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『転生者観察官ノルンの苦労は終わらない 〜神様達がまたやらかしたので、今日も異世界を見回ります〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第百十四話 二度目の反応があっても、それだけで誰かの声にはなりません

 翌朝、ノルンが管理室へ入った時、最初に目に入ったのは九名の状態一覧ではなかった。


 端末の右上に、小さな橙色の表示が二つ並んでいた。


 緊急警告ではない。


 赤色でもない。


 夜間監視中に発生した低優先度通知が、未確認のまま残っていることを示す色だった。


「二つ?」


 後ろから入ってきた主様が、ノルンの肩越しに画面を覗き込む。


「一つは昨日確認した記録です。もう一つが夜間分ですね」


「昨日のやつと同じ?」


「まだ分かりません」


 椅子へ座り、端末を起動する。


 昨日、午後三時四十七分。


 継続二・一秒。


 強度、低。


 対象識別不能。


 既知接続反応との一致、判定不能。


 そして夜間に記録された二度目。


 午前二時十三分。


 継続三・八秒。


 強度、低。


 対象識別不能。


 一度目との同一発生源、判定不能。


 追加された項目は一つだけだった。


『反応内部に、反復構造候補あり。』


 主様が文字を読む。


「反復って、繰り返してたってこと?」


「候補です」


「何が?」


「それを確認します」


 ノルンは詳細解析を開いた。


 波形らしい線が表示される。


 大きな変化ではない。


 ほとんど平坦な線の中に、わずかな盛り上がりが三つある。


 間隔も完全には同じではなかった。


 一つ目。


 〇・四秒。


 二つ目まで〇・六秒。


 そこから三つ目まで〇・五秒。


 自動解析が『反復構造候補』と判定した理由は、三つの変動が一定範囲内で似た形状を示したためだった。


「三回?」


「三つの変動です」


「同じもの?」


「類似度は六十一パーセント」


「高い?」


「この種類の低強度反応では、それだけで意味を判断できません」


「じゃあ、何かが三回言ったとかじゃない?」


 ノルンは主様を見る。


「『言った』という前提を置かないでください」


「あ」


「音声とも確認されていません」


「昨日、音ないって言ってたもんね」


「はい」


 主様は椅子の横へ移動した。


「じゃあ、何て呼ぶの?」


「識別不能反応です」


「反復構造候補がある識別不能反応?」


「現時点では」


「長い」


「短くするために意味を足す方が危険です」


「……昔もそんなのあったね」


 ノルンの指が止まる。


 参照7。


 反復音声様変動A。


 別系列のB。


 人間の耳には『ナ』『ア』『レ』『ラ』『エ』のように聞こえたもの。


 別々だったものが図の上で近くに置かれ、読む側が名前のように感じ始めた記録。


 だが、今の反応には音声変換すらない。


 古い記録と似ていると判断する段階ではなかった。


「ありました。ただし、今の反応が同じものだという根拠はありません」


「比較しない?」


「比較する前に、現在の反応だけで何が分かるかを確認します」


「昨日と同じだ」


「はい」


 同じ順序を守る。


 似ているものを先に探せば、見つけた類似点に引っ張られる。


 過去を知っているからこそ、現在を過去の形へ押し込めないようにしなければならない。


     ◇


 セレナが管理室へ来たのは、その少し後だった。


「おはようございます」


「おはようございます」


「……何かありました?」


 ノルンの端末に開かれている波形を見て、すぐに気づいたらしい。


