終わりと始まり
青い空、白い雲。春らしい陽気。
佇む桜の木は見ごろと言うのに申し分ないほど満開を迎えていた。
ああ、よく覚えてる。
高校の入学式が終わった後、みんなが帰途についた頃。私はここでかりんと出会った。忘れもしない思い出の桜。3年後、卒業した後も見に来たいだなんて話もしたっけ。
ねえ、かりん。
そう、隣に呼びかけても誰もいない。私の声は閑散とした空に淡く溶けていく。
不意に、冷たい風が頬を撫でた。風に煽られた自分の髪に少しのあいだ視界を奪われて、それを払い除けると辺りは夕焼けに染まっていた。
もう帰らないと。そう思って桜から視線を外そうとした時、なにかが視界の端をかすめた。
なんだろう。
もう一度、夕陽色にもえる桜の木に向き直ってみる。すると幹のそばに、着物姿のかりんが立っていた。
なんだ、そこにいたんだ。一緒に帰ろう。
そんな私の言葉は空を切るように霞んで消える。それでも私は気にせず、かりんの元に駆け寄った。
駆け寄って、
手を伸ばして、
手を取ろうとして、
何も掴めない。
かりんはもう、どこにもいない。
月明かりにほの白く照らされた桜の木の下で、私は孤独に震えた。
そうだ。いつも眩しい笑顔を見せてくれた私の大事な友達は、二度と目を開くことはない。たとえこの胸にかき抱こうとも、柔らかな熱が返ってくることはない。
かりんは、死んでしまった。
死んで……しまった?
胸を刺すような冷気に顔がゆがむ。辺りは霜が降りそうなほど冷え込んでいた。
裸足で凍える私はいつのまにか白い装束に身を包み、一振りの刀を抱いている。
ああ、そうか。そうだ。この刀は、そういうことか。かりんは死んでしまったんじゃない。
私が、殺した。
温度のない涙が頬を伝う。こぼれた雫は感覚を失いかけた足に刺さった。
痛い。凍える四肢が、心が痛い。
かりんは私のせいで死んだ。死んでしまう、そのギリギリまで一緒にいたはずなのに。私には何もできなかった。その予兆に気付くことさえも。
ああ、私のせいだ。
これは私の罪。
私は、私を許せない。
桜の木を見上げる。いつしか雪が舞いはじめたのに、桜は見事に咲き誇っていた。
ありがとう。心の中でそっと呟いた。桜が見守ってくれるなら、自己満足で終わらずに済む。
抱えていた、鞘のない刀を静かに構えた。持ち替えて、雪明かりに輝く切っ先を自分の腹に向ける。
きっと贖うことは永遠に叶わない。誰も許してくれる人はいないから。ただ一人、かりんを除いて。
それでも。せめてもの償いができるなら、
私は、この刃を突き立てよう――――
――――冷たい。
冷たい何かが首筋に触れて目が覚めた。その瞬間、私の顔をのぞき込む見知らぬ少女と目が合う。金髪の可愛らしい女の子だ。
「おはよう」
機械のように色のない声を聞いて、反射的に少女の膝の上から身を転がして私は刀を抜いた。
「だれ」
表情の読めない少女と見つめ合うこと数秒。その数秒で私は自分の異変に気付く。
なぜ刀を持っているのか。
そもそもなぜ、生きているのか。
それを自覚できるぐらいには記憶がある。心臓を貫かれて意識を失う、ギリギリのところまで。それから夢を見ていたような気がするけど、そっちはおぼろげにしか覚えていない。
「落ち着いて」
少女がベンチから立ち上がって近付いてくる。切りかかるべきか否か判断がつかず、刀の柄を握る手が震えた。
どうして私は刀を携えているんだろう。こんなありふれた夕暮れ時に、人気のない駅の待合室で。
こんなの普通じゃない。もし他に人がいれば警察沙汰だ。
「怖くないよ。何もしないから。それはしまって」
信じるか。
信じないか。
