第百二十九話 七番目と呼ばれたものは、まだ誰かではありません
翌朝、ノルンは管理室の扉を開けてから、自分の机へ向かうまで一度も歴史資料の端末を見なかった。
昨夜、最後に目へ入ってしまった文書名は覚えている。
『第七比較系列・呼称整理案』
忘れようとしたわけではない。むしろ意識すればするほど気になるのは分かっていたので、朝の通常業務が終わるまでは開かないと決めただけだった。
「おはよう」
「おはようございます」
主様はすでに席にいて、ノルンが鞄を置くところまで見届けると、少しだけ楽しそうに口元を緩めた。
「今日は聞かないよ」
「何をですか?」
「昨日のやつ、気になる? って」
「聞いていますよね、それ」
「質問にはしてない」
「そういう問題ではありません」
ノルンが呆れたように返すと、主様は満足そうに笑って正面へ戻った。
窓の外では雲の切れ間から細い光が差し、庭の木々が風に揺れている。昨日より少し強い風が入ってくるため、開けられていた換気窓は半分ほどまで閉じられていた。
ノルンは席へ着き、まず現在の観測画面を開いた。
新しい通知はない。
低強度識別不能反応は三件のままで、閾値未満の新規変動も確認されていない。観測密度に変更はなく、発生源、対象、意味、意図、同一源性、音声・言語性、既知分類との関係についても、新しい確認事項はなかった。
管理判断も変更なし。
そこまで確認してから、ノルンは画面を閉じた。
「増えてない?」
主様が聞く。
「増えていません」
「じゃあ、歴史?」
「その前にセレナの試験状況を確認します」
「今日は遠いなあ、第七比較系列」
「逃げませんよ、資料は」
「資料は逃げないけど、ノルンの好奇心が走ってる」
「主様の方が走っています」
否定できないらしく、主様は笑うだけだった。
◇
セレナの表示試験は、限定運用の終盤へ入っていた。
左右配置と上下配置を比較した結果、どちらにも特有の読み違いが出ている。
左右配置では、左右の項目を一対一対応だと理解する者がいる。
上下配置では、下段に置かれた『確認できないこと』を重要度が低い情報だと受け取る者がいる。
そこでセレナは、今日は第三案を作っていた。
「枠を分けるのをやめてみました」
ノルンの画面へ送られてきた試験表示では、最初に短い説明がある。
『以下は、同じ観測事象について現在確認できている情報と、まだ確認できていない情報です。』
その下へ、
『確認できている情報』
『まだ確認できていない情報』
の順に、間隔を空けながら並べている。左右にも上下の箱にも分けず、見出しだけで区別する方式だった。
「長くなりましたね」
「ちょっとだけ」
「ただ、上下配置より『重要度順』には見えにくいかもしれません」
「一対一にも見えにくい?」
「可能性はあります。ただし試さないと分かりません」
「うん」
セレナは試験対象者へ第三案を送った後、昨日までの回答をもう一度見直した。
「それとね、『音声・言語性:確認できない』と『現時点で音声・言語として扱える根拠なし』の方は、後の言い方の方が少し長いけど、意味の誤解は少なかった」
「どのような違いですか?」
「前の言い方だと、『音声かどうか調べられない』って意味に取った人が二人いた。でも後の方は、『今ある証拠では音声として扱えない』って読んでる」
ノルンは回答を確認した。
音声であることを否定しているわけではない。
音声ではないと確定したわけでもない。
現在の証拠では、音声・言語として扱う根拠がない。
その違いが後者では比較的伝わっている。
「正式採用を決めるには、まだ試験終了まで待ちましょう」
「もちろん」
セレナは頷いた。
「分かりやすくするって、短くすることじゃないんだね」
「短い方が分かりやすい場合もあります」
「場合による?」
「はい」
「便利な決まりないの?」
「それがあれば、私たちの仕事はかなり減ると思います」
セレナは少し考え、それから深くため息をついた。
「ないんだね」
「たぶん」
◇
午前の生活記録では、ルークが久しぶりに庭へ出ていた。