「夜間に二度目の低強度反応がありました」


「昨日のと同じ?」


「同一発生源かどうかは判定不能です」


「対象も?」


「不明です」


 セレナは荷物を置き、隣の端末を起動した。


「見ても?」


「どうぞ」


 データを共有する。


 しばらく無言で確認したあと、セレナが眉を寄せた。


「反復構造候補……」


「はい」


「三つの変動が似てるから?」


「自動判定ではそうなっています」


「でも六十一パーセント」


「はい」


「これだけじゃ何とも言えないですね」


「私もそう考えています」


「九人の誰かに通知は?」


「しません」


「ですよね」


 セレナはすぐに同意した。


 対象すら分からないものを、九名へ順番に尋ねる理由はない。


 誰かが何かを感じたか。


 何かを思い出したか。


 何か聞こえた気がしなかったか。


 そんな質問を投げれば、反応そのものより先に『何かが起きた』という期待を渡すことになる。


「観測密度もそのまま?」


「通常範囲です」


「追加センサーは?」


「現時点では不要だと思います」


「じゃあ三回目があるかどうかも、普通に待つ」


「はい」


 主様が首を傾げた。


「三回目がなかったら?」


「二回あったという記録が残ります」


「それで終わり?」


「必要なら」


「何かの始まりかもしれないのに?」


「何かの始まりではないかもしれません」


 ノルンが答えると、主様は画面を見つめた。


「分からないって、いっぱいあるね」


「あります」


「昔の人も大変だったんだろうな」


 その言葉に、ノルンは否定も肯定もしなかった。


 ただ、古い保管層を開く手は伸ばさなかった。


     ◇


 九名の朝の確認を始める。


 最初はルークだった。


 紙の鳥は棚にある。


 昨夜の睡眠に異常なし。


 午前二時十三分の反応発生時刻にも、特別な覚醒や身体変化は記録されていない。


 ノルンはそこで一度手を止めた。


「ルーク、寝てた?」


 主様が尋ねる。


「はい」


「じゃあ違う?」


「何がです?」


「反応の相手」


「そうとは言えません」


「寝てても出るかもしれない?」


「それも分かりません」


 そもそも、この反応が誰かの意思によるものなのかさえ不明だ。


 ルークが眠っていたという事実は記録できる。


 そこから『だから無関係』とも『眠っていても関係する』とも言えない。


 接続関連の新規希望なし。


 過去名に関する質問なし。


 今朝は朝食後に庭へ出たいと本人から希望があり、天候と人員を確認したうえで実施予定。


「久しぶりに外出る」


「施設内の庭です」


「それでも外」


「そうですね」


 昨日の識別不能反応とは結びつけない。


 ルークが庭へ出たいと思った。


 今分かるのは、それだけだった。


 ミレイア。


 昨夜は通常通り就寝。


 午前二時十三分に異常なし。


 朝は昨日直した衣服を確認している。


 布袋は棚。


 中身は空。


『次回接続:まだ決めていない』


『現時点で接続予定なし』


『本人希望時、再検討可能』


 変更なし。


 接続関連の発言がなかったという項目は、今朝の生活記録には表示されていない。


「消えた」


 主様が気づいた。


「暫定対応です」


 セレナが答える。


「昨日、担当者に無理に埋めなくていいって出したから」


「ミレイア、普通に服直してる人になった」


「昨日までも普通に生活していましたよ」


「でも記録の見え方が違う」


 ノルンは画面を見た。


 確かにそうだった。


 昨日までなら、日常の最後に接続の不在が付いていた。


 今日は、


『本人、昨日修繕した衣服の縫い目を確認。問題なし。午前中は室内作業予定。』


