27話 逆プロポーズ
翌朝、孝也さんは両親に挨拶しに来てくれた。
「結婚を前提に、一穂さんとお付き合いさせていただいています。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
両親を前に頭を下げた孝也さん。
それに合わせて、私も頭を下げた。
畳の上に置いた手に、孝也さんの手が重なる。
お互いにちらりと見つめ合って、ふっと笑った。
伝わる孝也さんのぬくもり。
揺るぎない安心感が、心を包み込む。
私たちは、もう一人ではない。
この先、どんなことがあっても、きっと乗り越えていける。
そんな気持ちで満たされた。
「いやいや。まさか上手くいくとは思ってもみなかった。良かったじゃないか。まあ……何かあったら、いつでも帰ってきなさい」
私たちに目を向けていた両親の目が、わずかに潤んでいた。
「いやね、お父さんったら。いい加減に子離れしなさいよ」と豪快に笑う母。
当たり前の日常。
両親が元気でいてくれることのありがたみを、ひしひしと感じた。
笑みを浮かべていた母が、表情を曇らせて孝也さんに目を向けた。
「お母さんのご容態は?」
「あまりよくないみたいで……。今も父が付き添っています。これから俺も会ってきます」
「私も、一緒に行っていい?」
「うん」
孝也さんは、静かに頷いた。
****
総合病院の病棟。
マスク越しに感じる、消毒や薬品の匂い。
クリーム色の壁紙だけが、無機質な病棟に彩りを添えていた。
ナースステーションに近い病室。
ピンク色のカーテンの向こうで、孝也さんのお母さんは眠っていた。
布団の脇から伸びるコードの先で、心拍数を示すデジタルの線が波打っている。
十日ほど前までは、あんなに元気だったのに。
抗えない生命の限界。
何もできない悔しさと、悲しみがこみ上げてきた。
「一穂さん、わざわざ来てくれてありがとう」
孝也さんのお父さんの笑顔に、疲労が浮かんでいた。
「母さん、孝也と一穂さんが来てくれたよ」
お母さんの耳元で、そう囁くお父さん。
「せっかく眠ってらっしゃるので……」
慌てて止めようとした時、お母さんの瞼が持ち上がった。
「たか……や?」
「母さん!」
孝也さんは、膝をついてベッドを覗き込んだ。
「ごめんね……」
「知らなくてごめん。もっと、帰ってくるべきだったのに……」
「いいの。心配かけたくなかったから……」
孝也さんのお母さんの目が、優しく揺れる。
「東京で一人で頑張って……偉いわ」
青白い細い手を伸ばし、孝也さんの手を包み込むお母さん。
慈愛に満ちた眼差しに、心が締め付けられた。
こんなに弱っているのに、母親ってなんて強いんだろう。
込み上げる涙を、止めることが出来なかった。
ズッと鼻をすする音で、私に気付いた孝也さんのお母さんは、少しだけ目を見開いた。
「一穂さん?」
「結婚を前提に付き合ってるんだ。一緒に来てくれた」
「ああ、よかった。お父さん、全部、叶ったわね」
お母さんに寄り添うように立つお父さんは、穏やかに頷いた。
「そうだな」
「全部って?」
孝也さんの問いかけに、お母さんは穏やかに笑った。
「再発したって聞いたとき、残りの時間でやりたいことを全部書き出したのよ。旅行は孝也が連れて行ってくれたし、スーパーでも働いた。フラダンスもやったのよ。でもね、あなたのことだけが心配で」
「それで、お見合いを」
「まさかうまくいくとは、思わなかった。でも……本当に良かった。一穂さん、孝也をよろしくお願いしますね」
お母さんの真っ直ぐな目を見つめ、思いつくままに返事を返した。
「孝也さんを絶対に幸せにします!任せてください!」
目の前の三人は、目を丸くして私を凝視した。
ああ……やってしまった……。
そう思っていると、「あはは」とお母さんが笑った。
「一穂さん、ありがとう。二人の結婚式を見るまでは、元気でいなくちゃね!」
明るさを取り戻したお母さんの笑顔に、胸の中で強く祈った。
どうか、この温かな時間が、少しでも長く続きますように……。
****
「ありがとう」
実家に向かう車の中で、孝也さんは恥ずかしそうにそう言った。
「ごめんね。テンパっちゃって……」
「ううん。すごく……嬉しかった」
照れたように笑う横顔を見て、張り詰めていた糸が緩んだ。
「お母さん、大丈夫かな……」
「もう……緩和ケアしか出来ないらしい」
じっと前を見つめる孝也さんの目尻に、うっすらと涙が滲んでいた。
残された時間は、きっともう多くない。
私にできることは何だろう?
ふと頭に浮かんだ言葉を、そのまま口に出す。
「結婚……する?」
「えっ!?」
一瞬、ブンと車が揺れた。
「だって、お母さんに孝也さんの晴れ姿を見せたいなって思ったの」
「そ、そういうのは……もっと……」
孝也さんは通りがかったスーパーの駐車場に車を停めると、真剣な目で私を見た。
「結婚しよう!」
ハッと息を飲んで、口を押さえた。
「あ!私、また先走っちゃった」
孝也さんは、私を見つめたまま、「返事は?」と聞いた。
「はい。よろしくお願いしま……っ」
最後まで言い終わらないうちに、口を塞がれた。
それは、永遠を誓う口づけのように、優しく温かだった。
そっと身を離した孝也さんは、愛おしそうに私を見つめた。
「すごく嬉しい。でも、無理に急ぎたくない。一生に一度……だと俺は思ってる。だから、一穂さんとの時間を大事にしながら進めたい」
そうだった。
孝也さんはリストまで作って、大切に進めてくれていたんだ。
「ごめんね。軽い気持ちじゃなかったんだよ」
孝也さんはフッと表情を緩めた。
「分かってる。でも、無理に合わせる必要ないよ。今日、母さんに報告できただけで、十分嬉しかった。ありがとう」
そう言って、愛を確かめるように、もう一度、優しく唇を重ねてくれた。