目的はリンガの木だけではない。
朝食後に少し外を歩きたいと言い、その途中で二本のリンガの木の前を通った。
「まだだね」
枝を見上げたルークが言う。
白い花は咲いていない。
蕾らしい膨らみがあるようにも見えるが、担当職員は断定しなかった。
「どうだろうな。俺は木に詳しくない」
「僕も」
「じゃあ咲いたら分かる」
「白いんでしょ?」
「そう聞いてる」
ルークは少しだけ枝を眺めた後、すぐに歩き出した。
庭の端で小鳥が地面をつついているのを見つけると、今度はそちらへ興味が移る。
「昨日と同じ鳥かな」
「俺には分からない」
「僕も分かんない」
それでもルークは少し楽しそうだった。
分からないことを、無理に同じものへまとめない。
担当職員はそんな大げさな意味を考えていたわけではなく、ただ少年と一緒に鳥が飛び去るまで数秒眺め、それから散歩を続けた。
◇
通常確認を終えたノルンは、ようやく歴史資料の画面を開いた。
昨夜見つけた関連文書は二つ。
『外在反応比較集合・利用者理解追跡調査』
そして、
『第七比較系列・呼称整理案』
主様が椅子を寄せてくる。
「どっちから?」
「前者です」
「第七からじゃないんだ」
「関連文書の時系列はこちらが先です」
「はい」
主様はもう反論しなかった。
作成時期は、特徴比較集合の第一回運用評価から約八か月後。
目的。
『比較集合運用開始後、研究部門外で集合記号が主体・人物・発生源を示すものとして理解される例が確認されたため、利用者理解の範囲および誤認発生条件を追跡する。』
対象。
研究部門二十名。
教育部門十二名。
記録部門十一名。
生活支援部門九名。
安全管理部門八名。
合計六十名。
「増えた」
「調査対象が、ですね」
「今回は六十人」
「はい。ただし六十人全員が同じ資料を使っているわけではありません」
調査方法も一つではない。
用語理解質問。
表示画面の読み取り。
資料検索課題。
自由記述。
業務上の実際の利用記録。
それらを組み合わせている。
◇
最初の質問。
『特徴比較集合は、何を表すか。複数回答可。』
正答として想定されているのは、
『比較作業上まとめられた観測記録の集合』
『比較目的に応じ所属記録が変更され得る』
『同一記録が複数集合に所属し得る』
だった。
誤認候補。
『同一発生源からの反応群』
『同一外在主体の反応群』
『同一人物の反応群』
『同一意図を持つ反応群』
全体では、五十一名が比較集合として正しく理解。
九名が少なくとも一つの誤認候補を選んでいた。
「九人」
「内訳を見ます」
研究部門。
二十名全員が正答。
教育部門。
十二名中二名が『同一発生源』も選択。
記録部門。
十一名中一名。
生活支援部門。
九名中四名。
安全管理部門。
八名中二名。
「生活支援、多い?」
「人数だけなら四名ですが、理由を確認しましょう」
ノルンは自由記述へ進んだ。
◇
一人目。
『過去事例を人物別にまとめるための補助記号だと思っていた。』
二人目。
『αが第一接続者の外在側、β以降が別の外在側だと理解していた。』
三人目。
『同一発生源候補を比較するための群だと思っていた。確定ではないことは知っていた。』
四人目。
『支援資料では外在反応の細かな分類を扱わないため、集合記号を便宜上「相手側の記録」と教わった記憶がある。』
ノルンは四人目で止まった。
主様も画面を見つめている。
「また『相手側』」
「はい」
「教わった記憶」
「ただし、誰から、どの資料で、いつ教わったかはこの回答だけでは分かりません」
「調べてる?」
「追跡欄があります」
ノルンは開いた。
◇
四名への追加聞き取り。
一人目は、生活支援部門内の旧い参照一覧で、本人記録と外在反応比較集合が同じ頁に並んでいたことを理由に挙げた。
二人目は、
『先輩から「αは最初の人の向こう側を追ってるやつ」と聞いたと思う』
と回答。
先輩の氏名は記録されていたが、当該先輩への確認では、
『その表現を使った記憶はない。ただし「第一接続者関連を探すならαも見る」と説明した可能性はある』