 それで終わっている。


 何も書かれていない。


 だからといって、接続について拒否したわけでも、忘れたわけでもない。


 必要な状態情報は別の欄に残っている。


「この方が分かりやすいですね」


 ノルンが言う。


「まだ一例です」


 セレナが答える。


「決めるのは聞き取り終わってから」


「はい」


「ノルンもすぐ賛成しない」


「候補を候補のまま置くのでしょう?」


「覚えてた」


「昨日聞きましたから」


 主様が二人を見比べる。


「やっぱり似てきた」


「主様」


 二人の声が重なった。


 主様は笑った。


     ◇


 エリオは朝から共有室にいた。


 三人用に変更した盤上遊戯を、さらに四人で遊べないかという話になっている。


「増えた」


 主様が言う。


「参加希望者が一人増えたようですね」


「盤も増やす?」


「本人たちが考えるでしょう」


 記録映像では、エリオが盤面を指しながら何か説明している。


「ここ増やしたら?」


「広すぎない?」


「じゃあ端だけ」


「それならいけるかも」


 昨日まで誰が何勝したかを数えていた遊びは、少しずつ別の形になっていた。


 誰かが勝つためだけではなく、どうすれば四人でも面白くなるかを話している。


 ただし、それを成長と記録する必要はない。


『本人を含む四名で盤上遊戯の配置変更を相談。午前中に試行予定。』


 それで十分だった。


 フローラ。


 昨日の外出後、体調異常なし。


 今朝は通常通り起床。


 南区で購入した木製の鳥は、自室の棚に置かれている。


 マリエへの手紙を午前中に書く予定。


 次回外出の日程は決まっていない。


 アーノルドからの接触なし。


 主様が記録を見ながら言った。


「昨日、楽しかったって書いてある」


「はい」


「今日も?」


「本人に聞いていません」


「昨日楽しかったなら、今日も昨日のこと楽しいんじゃない?」


「思い出した時にどう感じるかは本人にしか分かりません」


「聞かない?」


「手紙を書く予定があるなら、その行動だけで十分では?」


「そっか」


     ◇


 フローラは朝食後、自室の机へ便箋を広げていた。


 昨日会ったばかりなのに、手紙を書く。


 少し変な感じがする。


 けれど、書きたいと思った。


『マリエへ


 昨日はありがとう。』


 そこで止まる。


「……短い」


 誰に言うでもなく呟く。


 もう少し書きたい。


『蜂蜜のお菓子、おいしかったです。木の実のものを教えてくれてありがとう。』


 書いてから首を傾げる。


 ありがとうが二回。


 おかしいだろうか。


 書き直すほどではない気もする。


(手紙って難しい)


 以前なら、綺麗な文章にしなければと思った。


 相手に失礼のないように。


 意味が正しく伝わるように。


 けれどマリエから来る手紙は、もっと普通だった。


 父親の店の話。


 雨の日に転びかけた話。


 蜂蜜菓子がおいしかった話。


 だからフローラも、そのまま書いてみる。


『川の近くも楽しかったです。


 あの変な噴水は、やっぱり少し可愛いと思います。』


 書いた瞬間、昨日のマリエの顔が浮かんだ。


『ええ?』


 きっと、またそう言う。


 フローラは一人で笑った。


『買った鳥は部屋に飾りました。


 また会いたいです。


 今度はマリエが言っていた別のお店にも行ってみたいです。


 でも、日にちは急がなくて大丈夫です。


 フローラ』


 最後まで書く。


 読み返す。


『また会いたい』


 そこだけ少し恥ずかしい。


 消そうか迷う。


 けれど昨日、本人にも言った。


 嘘ではない。


(このままでいい)


