6話 ワンチャン ――長谷川 孝也編――
ここで振り返るわけにはいかない。
俺は後ろの二人を見ようと、目の前の窓ガラスを凝視した。
うっすらと映る、荷物を抱えて席を立つ二人の女性。
「私なんて、マチアプ惨敗だもん。結婚どころか、彼氏だってできないよ」
肩より短い髪を揺らす彼女が、そう話す。
妙に親近感が湧いた俺は、残ったカフェラテを一気に飲み干すと、彼女の後を追った。
何やってるんだ。
完全に不審者だぞ!
そう思いながらも、距離を取りつつ、返却カウンターに向かう。
「一穂ちゃんの良さを分かってくれる王子様が、絶対にいるよ!」
「あはは。王子様って年じゃないよ。どちらかというと、私は勇者様の方がいいな」
「え?ゲームみたいだね」
「だって、王子様といえばイケメンでしょ?いつも緊張してなきゃじゃん。私、素の自分でいられて、尊敬できる人がいいの!」
そう言って笑う彼女の横顔は、とてもかわいらしかった。
店を出て、改札に入っていく二人。
「マチアプ惨敗なんて……信じられない」
俺は実家に向かって歩き出した。
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黙々と歩いていても、彼女の言葉が頭から離れない。
「勇者ってなんだよ……」
そういえば、どっかで聞かなかったか?
まったく思い出せず、漫画の中のセリフだったのかもしれないと思考を変える。
料亭、見合い。
そんな偶然があるだろうか?
もし彼女が見合いの相手だったら……。
容姿は関係ないってこと?
そう真剣に考え始めた時、ハッと息を飲む。
そして、我に返れとばかりに頭をぐしゃぐしゃと掻きむしった。
しっかりしろ。
もう何年も前に結婚なんて諦めたはずだ。
勢いよく玄関の扉を開けると、待ってましたとばかりに母が姿を見せた。
見合い相手の最終学歴、経歴、勤め先……。
次々に個人情報を聞かされる。
俺は、さりげない感じで聞いてみた。
「えっと……それで、相手の名前は?」
「杉野一穂さんよ」
マジか!
こんな展開。
漫画の中でしかないような……
「運命?」
心の声を漏らした俺は、話を続ける母を残して部屋に戻った。
扉を閉めるや否や、スマホをタップ。
「勇者とは?」
AIの答えを見ながらうーんと唸る。
―― 一時間後。
「無理だ!」
俺は諦めてスマホを置いた。
そして、現実から逃げるように、さっき買った漫画を開いた。
しかし、五分と経たずに漫画を閉じる。
「全然、集中できない!」
脳裏によみがえる、カフェで見かけた彼女の姿。
「でも、勇者なら……ワンチャン?」
なんて、あるわけがないだろ!
悶々としていると、「孝也、ごはんよ」と母の声が響く。
母のおかげで、バカみたいな妄想から抜け出せた。
大みそかの歌番組、除夜の鐘と年越しそば。
今年から来年に変わる瞬間を、数年ぶりに両親と過ごした。
初詣に誘われたが、遠慮しておく。
神頼みしたのにダメだった、なんて結果はごめんだ。
布団に入ってもなかなか寝付けない。
彼女はこの見合いに、期待しているのだろうか?
俺の顔を一目見て帰ってしまったら?
もう二度と立ち直れない。
仮病を使う?
いやいや、さすがに大人げないだろう。
頭の中で、天使と悪魔がディベート大会を続け――。
一睡もできないまま、夜が明けた。
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きゅっとネクタイをしめて、鏡に映る自分を見る。
目の下に、濃いクマ。
自分でも怖い。
終わったな。
明日、東京に帰ろう。
何だったら、今夜帰ろう。
そう決意して、両親と共に見合い場所へと向かった。
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「時間、間違ったんじゃない?」
個室に通され、待つこと十分。
しびれを切らしてそう聞いた。
「何言ってんの。あえて、早めに到着したんじゃないの!男だったら、そのくらい気をきかせなきゃダメよ!お父さんなんて、三時間も待ってくれたのよ」
隣に座る父は苦笑い。
「あの頃は、携帯電話なんてなかったからな」
はははと答える父。
付き合ってる頃から、尻に敷かれていたのかよ……。
親の新事実に驚いていると、扉の向こうから、杉野家の面々が現れた。
オクターブ上の声で、あちらの母親と話し始めるうちの母。
家族の一番最後に、着物姿の女性。
カフェで見かけた彼女に間違いなかった。
思い切って、「はじめまして」と声をかけると、
カチン
と音が聞こえそうなほど凍り付く彼女。
すぐにフッと目をそらされた。
やっぱり、ワンチャンなんてあるはずなかったんだ。
ズキンと痛み始めた胃に、そっと手を当てる。
もう帰りたい。
部屋に響くのは、母親たちの声。
しかも、お見合いに関係ない話だ。
いたたまれない気持ちに飲み込まれそうになった時、
「ぷっ。ふふ」
と噴き出す声。
目の前の彼女は、心から楽しそうに笑っていた。
どうやら、母たちが話し続けている状況がおかしくてたまらないらしい。
つられて、ふっと噴き出す。
「たしかに」
まるで、部下たちと話すときのようにスムーズに言葉が出た。
胃の痛みがスッと消えていく。
クスクスと笑う彼女。
どうしたらこの笑顔を守れるだろう。
俺は心からそう思った。
料理が運ばれ、皆の会話が弾む。
システムエンジニアだと話すと、弟の祐樹くんがオンラインゲームの話を始めた。
元々、ゲームが好きでこの業界に進んだ俺。
自然と話は盛り上がった。
彼女は俺たちの話に耳を傾け、時折、質問を投げてきた。
とてもいい子だ。
けれど、時間がたつほどに、彼女の顔は曇っていった。
食欲がないのか、あまり料理を口にしない。
時々、苦しそうに息を漏らす。
どうしたんだろう。
そう心配していると、ついに彼女が席を立った。
周りに視線を向ける。
皆、気にした様子はない。
俺の勘違いだろうか。
うだうだ考えても仕方がない。
俺は会話の合間を見計らって、個室を出た。
****
廊下に立っていると、戻ってくる彼女の姿が見えた。
やはり顔色が悪い。
病院に行った方がいいんじゃないか?
「あの……大丈夫ですか?」
勢い余って、詰め寄る形になってしまった。
彼女の顔色がますます悪くなる。
まずい!
怖がらせた?
俺は慌てて言葉を続けた。
「あまり食べてませんでしたよね?」
彼女はホッと安心したように表情を緩めた。
「着物の帯がきつくて、食べられないんです」
なんだ、そうだったのか。
そう思った次の瞬間、はたと気づいてしまった。
慣れない着物を着て挑むほど、この見合いにかけていたのか!
彼女にとっての「勇者」を探すために……。
それなのに俺は。
彼女の笑顔を守りたいなどと、口先だけじゃないか。
セッティングした母たちが、俺たちに構うことなく話し続けていることに対して、
「おいしいものが食べられて、ラッキーでしたね」
と前向きに笑みを浮かべる。
何て健気なんだろう。
真っすぐに向けられた彼女の笑顔を見た瞬間、俺の中の臆病な心の壁はガラガラと音を立てて崩れた。