とのことだった。
「食い違ってる」
「記憶なので、どちらが正しいかは判定できません」
説明した側が忘れている可能性。
聞いた側が言い換えて記憶している可能性。
別の説明と混ざった可能性。
どれも残る。
三人目は『同一発生源候補』という理解だったが、正式説明を受けて、
『比較候補であって発生源候補ではない』
へ訂正。
四人目は、研修資料そのものではなく、研修後に作成した自分の業務メモへ、
『外在側相手記録=比較集合』
と書いていた。
「自分で書いた?」
「はい」
「元の研修は?」
調査担当が確認している。
受講した研修の正式教材には、
『外在反応研究で使用される比較集合。本人との対象関係を示さない』
と明記されていた。
講師用補助資料にも、『相手側』という推奨表現はない。
ただし、実際の口頭説明記録は残っていなかった。
「教材は正しい」
「はい」
「でも本人のメモでは『相手側』になった」
「そうです」
「講師が言ったか、自分でまとめたかは分からない」
「はい」
これまで何度も見てきた問題が、別の形で現れていた。
正式資料が正確でも、受け取った人の中で短い言葉へ置き換えられる。
◇
教育部門の二名は少し違った。
一人は、
『比較集合という名称から、比較した結果として同一発生源候補にまとめられたものだと思った』
と回答。
もう一人は、
『α、β、γと固定記号が付いているため、継続対象だと思った』
と答えている。
どちらも説明後には訂正。
記録部門の一名は、旧時系列表示の一本線を見た経験があり、それを記憶していた。
安全管理部門の二名は、
『緊急時に過去の同一源候補を探すための識別単位』
と理解していた。
実際には、同一源候補だけを集める仕組みではない。
しかし安全管理では、『過去に似たものがあったか』を急いで探す用途が多く、その業務目的が定義の理解へ影響していた。
「同じ間違いじゃない」
「そうですね」
ノルンは回答を並べる。
表示。
固定記号。
業務用途。
先輩の説明らしき記憶。
自分で作ったメモ。
同じ『一つの発生源・相手』という誤認に見えても、そこへ至る経路は複数ある。
◇
追跡調査の結論は慎重だった。
『比較集合の主体化誤認は、特定の一資料または一説明を共通起源として確認できない。』
『固定記号、時系列表示、業務上の探索目的、部門内省略表現、個人メモ等、複数要因が独立または複合している可能性。』
『誤認率を単純比較する際は、部門ごとの利用目的・資料接触頻度が異なることに注意。』
『正式資料訂正のみでは不十分。検索・表示・口頭省略・個人メモへの対策を含む必要。』
ノルンは最後の一文を読み直した。
「全部直せないね」
主様が言った。
「個人のメモまで統制するのは難しいでしょうね」
「じゃあどうしたの?」
「続きがあります」
◇
対策は、禁止語を増やすことではなかった。
特徴比較集合を利用する画面を開くたび、短い定義を固定表示する。
『比較集合は人物・主体・発生源を表しません。』
集合記号へカーソルを合わせると、
『比較目的に応じ記録が追加・除外されます。同一記録が複数集合に所属する場合があります。』
と表示。
検索結果から生活支援記録へ移動する場合は、
『本人記録と外在反応記録の対象関係は別途確認してください。』
を一度だけ表示。
「毎回?」
「最後のものは同一利用セッション中一度だけです」
「よかった。毎回出たら嫌になりそう」
「その懸念も書かれています」
注意を増やしすぎれば、利用者は読まなくなる。
そのため、常時表示するものと、状況に応じて出すものを分けていた。
◇
追跡調査の最後に、小さな項目があった。
『番号呼称に関する追加確認』
特徴比較集合は、正式にはαからη。
しかし一部の部門では、入力環境の都合からギリシャ文字が使いにくく、
『集合1』
『集合2』
『集合3』
という数字入力用の別名が自動設定されていた。
対応。
α=集合1。
β=集合2。
γ=集合3。
そして、
η=集合7。