 便箋を折る。


 封筒へ入れる。


 封をしてから、フローラは棚の木の鳥を見た。


 昨日の出来事が、もう終わったことには感じなかった。


 次の日になっても、楽しかったことは残っている。


     ◇


 昼前。


 識別不能反応について、解析担当から一次回答が届いた。


『二件の反応について、現時点で同一発生源と判定できる特徴量なし。』


『二件目内部の三変動は部分的形状類似あり。ただし低強度ノイズ帯との重複が大きく、意図的反復を示す根拠なし。』


『既知接続反応との比較は、対象・発生機序不明のため現段階では非推奨。』


 ノルンは最後の一文を二度読んだ。


「比較しないって」


 主様も読む。


「今は、ですね」


「ノルンと同じこと言ってる」


「現在の情報では自然な判断です」


「じゃあ参照7はまだ見ない?」


「この反応を理由には見ません」


「八年目は?」


「それは別です」


「読む?」


「……午後の状況次第です」


 主様が笑う。


「決めてない」


「はい」


 セレナが一次回答を確認しながら尋ねた。


「反復構造候補の表示、残します?」


「自動解析結果としては残すべきです」


「でも一覧で見えると、何か意味ある反復に見えそう」


「詳細内へ移せますか?」


「できます。表面は『低強度識別不能反応・二件目』くらいにして、詳細を開けば自動解析の候補が見えるようにする」


「解析結果を消さず、意味を先に見せない」


「そう」


 セレナが設定案を作る。


「昨日の一覧試験と同じ問題ですね」


「近いですが、同じとは限りません」


「分かってます」


 セレナは笑った。


「でも、表示された順番で人が何を先に考えるかは、やっぱり大きい」


「はい」


 最初に『反復構造』と見れば、何かが繰り返していると思う。


 『識別不能反応』と見れば、まだ分からないものとして読む。


 どちらも記録上の情報ではある。


 だが、先に見せる言葉が読み手の入口を作る。


     ◇


 午後一時過ぎ。


 ルークは庭へ出ていた。


 雲は多いが、昨日より風が弱い。


 庭の木々には少しずつ季節の色が混じり始めている。


 ルークは職員と並んで歩き、途中で立ち止まった。


「昨日より落ちてる」


 足元には何枚か葉がある。


「持って帰る?」


 職員が尋ねる。


 ルークはしゃがまず、その場で少し見た。


「今日はいい」


「分かった」


 それだけで歩き出す。


 昨日は一枚拾った。


 昨夜には捨てた。


 今日は拾わない。


 紙の鳥は部屋に残してある。


 それぞれの行動に、一つの物語を作る必要はない。


 ルークは庭の端まで歩き、ベンチへ座った。


「寒い?」


「ちょっと」


「戻る?」


「もう少しいる」


 職員も隣へ座る。


 接続の話はしない。


 過去名の話もしない。


 午前二時十三分に何かを感じなかったかとも聞かない。


 ルークはただ空を見上げていた。


     ◇


 午後二時。


 三度目の反応はまだない。


 ノルンは通知画面を閉じた。


 何度も開いて確認する必要はない。


 通常監視は動いている。


 何かあれば通知される。


 それより、昨日保留した古い保管層が目に入った。


 七年目の最後。


『相互性:確認されず』


 そこまで読んで止めている。


 八年目。


 開こうと思えば開ける。


「読む?」


 主様が聞く。


「少しだけ」


「全部?」


「最初から全部読むとは言っていません」


 ノルンは八年目の索引を開いた。


 大量の記録が並ぶ。


 生活支援。


 就労。


 健康。


 交友。


 参照7関連。


 外在反応研究。


 年次要約。


 教育資料。


 分類見直し。


 ノルンはまず、年次要約を開かなかった。


 後からまとめられた文章を先に読めば、その年全体をその要約の形で見てしまう可能性がある。


「最初は?」


「原記録の索引を確認します」


 時系列順。


 八年目の最初の二か月。


 リディアの生活記録は、七年目から大きく変わっていない。


 修繕工房での勤務。


 エマとの食事。


 ニーナと共同厨房で焼いた薄いパン。


 窓の隙間修理が終わり、冬の寒さが少し軽減したという生活支援記録。


 体調不良による欠勤一日。


 接続関連の本人発言は、その二か月には記録されていない。


 ノルンはそこで止まった。


「何もない?」


 主様が尋ねる。


「生活があります」


「接続の方」


「今見た範囲では新しい本人発言はありません」


「参照7は?」


「別記録です」


「見る?」


 ノルンは索引へ戻る。


 同じ二か月の間にも、参照7関連の反応記録が三件ある。


 強度は低から中。


 いずれも対象不明。


 主体数不明。


 既存のA系列に近い変動が一件。


 B系列との類似候補が一件。


