直接的だった。


 アルノルドはセドリックを見る。


「君、最近遠慮がなくなったね」


「必要かと存じます」


「そう」


 アルノルドは苦笑した。


 それから。


 封筒へ視線を戻す。


「怖いよ」


 今度は。


 誤魔化さなかった。


 セドリックも少しだけ驚く。


「開けて」


 アルノルドの声が僅かに低くなる。


「もう二度と会いたくないって書かれていたら」


「はい」


「私は」


 そこで言葉が止まった。


 以前なら。


 それでも諦めない。


 そう言ったはずだった。


 逃げられても追う。


 拒絶されても手に入れる。


 フローラは最後には自分を選ぶ。


 そう信じて疑わなかった。


 でも。


 その考え方そのものが。


 彼女を怖がらせていた。


 少しずつ。


 それを理解し始めている。


「殿下」


「うん」


「それでも、読まなければフローラ様のお気持ちは分かりません」


「……そうだね」


 アルノルドはようやく封を切った。


 ゆっくりと便箋を取り出す。


 最初の一文。


『お手紙をありがとうございました』


 胸の奥に入っていた力が、ほんの少し抜ける。


 公爵邸周辺の監視をやめたこと。


 自分の気持ちを受け止めたこと。


 そこには感謝が書かれていた。


 そして。


『ですが、今はまだ殿下とお会いすることが怖いです』


 指が止まる。


 やはり。


 怖い。


 今も。


 自分が。


 アルノルドは、その一文を何度か読み返した。


 セドリックは何も言わない。


 ただ。


 続きを読むのを待つ。


『もう少し時間をください』


『いつか私自身が大丈夫だと思えた時に、改めてお話ができればと思います』


 そこで手紙は終わっていた。


 執務室へ長い沈黙が落ちる。


「殿下」


「会いたくないとは」


 アルノルドの声が少し掠れた。


「書いてない」


「はい」


「でも、会いたいとも書いてない」


「はい」


「待っていてとも」


「はい」


 セドリックは余計な希望を与えない。


 けれど。


 絶望も押しつけない。


「今は」


 アルノルドは手紙へ視線を落としたまま呟いた。


「怖い」


「それが、今のフローラ様のお気持ちです」


「そうだね」


 以前の自分なら。


 おそらく。


『いつか』


 そこだけを拾った。


 いつかなら会える。


 なら待てば必ず自分のところへ戻ってくる。


 そう都合よく解釈した。


 でも。


 今は。


 まず。


『怖い』


 その言葉を見る。


「返事は?」


 セドリックが尋ねた。


 アルノルドは少し考えた後。


「書かない」


「よろしいのですか」


「私が返事を求めなかったから」


「はい」


「フローラも、同じようにしてくれたんだと思う」


 返事を要求しない。


 ただ。


 自分の今の気持ちだけを伝える。


「なら」


 アルノルドは便箋を丁寧に畳んだ。


「今は、これを受け取るだけにする」


 セドリックの表情が少し和らいだ。


「それがよろしいかと」


 アルノルドは手紙を封筒へ戻した。


 すぐ捨てることなど。


 もちろんできない。


 むしろ。


 何度も読み返したくなる。


 けれど。


 ひとまず。


 机の引き出しへしまった。


「セドリック」


「はい」


「今日の予定は?」


「午後に財務院。夕刻より北部河川整備に関する会議がございます」


「分かった」


 アルノルドは政務書類を手に取った。


 フローラが何をしているか。


 今日は誰と話すのか。


 何を食べるのか。


 今。


 何を考えているのか。


 知らない。


 そして。


 それを知るために。


 人を送ることもしない。


 知らない時間を。


 知らないままにする。


 その練習は。


 まだ。


 かなり苦しい。


 それでも。


 アルノルドは少しずつ。


 自分の「愛し方」が相手の自由を奪うものだったことを学び始めていた。


          ◇◇◇


 夕方。


 管理領域へ戻ったノルンは、ラフェルディア担当観察官リベルへ送る連絡文を前に、何度も内容を確認していた。


「主様」


「何?」


「これで失礼ではありませんか」


「見せて」


 ノルンが差し出した文面へ、主様が目を通す。


『リベル観察官殿。


 お疲れ様です。


 ラフェルディアにおいて、二十五年前に発生した世界外干渉と思われる記録について確認をお願い致します。


 対象候補はミレイア、二十五歳女性。


 現時点で危険行動は確認されておりません。


 前世記憶の有無、世界外干渉との関連について、本人へ無理な接触を行わず、可能な範囲で観察をお願い致します。


 ノルン』


「いいと思うよ」


「本当ですか?」


「うん」


「もっと、いつもお世話になっております、と入れた方が」


「一度しか会ったことないんだよね?」


「はい」


「なら、今のままで大丈夫」


「では、『突然のご連絡失礼致します』は?」


「正式な業務連絡だから、そこまで気を遣わなくてもいいよ」


「分かりました」


 ノルンはようやく納得し、連絡文へ送信処理を施した。


 紙が淡い光へ包まれ、そのまま消えていく。


「返事は」


 ノルンは送信先を見つめた。


「すぐには来ないと思うよ」


「そうですよね」


 その数秒後。


 小さな光が戻ってきた。


「来ました!」


「早いね」


 返信を開く。


