12話 目撃
年齢=彼氏いない歴。
この項目が、私の経歴から消えた。
東京の本屋と、地元のカフェ。
運命的にすれ違っていた私と孝也さん。
漫画のような出会いから始まった私たちの人生は、新たな章へと進み始めた。
「行ってらっしゃい。仕事がんばって下さい」
通勤中、孝也さんから届いたメッセージ。
ぎゅっとスマホを握り締めた。
気持ちが通じ合ってから、孝也さんとの距離が少しだけ縮まったように感じる。
「おはよう」
「お昼ご飯は、何を食べましたか?」
「おやすみなさい」
彼氏となった孝也さんは、絶妙なタイミングでメッセージを送ってくれる。
甘い気持ちに溺れていたいけれど……現実はここにある。
ぎゅうぎゅう詰めの電車の中。
足に渾身の力を入れて、よろめかないように仁王立ち。
あの夢のような三日間が嘘みたい。
停車するたびに増える、乗客に負けないように、ふん!と気合を入れる。
電機部品メーカー、アキバパーツの人事部。
一週間ぶりにオフィスに足を踏み入れると、仕事スイッチが入った。
就職説明会の準備、中途採用者の面接、新入社員の受け入れ準備……。
新年早々、仕事が山積み。
まずは、連休中に届いているメールのチェックから――。
****
「ええ!先輩、彼氏できたんですか!!」
ランチタイムの休憩室。
私はお弁当を広げながら、後輩の加藤春香ちゃんに報告した。
可愛くておしゃれな、二十五歳の春香ちゃん。
彼氏と別れても、数か月後には別の男性とお付き合いを始めるコミュ力高めの女子。
春香ちゃんが入社して来てから三年間。
休憩時間に、「どうしたら彼氏ができるのか」という議題で話をしてきた。
一歩踏み出せない私に、叱咤激励してくれる春香ちゃんは、恋愛の大先輩。
マチアプを教えてくれたのも春香ちゃんだった。
「先輩は、いつかきっと素敵な人と出会うって思ってました!」
「ありがとう。春香ちゃんにこんな報告ができるなんて嬉しいよ!」
春香ちゃんはきりりと凛々しい顔で、「それで」と身を乗り出した。
「相手はどんな人なんですか?」
「三十五歳のシステムエンジニアなの。とっても……かわいい人なのよ」
私は、孝也さんを思い出して、ニヤニヤと頬を緩めた。
「きゃー、初々しい!じゃあ、初めてのバレンタインですね」
春香ちゃんに言われて、私はハッと呼吸を止めた。
何たる不覚!
今まで恋人イベントと無縁だったから、忘れてた。
春香ちゃんは、私の心を見抜いたように、まるで講師のように話し始めた。
「バレンタイン、ホワイトデー、誕生日……。こういうイベントをどう過ごすか。お互いの価値観を知る機会にもなりますし、相手の本気度も測れます」
「全然考えてなかった。じゃあ、デパートの特設売り場で……」
春香ちゃんは、バンッと勢いよくテーブルに手をついた。
「まずはリサーチからです!甘いものが苦手だったらどうするんですか!」
「イチゴゼリーは食べてたけど……チョコは苦手って人もいるもんね」
「そうなんですよ。一緒にちょっとしたプレゼントを添えると良いですね」
「そこ、詳しく教えて!」
前のめりにそう聞くと、春香ちゃんは顎に手を当てて、「うーん」と考えた。
「そうですね。ハンカチとか靴下とか。何枚あっても困らないような物かな」
なんて心強いの!
さすがは恋愛の達人!
