第38話 王都ぜんぶで偽物を潰す
王都の朝は、いつだって少しだけ騒がしい。
荷車の軋む音。
店を開ける木戸の音。
焼きたてのパンの匂い。
遠くで鳴る鐘。
誰かのあくび混じりの挨拶。
本来なら、それは嫌いな音ではない。むしろ、ここがちゃんと人の街なんだと感じられる、落ち着く種類の騒がしさだ。
けれど、その朝の騎士団本部は、いつもの王都の騒がしさに、もう一段別の緊張が重なっていた。
「……大げさだなあ」
新堂ユウトは、中庭にずらりと並んだ人影を見て、率直にそう思った。
騎士団の小隊。
王宮文官。
魔導院の研究員。
神殿の神官と修道女。
学院風紀委員会の腕章をつけた生徒たち。
さらに、その少し外側には、王都商会連盟から来たらしい商人たちまでいる。
朝の光の下でそれだけ並ばれると、もはや「作戦」というより「王都の半分が集まってる」みたいな圧がある。
「なんか、もう引き返したい」
ユウトがぼそっと言うと、隣に立つレティシアが落ち着いた声で返した。
「引き返せません」
「知ってる」
銀青の騎士服をきっちり着込んだレティシアは、今日もいつも通り真っ直ぐだった。
でもその横顔には、ただの護衛というより、完全に“今日の任務を通す責任者の一人”という硬さがある。
昨夜、王宮から正式に通達が出た。
王都全域偽物一掃作戦、前倒し実施。
神殿で事故が起きた以上、もう待てない。
市場、学院、神殿、宿場、全部へ一斉に手を入れる。
それが、王宮の判断だった。
「……で、俺は何枠なの」
ユウトが聞くと、少し離れた位置にいたミリスが即答した。
「現物判定と、例の本物」
「“例の本物”って言い方やめてくれない?」
「他に何て呼ぶの」
「そこを考えるのがそっちの仕事だろ」
ミリスは肩をすくめた。
今日は魔導院の正装に近いローブ姿だが、表情はいつも以上に鋭い。押収品の帳簿を確認している手つきも、妙に早い。
たぶんこの人もこの人で、かなり気合が入っているのだろう。
神殿側の列では、フィアナがこちらに気づいて小さく会釈をした。
昨夜泣いた顔はもう消えていたが、その代わり今日は、やわらかいだけではない引き締まった目をしている。
逃げない、と言った時の顔のままだ。
学院側にはセリーナもいた。
腕章つきの制服を一分の乱れなく着て、書類を抱えて立っている。
今日の彼女は“風紀委員長”というより、“学院代表”の顔だった。
そして。
「おはようございますわ」
軽やかな声に、ユウトは振り向く前から嫌そうな顔になった。
「なんでいるんだよ」
赤茶の巻き髪。上等なドレス。朝から完璧に商会令嬢らしい笑み。
ベルナデッタ・フロウである。
「商会連盟代表ですもの」
「その代表、選出ミスでは?」
「いいえ、大正解ですわ」
彼女はにこやかに言った。
「偽物は市場の敵です。潰せるなら、商人としてこれ以上楽しい朝もありません」
「楽しいのか……」
「ええ」
そこは実にぶれない。
◇
中庭中央の簡易壇上へ、王宮文官が進み出た。
「これより、王都全域を対象とした偽物整流具・偽怪文書・関連違法流通物の一斉回収作戦を開始する」
周囲の空気が、ぴんと張る。
「本作戦は、王宮、騎士団、神殿、魔導院、学院、商会連盟が共同して行う」
昨日までなら、こんな顔合わせはたぶんなかった。
でも今は違う。
学院の風紀が揺れ、神殿の善意が踏まれ、市場に偽物が流れ、王宮の統治まで煽られ始めている。
ここまで来ると、全員が“自分の領分だけ守っていればいい”では済まないのだ。
「各隊は担当区画へ分かれ、押収・記録・流通経路の追跡を行う」
文官の声は、いつもより硬い。
