第24話 事故から生まれる“奇跡”
王都の朝は、なぜいつもこうも話が早いのか。
新堂ユウトは、騎士団本部の客室で身支度を整えながら、心の底からそう思っていた。
昨夜、神殿内の小礼拝室で行われた“確認会”は、表向きには極秘のはずだった。
人数も絞った。
肩だけに限定した。
レティシアが厳しく監督した。
にもかかわらず、朝になったらもう王宮から急使が来ていたのである。
内容はこうだ。
「本日午後、王宮管理下での小規模説明会を開く可能性があるので待機せよ」
「可能性、って言い方がもう嫌だな……」
ユウトがぼそりと呟くと、部屋の向こうでレティシアが淡々と答えた。
「王都ではすでに、“神殿内で実証があったらしい”という形で噂が走っています」
「ほらあ」
「完全に広がる前に、王宮側で制御したいのでしょう」
「その“制御”に俺を使うのがつらいんだって」
だが、王宮としては当然そう考えるだろう。
ベルナデッタのような商人が勝手に“高級癒やし聖具”扱いし、学院が風紀案件として騒ぎ、神殿が善意で乗り、魔導院が事実確認を進める。そんな状況を放っておけば、王都の噂はもうどうにもならない。
だから王宮が、「ここまでが事実で、ここからは誤解です」と整理したがる。
理屈は分かる。
分かるが、そういう場に立たされるこっちの身にもなってほしい。
「……で、今日は何やるの」
ユウトが聞くと、レティシアは短く答える。
「現時点では、あくまで“準備”です」
「その準備が怖いんだよなあ……」
まったくその通りだった。
◇
会場候補に選ばれたのは、王都大聖堂の付属施設にある中庭だった。
本殿のように大げさではない。だが、神殿関係者、王宮関係者、騎士団、魔導院が集まりやすく、しかも少数の見学者なら入れられる。
つまり、説明会だの確認会だのをやるには、実にちょうどいい場所だった。
「ちょうどよすぎるんだよ……」
中庭へ入った瞬間、ユウトは嫌そうな顔になる。
すでに場は半分くらい整っていた。
長椅子。
簡易天幕。
王宮の文官。
神殿の修道女たち。
魔導院の記録係。
そして、にこやかに全体を見回している第二王女セレスティア。
「ようこそ、シンドウ・ユウト」
「来たくて来たわけじゃないです」
「でしょうね」
王女はそれをまったく気にした様子もなく笑う。
「でも来た」
「来ないともっと面倒になるので」
「正しい判断よ」
もう、この王女に関しては、そういうところをいちいち言っても無駄だと分かっている。
そのすぐ近くにはミリスもいた。腕を組み、机の上に並べられた資料と測定具を睨んでいる。
さらに、反対側にはフィアナ。
そこへ加えて、見たくなかった顔まであった。
「お待ちしておりましたわ」
「やっぱりいた!」
ベルナデッタ・フロウである。
赤茶の巻き髪、高級感のあるドレス、今日もきらきらした商人の目。
しかもなぜか、彼女の後ろには上品な布をかけた台や、座り心地のよさそうな椅子まで持ち込まれている。
「なんで家具まであるんだよ」
「場が整っていた方が、皆さま安心なさるでしょう?」
「そういう意味じゃない!」
ベルナデッタはにっこり笑った。
「もちろん、今日はあくまで“王宮管理下の説明会準備”ですもの。商会としては、空間づくりの協力だけですわ」
「協力の時点でいやなんだよなあ……」
そして、さらにもう一人。
中庭の入口側から、王立学院の制服が見えた。
「やっぱり来た」
セリーナ・ローゼンベルク。王立学院風紀委員長。
栗色の髪を高く結い、今日も隙のない眼差しでこちらを見ている。しかも風紀委員の腕章まできっちりつけていた。やる気がすごい。
「学院側の立ち会い要請がありましたので」
彼女は淡々と言う。
「この件が学院内風紀に直結している以上、見過ごせません」
「うん、それはそうなんだけど、だんだん関係者が増えすぎてない?」
ユウトの問いに、レティシアが小さく答える。
「増えています」
「否定してくれよ」
「否定できません」
こうして見ると、ひとつの噂が王都のあらゆる組織をつないでしまっているのが分かる。
王宮。
神殿。
魔導院。
学院。
商会。
騎士団。
そしてその中心に、自分と黒布袋。
「……ほんとに嫌だな」
ユウトが本音を漏らした、その時だった。
◇
「では、始めましょうか」
セレスティアがそう言って、王宮文官へ目配せした瞬間。
「中止です」
ぴしゃり、と空気を切ったのはセリーナだった。
中庭のざわめきが、一瞬で止まる。
「はい?」
セレスティアが珍しく聞き返す。
セリーナは一歩前へ出た。
「この場の趣旨は、“兵装に関する正しい理解の整理”と聞いていました」
