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Bad Apple  作者: 遠山千佳
7/22

私はだれのために

 背後から燃えるような日差しが差しこむ。夕焼けはかりんの部屋を、私たちを紅く染めた。まるでステージのセットを切り替えたみたいに。

 天井に張り付いたオオカミ型の黒い影を見据える。陽射しに照らされても影の色は変わらない。そこだけ世界から切り取られたみたいに、不自然な色で揺らめいていた。

 かりんから出てきた、あれはいったいなに?


「はぁ。まあいいわ。あとよろしく。落ち着いたら死体の方も片付けといて」


 つまらなさそうに言った女性は身体を起こすこともなく、煙のようなもやをかすかに残してどこかへ消えた。おかげで見当たらなかった遺体の所在にはあたりがついて、少しほっとする。

 だけどすぐ、目の前のことで頭がいっぱいになった。


「あれは抜け殻。宿主の感情が形になったもの」

「感情が……じゃああれは、かりんの」

「勘違いしてはダメ。あれは吐き出されたモノに過ぎない。その時点で宿主との繋がりは断たれている。だからあれは、人に害を与えるただの化け物」


 化け物。確かにあの女性も言っていた。「化け物」を捕まえると。

 おぼろげな輪郭の黒い影は、この世のものとは思えない質感に見える。ぬめりのある毒ガスと言えばいいのか、なんにせよ化け物と呼ぶのにふさわしい様相をしていた。


「そんなもの、あの人はどうしようとしてたの?」

「リラは、」


 何かに気付いたシエラが口をつぐんでわずかに身を低くする。

 とっさにオオカミの方へ視線を戻した瞬間に、身の危険を感じて鳥肌が立った。


「くる」


 少し前まで逃げ腰だったのが嘘のように、オオカミは俊敏に壁を蹴って飛びかかってきた。

 シエラは慌てる様子もなく、瞬く間に大ぶりの蛇を繰り出して尻尾の薙ぎ払いで牽制する。

 異変に気付いたオオカミは素早い動作で床を蹴り、尻尾をかわして踵を返すように部屋の奥へと戻った。かと思えば、またすぐシエラの蛇に挑みかかる。血の気が多いことは明らかだった。


「リラは、あれを捕まえてコレクションにしようとしてた」


 蛇とオオカミの攻防を前に、シエラが悠然と話しだした。

 その間にも一方が噛みつき、また一方も噛みつき、互いの傷口から黒い靄が立ち上る。そんな光景が気が気ではなかったけど、幸いにもかなえさんに危害が加わる様子はなさそうだ。

 戦闘を蛇に任せて悠長に話すのも気が引けるけど、私は興味を抑えられなかった。


「コレクションって?」

「言葉の通り。しもべにしたり実験したり飾ったり、リラの気の向くまま」


 言葉を失った。いくらなんでも趣味が悪い。

 たとえあれが危険な存在だとわかっていても、それを許していいとは思えない。


「そんな……ひどい」

「相手が化け物でも?」

「……化け物だって化け物なりの気持ちがあると思う。そうじゃなきゃ、きっとあんな風に争わないよ」


 オオカミは執拗に蛇を攻撃しつつも、隙を見て私たちの方に飛びかかろうとする。そんな様子を見ていると、何かの意思に突き動かされているように見えて仕方ない。

 私たちを襲おうとする気迫は伝わってくるけど、蛇の方が上手でオオカミの手が届くことはなかった。しかもオオカミを傷付けすぎないよう、蛇は慎重に立ち回ってくれている。そんな様子が見て取れた。きっとシエラの指示だろう。