主様が息を止めるようにして画面を見た。
「七」
「はい」
ノルンも視線を動かさなかった。
昨夜見た文書名。
『第七比較系列・呼称整理案』
七番目。
それが、後世の第七外在個体と同じ『七』である可能性が初めて具体的になった。
ただし。
「まだ同じとは限りません」
ノルンが先に言うと、主様は少しだけ口を尖らせた。
「まだ何も言ってない」
「顔に出ていました」
「ノルンも出てるよ」
「……気をつけます」
◇
数字別名の運用理由は単純だった。
一部の旧端末でギリシャ文字検索が不安定。
音声入力でもαとηの認識誤りが発生。
そのため検索補助として集合番号を付与。
正式名称は変わらない。
『集合7』はηの検索補助名にすぎない。
そして重要な注記。
『集合番号は外在主体番号ではない。』
『第七外在主体、第七接続対象等の意味で使用しない。』
「もう注意されてる」
「ということは、誤解の可能性を当時から認識していたのでしょう」
さらに改訂履歴。
数字別名導入から二か月後。
『「第七群」「第七系列」との口頭呼称を複数確認。正式名称ではない。』
ノルンの指が止まる。
主様は今度こそ黙っていた。
◇
確認された口頭呼称。
『第七群』
『七番群』
『第七系列』
いずれもη、つまり集合7を指していた。
使用理由。
『ηと言いにくい』
『端末上で7と表示されることがある』
『集合7より第七系列の方が会話しやすい』
使用者への確認では、全員が、
『七番目の比較集合という意味』
と回答。
外在主体の七番目という認識ではない。
人物でもない。
「じゃあ『第七比較系列』って、これ?」
「可能性は高まりました。ただし文書を確認するまで断定しません」
「でも第七系列って実際に言ってる」
「はい。それは確認できました」
ここは一段進んだ。
『第七』という呼称が、外在者の番号としてではなく、比較集合ηの順番として存在した。
後世の第七外在個体と同じ数字。
しかし意味はまだ違う。
◇
ノルンは一度資料から目を離した。
窓の外では風が少し弱まり、庭木の揺れも穏やかになっている。
頭の中では、二つの『七』が並んでいた。
比較集合の七番目。
後世の第七外在個体。
(近づいた。でも、近づいただけです)
言葉が似ている。
番号が一致する。
それだけで同じものにはならない。
昨日確認したばかりだった。
検索した言葉は、その人の答えではない。
今日も同じだ。
似た呼称は、同一性の証拠ではない。
◇
昼休み前、ノルンはここで資料を閉じようとした。
「第七比較系列、開かないの?」
「午後にします」
「今日は読むんだ」
「はい。ただし先に休憩します」
「昨日より進歩した」
「何のですか?」
「気になる資料との付き合い方」
「主様も休憩してください」
「はーい」
◇
その頃、ミレイアは薄緑の布を前にして、紐通し部分の縫い目を確かめていた。
小さな巾着は、まだ完成していない。
袋の形にはなったものの、上部へ紐を通す作業が残っている。
「ここ、狭くない?」
ミレイアが指で折り返し部分を開く。
エリスは横から覗き込み、少し考えた。
「紐は通ると思う。でも太い紐だと引っかかるかも」
「細いのにする」
「持ってる?」
「この前買ったのは糸だけ」
「じゃあ、施設にある練習用を見てみる?」
ミレイアは少し迷い、首を横に振った。
「今度フィルネで見る」
「分かった」
「急がないし」
その言葉の意味は、巾着についてだけだった。
エリスも別の意味を重ねなかった。
「じゃあ今日はここまで?」
「うん。袋になったから、ちょっと嬉しい」
ミレイアは縫い目の曲がった部分も残る小さな袋を両手で持ち上げた。
完璧ではない。
それでも、自分で布へ線を引き、切り、縫って、ここまで形にした。
「最初より袋っぽい」
「最初は布だったからね」
「それはそうだけど」
二人の間に笑いが落ちる。
接続についての話は、今日も必要なかった。
◇
午後。
ノルンはついに、
『第七比較系列・呼称整理案』
を開いた。
作成時期は、数字検索補助名の導入から約四か月後。