「その通りよ」
「ですが現状、神殿側の奉仕担当、商会側の準備物、見学希望者の導線、全部が“説明会”ではなく“体験会”寄りです」
鋭い。
ユウトは思わず心の中で頷いた。
たしかにそうだった。
王宮は言葉を整えたつもりでも、場の空気としては明らかに“試す”方向へ寄っている。
椅子の配置、見学位置、待機している修道女の数。全部がそれを物語っていた。
ベルナデッタが扇を揺らしながら、やわらかく口を挟む。
「誤解ですわ。わたくしどもは快適な場を――」
「あなたの快適は信用なりません」
セリーナが即答した。
ユウトはちょっとだけ感動した。
思ったより頼もしいぞ、この風紀委員長。
ミリスもすぐに口を開く。
「私も学院側の指摘に同意」
「え、ミリスまで?」
「今日は説明だけのはずだったのに、現場の配置がすでに“確認会その二”になりかけてる」
フィアナが少し困ったように両手を胸の前で合わせる。
「で、でも、もしほんの少しだけなら……」
「そこです」
セリーナがフィアナを見る。
「その“ほんの少しだけ”が、学院に模造品を流入させる温床になります」
フィアナは口をつぐんだ。
レティシアも静かに続ける。
「私も中止に賛成です」
セレスティアが、ふう、と息をついた。
怒っているわけではない。むしろ少し面白がっているような顔だ。
「なるほど」
「殿下」
「ええ、分かっているわ」
王女は肩をすくめる。
「“説明”の場を作るつもりが、場の空気が勝手に“試供”へ寄ってしまった、ということね」
「試供って言った!」
ユウトが叫ぶ。
「言ってないようで言ってるだろそれ!」
「でも実際そうなりかけていたでしょう?」
セレスティアにそう言われると、誰も否定できなかった。
沈黙。
やがて王女は扇を閉じ、あっさりと言った。
「では本日は中止」
ざわ、と場が揺れる。
神殿側は残念そう。
ベルナデッタは明らかに惜しそう。
フィアナは複雑そう。
ユウトだけが、心の底からほっとした。
「よかった……!」
「よかったですね」
レティシアが静かに言う。
「うん、本当に」
これで帰れる。
今日は帰って、何もせずに、静かに、もう何も起きずに終わる――
そう思った瞬間だった。
◇
「失礼します、お嬢様!」
中庭の入口から、神殿の若い奉仕係が慌てて駆け込んできた。
腕に、古い木箱を抱えている。
「寄進庫から運ぶ途中で、箱が――」
その言葉の途中で、ぐらり、と木箱が傾いた。
「危ない!」
誰かが叫ぶ。
箱が石畳へ落ちる。
蓋が外れ、中に入っていた古い装飾品がいくつか転がり出た。
銀の燭台。
小さな祈祷札。
そして、黒ずんだ金属の首飾り。
その首飾りだけが、床へ落ちた瞬間に嫌な気配を放った。
「っ!」
ミリスが反応する。
「呪い付き!」
フィアナも目を見開いた。
「これ、だめなやつです!」
首飾りの周囲から、じわり、と黒い靄が広がる。大した規模ではない。だが、だからこそ厄介だ。古い寄進品に紛れた呪物の類なのだろう。
レティシアが前へ出ようとした、その瞬間。
ユウトは反射で黒布袋を抱え直していた。
いや、本当にただの反射だった。
落ちた首飾りを踏まれたらまずい、そう思って、袋を持ち直しただけ。
だが、その拍子に中の本体が少しだけずれ、側面のスイッチが押し込まれた。
ぶ……ぉん。
「え?」
弱い振動音が鳴る。
広域寄りの付属品はついていない。標準型だ。
出力も落ちている。
なのに、その振動が首飾りへ触れた瞬間、黒い靄がぶるりと震えた。
首飾り全体に細かなひびが走る。
次の瞬間、ぱら、と表面の黒ずみが剥がれ落ち、内側から本来の銀色が露出した。
「……え」
中庭が静まり返る。
フィアナが一番最初に息を呑んだ。
「浄化、しました……」
「事故だからね!?」
ユウトが半泣きで叫ぶ。
「いまの完全に事故だから!」
ミリスはすでにしゃがみ込み、首飾りを観察していた。
「呪詛の定着層だけが剥がれてる……核ごと砕いてない、でも汚染が抜けてる」
「そこをそんなに楽しそうに分析するな!」
セレスティアですら、さすがに少し目を丸くしていた。
「これはまた……」
その王女の呟きが終わる前に、もう一つの事故が起きた。
◇
「おおっと!」
今度は、入口側で護衛をしていた老騎士が、倒れかけた木箱を支えようとして腰をひねったのだ。
年のころは五十代後半だろうか。筋肉質だが、明らかに無理が効く年齢ではない。
「ぐっ……!」
腰を押さえる。
周囲が慌てる。
「大丈夫ですか」
「すぐに支えを」
「無理をなさらず!」
ユウトも思わずそちらを見た。
見ただけだった。
だが、本体はまだわずかに起動したまま、彼の手の中にある。
