第39話 地下市場、偽物の王を引きずり出せ
王都の地下は、地上よりも湿っていて、地上よりもよく喋る。
新堂ユウトは、古い排水路を改造したらしい地下通路を歩きながら、そんな感想を持っていた。
石壁は黒ずみ、ところどころに古い水の跡が残っている。足元はぬめるほどではないが、乾ききってもいない。上から聞こえる王都の喧騒は、もう遠い。代わりにあるのは、かすかな水音と、人の気配を殺した気配だけだった。
「ほんとに地下まで来ることになるとはな……」
小声で言うと、すぐ前を歩くレティシアが振り返らずに答えた。
「嫌なら戻りますか」
「戻ったら終わらないだろ」
「そうですね」
今日は王都全域の一掃作戦を経て、ようやくたどり着いた**偽物の卸元に近い“地下市場”**への強襲だった。
ここに来ているのは、選抜に選抜を重ねた少数精鋭だ。
先頭はレティシア。
その横にユウト。
少し後ろにミリス。
さらにフィアナ。
もう片側にはセリーナ。
騎士団と学院風紀委員会と神殿と魔導院という、王都の面倒くさい全部盛りみたいな編成だ。
「この並び、いまだに変な感じするな」
ユウトが言うと、後ろからセリーナの声が返る。
「あなたがその中心です」
「そういう言い方をされると重いんだよ」
「事実です」
今日も風紀委員長はぶれない。
ミリスは手元の結晶板を見ながら言った。
「反応、増えてる。紙、香、疑似品、全部あるわ」
「全部あるの、ほんとに嫌だな」
「嫌でもここが本命よ」
フィアナは短く祈りを重ねながら、薄暗い空気の揺れを読んでいた。
「前、です」
「どのくらい」
「すぐ先。たぶん、広い場所」
やがて通路は少しずつ広がり、古い水路だった空間が、妙に人の手で整えられた市場跡へ変わっていった。
そこはひどい景色だった。
粗末な棚。
木箱。
仮設の机。
吊るされた布札。
並べられた偽物。
怪文書の束。
香油。紐。棒。祈祷文。偽札。上流向けと書かれた箱まである。
「うわあ……」
ユウトは思わず立ち止まった。
「全部ある」
「ええ」
ミリスの声が冷える。
「しかも保管じゃない。ここ、売り場兼、作業場ね」
その瞬間、地下市場のあちこちで人影が立ち上がった。
売人。
運び役。
紙束を抱えた者。
そしてその奥、少し高くなった石台の上に、見覚えのある細身の影。
「ようこそ」
低い声が響く。
「ずいぶん早く来たな、異邦人」
リグだった。
黒い外套。目立たない体つき。なのに、こうして灯りの下で見ると、逆に“目立たないこと”そのものを武器にしている人間だと分かる。
「待ってたのかよ」
ユウトが言うと、リグは笑った。
「少しはな」
「趣味悪いな」
「お前ほどではない」
「それ、まだ言うか」
レティシアが一歩前へ出る。
「王都への敵性工作、偽物流通、神殿汚染未遂、学院風紀攪乱。ここで終わらせます」
「終わるかどうかは、お前たち次第だ」
リグが指を鳴らす。
次の瞬間、地下市場の奥で箱がいくつも開き、中から疑似品と紙束が一斉に散らばった。
「くっ……!」
ミリスが舌打ちする。
「反応、一気に上がる!」
「祈祷文と疑似品を重ねるつもりです!」
フィアナが叫ぶ。
セリーナが即座に周囲を見回した。
「売人を抑える前に、市場全体が怪文書で埋まります!」
リグは石台の上で、楽しそうに口元を歪めた。
「お前たちが偽物を潰すほど、王都は“本物”を見たがる」
「だからってこんなもんばら撒くな!」
ユウトが怒鳴る。
リグは肩をすくめた。
「ではどうする? 全部回収するか? 全部説明するか? 王都じゅうへ、“本来の作法”とやらを否定して回るか?」
「それを否定するために来たんだよ!」
「遅い」
その声と同時に、何人かの売人が紙束をばらまこうと動いた。
「止める!」
レティシアが飛び込む。
騎士団も散開する。
セリーナは風紀委員会の二人へ合図し、紙束の回収と経路封鎖へ動く。
フィアナは祈りで床へ落ちた呪紙を浄化し始め、ミリスは疑似品の共鳴を読むため結晶板を叩いた。