正式な文書名ではあるが、『第七比較系列』という語そのものが正式分類名になったわけではない。
冒頭に明記されている。
『本資料における「第七比較系列」は、特徴比較集合η/検索補助表示「集合7」に対し、一部利用者が使用している非正式呼称を指す。』
「ηだ」
「はい」
これで、昨夜見た『第七比較系列』が何を指すかは判明した。
比較集合η。
人物ではない。
外在主体でもない。
七番目の接続対象でもない。
◇
整理案の目的。
『「第七群」「七番群」「第七系列」「第七比較系列」等の口頭表現が増加しており、正式名称・検索補助名との関係を整理する。』
調査対象となった使用例は二十七件。
ただし、二十七人ではない。
同一人物の複数発言を含む。
利用者数は十四名。
そのうち十三名は、
『特徴比較集合ηの意味』
と回答。
一名だけ、
『第七番目に識別された外在反応源の比較系列』
と理解していた。
主様が静かに息を吐いた。
「一人」
「はい」
「また一人だ」
「今回は少し内容が違います」
ノルンは追加確認を開いた。
◇
その人物は記録部門の補助担当者。
研究担当ではない。
『第七比較系列』という語を、同僚の口頭説明で初めて聞いたと回答している。
『第七系列の資料を出して』
と頼まれた際、
『七番目の外在反応源についてまとめた系列』
だと思った。
依頼者本人への確認。
『ηのことを第七系列と呼んだ。外在反応源の七番目という意味ではない。』
誤解は、その場では発覚しなかった。
補助担当者は正しい資料を出したため、業務上の問題が起きなかったからだ。
「正しい資料が出たから、間違ってるって分からなかった」
「はい」
「言葉の意味は違ったのに」
「そうですね」
依頼者は『ηの資料』を求めた。
受け手は『第七外在反応源の資料』だと思った。
けれど検索上、η=集合7なので、同じ資料へ到達した。
行動結果が一致したため、理解のずれが表面化しなかった。
◇
この事例を受けて、整理案には重要な指摘がある。
『誤理解が業務上の誤結果を生じない場合、理解差が長期間検出されない可能性がある。』
『特に検索補助名と非正式呼称が同一資料へ到達する場合、利用者が異なる概念を想定していても訂正機会が発生しにくい。』
ノルンはその文章をゆっくり読んだ。
これは、これまでとは少し違う。
誤解した結果、間違った資料へ行けば、誰かが気づく。
質問へ誤答すれば、訂正できる。
けれど意味を間違えていても、同じボタンを押し、同じ資料を開き、同じ仕事ができてしまえば、その誤解は外から見えない。
「怖いね」
主様が言った。
「はい」
「本人も、合ってると思う」
「業務結果が合っていますからね」
「周りも気づかない」
「その可能性があります」
◇
補助担当者は聞き取りで、
『外在反応源には番号が振られていると思っていた』
とも答えていた。
なぜそう思ったのか。
『ref番号と集合番号を同じ種類だと思っていた。』
さらに、
『ref7を見たことがあり、集合7も同じ七番目の対象を別の方法で整理したものだと思った。』
ノルンの表情がわずかに硬くなる。
「ref7と集合7」
「はい」
「両方七」
「はい」
これまで別物として管理されていた二つの番号。
ref7。
集合7。
それを同じ対象の別表現だと理解した人物が、少なくとも一人いた。
しかも、その理解に『第七系列』という非正式呼称が重なっている。
◇
調査担当は慎重だった。
『ref7と集合7は異なる管理体系であり、番号一致に意味はない。』
『集合7=ηにはref7関連記録の一部が含まれる時期があるが、ref7全記録ではなく、また集合7にはref7以外の記録も含む。』
『集合7の所属記録は変更され得る。』
『両者を同一対象の別名として扱わない。』
主様が首を傾げる。
「ηにもref7入ってるの?」
「時期によって一部が含まれていたようです」
「αにも入ってたよね?」
「はい」
「同じref7記録が?」
「そこは構成表を確認しないと分かりません。同じ記録が複数集合へ所属すること自体は許可されています」