 分類不能が一件。


 そして三件目に、小さな追記があった。


『能動反応仮説の評価変更なし。』


『特定対象探索信号仮説についても評価変更なし。』


『対象を第一接続者とする根拠なし。』


 主様が読む。


「まだリディアを探してるとは言ってない」


「はい」


「八年目でも?」


「少なくとも今確認した時点では」


「じゃあ後の話と違う」


「後の資料が何を根拠に書かれたかは、まだ分かりません」


 ノルンはさらに下を読む。


『第一接続者本人への通知条件に該当せず。通知なし。』


 リディアはこの三件を知らない。


 同じ時期、彼女は工房で働き、エマと食事をし、ニーナと薄いパンを焼いている。


 それらを並べれば、また一つの物語を作れる。


 片方では反応が続き、片方では知らずに生活するリディア。


 だが、ノルンは画面を分けた。


 生活記録を閉じる。


 参照7の記録だけを残す。


「並べないんだ」


「必要になるまでは」


「昨日までなら並べてた?」


「以前なら、比較のために並べたかもしれません」


「今は?」


「並べること自体が意味を作る場合があると知っています」


 主様は少し考え、頷いた。


     ◇


 八年目の三か月目。


 参照7の研究記録に、新しい文書が一件あった。


『反復構造評価基準・改訂案』


 ノルンの指が止まる。


 今朝見た言葉と似ている。


 だが、それだけで現在の反応とは結びつけない。


 文書を開く。


 目的は、外在側反応のうち、周期性や反復性を持つものを評価する基準の見直しだった。


 過去数年、参照7以外にも複数の低強度反応が蓄積され、単純に『似た形が繰り返された』だけでは能動性を高く評価しすぎる危険があると指摘されている。


『反復は意図を意味しない。』


『周期性は言語性を意味しない。』


『複数回の類似変動は、同一主体を意味しない。』


 太字で三行。


 主様が声に出さず読んだあと、ノルンを見る。


「今朝と同じ?」


「原則としては参考になります」


「じゃあ今の反応も?」


「『反復候補があるから意図的とは言えない』という考え方は適用できます。ただし、この文書が現在の反応そのものを説明するわけではありません」


「うん」


 さらに読む。


 改訂理由の一つに、参照7のA系列が挙げられていた。


 一定間隔に近い反応が増えたことで能動性評価は上昇したが、その評価が一部の内部報告で、


『何者かが繰り返し接触を試みている』


 と要約され始めている。


 研究担当は、その表現を問題視していた。


『「能動反応可能性上昇」と「接触試行」は同義ではない。』


『能動性が存在すると仮定しても、反応目的は不明である。』


『探索、呼びかけ、自己識別、位置確認、周期動作等の各仮説に優先順位を与える根拠は不足。』


 ノルンは少し姿勢を正した。


「何かあった?」


 主様が聞く。


「まだ結論ではありません」


 次の記録。


 内部報告で問題となった文章が添付されている。


『参照7は継続的に接触を試みている可能性がある。』


 原研究では『能動的信号である可能性が前年より上昇』だった。


 それが、内部報告では『接触を試みている可能性』へ変わっている。


 完全な断定ではない。


 『可能性』も残っている。


 だが、何をしている可能性なのかが一段具体化していた。


「これ」


 主様も気づいた。


「前より進んでる?」


「証拠が増えたという意味ではありません」


「言葉が進んだ?」


 ノルンは画面を見た。


「そう読めます」


 研究担当からの修正意見も残っている。


『原資料に「接触試行」の機能同定なし。表現を「能動反応可能性」に戻すこと。』


 その下。


『修正済み。』


「戻した」


 主様が言う。


「はい」


「じゃあ大丈夫?」


「この文書では」


「この文書では?」


「修正前の表現を読んだ人が他にもいる可能性はあります」


 誰かが悪意を持って改竄したわけではない。


 分かりやすくしようとしたのかもしれない。


 『能動反応』では伝わりにくい。


 『接触を試みている』なら理解しやすい。


 しかし、理解しやすさのために足された意味は、原資料には存在していない。


 ノルンは文書の作成日と閲覧履歴を確認する。


 閲覧者、十一名。


 研究担当。


 管理担当。


 教育資料担当が一名。


 その名前の横で、ノルンの視線が止まった。


「教育資料担当?」


「はい」


「前に名前みたいって質問された資料作ってたところ?」


「同じ部門ですが、同じ人物かは分かりません」


 主様はそれ以上結びつけなかった。


 ノルンも結論を出さない。


 ただ、記録へメモを残した。


『八年目初期、原研究の「能動反応可能性」が内部報告で一時的に「継続的な接触試行可能性」へ具体化。研究担当が根拠不足として修正。閲覧者に教育資料担当を含む。後世表現への影響は現時点で不明。』