 もしかして、私が「どうしたい」か決めるのを待ってくれているんだろうか。

 ちらりと横を向くと、シエラは無表情で争いを眺めていた。


「優しいね」


 視線を外すことなく、また色のない声でシエラが呟く。感情が読みとりにくいのは今更だけど、本気でそう思っているのか馬鹿にしているのかわからなくて、少しやきもきした。

 でも、もしかしたら深くは考えていないのかもしれない。私が考え過ぎているだけで。


「……本当は、怖いだけなのかも」

「怖い?」


 そう、怖い。たぶんそれが本音。

 いまこの場に限ったことじゃない。どこかで誰かに優しくできないと、私が誰にも優しくされなくなる。そうして誰からも見放されるのがひどく恐ろしい。

 そんなことを、いつもいつも腹の底で考えている。だからすぐに同調するし、同情する。たとえ相手が化け物でも。

 きっと私は、本当の意味では優しくなんかない。

 そこまで語るのは気が引けて、肩をすくめてごまかした。


「ところであれ、放っておいたらどうなるの」

「始末せずにわたしたちが立ち去った場合?」


 物騒な言葉選びに思わずたじろいだ。でも間違ってはいないから、私は頷いた。


「抜け殻は依り代がないと自然に消えていく。だからおそらく、藤宮かなえの身体を再び乗っ取って身体が壊れるまで暴れる。壊れたら新しい依り代を探してさまようか、影の状態でまた暴れまわる」

「身体が……壊れるまで……」


 壊れる。それはきっと死ぬということだろう。血だらけのかなえさんを見れば、シエラの推測が的外れでないのがわかる。私の返り血がほとんどだろうけど、たぶんこれ以上はまずい。