「あ、そっか」
ここでも、集合に入っていること自体は主体同一性を意味しない。
◇
さらに重要な追記。
『当該誤理解者が、ref7=集合7=単一外在主体との理解を他者へ共有した記録は確認されない。』
『聞き取り以前に同様の理解を持つ者が他に存在したかは不明。』
『本事例を、後年の外在主体番号体系の起源と判断しない。』
「先に書いてある」
「調査担当も気にしたのでしょうね」
後世の制度を知っていたのか、それとも当時すでに別の番号体系が検討され始めていたのかは、この文章だけでは分からない。
ノルンは余計な推測を加えず、次へ進んだ。
◇
呼称整理案で採用された対策は単純だった。
正式会話・記録では『特徴比較集合η』を使用。
検索補助画面では『集合7』の横へ、
『比較集合番号。主体番号ではありません』
を表示。
『第七群』『第七系列』『第七比較系列』は非推奨。
ただし過去の会話記録や検索履歴を探せるよう、検索別名としては残す。
「また検索別名」
「はい」
「消すと探せない」
「そういう判断ですね」
ノルンは以前の『名称様音列』を思い出した。
正式には使いたくない。
けれど、すでに人がその言葉で探している。
だから検索の入口として残す。
そして残せば、言葉そのものも完全には消えない。
◇
呼称整理案の末尾に、次年度確認事項がある。
『ref番号・集合番号・分類記号の混同状況を横断確認する。』
『特に数字一致時の同一対象誤認について調査。』
関連文書。
『外在反応識別番号体系・統合可否検討』
作成予定。
まだこの時点では草案。
ノルンは題名だけを記録した。
「統合?」
主様が反応する。
「『統合可否検討』です。統合されたとは書いていません」
「分かってる」
「本当に?」
「今日はちゃんと分かってるよ」
主様は少し胸を張った。
◇
午後の表示試験では、セレナの第三案にも反応が集まっていた。
六名。
全員が管理判断を正しく選択。
左右一対一対応の誤読なし。
未確認事項を重要度が低いとした回答もなし。
ただし一名が、
『確認できている情報を先に読むと、その後の未確認情報を補足説明だと思って流し読みした』
と回答。
「今度は流し読み」
セレナが椅子の背にもたれた。
「詳細画面の閲覧時間は?」
「その人、確かに短い」
「では配置の理解だけでなく、読まれ方も見た方がよさそうですね」
「全部読むことを成功条件にする?」
「いいえ」
ノルンは首を横に振った。
「必要な判断ができて、必要なときに情報へ到達できることの方が重要です」
「あ、前に言ってたやつ」
「はい。詳細を全部開くこと自体が成功ではありません」
セレナは回答欄へ新しい注記を入れる。
「じゃあ、その人が何を見て判断したか確認する」
「それがいいと思います」
◇
夕方。
ノルンは今日の歴史調査をまとめ始めた。
『特徴比較集合・利用者理解追跡調査を確認。』
『対象六十名中、九名が比較集合を同一発生源・同一主体等とする誤認候補を選択。誤認経路は単一ではなく、固定記号、旧時系列表示、業務用途、口頭省略、個人メモ等が確認された。』
『生活支援部門の一部で「相手側」「最初の人の向こう側」等の理解例あり。ただし正式教材は対象関係未確認を明記しており、講師発言・先輩説明・本人による要約等の起源は個別に未確定。』
『正式資料の正確さのみでは、受け手の個人メモ・口頭要約による意味変化を防げない事例を確認。』
『数字検索補助名としてα=集合1〜η=集合7を導入。集合番号は主体番号ではない。』
『集合7=ηに対し、「第七群」「七番群」「第七系列」等の非正式口頭呼称を確認。使用者確認範囲では七番目の比較集合の意味であり、外在主体番号ではない。』
ノルンは一度手を止め、それから続きを入力する。
『「第七比較系列・呼称整理案」を確認。本資料の「第七比較系列」は特徴比較集合η/集合7に対する非正式呼称を指す。』
『使用例二十七件・利用者十四名中十三名は比較集合ηの意味と回答。一名が「第七番目に識別された外在反応源の比較系列」と誤認。』