「なお、王都において“本物”として管理される異邦由来の特別兵装は一件のみであり、その他はすべて偽物・模造品・無関係品である。この認識を各現場で徹底せよ」
そこだけ、少しだけ空気が揺れた。
ユウトは何も言わなかったが、たぶん視線は集まっていた。
最近は、もうそれだけで疲れる。
「では散開を」
その一言で、中庭が一斉に動き始める。
騎士団は区画ごとに分かれ、学院側は腕章の位置を確認し合い、神殿側は回収後の浄化手順を確認、魔導院は危険物収納箱を積み込み、商会連盟は流通帳簿を持った担当者を前へ出す。
完全に“王都じゅうを一度に洗う”動きだった。
「……すごいな」
ユウトが思わず言うと、レティシアが頷いた。
「本気です」
「それは分かる」
「そして、これでもまだ足りないかもしれません」
「そこで不安を足すなよ」
だが、足りないかもしれない、という感覚は、ユウトにもあった。
リグはたぶん、こういう動きを予想している。
なら、その上で次の手を打ってくるはずだ。
「シンドウ・ユウト殿」
セリーナが近づいてきた。
「はい」
「学院側は北棟から図書塔、静室、周辺購買まで回ります」
「おう」
「あなたには午後、学院で押収品の最終確認をお願いする予定です」
「やっぱりそうなるか」
「必要です」
きっぱり言う。
「生徒の前には出しません」
「それは助かる」
「ただし、教師陣には説明していただきます」
「それはあんまり助からないな」
セリーナはほんの少しだけ、口元をゆるめたように見えた。
「我慢してください」
「はい……」
その返事が、我ながら情けなかった。
◇
午前中の担当は、王都南区と西区画の合同確認だった。
騎士団、魔導院、神殿、商会連盟の混成組。
つまり、ひとことで言えばかなり濃い。
南区の生活市場では、もうすでに一斉摘発の知らせが回っていたのか、店主たちの顔がこわばっていた。
昨日まで平然と並んでいた“整流棒”や“夜整え具”の札が、朝のうちに慌てて下ろされた形跡もある。
「反応が早いな」
ユウトが言うと、ベルナデッタが横で楽しそうに答える。
「商人は、潰されると分かれば動きますわ」
「その割に、まだ店の奥に隠してるやついるだろ」
「ええ。だから回収しに来たのでしょう?」
それはそうだ。
レティシアが先頭に立ち、店を一軒ずつ見ていく。
騎士団が表を押さえ、魔導院が魔導反応を見て、神殿が祈祷文や札の偽装を確認し、商会連盟が帳簿と仕入れ先を詰める。
効率がいい。
ものすごく効率がいい。
そしてだからこそ、ユウトの仕事が妙に浮いていた。
「これ、必要か?」
手に取らされたのは、黒く塗っただけの棒だ。
「必要です」
レティシアが言う。
「なぜ」
「現場で“これは本物と関係ない”と明言できる人間がいるだけで、相手の言い逃れが減ります」
「便利な使われ方してるなあ」
「はい」
そこも否定しない。
店主の一人が、青ざめた顔で訴える。
「わ、私はただ“肩用”として売っていただけで――」
「その札に“王都で話題の整流”と書いてある」
ベルナデッタがにこやかに指摘した。
「それはもう、ただの肩用ではありませんわね」
商会令嬢に笑顔で詰められるの、だいぶ怖いなとユウトは思った。
フィアナは、押収された祈祷札を一枚ずつ分けながら、以前よりずっと迷いがなかった。
「これ、神殿の文ではないです」
「断言できるようになったな」
ユウトが言うと、フィアナは少しだけこちらを見た。
「前は、“似てるかも”って迷ってたんです」
「うん」
「でも今は、似てるふりをしてるだけって分かります」
それは彼女なりの前進なのだろう。
◇
午後に入ると、王都の空気はじわじわ変わり始めた。
摘発が目に見える形で進んだからだ。
市場から商品が消える。