我ながら疑い深過ぎて笑いそうになる。言葉の通り、金髪の少女に攻撃的な雰囲気はない。強いて言えば、この状況で冷静でいられるのは怪しいと思う。
そもそも、少女は"何もしない"と言った。"やめて"とは言っていない。それで私が切りかかればどうなるか、わからないほど私も馬鹿じゃない。
諦めたように刀を収める。腰元でも背中でもなく、収めようと思ったら刀の方は自然に消えた。
「ありがとう。驚かせてごめんなさい」
「こちらこそ……反射的にとは言え、こんなこと……」
「大丈夫。わたしは慣れてる」
少女はやっぱり表情を変えずに、色のない声で言う。
きっとこういう子なんだ。感情表現が苦手なんだろう。私もこの子ほどではないけど、苦手な方だからわかる。
「……ん? 慣れてる?」
「そう。いつものこと」
「いつものことって、あなたいったい」
疑問を投げかけようとして、手で制された。
「わたしのことはいい。まず冴子が自分の状況を把握するのが先」
「どうして、私の……」
この子の顔にはさっぱり覚えがない。いったい何者なのか、全くわからない。
わからないけど、なぜだかこの子は私のことを知っている。きっと、いま私が知りたいようなことも知っているんだろう。直感的にそう思った。
「確認しておくけど、自分が死んだことは理解してる?」
「……頭では、ね。胸を刺されたことも、」
左手で自分の胸に触れようとして、思いがけず柔らかいものに触れた。
反射的に自分の胸元を見る。見なければ良かったと思った。
柔らかかったのはなけなしの脂肪の塊などではなくて、文字通りの"中身"だった。貫かれた部分は綺麗にくり抜かれて、嫌なものがのぞいている。
それを見てしまった衝撃で、急になにか怖くなった。
「ねえ、私って本当に死んだんだよね? それじゃあここって天国か地獄? どうして私、こんな状態で喋ってるの?」
「あなたは間違いなく死んだ。そしてここは天国でも地獄でもない、元からいる世界。あなたがそうしていられるのは、魔法のおかげ」
錯乱気味になった私の問いに、少女は機械のように淡々と答えた。
「魔法って――」
そんなもの。言おうとしたところで陽子のことを思い出した。気に食わないけど、いまさら否定するのも馬鹿げている。
それじゃあ誰の魔法が私を繋ぎとめているのか。その答えは私自身が持っていた。
「わた、し……」
気付こうとしなかっただけ。感覚はもう備わっている。そうでもなければ、虚空から刀を出したりなんてできやしない。
いつから魔法が使えたのか、その答えもわかる。死んだ後だ。
「説明はいらない?」
一人うつむいて納得している私の様子を見てか、少女が言った。
「待って……死ぬ前は私、魔法を使えなかったはず。だから死に際に魔法で命を繋ぐなんてできないでしょ? そのあたりは、どうなの」
「順序が違う。魔法が使えるから死に切れなかったんじゃない。死に損なったから、魔法が使えるようになったの」
「死に損なった、から」
それで魔法が使えるようになった。なんて皮肉な話なんだろう。魔法の対価に命を差し出したなんて、趣味の悪いおとぎ話だ。
この話を生前のかりんにできたとして、あの子はなんて顔をしただろうか。
いや、まさか――
「もしかして、かりんは」
「違う。彼女は確かに死んだ。ネクロマギアにはなっていない」
察しのいい少女は食い気味に首を振った。ふいに過ぎった希望は儚く消えていく。うっすらそんな気はしていたけど、こうもあっさり否定されるなんて。
万が一にもかりんが魔法使いになっていたとして、そこに至るステップで死んだことに対してはどう向き合っていいかわからない。それでももし、かりんとまた話すことができたら。
そんな思いは拭い切れずに、胸の奥で眠りについた。