 どうにかしないと。ここまで来ておいて何もせずに逃げるなんてできない。そんなことをすればかなえさんが犠牲になるし、私のような犠牲者も増えてしまう。

 それに、あの化け物――


「やつらはそういうもの。消えるまで、宿主が望んだように際限なく壊し続ける」

「望んだ……?」

「言ったはず。あれは宿主の感情が形になったものだって」


 かりんが、望んだ。

 何かを壊したいと望んだ。

 いつも笑顔を振りまいていたあの子が。

 空っぽの胸が脈打ったような錯覚を覚えた。

 どうして。いったい何を望んだの。

 わからない。そんなそぶりは欠片も見たことがない。

 でも。

 私が知らなかっただけで、教えてもらえなかっただけで、笑顔の裏にずっと何かを抱えていたんだとしたら。

 否定したいけど、それなら辻褄が合う。首を吊ってしまうだけの理由がきっと、そこにある。


「……ねえ。教えて」


 絶え間なく蛇と争うオオカミを見据えたまま、私は震える声を絞り出した。


「あれは本当にかりんから出てきたの?」

「証拠を示すのは難しい。だけど、わたしとリラで確認した」


 虚空を見つめ、それから静かに目を閉じた。

 信じよう。シエラがそうだと言うのなら。いつまでも自分の理想に囚われていては、きっと真相にたどり着けない。永遠に前には進めない。

 だから私は受け入れて、かりんと向き合いたい。

 そっとまぶたを持ちあげ、私はオオカミを見据えた。


「あれ、どうしたら倒せる?」


 後腐れなく楽にさせてあげようだなんて、口が裂けても言えやしない。これは私の勝手。私の自己満足。それでも、私に判断を委ねられたというのなら。

 私なりのけじめをつけよう。

 罪悪感が消えるわけじゃない。壊すことがかりんの願いだったのなら、私はそれを、その願いを壊すことになるから。

 それでも、私は止める。


「刀で切ればいい。そのうち弱って、消える」

「そう。わかった」


 シエラより一歩前に出た。右手に鞘のない刀を持って。

 自分の背よりも高く胴を伸ばした蛇の影に迫ると、戦闘の余波が風圧として伝わってきた。ここまで来るとさすがに迫力が違う。

 正直に言えば、怖い。たとえ死なない身体だとしても。


「サポートは?」

「……あいつがこの部屋から逃げられないように。あと、かなえさんを保護してほしい」


 振り向かずに答えた。左右に刀を軽く振って、刀身の長さを調整するために。


「それ以外は、いい」


 自分でも大口を叩いたと思う。刀の扱いもろくに知らないのに。魔法でできるのは刀を出すところまでで、動くのは自分の力。あとは勘だ。

 鈍く光る刀身に映る私は頼りない顔をしていた。我ながら情けない。

 それでも助けは借りない。これは私のけじめだから。


「もし負けたら、代わりに倒してね」


 振り返った私は不安をごまかすように笑った。シエラが無言で頷いてくれたのを見届けて、私はまた正面へ向き直る。

 まぶたを閉じ、深呼吸をひとつ。吸い込んだ空気が肺に届いたかはわからない。気持ちの問題だ。

 右手で柄の感触をしっかりと確かめ、そっと左手を添える。身体の正面を守るように、竹刀のように刀を構えた。


「頑張って」


 色のないシエラの一言に合わせて、蛇の影が霧のように消える。オオカミは驚き飛び退いて部屋の奥で身構えた。


「グゥゥ……」


 低くうなるオオカミは、目のない顔で私を見つめている。静かに、確かに私を。

 何か声をかけたい気持ちになって必死でこらえた。

 いまこの場に、余計な言葉は不要だ。


「ッ――」


 オオカミが横に跳んだ。

 右へ、左へ。壁を蹴って、気付けばもう私の真横にいる。


「ぐっ」


 鋭い爪の一閃。脇腹に痛みが走る。遅れて振るった刀は宙をおどった。

 痛みを無視して振り向きざまに刀を薙ぐ。だけど、刀はまた空を切る。オオカミが視界の中にいない。


「はっ」


 直感的に上を向いた。オオカミの頭部はもう頭上から迫っている。一歩下がるのさえ間に合わない。

 反射的に首を傾けて、頭をやられるのは避けた。が、左肩に思い切り噛みつかれた。


「うぅ……」


 肩の肉を抉るだけでは飽き足らず、執拗にも噛み付きなおしてくる。突き立てられた牙は鎖骨にぶつかって、ミシミシと嫌な音を立てた。

 振り解こうにもあまりの力で振り解けない。身を捩ろうとすると余計に骨が軋む。

 痛い。けど、これはチャンスだ。

 右手に持ったままの刀、その刀身を調整する。イメージはナイフ。それを逆手に持ち替えた。


「っああ!」


 パキンと、音がした。

 一瞬の激痛に顔が歪む。持っていた短刀を落としそうになって、慌てて力をこめた。

 壊すよろこびに浸ったんだろうか。そこでオオカミにわずかな隙が生まれた。その緩んだ一瞬を私は見逃さない。


「アァーー」


 私の骨身を咀嚼しようと離れないオオカミの首に、思い切り短刀を突き立てた。その瞬間、勢いよく黒い靄が噴き出して視界を遮る。

 それもつかの間のことで、短い悲鳴を上げたオオカミは跳び退って天井に張り付いた。首には短刀が柄まで突き刺さっていて、その周りからとめどなく靄が上がっている。

 部屋の奥、気付けばかなえさんの姿はない。もみ合っている間にシエラが保護してくれたんだろう。

 落ち着いて呼吸を整えた。

 脇腹や肩の痛みはもう感じない。骨も確実に折れているはずなのに、左腕は普段通りに動きそうだった。なんて自由で、気味の悪い身体なんだろう。

 感傷もそこそこに、オオカミへ視線を戻す。私の手から離れた短刀はいつしか消えている。攻撃は効いていたけど、まだ致命傷ではないらしい。恐怖よりも怒りの気配を感じる。びりびりと肌を痺れさせるような気配を。

 怒気にあてられたせいか、次の一手を迷う。その迷いを、オオカミも見逃さなかった。

 武器を手放した丸腰の私。殴る力もたかが知れる。しかも手負いで、反撃の余地なんてない。そう信じたオオカミが正面から跳びかかってきた。

 端から見れば、それが正しい。だけどもう、私に普通は通用しない。

 時間が止まったように思考がめぐる。

 ああ、ごめん。ごめんね。

 私に"魔法"が使えたら、救えたかもしれないのに。

 私が弱いから救えない。

 弱かったから、救えなかった。

 本当に、ごめんね。

 右腕で胸を庇いながら、私は懺悔する。

 右手に短刀を生み出す。虚空から生み出した刀の刀身を長く、正面へ伸ばす。まっすぐに向かってきたオオカミの喉へと。


「ァァ――――」


 声を上げたその一瞬、驚きのような諦めのような気配がかいま見えた。それが余計に悲しくて、視界が潤む。

 私は、ただ長い刀身を支えるだけ。

 跳躍の勢いを止められなかったオオカミの影は、自ら刀に突き刺さって、終わった。

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