怪文書が剥がされる。
怪しい店に騎士団が入る。
学院では風紀委員が箱を抱えて走り、神殿では正式通達が張り出される。
王都の民衆は、当然ざわつく。
「あれ、全部偽物だったのか」
「でも本物は本物であるんだろ?」
「じゃあ、やっぱり効果は……」
「王宮が本気で回収するってことは、相当なのね」
「そこなんだよな……」
南区の石畳を歩きながら、ユウトは呻いた。
「偽物を潰すほど、“本物ってやっぱりすごいんだ”になる気がする」
「なりますわね」
ベルナデッタがあっさり言う。
「そこ、もうちょっと気を遣えない?」
「事実ですもの」
ほんとうにこの令嬢はぶれない。
「でも、それでも偽物を放置するよりはずっといいですわ」
「うん、それもそう」
「ですから、いまは市場を洗うしかありません」
彼女は商会側担当へ次々と指示を出していた。
「その帳簿、北通りの問屋にも回して」
「“整流”と書かれた札は全部回収」
「香油系は別箱で。あと、うちの名に似せた刻印があれば優先確認」
その働きぶりを見ていると、たしかに頼もしい。
頼もしいのだが、これがあの“女性市場に革命を”と言っていた人間と同一人物なのがいまだに信じがたい。
「……ベルナデッタ」
「はい?」
「お前、敵なのか味方なのか分かりづらいな」
ベルナデッタはちらりとこちらを見て、少しだけ楽しそうに笑った。
「市場にとって有益な方へ動くだけですわ」
「つまり、その時々ってことか」
「そうとも言います」
「怖いなあ」
「でも今日は味方でしょう?」
それは否定しづらかった。
◇
西区画の裏通りでは、また別の騒ぎが起きていた。
白布で隠した小店から、いくつもの箱が運び出されている。
その中には、疑似品だけではなく、帳簿や怪文書の版下らしきものまで混じっていた。
ミリスが、箱のひとつを開いて顔をしかめる。
「……雑」
「何が」
「魔導加工のやり方」
彼女は中から一つ取り出した。黒木の短棒。銀線。薄い布巻き。相変わらず、いかにも嫌な感じの形だ。
「これ、前よりひどい。量産急いだのね」
「じゃあ、追い込めてるのか」
「そう考えていいと思う」
その時だった。
少し離れた通りの角から、誰かが大声を張り上げた。
「待てよ!」
全員の視線がそちらへ向く。
若い男だ。
学院生ではない。旅装のままの、たぶん一般の市民。だが顔が紅潮している。
「なんでそんなに回収するんだ!」
空気が少しざわつく。
まずい、と思った。
こういう声は、いまの王都でいちばん広がりやすい。
「偽物だからです」
レティシアが即答した。
「危険性も確認されています」
「でも本物はあるんだろ!」
男はさらに言う。
「上の人間だけが知ってて、俺らには偽物だの危険だのって、そうやって遠ざけるのかよ!」
来た。
リグの次の火種。
独占の空気だ。
周囲の通行人も足を止め始める。
ここでしくじれば、一掃作戦そのものが“本物を隠す側の圧力”みたいに見えかねない。
ユウトは心臓が嫌な音を立てるのを感じた。
だが、黙っていたらもっとまずい。
「違う」
気づけば、声が出ていた。
男も、通行人たちもこちらを見る。
まただ。
また人前だ。
嫌だ。
でも、ここで引いたら終わる。
「偽物が危ないから止めてるだけだ」
ユウトは、できるだけまっすぐ言う。
「じゃあ本物は何なんだよ!」
「本物も、勝手に使っていいもんじゃない」
「なんでだよ!」
そこは、うまく言えない。
全部を言えるはずがない。
でも、いまはそこじゃない。
「少なくとも、“偽物で代わりになる”なんて思うな」
低く言った。
「それで誰かが気分悪くなって、神殿が汚れて、学院がめちゃくちゃになってる」