「ありがとう!それとなくリサーチしてみるね」
「ふふ。先輩とこんな話ができるなんて、嬉しいです!今日は、お祝いに飲みに行きませんか?」
「わーい、嬉しい!」
彼氏がいることが、生活の一部になじんでいく。
浮かれ過ぎないように気を引き締めて、午後の仕事に戻った。
****
オフィスに戻ると、焦った顔で同期の佐々木君が声をかけてきた。
「杉野さん、就職説明会用パンフのデザイン上がってる?」
「連休前に、添付してメールで送ったけど?」
「ああ、そうだったんだ!」
「入稿の締め切り、今日だよね?」
「そう。すっかり忘れててさ」
茨城の事業所から、現場の意見を取り入れるために本社へ異動してきた佐々木君。
一見、軽そうに見えるけれど、根が真面目で仕事をきっちりこなす彼は、同期の中でもいち早く主任に昇格した。
いつもはさりげなくフォローしてくれる側なのに……彼らしくない。
私の横に立つ春香ちゃんが、不安そうな目を向けた。
「佐々木主任、お願いしてた新入社員用のPCの発注の件は……」
「あ!それもあったんだ……」
書類を探す佐々木君の表情は暗かった。
「大丈夫?手伝おうか?」
「じゃあ、新入社員の内定辞退のリストを作ってもらえると助かる。マジでごめんね!」
「オッケー」
そう言って、私は自分の席に戻った。
「今日の主任、変ですよね?」
「そうだね……」
私は、向かいに座る佐々木君に目を向けた。
連休明けなのに、ひどく疲れたように見えた。
誰にでも調子の悪い時はあるよね。
「いつも助けられている分、今日はサポートしよう!」
「そうですね!」
春香ちゃんと私は頷き合って、仕事に集中した。
****
就業時間を過ぎ、皆が帰り始めた頃。
向かいの席で、佐々木君が両腕を上げて体を伸ばした。
「二人とも、ありがとう。ほんとに助かったわ」
「これまで私もいっぱい助けられたし……」
佐々木君の笑顔はすぐに消えた。
やっぱりおかしい。
「なにかあったの?ずいぶん疲れてるみたいだけど」
佐々木君はため息を吐くと、こちらを見た。
「これから、飲みに行かない?」
「え?だって、部の飲み会以外は出ないって、彼女さんと約束してたよね?」
「……別れたんだ」
隣の席の春香ちゃんが、私より先に声を上げた。
「ええ!!だって……結婚を考えてるって言ってたじゃないですか!」
私はすくっと立ち上がると、バッグに手をかけた。
「よし、今日は飲もう!」
「お祝い」の飲み会は、急遽、「励ましの会」に変更になった。
****
去年、母からのメールを見て、思わず声を上げたあの道を歩く私たち。
「まだ修復できるんじゃない?」
と聞いてみた。
「もう、メッセージを送るなって……ブロックされた」
肩を落とす佐々木君が痛々しい。
なのに春香ちゃんは、追い打ちをかけるように、
「絶望的ですね。諦めて次に行きましょう」
と言い放つ。
「うう……加藤さんが容赦なくて辛い」
職場では見せない佐々木君の姿。
おどけたように話しているけど、目が充血してる。
結婚まで考えていた相手でも、お別れすることがあるんだな。
ようやく付き合い始めた私は、まだ失恋の痛みが分からない。
もし、孝也さんに愛想を尽かされたら……。
そう考えただけで、ぎゅっと胸が締め付けられた。
恋愛ってどうしてこんなに苦しいんだろう。
隣にいても、別れの時間が近づいただけで、心が折れそうになる。
連絡が欲しい。
声が聞きたい。
会いたい。
一つ叶うと、すぐに次の欲が強くなる。
失恋したわけでもないのに、ため息が漏れた。
大通りの向こうに目を向けると、「勇者」と出会ったあの本屋が見えてきた。
早く会いたいな。
切ない気持ちに沈みかけた時、
「先輩、置いていきますよ!」
春香ちゃんの声が耳に入った。
「あ、ごめん!」
前を向きかけたその時、通りの向こうの人の波の中に、孝也さんの姿。
「え?」
隣に立つ女性と言葉を交わす、孝也さん。
今日までお休みだって言ってたのに……。
私は、地面に縫い止められたように立ち尽くした。