地下市場が一気に戦場へ変わる。
「シンドウ!」
ミリスが叫ぶ。
「中核、あれ!」
彼女が指したのは、市場中央に積まれた三つの黒箱だった。
ただの保管箱ではない。箱同士に線が通り、疑似品と怪文書の“反応”を束ねている。
「結局、親玉っぽいのあるんだな!」
「あるから嫌なの!」
ユウトは黒布袋へ手を突っ込んだ。
ここまで来ると、もう躊躇している場合ではない。
「レティシア!」
「はい!」
「箱まで道、作って!」
「任せてください!」
レティシアが売人の前へ斬り込む。
剣そのものは致命傷を狙わない。だが、躊躇もない。肩、手首、足元。動きを止めるには十分だ。
セリーナも怒っていた。
「それ以上ばら撒くな!」
珍しく大声だった。
しかもその怒りが、かなり本気だ。
風紀委員の二人と連携し、紙束を持つ男へ迷いなく膝蹴りを入れる。学院の風紀委員長、だいぶ強い。
「委員長、そんな戦い方するんだな!」
「必要なので!」
今はそういう会話をしている場合ではないが、ちょっと驚いた。
フィアナは浄化に集中している。
祈りの光が、紙片に残る濁りを次々と消していく。
「これ以上、祈る場所を汚させません!」
昨夜までとは違う、はっきりした怒りがその声にあった。
そしてミリスが叫ぶ。
「今! 箱の波がそろった!」
ユウトは走った。
もう恥ずかしいとかどうとか言ってる場合じゃない。
地下市場の中央へ飛び込み、黒箱のひとつへ本体を突き出す。
ぶぉん、と低い振動が走る。
箱の表面に刻まれた粗い紋がひび割れた。
続けざまに二つ目。三つ目。
ばき、と嫌な音を立てて、箱の内側から組まれていた偽の共鳴回路が崩れる。
「よし!」
ミリスが叫ぶ。
「連動、切れた!」
「つまり?」
「偽物の一斉“それっぽさ”演出が死んだ!」
「その言い方やめろ!」
だが効果は大きかった。
市場のあちこちに漂っていた薄い香りや熱感、微妙な空気のざわつきが一気に弱まる。
“効く気がする”ための舞台装置が壊れたのだ。
リグの目が、そこで初めて少しだけ細くなった。
「なるほど」
「なにが」
「やはり面倒だな、それは」
「お前が一番面倒なんだよ!」
ユウトは本気で言い返した。
リグは笑った。
「なら、もっと面倒なものを見せてやる」
そう言って、彼は石台の後ろへ手を伸ばした。
取り出されたのは、これまでの疑似品とは明らかに違う一本だった。
黒。
細長い。
装飾は薄い。
しかし嫌になるほど“似せよう”としている。
「……っ」
ユウトの背筋が冷えた。
「それ、出すかよ」
「お前が一番嫌う形にしてやった」
リグがそれを掲げる。
「王都の人間は、形から入る」
「黙れ」
「だから形だけ似せれば、あとは勝手に意味を埋める」
「黙れって!」
「そしてお前は、その“意味を埋められること”に一番弱い」
その一言で、地下市場の音が一瞬だけ遠くなった気がした。
たしかにそうだ。
ずっとそうだった。
神器扱いよりも、“日常の変な方向”へ意味を埋められる方がきつい。
でも。
「……だから何だよ」
自分でも驚くほど、声は低かった。
リグが止まる。
「何?」
「お前にそこまで分かった顔されるの、もう飽きた」
ユウトはゆっくり前へ出る。
「偽物作って、噂流して、王都に勝手な意味を埋めさせて、俺の嫌がる顔見て笑って」
腹の底が熱かった。
「それ、ずっとやってるけど、もういいよ」
リグの笑みが、ほんの少しだけ浅くなる。
「ほう」
「次はこっちが、お前の嫌がることやる番だ」
「何をする」
「偽物ごと、お前の舞台を全部壊す」
その言葉が、思ったより自然に出た。
レティシアが少しだけ目を見開き、すぐに笑うでもなくうなずいた。
「いい顔です」
「今そういうのいらない!」
でも、その一言で少しだけ背中が軽くなった。
リグが短杖を振るう。
偽の細棒がわずかに唸る。
周囲に残っていた紙片がまた舞い上がろうとした。
「ミリス!」
「分かってる!」
ミリスが圧縮風を放ち、紙片の軌道を乱す。
セリーナがその隙に回収へ飛び込み、フィアナが祈りで残滓を払う。