その言葉に、男の顔が少し揺れる。
「……神殿の件って、ほんとだったのか」
「本当だよ」
フィアナが一歩前へ出た。
「だから、止めてるんです」
その一言が効いたのか、男は言葉を失った。
周囲のざわめきも、少しだけ温度が変わる。
「危ないからか……」
「じゃあ本当に効くからじゃなくて?」
「いや、本物と偽物は別なんだろう」
完全ではない。
でも、少なくとも“独占しているだけだ”の空気は少し薄れた。
レティシアが静かに息を吐く。
「助かりました」
「助かったのは俺の方だよ」
足が少しだけ震えていた。
◇
日が傾く頃には、王都のあちこちで箱が積み上がっていた。
粗悪な模造品。
疑似品。
怪文書。
偽の祈祷文。
偽札。
怪しい香油。
王都全域から回収された“そういうもの”の山だ。
「……すごい量だな」
最後に集積所となった騎士団の臨時倉庫で、ユウトは本気でそう思った。
「ええ」
ミリスが帳簿を閉じる。
「これでも氷山の一角かも」
「まだあるのか」
「あるでしょうね」
セリーナも学院側から合流していた。
今日の彼女は、さすがに少し疲れているように見えたが、背筋は変わらずまっすぐだ。
「学院内もだいぶ拾いました」
「どうだった」
「持ち込みは減ると思います」
彼女は短く言う。
「ただし、噂は別です」
「だよなあ……」
フィアナも頷く。
「神殿も同じです。ものは回収できても、“本当に全部偽物なのか”って不安や期待は残ります」
そこへ、ベルナデッタが帳簿を片手に近づいてきた。
「でも市場の流れはだいぶ切れましたわ」
「商会側はどうなんだ」
「かなり協力的です」
彼女はにっこり笑う。
「偽物が市場を荒らすのは、まともな商人にとっても迷惑ですもの」
「今日は珍しく全面的に正しいな」
「今日は、ですの?」
「そこは気にしなくていい」
そんなやり取りの最中、騎士団の伝令が駆け込んできた。
「報告!」
全員の視線が集まる。
「北側の路地で、怪文書の新規散布を確認! 文面は――」
そこで伝令は息を整え、手元の紙を読む。
《偽物を潰すほど、本物は遠ざかる》
《恩恵を独占する者たち》
《次は“本物の証明”を求めよ》
「来たな……」
ユウトが低く呟く。
止めても止めても、その先を打ってくる。
回収が進むほど、“本物を持つ側”への不信へ寄せてくる。
レティシアが静かに言う。
「やはり、ここで終わらせるつもりはありませんね」
「ええ」
セリーナが頷く。
「次は“証明”を軸に、もっと大きく煽るつもりでしょう」
ミリスが、積み上がった押収箱の山を見上げた。
「だったら、こっちも次へ進むしかないわね」
「次って何」
ユウトが聞くと、レティシアとセリーナとミリスが、ほぼ同時にこちらを見た。
「大元を叩きます」
「地下流通まで踏み込みます」
「偽物の中枢を潰す」
「やっぱりそうなるかあ……」
疲れているはずなのに、なぜか少しだけ腹の底が熱かった。
偽物を回収して終わりではない。
怪文書を剥がして終わりでもない。
リグはまだいる。
王都をこのまま嗤わせてはおけない。
「……じゃあ、次はもっと奥まで行くんだな」
ユウトが言うと、レティシアが小さく頷いた。
「はい」
「嫌だけど」
「ええ」
「でも、ここまでやったなら最後まで付き合うよ」
その言葉に、フィアナが少しだけ目を丸くし、セリーナは静かに息を吐いた。
ミリスは口元だけで笑う。
「ようやく、って感じね」
「うるさい」
でも、たしかにそうだった。
恥ずかしい。
嫌だ。
面倒だ。
それでも、偽物と噂に好き勝手されて終わるのは、もっと嫌だ。
夕暮れの倉庫の中、積み上がった偽物の箱の向こうで、王都の空が赤く染まっていた。




