第20話 商会令嬢、目をつける
ベルナデッタ・フロウという女は、たぶん普通の令嬢ではない。
新堂ユウトは、その日の夜、騎士団本部の客室で椅子に沈み込みながら、心の底からそう思っていた。
机の上には黒布袋。
その中には、異世界に来てからというもの、英雄扱いと社会的羞恥を同時に押しつけてくる最悪の相棒が入っている。
だが、今日ユウトの頭を占めているのは兵装そのものより、あの商会令嬢の発言だった。
――王都女性市場に革命を起こせますわね。
――高級会員制。
――限定施術。
――上流向け。
「嫌すぎる……」
口から出たのは、心の底からの本音だった。
英雄だの聖杖だの言われるのも十分つらい。
だが、それに加えて「民生転用」とか「市場革命」とか、そういう言葉で囲まれるのはまた別種の地獄である。しかも相手が本気で商機を見ているのが一番怖い。
「起きてるわよね」
扉の向こうから、聞き慣れた声がした。
「もう返事する前に入ってくる前提やめよう?」
「やめない」
予想通り、ミリスだった。
黒髪、金縁眼鏡、やや不機嫌そうな顔。彼女は遠慮なく部屋へ入り、机の向かいの椅子へ座る。
「……何」
「何、じゃないわよ。あなた、ベルナデッタ・フロウに目をつけられたわね」
「その確認を夜にしに来たの?」
「かなり重要よ」
ミリスの声が今日は珍しく真面目だった。
「フロウ商会は大きい。王都貴族相手の贅沢品から、庶民向けの生活雑貨まで手広い。あの女自身も、商才だけなら王都で上位」
「最悪の情報追加やめて」
「つまり、“本気で売れる”と判断したら、本気で食い込んでくるってこと」
頭が痛い。
「なんで商人って、ああいう方向の嗅覚だけ鋭いんだろうな」
「商人だからでしょ」
それはそうだ。
さらに扉が叩かれ、今度はきっちり待ってからレティシアが入ってきた。
彼女はミリスを見るなり、少しだけ眉を寄せたが、追い返しはしない。
「……やはりこちらに」
「情報共有よ」
ミリスが言う。
「フロウ商会の危険性を伝えてたところ」
レティシアは小さく頷き、そのままユウトへ向き直る。
「王宮からも通達がありました」
「はい、増えた」
「ベルナデッタ嬢から正式に面会申請が出ています」
「早いな!?」
「明日の午後、王都中心街の商館で話し合いをしたいと」
「行かない」
「行かないと、向こうが押しかけます」
「最悪の二択だな!」
レティシアは静かに続ける。
「王宮としても、“何を考えているか”を把握しておきたいようです」
「つまり、俺はまた面倒な交渉の場に出されるわけか」
「そうなります」
そこでミリスが、珍しくレティシアと同じ方向で言った。
「行った方がいいわ」
ユウトが嫌そうに見ると、彼女は肩をすくめる。
「向こうが何を売りにしたいのか、どこまで情報を持ってるのか、見ておく必要がある。放置した方が危険」
「君たち、本当に正論で殴るの好きだよな」
「感情論で止められる段階じゃないもの」
だが、それも正しい。
ベルナデッタは、ただの好奇心で動いているわけではない。あれは完全に事業の目だった。肩こり、疲労、寝不足、魔力疲れ。王都で暮らす人々の“日常の不調”へ、自分の兵装を重ねていた。
つまり彼女は、英雄譚より生活に接続して考えている。
それが一番、広がり方として危険だった。
「……分かったよ」
観念して言うと、レティシアが小さく頷いた。
「私も同行します」
「それは助かる」
「私も行くわ」
ミリスが当然のように言う。
「なんで?」
「技術的な話が出た時のストッパー役」
「それ、たぶんストッパーじゃなくて燃料だぞ」
「失礼ね」
だが、失礼でもなんでもなく事実だと思う。
◇
翌日。
王都中央街区の一等地にあるフロウ商会本館は、見るからに“金の匂い”がする建物だった。
石造りで、広く、窓枠や扉の金具に無駄なく高級感がある。下品に派手ではない。だが、「ちゃんと儲かってます」という空気が隠しようもなく漂っていた。
「うわ、入りたくない」
商館前で立ち止まり、ユウトが本音を漏らす。
「気持ちは分かります」
レティシアが言う。
「でも入ります」
「だよなあ」
ミリスは商館の看板を見上げていた。
「いい趣味してるわね」
「褒めてるのかけなしてるのか分からないな」
「半々」
中へ入ると、すぐに応接係の女性が現れた。動きが洗練されている。商会全体がよく教育されているのだろう。
「お待ちしておりました。ベルナデッタお嬢様が上で」
「待っていてほしくなかったな……」
案内された応接間は、王宮ほどではないにせよ、かなり豪華だった。
厚い絨毯。深い色の木家具。香りのよい茶葉。壁には各地の織物や工芸品。商会の顔として見せる部屋なのだろう。