レティシアは迷わず、リグ本人へ斬り込んだ。
「終わりです!」
「終わるか!」
金属音。
短杖と剣がぶつかる。
リグは体格差のわりに粘るが、まともな剣士ではない。押される。
「シンドウ!」
レティシアの声。
「今!」
ユウトは黒布袋から近接寄りの付属品を引き抜いた。
自分でもまだ慣れない感触。
だがもう、見た目のことを気にしている場合じゃない。
カチリ、と装着。
振動の質が変わる。
「……っ」
リグの顔が、初めてはっきり歪んだ。
「それは、本当に嫌だな」
「知るか!」
ユウトは踏み込んだ。
近接型の先端を、リグの偽杖へ叩き込む。
ぶる、と杖全体が震え、表面に刻まれた模造紋が一気に崩れた。
ぱきん。
乾いた音とともに、偽杖が真ん中から折れる。
「なっ……!」
リグの目に、初めてはっきりした動揺が浮かぶ。
「だから言っただろ」
ユウトは息を荒げながら言った。
「偽物に、俺の恥まで乗せるな」
その瞬間、レティシアの剣の柄がリグの脇腹へ叩き込まれた。
鈍い音。
体勢が崩れる。
セリーナが横から足元を払う。
フィアナの祈りが床に落ちた呪紙を完全に浄化し、ミリスが最後の疑似共鳴箱を壊す。
地下市場の空気が、一気に静かになった。
リグは膝をつきかけたが、そのままわずかに身をひねった。
「捕まると思ったか」
その声と同時に、彼の指が床へ何かを落とす。
「またか!」
ユウトが叫ぶ。
今度は煙ではなかった。
黒い粉が一気に散り、床一面へ細かな闇の膜を作る。
「呪遮!」
ミリスが叫ぶ。
「目くらましじゃなく、追跡妨害!」
レティシアが飛び込む。
だがその一拍の遅れで、リグの姿は壁際の細い排水路へ滑り込むように消えた。
「くそっ!」
レティシアの声が低く響く。
だが追うには狭すぎる。罠の可能性も高い。
「追わないでください!」
フィアナが叫ぶ。
「まだ床に残ってます!」
それが正しかった。
残った黒粉を無視して踏み込めば、こちらも足を取られる。
レティシアは歯を食いしばったが、すぐに剣を引いた。
「……撤退経路だけでも封じます」
「私は帳簿と版下を回収する」
ミリスはすでに次へ切り替えている。
セリーナも荒い息を整えながら、押収物を確認した。
「逃げられましたが、ここは押さえられました」
「うん……」
ユウトも、やっと大きく息を吐く。
勝ち切れたわけではない。
でも、負けでもない。
リグの舞台は壊した。
地下市場も押さえた。
帳簿も、疑似品も、怪文書の版下も、かなりの量が残っている。
「……しぶといな、あいつ」
ユウトが言うと、ミリスが肩をすくめる。
「諜報屋だもの。正面で捕まる方が変よ」
「でも」
フィアナが、小さく、それでもはっきりと言った。
「今日は、ちゃんと止められたと思います」
その言葉に、地下市場の空気が少しだけやわらいだ。
レティシアも頷く。
「ええ。王都の中枢に食い込む前に、かなり潰せました」
「次は、地上ですね」
セリーナが言う。
「この規模の地下流通があった以上、王都全体へ正式に示す必要があります」
「うわ」
ユウトは顔をしかめた。
「その流れ、すごく嫌な予感するんだけど」
ミリスが即答する。
「当たってると思う」
◇
翌朝。
王宮、神殿、学院、騎士団、商会連盟へ一斉に地下市場摘発の報が届いた。
押収品多数。
魔王軍系呪紙確認。
流通帳簿、怪文書版下、大量の偽物と疑似品を回収。
それは、王都にとって十分すぎるほど大きな成果だった。
だが同時に、それは次の段階を意味していた。
“王都の前で、偽物と本物の決着をつける必要がある”
王宮の会議室で、その報せを受けたセレスティアは、小さく扇を閉じた。
「では、やるしかないわね」
その笑みは、少しだけ鋭かった。
◇
その日の夕方、騎士団本部に戻ったユウトは、椅子へ腰を落としながら心の底から言った。
「……あと一回で、全部終わるのか?」
レティシアが静かに答える。
「終わらせます」
その一言に、少しだけ救われる。