「……ところで、ネクロマギアってなに?」
「死に損なって生まれた魔法使いのこと。わたしや冴子みたいなのがそう。ちなみに陽子は違う」
さらっと少女が自身の情報を出してきたけど、いまさら驚きはしなかった。これだけのことを知っているなら、彼女が魔法使いであることはむしろ納得のいく話だ。
それよりも、陽子の名前が出てきたことが驚きだ。
「彼女はマギア。わたし達は死の魔法使いで、あっちは生の魔法使い。マギアは生まれながらに素質のあるものがなる。死を経過しない」
「ふぅん……それじゃ、あいつは死んでないのか」
恨めしい。私は命と引き換えに欲しくもないものを手にしているのに、あいつは対価を払うこともなく欲しいものを手にしているなんて。不平等にも程がある。
でもまあ、陽子がどうであろうと私には関係ない。私に関わらないでいてくれるなら、せいぜい痛い目を見ない程度に勝手にしていればいい。
陽子は陽子。私は、私。
「状況はなんとなく把握できた。ありがとう」
あらかた理解はした。整理がついたとは言っていない。きっとまだ理解の及ばないことは山ほど出てくるだろうけど、いまはそこまで頭が回らない。
かりんのことと、自分のことでいっぱいいっぱいだ。
「ごめんなさい」
不意に少女が言った。風のように涼しく、穏やかな声で。
彼女が初めて見せた人間らしい色に、ついほだされてしまう。
「どうしてあなたが謝るの?」
私の問いかけに答えもせず、少女は広げた手をそっと私の胸の残っている部分にあてがった。優しく、冷たい、冷たい手で。
「あなたが死んでしまったのはわたしのせい。わたしが、もっと早く気付いていれば良かった」
ずきんと、空っぽの胸が強く痛んだ。
それと同時に凍えながら刀を抱える自分の姿が脳裏に浮かぶ。記憶のどこにもない場所で、独り震える私が。
がくんと、膝から崩れ落ちた。自分の身体を支えきれないほど力が抜けて、そのまま少女に寄りかかってしまう。
「ごめんなさい」
少女はまた謝りながら、華奢な腕で私を優しく包んだ。
そんな見ず知らずの少女に左の肩を預けながら、私の意識は虚ろな記憶の中をさまよっている。
浴衣姿で生き生きとしていたかりんの姿。
霜が降りるほどの冷気に身を切られる私。
艶やかな最期を迎えたかりんの硬く冷たい手。
自分自身に突き立てた白銀の刃。
その一つ一つが心を抉る。背筋を凍らす。何が正しい記憶なのかわからなくなりそうだ。
ああ、でも。そのまま現実から目を背けられたら、どれだけ楽だっただろう。
「あ、あぁ……」
死んだ。人殺し。私のせい。私が殺した。
とめどない罪の意識が涙に変わって頬を伝う。我慢できずに叫んでしまいそうで、でもそれだけは嫌で。
虚空から手にした短刀を右手で握りしめ、切っ先を左腕に向けた。それを力の限り突き刺そうとして、
「だめ」
止められた。
気付けば蛇のような黒い影が刀身に巻き付いていて、刀はびくともしない。彼女の魔法だろう。
「離して」
半身を預けておきながら、矛盾しているなと思った。それでも少女の腕から伸びる黒い影に抗おうと、右手には力がこもる。
だけど刀は一ミリも動かない。
「謝るぐらいなら……好きに、させてよ」
悔しくて嗚咽が漏れそうになる。ありったけの力で刀の柄を握る手から、どろりと黒っぽい血が滴った。
「それで満足する?」
少女の言葉がいやに挑発的に刺さる。
きっと彼女にそんな意図はないのに。私の心が限界を迎えているせいだ。
「知らない」
ぶっきらぼうに言った。
「そう」
と、短い一言が聞こえて間もなく。
釣り合っていた力はふっと消えて、右手の刀は音もなく弧を描いて青白い素肌を抉った。




