24話 孝也さんの秘密
え?
仕事だと分かっていても、心に雲がかかった。
切迫した様子で、女性は話を続けた。
悪いと思いながらも、聞き耳を立てた。
『サポートセンターにアクセスできないんです。ここには、たった3人しかいないのに。すぐに復旧させなければ、信用にかかわります!長谷川さんが頼りなんです!』
個人的なことじゃなくてよかった。
休日に呼び出されるなんて……。
サポートセンターが繋がらないのは、大問題よね?
電話の声とは対照的に、孝也さんは冷静さを崩さなかった。
「村瀬がすでにメールを送っています。彼らに任せてください」
電話の向こうの社員さんは、孝也さんの言葉が耳に入らないのか、焦ったように声を荒げた。
『今から、全クライアントに直接電話をかけます!人手が足りないんです。あなた、責任者でしょ!』
吐き捨てられたその言葉は、心をえぐるような冷たさが混ざっていた。
私は孝也さんの背中に、そっと手を当てた。
「孝也さん、大丈夫だから、行って」
「え?でも……」
顔をしかめた彼の手をぎゅっと握る。
「待ってるから」
そう言ったすぐ後、『とにかく、すぐに来てください!』と吐き捨てるような言葉を最後に、電話は切れた。
「はぁ……」と孝也さんは、辛そうに息を吐く。
「俺が行かなくても大丈夫なのに……。村瀬は何をやってるんだ。もう一度電話して話せば……」
「でも、聞いてくれそうな雰囲気じゃなかったみたいだけど」
「もうっ!なんであの人がいるんだ……」
ガクリと肩を落とす孝也さんを、そっと抱きしめた。
「漫画を読んでてもいい?」
「俺も一緒に読みたかったのに……」
拗ねたようなその声に、思わず噴き出してしまった。
「ぷはは。可愛い!でも、行った方が早いんじゃない?」
孝也さんは、諦めたように天井を仰ぎ見ると、深いため息を吐いた。
「1時間で帰ってくる!」
「ふふ。気を付けてね」
コートを羽織って玄関に向かう孝也さんを見送った。
「どの部屋も、自由に入っていいから。絶対に待ってて!」
そう言うと、私の手に鍵を握らせた。
「一穂さんの分の鍵。持ってて。戻ったら……続きをしよう」
言葉を返す間もなく、孝也さんはそっとキスして、玄関を出て行った。
パタンと閉まるドアを見ながら、私はへなへなと座り込んだ。
「こ、こんなサプライズ……あり?」
手の中にある鍵は、孝也さんの信頼の証。
私は嬉しさのあまり、きゅっと両手で握り締めた。
彼氏の家の合い鍵なんて、嬉しすぎる!!
寂しいと思ったら、会いに来てもいいの?
孝也さんの帰りを、待っててもいいの?
『戻ったら……続きをしよう』
唇に残る、孝也さんの唇の感覚。
火照りだした顔を隠すように、床に顔を突っ伏した。
きゃー!
どうしよう!
あの続きをするなんて……
心臓が、もたないよ!
床から感じる冷気で、ぶるっと体を震わせた。
29歳の大人が、玄関先で顔を緩ませてうずくまる。
この姿を孝也さんに見られたら、きっと呆れられちゃうよね。
よろよろと立ち上がると、遠慮なく部屋をのぞかせてもらうことにした。
水のペットボトルが入った、ダンボールが置かれただけの部屋。
寝室を直視する勇気はなく、向かいの書斎を開けた。
書斎には、ゲーミングパソコンと、大きなワイドスクリーンモニター。
その後ろに置かれた本棚には、漫画がずらりと並ぶ。
私は、長期連載中の漫画の1巻目を手に取った。
「懐かしいな」
破天荒とも思われる主人公の言葉に、勇気をもらったっけ。
この漫画を読んでいると、まだ世間を知らず、怖いものがなかった子供時代に戻ったような、純真な気持ちになる。
座り心地の良さそうなパソコンチェアに腰を下ろして本を開く。
その時、肘がマウスに当たってモニターが光った。
パッと映し出された画面。
言葉を失った。
モニターに映し出された、表計算画面。
「一穂さん攻略」の下には、「恋愛進展の目安」と書かれていた。
・手を繋ぐ。
・抱きしめる。※初回は10秒以内!
・キス。
・同衾。
「ど、同衾!?これって……絶対に見てはいけないものだよね!?」
同衾の下には、「攻略の絶対原則」の文字が続く。
「攻略の絶対原則(3つのS)
・Slow:全ての動作を普段の1.5倍の時間をかけてゆっくり行う。
・Soft:力任せにならず、終始優しく包み込む。
・Safety:「大丈夫?」とこまめに声をかけ、常に相手の様子を確認する。
重要:『技術』ではなく『安心感、事前のコミュニケーション、丁寧なステップ』」
さっきの孝也さん……強引な所は一つもなかった。
「ずっとこんなことを考えながら、触れてたの?」
別ページに「買い物リスト」を見つける。
「一泊用のスキンケアセット」から始まり、「生理用ナプキン昼・夜」の横には「ドラッグストア・3分以内」と書かれていた。
サッと立ち上がって、トイレの扉を開ける。
奥の棚に堂々と置かれた、ナプキンのパッケージ。
洗面所をのぞいてみると、スキンケアセットが、1週間分も置かれていた。
私は噴き出してしまった。
「ぷっ、はは!」
「こんなに長く泊まらないのに」
棚には、おろしたての真新しいタオル。
ふかふかのバスマットが、床に置かれていた。
寝室には、まだ袖が通されてないスウェット。
「私が来るから、用意してくれたんだ」
大人の余裕だと思っていたのに、全部、調べて、準備して……。
胸がいっぱいで、どうしたらいいか分からない。
なんて愛おしい人なんだろう。
こんなにも思ってくれる人に出会えたなんて、奇跡としか言いようがない。
私は、孝也さんになにを返せるの?
『一穂さんが待つ家に、帰りたいんだ』
孝也さんのあの時の言葉を思い出した。
「私だって……」
家を探すと言っていたけれど、その前に一緒に住み始めたらダメかな?
早すぎる?
私は書斎に戻って、新しいページを開いた。
「孝也さんに伝えたいことリスト」
私はその下に、今の思いを全部書き込んだ。
大好きな気持ち。
感謝の気持ち。
それに加えて、結婚後も仕事を続けるためのプラン。
いつか孝也さんがこれに気付いた時、彼の中の不安が少しでも消えますように。
そう願って、シャットダウンをクリックした。
※この回の数字表記に関して、読みやすく変えています。