老騎士が身を起こそうとした、その時。
振動の余波が、ほんの少しだけ届いた。
「っ……」
老騎士の肩が揺れる。
彼は一瞬、不思議そうな顔をして腰に手を当て、それからゆっくり伸び上がった。
「……おお」
嫌な予感。
とても嫌な予感。
「少し、楽だ」
中庭の空気が、完全に止まった。
「言うなあああああ!」
ユウトの悲鳴が響く。
しかし、遅かった。
老騎士本人に悪気はない。
本当に、率直な感想が出ただけなのだろう。
だが、その一言は致命的だった。
首飾りの浄化。
そして腰を痛めた老騎士の「少し楽だ」。
偶然。
事故。
たまたま。
全部そうだ。
だが、目の前でそれを見た人間にとって、そんな説明に意味はない。
フィアナは両手を胸の前で握りしめている。
ベルナデッタは扇の陰で、すごく悪い笑みをしている。
ミリスはもう完全に解析モードだ。
セレスティアは、静かに、しかしとても楽しそうに状況を見ている。
「……最悪だ」
ユウトは心の底からそう思った。
レティシアだけが即座に前へ出る。
「本日の件は、事故です」
ぴしゃり、とした声。
「意図的な実演ではありません」
「もちろんですわ」
ベルナデッタがにこやかに言う。
「ただ、事故であるにもかかわらず、結果は出た――というだけです」
「その言い方をするな!」
セレスティアも小さく頷いた。
「ええ、たしかに“説明会は中止”だったけれど」
やめてくれ。
「準備中の事故としては、あまりにも象徴的ね」
「だからやめてくださいって!」
フィアナは半分うっとり、半分心配そうに呟く。
「やっぱり、癒やしの側面も……」
「だからその言い方を今ここでするな!」
セリーナだけは、本気で頭痛をこらえる顔をしていた。
「……最悪です」
「分かる!」
初めて学院風紀委員長と完全に気持ちが一致した気がした。
◇
案の定、その日の夕方には王都じゅうに話が広がっていた。
説明会は中止になった。
だが中止前の準備中に、古い呪いの首飾りが浄化された。
しかも腰を痛めた老騎士が“少し楽になった”と言った。
人の口にかかれば、それはこう変わる。
「やはり癒やしの聖具でもある」
騎士団本部へ戻ったユウトは、椅子に沈み込みながら天井を見上げた。
「最悪の実績が積まれた……」
心からの本音だった。
部屋には、レティシア、ミリス、フィアナ、そして後から顔を出したセレスティアまでいる。全員、今日の事故をどう処理するか相談に来たのだろう。
だが、ユウトとしては処理のしようがない。
「だって事故だよ?」
ユウトが言う。
「ほんとに、ただの事故だったんだよ?」
「ええ」
セレスティアが頷く。
「だからこそ強いのよ」
「最悪じゃん」
「最悪ね」
王女はあっさり認めた。
ミリスが記録板を見ながら言う。
「でも、技術的には面白いわよ。呪い付きの装身具への干渉と、軽い筋緊張緩和が同時に確認された」
「いま一番聞きたくない要約だな」
「聞きたくなくても事実は残るわ」
レティシアが静かに補足する。
「問題は、事実以上に解釈が広がることです」
「もう広がってるじゃん」
「はい」
そこも否定しない。
フィアナが少し申し訳なさそうに言った。
「でも、困ってる人が楽になるなら……」
「うん」
ユウトは小さく答える。
「そこなんだよな」
困っている人が、少し楽になる。
それを全部否定したいわけではない。
でも、そこへ神殿と王宮と商会と民衆が乗ったら、もう絶対に収拾がつかない。
セレスティアは扇子を閉じ、珍しく少しだけ真面目な顔になった。
「しばらくは“偶発的な事象であり、公的運用ではない”を強く出しましょう」
「それで収まる?」
「完全には無理」
「だよなあ……」
ベルナデッタがいればたぶん、「だからこそ市場が」などと嬉しそうに言っただろう。今日はさすがに部屋へ入れていないが、あの令嬢が黙っているとも思えない。
「……ほんと、どうしてこうなるんだろうな」
ユウトが呟くと、レティシアが静かに答えた。
「王都だから、ではないでしょうか」
「そのまとめ方、便利すぎない?」
「便利です」
ミリスが小さく肩をすくめる。
「でも、間違ってないわね」
セレスティアも笑った。
「ええ。王都では、事故すら政治と噂と商売になるのよ」
「その事実が一番嫌だ」
だが、もう止まらない。
中止になったはずの場で、最悪の形の“実績”が積まれてしまった。
これで王都の噂はさらに爆発的に増える。
しかも今度は、善意だけでなく、期待と欲と誤解まで全部乗る。
ユウトは黒布袋を見つめた。
「……お前、ほんと何なんだよ」
袋の中は、やはり沈黙したままだった。




