20話 幸せな時間
背中に回された孝也さんの手が、次第に下がり、腰を撫でた。
私は、夢から覚めたように、「あ!」と身を引く。
驚いたように目を丸くしている孝也さん。
「こ、これ以上は……。あ、あの……生理……だから……」
孝也さんは、サッと顔色を変えて謝った。
「ごめん!無理させて!」
そう言うと、ベッドの上に畳んでいたひざ掛けで、私をすっぽりと包み込んだ。
そして、叱られた子犬のような顔で、私を覗き込んできた。
「大丈夫?」
「うん。……ごめんね」
「一穂さんが謝ることじゃない!俺が浮かれ過ぎてた。もう、触れないから!」
「え?……それは、寂しい」
もっと触れ合っていたい。
孝也さんのぬくもりを感じていたい。
「できない日」にそんなことを望んだらダメかな?
拒絶されたらどうしよう。
重い女だって思われる??
急激に襲い掛かる不安。
孝也さんの返事を聞くのが怖い。
私は思わず顔を伏せた。
「そばにいるよ」
え?
いいの?
恐る恐る見上げると、孝也さんは優しく笑った。
私を背中からぎゅっと抱きしめて、そっと頭を撫でる孝也さん。
子供のころに戻ったような、甘えたい気持ちが広がっていく。
体の力を抜いて孝也さんの胸に、背中を預けた。
大きな腕がすっぽりと私を包む。
背中から伝わってくる温かい体温と、トクン、トクンと刻まれる規則正しい鼓動。
孝也さんは、そっと指を絡めてきた。
大きな手を、弄ぶように握り返す。
世界一安全な場所。
そんな気持ちで満たされていった。
黄昏の光が差し込む部屋。
ゆっくりと、一日の終わりに近づいていく。
****
デリバリーで注文した夕食を食べ終わると、時計は九時を回っていた。
「必要な物があったら買ってくるよ。明日は、痛みが強い日なんだよね?」
「大丈夫。不足してるものはないし、一日中寝てると思うから」
「何かあったら連絡して」
「ありがとう」
コートを持って立ち上がった孝也さん。
見送ろうと玄関に向かうと、ふいに振り向いて、ぎゅっと抱きしめられた。
「来週の連休、うちに泊まりに来ない?」
お、お泊り!?
私が彫像のように固まっていると、孝也さんが愛おしそうに私を見下ろす。
「ダメ?」
「行きます」
「じゃあ、明日、部屋を片付ける」
意外な答えに、思わず笑いが込み上げた。
「ふふ、散らかってるんですか?」
「うん。今はとても見せられない」
何もかも、完璧なのかと思ってた……。
孝也さんの素の姿が見える度に、愛おしさが増していく。
「おやすみ。また、連絡するね」
「おやすみなさい」
パタンと扉が閉まると、部屋が急に広く感じる。
孝也さんのぬくもりを、もう一度感じたくて、私は自分の体に手を回して、ぎゅっと抱きしめた。
****
日曜日。
孝也さんから届くメッセージを、布団の中で見ながら……お腹の痛みに耐えた。
休みの日で良かった。
予定がずれる時って、痛みが強いんだよね。
年々、生理痛が重くなってる気がする。
でも、産婦人科に行く勇気がない。
孝也さんは結婚を見据えてくれてる。
すでに、両親は顔を合わせているし……もしかして、あっという間に……?
その前に、自分の体のことを調べた方がいいよね。
こういうことも、相談した方がいいのかな?
もしかしたら、ついて来るって言い出すかも。
私は昨日の孝也さんの行動を思い出して、くすくすと体を揺らした。
ピコンと通知音が鳴って、メッセージが表示される。
「ちゃんと休んでる?何か困ったことがあったら言って」
幸せだな。
私も、同じ気持ちを孝也さんにあげられてるかな……。
重くなる瞼を閉じながら、そんな思いを巡らせた。
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週明け。
満員電車に耐えられる気がしなくて、一時間早く出勤した。
オフィスの扉を開けると、春香ちゃんと佐々木君の姿。
二人のデスクには、分厚いテキストが広げられていた。
「あれ?早いね」
「先輩、おはようございます。就業前に勉強しようと思って」
「佐々木君は?」
「春香ちゃんを見習って、俺も勉強中」
そう言うと、「社労士」と書かれた分厚い本を持ち上げた。
「うそ!凄すぎる!」
「時間はたっぷりあるしね。これで給料アップを狙おうかなって」
「それ持ってたら、独立できちゃうよ。二人ともすごいな……」
それに比べて私は?
佐々木君が主任になった以上、しばらく昇格はない。
とはいっても、別に狙っていたわけでもないのよね。
パソコンを開いて、今日の予定をチェックする。
「あ、今日は定例会議の日だった」
「それって、『働き方改革』のですよね。私も同席してもいいですか?」
「ぜひぜひ!今日の議題は、『産休、育休からの復職サポートと勤務体制の見直し』なの。すごく勉強になると思うよ!」
「先輩って、結婚後の職場サポートに力を入れてますよね」
「そうなの。結婚した友達とか同期の子とかの話を聞いてたから、何かできないかなって思って。でも、なかなか難しいのよ」
定期的に育児中の社員と話し合って、対策を打ち出してきたけれど、問題解決には至っていない。
今の私は資格を取るよりも、まずは目の前の課題に集中しよう!