 保存。


 ここで止める。


「続き読まないの?」


「今日はここまでにします」


「まだ時間あるよ」


「あります」


「気になる?」


「気になります」


「でも止める?」


「はい」


 主様はもう驚かなかった。


     ◇


 夕方。


 フローラからマリエへの手紙が発送された。


 今日中には届かない。


 返事がいつ来るかも分からない。


 フローラはそれを気にしながらも、何度も配送状況を尋ねることはしなかった。


 棚の木の鳥を一度見てから、別の本を開く。


 昨日の外出は終わった。


 けれど、友人関係まで昨日で終わったわけではない。


     ◇


 管理室では、セレナが帰る前に識別不能反応の表示案を提出した。


『低強度識別不能反応:2件』


『対象:不明』


『意味:不明』


『対応:通常監視継続』


 詳細を開けば、


『二件目に反復構造候補あり』


 と表示される。


「どうです?」


 セレナが尋ねる。


「分かりやすいと思います」


「『反復』を最初に出さない」


「はい」


「でも消さない」


「はい」


「じゃあ試験表示に回します」


「お願いします」


 主様が覗き込む。


「名前付けないの?」


「識別不能反応です」


「一号、二号とか」


「必要になれば参照番号は付けます。ただし、それは名前ではありません」


「今は?」


「二件しかありません」


「三件目が来たら?」


「件数だけで決めません」


「五件なら?」


「主様」


「はい」


「増えることを期待しないでください」


「期待してないよ。気になってるだけ」


 その言い方に、ノルンは少しだけ視線を止めた。


 気になる。


 だから次を待つ。


 その感情自体は悪くない。


 ただ、待っている側の気持ちが、観測対象へ意味を与え始めた時に問題が起きる。


「気になるのは構いません」


「うん」


「ただし、三件目が来ることを前提にしないでください」


「分かった」


     ◇


 終業時刻まで、三度目の通知は来なかった。


 ノルンは端末を閉じる。


 昨日なら、帰宅後も少し気になったかもしれない。


 今日は通知が来れば明日確認すればいいと思えた。


 管理室を出る。


 外はすでに薄暗い。


 雨はない。


 風も弱い。


 主様が隣を歩きながら言った。


「今日、八年目ちょっと進んだね」


「はい」


「参照7が接触しようとしてるって書いた人がいた」


「正確には、『可能性がある』と内部報告へ記載されました」


「でも直された」


「はい」


「後でまた出てくるかな」


「分かりません」


「教育の人も見てた」


「閲覧したことだけが確認されています」


「覚えてるかな」


「それも分かりません」


 主様は少し笑った。


「分からないことばっかり」


「だから調べています」


「でも全部今日調べない」


「はい」


「分かった」


     ◇


 その夜。


 午後十一時を過ぎても、新しい反応はなかった。


 午前零時。


 なし。


 午前一時。


 なし。


 昨日の二件だけなら、偶発的な揺らぎだった可能性も十分に残っている。


 自動監視は通常設定のまま動き続けた。


 誰も観測密度を上げていない。


 誰も特定の対象を探していない。


 誰にも通知していない。


 午前一時四十九分。


 監視線が一度だけ小さく揺れた。


 閾値未満。


 記録のみ。


 午前二時二十二分。


 もう一度。


 これも閾値未満。


 自動通知は出ない。


 そして午前二時三十一分。


 三度目。


 今度は閾値を僅かに超えた。


『低強度識別不能反応・3件目』


 継続時間、四・二秒。


 対象識別、不能。


 発生源、不能。


 既知接続反応との一致、未評価。


 内部には四つの変動。


 自動解析は、昨日と同じ表示を付けた。


『反復構造候補あり。』


 それだけなら、翌朝もノルンは同じ手順で確認しただろう。


 しかし数秒後、自動解析が追加処理を終える。


 二件目との比較。


 形状類似度。


 六十八パーセント。


 まだ高確度ではない。


 同一発生源を示す数字でもない。


 それでもシステムは、昨日までは存在しなかった一行を新たに生成した。


『複数事象間に共通反復構造候補を検出。』


 さらに、その下。


『対象関連領域の再評価を推奨。』


 赤い警告ではない。


 緊急通知でもない。


 誰かの声だとも、接続だとも、呼びかけだとも書かれていない。


 けれど翌朝、ノルンが管理室へ入った時。


 端末の右上には、昨日までなかった黄色の再評価表示が一つ、静かに灯っていた。

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