そしてその中央に、ベルナデッタ・フロウ本人が立っていた。
「ようこそいらっしゃいましたわ」
にこやかだ。
だが、その笑顔の奥にギラついたものがある。絶対にただの挨拶ではない。
「来てしまったな……」
ユウトが小さく呟くと、ベルナデッタは楽しげに扇を開いた。
「ええ。来ていただけると思っていました」
「なんでそんな自信があるんだよ」
「だって、来ない方が面倒になると分かる方でしょう?」
「言い方が商人すぎる」
そこへ座るよう勧められ、四人は応接卓を挟んで向かい合う形になった。
ベルナデッタはさっそく本題へ入る。
「では、率直に申し上げます」
「やめてくれ、怖いから」
「“律動の聖杖”を、事業化したいのです」
「はい帰る」
ユウトは立ち上がりかけた。
だがレティシアがすっと袖を引く。まだ座れ、という意味だ。分かるがつらい。
「冗談ではありませんわ」
「こっちも冗談じゃない!」
「ですから、真剣に申し上げているのです」
ベルナデッタは真顔になる。
「王都には潜在需要があります。慢性的な肩こり、疲労、睡眠の質の低下、魔力消耗後の重さ、長時間の帳簿仕事や仕立て作業による背中の張り。特に女性市場は大きい」
「市場って言うなあ……」
「しかも上流階級は“癒やしに金を払う”ことへ抵抗が薄い。神殿の祈祷より即効性があり、医師よりも日常寄り。そこへ“王都救済の聖具”という物語性が乗る」
「物語性まで商品設計に入れるな!」
ベルナデッタの目は本気だった。
彼女は、ユウトではなく、その肩の黒布袋をちらりと見たあと、またにこやかに微笑む。
「もちろん、本物を大量販売できるとは思っていません」
「そこは思わないんだ」
「ええ。でも、“王宮公認監修”や“神殿推奨概念”をまとった高級癒やしサービスなら可能ですわ」
「概念って便利な言葉だな!」
ミリスが横から冷たく言う。
「それ、技術的には再現できないわよ」
「できなくても構いませんの」
ベルナデッタは一切怯まなかった。
「重要なのは、“本物の存在が市場に現実味を与える”ことです」
その場の空気が、少しだけ変わった。
ユウトでも分かった。
この令嬢、ただの思いつきで喋っていない。兵装そのものを量産したいのではない。もっと広く、もっと現実的な形へ落とし込もうとしている。
たとえば、
高級施術用の道具
聖具風の疲労回復サービス
王都上流向けの予約制サロン
神殿や魔導院の名を借りた安心感
そういう方向だ。
「……お前、だいぶ本気だな」
ユウトが言うと、ベルナデッタは即答した。
「もちろんですわ」
「最悪だ」
「最高の機会、とも言います」
レティシアが硬い声で口を開く。
「申し上げておきます。王宮も騎士団も、兵装の商業利用は一切認めていません」
「現時点では、でしょう?」
「今後もです」
ぴしゃりと断言した。
ベルナデッタは少しだけ肩をすくめる。
「正面からは、そうでしょうね」
「正面以外があるみたいに言うな」
「商人は道を探すものですもの」
ミリスも、ここでは完全にレティシア側だった。
「私も反対よ」
「まあ、技術独占したいでしょうね」
「そういう意味じゃない!」
珍しくミリスが少し声を荒げた。
「兵装の再現性も安全性も分かっていない。なのに“それっぽい癒やし商品”なんて流し始めたら、王都の誤解が固定化する」
「それの何が悪いのです?」
ベルナデッタが逆に問い返した。
その顔には、本気の疑問があった。
「王都の人間は、分かりやすい安心を欲しがりますわ。英雄だの異邦の神器だのという遠い話ではなく、“自分たちの疲れにも届くかもしれない”という形で」
ユウトはその言葉に、嫌な意味で納得してしまった。
そうだ。
王都の噂が変な方向へズレているのも、それが理由だ。四天王を退けたとか地下炉を止めたとかいう話は遠い。だが、肩こりや寝不足や疲れなら近い。人は近い方へ理解を寄せる。
ベルナデッタはそれを、商機として拾っている。
「……でも、それ、危ないだろ」
ユウトが低く言う。
「危険ですわね」
ベルナデッタはあっさり認めた。
「ですから、本物を使うのではなく、本物を起点に“安全で管理可能な形”へ落とすのです」
「それでもだめだ」
ユウトは首を振る。
「俺の兵装の話を、そういう方向で広げられるの、普通に嫌だ」
「名誉の問題ですの?」
ベルナデッタが聞く。
「名誉の問題でもある」
ユウトは正直に言った。
「あと、変な期待を背負わされるのも嫌だし、噂が一人歩きするのも嫌だし、何より、困ってる人に“効くかも”ってだけで寄ってこられるのは、たぶんもっと嫌だ」
ベルナデッタは、そこで初めて少しだけ黙った。
「……なるほど」
「“なるほど”で済ませないでほしいな」