『確認する。


 危険性がなければ接触しない。


 結果は後ほど報告する。


 リベル』


 短い。


 かなり。


 短い。


 ノルンはしばらく返事を見つめた。


「主様」


「何?」


「やはり私、嫌われているのでは」


「リベルはいつもそのくらい短いよ」


「本当ですか?」


「うん」


「では」


 ノルンの肩から力が抜ける。


「よかったです」


 主様が笑った。


「そこ気にするんだね」


「協力してくださる方とは、仲良くしたいです」


「ノルンらしいね」


          ◇◇◇


 その日の夜。


 スマートフォンの解析を再開する前に、ノルンはカイルの観察記録へ今日までに判明した情報を追記していた。


『前世名:久我原修司。神域記録と一致』


『本来転生先:アストレア』


『タリウス王国への正規転生記録なし』


『転生直後、正体不明の声を認識』


『発言内容――「そこじゃない」「君は、そっちじゃない」「面白そうだから、こっちにしよう」』


『スマートフォンは出生翌朝、寝籠内から発見されたと母親が証言していた』


『端末は二十年以上にわたり充電不要。破損も確認されていない』


『世界外干渉痕あり』


 続いて。


 新しい頁を開く。


『関連候補:ミレイア』


『世界:ラフェルディア』


『年齢:二十五歳』


『二十五年前、カイルと近い時期に世界外干渉痕を確認』


『正規転生記録なし』


『地球系文化と類似する知識を複数使用』


『ラフェルディア担当観察官リベルへ調査依頼済み』


 そこまで書いて。


 ノルンは筆を止めた。


「主様」


「うん?」


「もしミレイアさんも転生者だった場合」


「うん」


「カイルさんと同じ方が、二人を別世界へ移した可能性はかなり高くなりますね」


「そうだね」


「そして」


 ノルンは窓の外へ目を向けた。


「まだ他にもいる可能性も、高くなる」


「うん」


 窓の外には、今日も無数の世界の光が浮かんでいる。


 ノルンは小さく息を吐いた。


「最初は、フローラ様お一人を探せば終わると思っておりました」


「僕も」


「次にカイルさん」


「うん」


「そして今度は、ミレイアさん」


「うん」


 ノルンは主様を見る。


「増えております」


「増えてるね」


「私の苦労が」


「うん」


「確実に増えております」


 主様は少し笑った。


「本当に終わらないね」


 ノルンは真顔になった。


「主様」


「うん?」


「それ以上は言わない方がよろしいと思います」


「何で?」


「本当にこの先ずっと終わらなくなる気がします」


「もうかなり終わってないけど」


「主様!」


 管理領域に、またノルンの声が響いた。


 その直後だった。


 二人の前に浮かぶ連絡用の光が、突然細かく点滅し始めた。


 ノルンの表情がすぐに変わる。


「リベルさんでしょうか」


「たぶん」


 主様が受信処理を行った。


 表示された文章は。


 やはり短い。


『追加報告。


 ミレイア本人への接触はまだ行っていない。


 ただし、対象の私物から異常物品を一つ確認。


 形状および構造はラフェルディア由来ではない。


 詳細解析前だが、世界外干渉痕と思われる反応あり』


 ノルンから表情が消えた。


「主様」


「うん」


「何を持っているのでしょう」


 続きを開く。


『対象物は、小型の音楽再生端末と思われる』


 二人とも。


 しばらく何も言わなかった。


 カイル。


 スマートフォン。


 ミレイア。


 音楽再生端末。


 二人とも二十五歳。


 近い時期。


 正規転生記録なし。


 世界外干渉あり。


 そして。


 前世世界の物品を所持。


「主様」


「うん」


「偶然という説明は」


「かなり苦しくなったね」


 ノルンは机の上へ置かれたカイルのスマートフォンを見る。


 黒い端末は何も反応しない。


 ただ静かに。


 そこにある。


 けれど。


 その向こう。


 世界の外側のどこかに。


 誰かがいる。


 二十五年前。


 一人ではない。


 少なくとも二人。


 本来とは違う世界へ魂を送り。


 前世の持ち物まで一緒に持ち込ませた。


 そして。


 カイルの記憶が正しければ。


 その理由は。


『面白そうだから』


 もし。


 本当に同じ存在がやったのであれば。


「主様」


「何?」


 ノルンの声は、いつもの元気さより少し低かった。


「この方」


「うん」


「かなり自由すぎませんか」


「僕もそう思う」


「見つけましょう」


 主様がノルンを見る。


「怒るため?」


「まずは事情を伺います」


「うん」


「どうしてカイルさん達を選んだのか」


「うん」


「なぜ本来と違う世界へ送ったのか」


「うん」


「どうして前世の持ち物まで一緒に送ったのか」


「そうだね」


「そして」


 ノルンは胸元へ手を置き、真っ直ぐ主様を見る。


「必要であれば、二十五年分しっかり注意致します」


 主様は数秒黙った。


 それから。


「ほどほどにね」


「努力致します」


 転生者観察官ノルンの苦労は。


 また一つ。


 増えた。


 そして。


 二十五年前に起きた出来事が。


 一人の転生者だけに起きた偶然ではないことも。


 少しずつ。


 明らかになり始めていた。

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