『当該人物はref7と集合7を同じ番号体系と理解し、両者を同一対象の別表現と誤認していた。ref7と集合7は異なる管理体系で番号一致に意味はない。集合7には時期によりref7関連記録の一部が含まれるが、同一対象性を示さない。』
『誤理解者は正しい資料へ到達できていたため、業務結果上は誤りが表面化せず、理解差が聞き取りまで検出されなかった。』
『当該理解が他者へ共有された記録なし。同様の理解の広がり不明。後年の第七外在個体との直接連続性・起源関係は未確認。』
『対策として「特徴比較集合η」を正式使用し、「第七群」「第七系列」「第七比較系列」は非推奨。ただし既存記録探索のため検索別名として残置。集合7表示には「比較集合番号。主体番号ではありません」を追加。』
最後に、
『「第七」という呼称が、人物化以前に比較集合の順番として存在したことは確認できた。ただし、この番号が後年の人物・主体番号へ転用されたかは未確認。』
と記録した。
◇
「進んだ?」
主様が尋ねる。
ノルンは保存した記録を見ながら考える。
「はい。ただし、答えに近づいたというより、区別すべきものが増えました」
「第七が二種類?」
「少なくとも、現在確認している範囲ではそうです」
比較集合の七。
後世の第七外在個体。
さらにref7にも七がある。
「三種類じゃない?」
「……そうですね」
主様が少し得意そうにする。
「今日は僕の勝ち」
「何の勝負ですか」
「数えるやつ」
「勝負していません」
◇
帰る前、ノルンはミサキから届いていた連絡に気づいた。
『本屋地図、裏面もあった』
写真が一枚添えられている。
昨日見た手書き地図の裏側らしく、町の小さな店がいくつか書き足されていた。
『焼き菓子』
『古道具』
『湖の北側 夕方きれい』
『雨の日は石畳すべる』
店の宣伝というより、店主自身が好きな場所を教えているような書き方だった。
『本屋だけじゃないんですね』
ノルンが返す。
『観光案内になってる』
『雨の日の注意まであります』
『親切』
『ですね』
少しして、ミサキからもう一通。
『これ見ながら歩いたら楽しそう』
ノルンは画面を見つめた。
これまでなら、『そうですね』と返したかもしれない。
けれど写真を二日続けて見て、町の本屋や湖のことを少しずつ知っているうちに、本当に歩いてみたいと思い始めている。
(行ってみたい、くらいなら、そのまま言ってもいいですよね)
誰かとの約束ではない。
日程を決めるわけでもない。
ノルンは短く打った。
『行ってみたいですね』
送信。
少し間が空く。
『私も』
それだけだった。
昨日と似た返事なのに、ノルンはなぜかすぐに画面を閉じなかった。
やがて自分でも理由が分からないまま小さく笑い、端末を鞄へしまった。
◇
夜の管理室で、最後に未読資料だけを確認する。
今日見つかった次の関連文書。
『外在反応識別番号体系・統合可否検討』
その下には、作成時期の異なる二つの文書が連なっていた。
『比較集合番号と参照番号の混同防止指針』
そして、さらに後年。
『外在反応長期追跡対象・個体単位整理案』
ノルンは三つ目の題名で目を止めた。
個体単位。
これまでの資料では、主体の存在すら前提にしないという注意が繰り返されていた。
その後のどこかで、『個体』という言葉を検討する段階へ進んでいる。
新しい証拠が出たのか。
管理上の便宜だけなのか。
あるいは、また言葉が先に進んだのか。
今は分からない。
ノルンは文書を開かず、一覧だけを閉じた。
今日分かったのは、『第七』という言葉が後世の一人を指すより前に、ただ七番目に並んだ比較集合へ使われていたということ。
その集合を人だと思った者は、少なくとも一人いた。
ref7と集合7を同じものだと思った者も、その一人の中では確かに存在した。
けれど、その誤解が誰かへ渡った証拠はない。
まだ、七番目と呼ばれたものは誰かではない。
ノルンはその境界を崩さないまま、管理室の灯りを消した。




