転んではいない
黒いワンピース姿を追いながら見知らぬ土地を歩く。目新しい街の景色を横目に歩くのは新鮮でいて、懐かしい。
かりんと歩く時も同じだった。知らない土地へ足を伸ばす時なんかには、決まってあの子が半歩前を歩いてくれた。優柔不断な私と違って、目的地までの道のりで迷う様子を見せることもなかった。
半歩後ろ。それが私の定位置。少し引いた立ち位置でかりんの可愛らしい横顔を眺めるのが好きだった。私の目的はあくまでかりんと一緒にいることで、目的地なんて何でも良かった。
お互いの目的はバラバラだったに違いない。でも、だからこそ噛み合っていたようで、私にはそれが心地よかった。
あの子にとっては、どうだったんだろうか。
「何も無いね」
カラスを呼んだ路地裏からシエラの後をついて歩くこと十数分。足を止めたのは駅から南、武藤の務める会社のオフィスへと続く道の途中だった。
右手には車道を隔てるガードレールがあって、左手にはマンションの植え込みがある。無理やり情報を付け足すなら植え込み寄りに電柱が立っているぐらい。上空からの視線を遮るようなものもない、どこにでもありそうな道端の一角で武藤は姿を消していた。
それらしい痕跡の一つもない平凡な景色を前に、私たちは立ち尽くす。
「……」
シエラは黙って武藤たちが消えた辺りをじっと眺めている。観察しているのか次の手を考えているのかは傍目ではわからない。
と、
「それ」
背中に隠れて気付かなかったけど、視線の先を覗くと電柱の根元あたりで黒い影がうごめいている。シエラがいつも操っているあの蛇だ。遠目からでは生きている蛇と区別がつかないよう、うまくサイズが調整されている。
「何かある」
「何か?」
見れば蛇は首を持ち上げて、中空とも電柱ともつかない辺りの様子をうかがっているようにも見えた。消えた武藤のにおいでも残っているのだろうか。
「魔法の痕跡……転移魔法じゃない」
独り言のように呟いたシエラは蛇のそばに屈んで視線を右往左往させる。私もつられるように同じ目線になってみるものの、やっぱり変わったものが落ちている気配もない。
「シエラがよくやる瞬間移動とは違うってこと?」
「そう。他の魔法で移動したか姿を消したかだと思う。この辺りに怪しい道具や何かの跡がないか、一緒に調べてほしい」
「わかった」
怪しさの基準は分からないけど、私にもできそうなことでほっとした。
シエラが植え込みの方を土を掘り返す勢いで調べ始めたから、私も半端なことはできないと歩道や電柱、ガードレールをくまなく調べる。傍から見れば完全に不審者だけど、今のところ人通りはないし監視カメラもない。あったところでシエラが魔法なりでどうにかしれくれるだろうと割り切って、目を皿にした。
とは言え簡単に手がかりが見つかるはずもない。間違い探しのように目を凝らしていると、舗装された歩道のかすかな色の違いやアスファルトが削れてできた砂利ですら怪しく見えてくる。撫でてみたり手に取ってみたりしても特別な何かはなかった。
そのうち目が疲れてきて、休憩のためにガードレールへと背中を預ける。日差しを遮るものもない道端で延々とこんなことを続けるのは自殺行為だ。魔法で体温だか何かを調節してくれるこの身体でなければ、倒れていたに違いない。便利でありがたい反面、それを実感するほどにまともな人間から遠ざかる気がして複雑だ。
「……」
上の空で電柱の肌をなぞる。右手の先がコンクリートの上を滑り、それから黄色と黒の縞模様に触れる。
物思いにふけると普段は気にしないようなことが気になってくる。いま触れているものも、よく見かけるけど何のために巻かれているのかは分からない。ただそれが分かったところで、武藤の足取りとはまず関係ない。いまは余計なことなんて考えていないで手がかりを、
「これ」
ちょうど手を置いていた辺りに目を凝らす。黄色と黒の縞模様。その黒い部分にうっすらと白く、鳥居のマークが描かれている。いたずら描きにしては主張が弱いし、丁寧に描かれている気がしないでもない。
