32話 勇者とヒロイン
「今から会社を出ます」
就業時間が過ぎ、孝也さんからのメッセージを受け取った私は、会社の入り口で待つことにした。
一年で一番寒いこの時期。
灰色の空から、はらはらと雪が舞い始めた。
「冷えると思ったら……降ってきちゃった」
かじかむ指先に息を吹きかける。
白く霞んだ視線の先に、牧原さんと孝也さんの姿が目に入った。
孝也さんの手を握って引き留める牧原さん。
振り返った孝也さんの顔は、固くこわばっていた。
行かなきゃ!
そう思った瞬間、体が動いた。
通りの向こうに見える二人の姿。
通りすがる人たちは、好奇の目を向けていた。
信号が変わるのを待って走り出す。
近付くにつれ、二人の声が聞こえてきた。
「どうして彼女なんですか!」
「あなたに関係ないでしょう。これ以上付きまとうのでしたら、警察に通報します。彼女に対してもです!」
「どうして……?!あなたに釣り合うのは私でしょ?」
孝也さんに向かって伸ばされた牧原さんの手を遮って、二人の間に立ちふさがった。
「やめてください!」
「一穂?!どうして……」
「会社から見えたの」
私を見つめる牧原さんの目が、みるみる吊り上がっていく。
「こんな平社員の小娘が、なぜ長谷川さんと対等なんですか!」
なんてひどい言葉。
私の心に怒りが湧きあがった。
「あなたは何か勘違いしていませんか?お一人で働いているおつもりですか?役職のない社員の働きがなければ、会社は成り立ちませんよ!」
「私は、人の上に立つだけの実績を出してきたわ。多くの時間を犠牲にして、仕事に打ち込んできたのよっ!」
「凄いことだけど、それは一部でしかありません。いつ失うか分からない『地位』で、人の価値は決まらない!牧原さんは、孝也さんが部長じゃなくても好きですか?」
「……は?あなた何を言ってるの?長谷川さんは優秀で……」
「じゃあ、病気になって仕事が出来なくなったら?それでも、孝也さんを愛し、支えることはできますか?
役職や年収は、その人の努力を表す一つの物差しにすぎません。あなたは、『役職』と結婚したいのですか?」
牧原さんは、顔を歪めてギュッと口をつぐんだ。
私はあえて指輪が見えるように腕を前に出す。
「私達、約束し合った仲なんです。これからずっと、孝也さんと支え合って生きていきます。諦めていただけますね?」
顔を背けた牧原さんを見て、ほっと息を吐く。
その時初めて、孝也さんが私の真後ろに立っていたことに気が付いた。
私の肩を抱いて引き寄せると、孝也さんは冷たい視線を牧原さんに投げつけた。
「牧原さん、俺は一穂以外を愛することはありません。あなたは優秀な営業の人材だ。積み上げたキャリアを無駄にすべきじゃない」
その言葉に反応して、牧原さんは縋るような目で孝也さんを見た。
「私には……チャンスはなかったんですか?」
「あなたが俺のラベルだけを見ていたのは、初めから分かっていた。そんな人と、一生を共にできるわけがない。これで失礼します」
孝也さんは、優しい眼差しで私を見下ろすと、「帰ろう」と促した。
そっと振り返ると、花びらのように舞う雪の向こうで、牧原さんはただうなだれて立っていた。
チクリと罪悪感が胸を刺す。
「大丈夫。一穂は悪くない。彼女も、これで目を覚ますだろう」
私の心を見透かしたような孝也さんの言葉に救われた。
牧原さん、どうかあなたの未来にも、素敵な勇者様が訪れますように。
****
それからしばらくして、牧原さんが大阪営業所への異動を申し出たと、孝也さんが話してくれた。
「キャリアはそのまま。彼女なら、あちらで出世していけるだろう」
孝也さんはホッとしたようにそう言った。
「良かった」
牧原さんが望む未来が何かは分からないけれど、彼女ならきっと掴み取るに違いない。
ようやく訪れた平穏な日常。
アパートから持ってきた私の荷物は必要な物だけ出した。
あとは近い将来、引っ越すときのためにそのまま。
私たちは、のんびりと物件を探し始めた。
孝也さんのお母さんは無事に退院し、時々、テレビ電話で話をする。
「二月の連休に、二人で帰るよ」
「楽しみにしてるわね」
少しふっくらとしてきた孝也さんのお母さんが、画面越しに笑う。
地元に帰る前に、どうしてもやらなきゃいけないミッションがあった。
すでに準備は整っている。
後は孝也さんを連れ出すだけ。
決戦の日。
私は、感づかれないように平静を装って孝也さんに声をかけた。
「孝也さん、買い物に付き合ってもらってもいいかな?」
「ええー。家でのんびりしようよー」
やっぱりそう来たか。
お見合いの日、インドア派だと言っていたのは事実だった。
別にいいの。私もお家大好きだし。
でも、今日だけは!
「どうしても一緒に行きたかったけど……。仕方ない。一人で行ってくる。少し帰りが遅くなっちゃうかもしれないけど……」
「俺も行く!」
孝也さんは、慌てて支度を始めた。
大成功!
私はこっそり肩を震わせた。
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あのハイブランドのお店の前に立つと、孝也さんは不思議そうに首をかしげた。
「一穂、指輪のサイズが合わなかった?」
「そうじゃないよ!」
私はニヤニヤと頬を緩めながら、孝也さんと扉をくぐった。
「杉野様、お待ちしておりました」
事前予約のおかげで、スムーズに奥の個室へと案内された。
「気に入ったアクセサリーがあったの?ついでに結婚指輪も買おうか?」
孝也さんはシャンパンに口を付けながら、そう聞いてきた。
「ふふ、私もサプライズがしたかったの」
「え?」
「お待たせいたしました。ご注文の刻印も入っております」
私は箱を孝也さんに渡した。
「これは指輪のお礼と、バレンタインデーを兼ねて」
「ええっ!俺に!」
孝也さんは目を丸くしながら箱を受け取ると、慎重に蓋を開けた。
「つけてるところを見たことなかったけど……指輪とお揃いだから」
「うわあ!うれしい!本当にありがとう!!」
「裏に日付を入れてもらったんだよ」
「指輪とお揃いの?」
「ううん。それは私が初めて『勇者』を見つけた日」
孝也さんはハッと息を飲むと、いきなり私を抱きしめた。
「一生大事にする!」
「私も。この指輪、大事にするね」
勇者に出会って二か月。
抱えていたトラウマのおかげで、素敵な勇者様と出会えた。
人生に無駄はないというけれど、本当にその通りだ。
自分を責めていた時間も、深くえぐれた心の傷も、孝也さんの本当の良さを知るためのものだったのかもしれない。
お揃いのブランド品を身につけ、手を繋いで歩く私たちの先には、苦しんだ分だけの幸福な未来が待っているに違いない。
おしまい
最後にもう一話、牧原係長のSSを載せています。ぜひ、そちらものぞいて見てください!