「いえ、少し認識を改めましたの」
彼女は扇を閉じる。
「わたくし、てっきりあなたは“英雄扱いは困るが、実利なら割り切る”タイプかと思っていましたわ」
「そんな器用じゃない」
「そうみたいですわね」
そこに悪意はなかった。
むしろ本当に分析を修正しているだけの顔だった。
だが、その会話が終わるかと思いきや、ベルナデッタは次の瞬間にはもう別方向へ舵を切っていた。
「なら、発想を変えましょう」
「まだ続くの!?」
「当然ですわ。商談ですもの」
「商談って言うなよ!」
「本物の流通がだめなら、概念監修もだめ。ならば――」
ベルナデッタは、今度はフィアナを見る。
「神殿内限定の奉仕用具としてなら?」
「それは――」
フィアナが目を丸くする。
「王都の困っている女性たちのために、神殿で受けられる疲労ケア。王宮と騎士団の管理下。商会は道具と空間づくりだけを請け負う」
「やめろおお!」
ユウトの悲鳴が応接間に響いた。
「どこからそんな具体案が出てくるんだよ!」
「出るから商売になるのです」
「ならなくていい!」
レティシアがきっぱり遮る。
「それも却下です」
「理由を伺っても?」
「ユウト殿が嫌がっています」
その一言は、妙に強かった。
ベルナデッタが一瞬だけ目を細める。
「……そこを理由に置きますのね」
「当然です」
レティシアは一歩も引かない。
「兵装の取り扱いは安全性だけでなく、担い手の意思も無視できません」
「それは、騎士団としての理屈ですか。それとも、個人的なお気持ち?」
「両方です」
空気が、少し張った。
ユウトはそのやり取りを見て、少しだけ救われる。
レティシアは、本当にこういう場でも自分の側に立ってくれる。
ミリスもそこで腕を組んだ。
「私も反対よ」
「珍しく一致しましたわね」
「商機とか以前に、まだ現象の本質が分かってない。そこへ王都中の生活疲労を接続されたら、解析がめちゃくちゃになる」
「最後の理由が研究者すぎるんだよな」
フィアナは少しだけ悩みながらも、小さく言った。
「……わたしも、今日は反対です」
「お」
ユウトが見ると、彼女は真面目な顔で続ける。
「困ってる人を助けたい気持ちはあります。でも、シンドウさんがつらそうなのに、そこを無理に進めるのは違うと思います」
その言葉は、思ったよりまっすぐ胸へ入った。
「ありがとう」
ユウトが言うと、フィアナは少しだけ照れたように笑う。
ベルナデッタは、そんな四人を順番に見て、やがて小さく息を吐いた。
「……本日は、引きますわ」
「ほんとか?」
「ええ。でも諦めるとは言っていません」
「そこははっきり言うんだな!」
彼女は最後に、にこりと微笑んだ。
「だって、王都の需要は本物ですもの」
その笑顔は、ある意味で王女より厄介だった。
政治ではなく、金と生活の匂いを本気で嗅ぎ分けている人間の顔だからだ。
◇
商館を出たあと、王都の大通りへ戻るまでのあいだ、ユウトはしばらく何も言えなかった。
頭が疲れている。
心も疲れている。
何より、自分の兵装が“英雄の武器”だけではなく、“市場商品化を検討される可能性のあるもの”として見られ始めている現実が、だいぶきつい。
「……王都、怖いな」
ようやく漏れた一言に、ミリスが頷く。
「でしょうね」
「でも、ああいう方向に食いつくのはベルナデッタだけじゃないと思うわ」
「やめろ、追い打ちかけるな」
「現実よ」
レティシアが静かに言う。
「ですが、今日のところは止められました」
「うん」
「そこは忘れないでください」
たしかにそうだ。
ベルナデッタは本気だった。だが今日は、レティシアも、ミリスも、フィアナも、全員が反対側に立ってくれた。
その事実は大きい。
「……ありがとな」
ユウトがぼそっと言うと、レティシアが少しだけ目を瞬かせた。
「当然のことをしたまでです」
「それでもだよ」
ミリスが横から小さく言う。
「私まで礼を言われる筋合いはないけど」
「そこは素直じゃないな」
「うるさい」
フィアナは少しほっとしたように微笑んでいる。
だが、その穏やかさを壊すように、通りの角からまた別の視線がこちらへ向けられていた。
まだ誰も気づかない。
ただ、人混みの中に紛れて、王都の噂を拾っている者がいる。
ベルナデッタのような商人だけではない。
もっと別の立場から、この“変な聖具”の広がり方を利用しようとする者が。
そして王都の空気は、今日も少しずつ、確実に変な方向へ育ち続けていた。
「……第20話なのに、もう十分しんどいな」
ユウトがぼそっと漏らすと、レティシアは静かに答えた。
「まだ始まったばかりかと」
「そういう正確なこと言わなくていい!」