怪しくないか見てもらおうとシエラの方を振り返り、
「ねえ、見てーー」
目を見張った。
いるはずのシエラがいない。あったはずの植え込みもない。ガードレールも電柱も、何もかも。
その代わりに山あいの田舎の光景が一面に広がっていた。目の前には一本のあぜ道が伸びていて、あぜ道の先には生け垣に囲われた民家がある。整えられた生け垣や敷地の広さを見るに、ひと時代前から裕福だった家であろうことがわかる。田舎の豪邸とでも言えばいいだろうか。
探していた武藤の別邸であることは、ほぼ間違いない。
「……これ」
振り返ってみればすぐそばに鳥居が立っていた。鳥居の中というのか、鳥居より先は仄白いもやがかかって先が見えない。近寄って試しに手を伸ばすと見えない壁のようなものに触れた。ここから入って来たんだろうけど、どうも戻れはしないらしい。
改めてあぜ道の両脇を見てみても、青々とした田んぼが比喩ではなく無限に広がっている。五七の家の上空から見た景色に似ていて、ここが特別な場所であることに疑いはなくなった。スマホを手に取って見てみれば圏外で、裏付けは十分だ。
「シエラ」
ダメ元で鳥居の外へ向けて声をかけてみた。けど、いつかのようにすぐ現れることはなくて、しばらく待ってみても姿を見せる気配はなかった。このもやが茜ヶ丘との境界であるのは察しがつくけど、行き来する方法は見当がつかない。私だけがここに来た理由も。
待つべきか。
進むべきか。
優柔不断な、いつもの私が顔を出す。分断されて連絡が取れなくなった時にどうするかは決めてない。さっきまでならシエラが先を行ってくれて、昔ならかりんが導いてくれていた。
けど、いまは私ひとり。
「昔って……はは」
遠い過去を懐かしむような自分の思考に苦笑いが浮かぶ。それほど遠くに感じてしまっているんだろうか。いまもまだ、あの子の背中を追いかけているというのに。
頬を叩く。
深呼吸を一つ。
それから半ば無意識に、首元に垂れ下がったチョーカーの装飾を握る。桜のワンポイントが私の背中を押してくれた気がした。
周囲を警戒しながらあぜ道を進む。日差しは春のように穏やかで、生ぬるい風の一つも吹かない。土や草のにおいもなく、それらしく作られた偽物のような感じがした。気味が悪い。それこそ幽霊が出てきてもおかしくないような独特の空気感がある。
敷地は大雑把に左右で区切られていて、左手には年季の入った木造の平屋と蔵がある。古そうではあるけど生活感があるような気もする。右手に見える二階建ての家は築十年ぐらいだろうか。見比べるとかなり新しく見えるけど、綺麗過ぎて逆に生活感が感じられない。
どちらかには、いるんだろう。
ジーパンの右ポケットを確かめた。武藤を拘束する手段はある。そのための段取りも頭にある。戦力の如何を除けば一人で完結できないこともーー
『入れば良かろうに』
「っ……」
じっとりと地を這うように低い声が、おそらく平屋の方から聞こえた。聞いたことはないけれど思い当たる人物は一人だけ。
私がいることは既にバレているらしい。いまさら隠れても仕方がないということだ。
観念したように平屋の玄関に立つ。刀は、まだ手に取らない。
「お邪魔します」
重い引き戸を引くとすぐに人影が見えて、飛び退くように身構えた。
「お待ちしておりました」
玄関から一歩だけ外に退いて身構える私を咎めることもなく、妙齢の女性は淑やかに一礼した。武藤の横を歩いていた秘書とは違う人に見えるけど、彼女も一般の人ではないんだろう。
まず間違いなく味方ではない。とは言え、敵意を感じないから私も相応に警戒を解くべきだと思った。
「……すみません。驚いてしまって」
「いえ。お気になさらず。どうぞ」
和服の似合う女性は落ち着いた笑顔で応じた。彼女のことをどれだけ信用していいものか分からないけど、いまは素直についていくしかない。
靴を脱いで上がるとそれだけで弱くなった気がして、板張りの廊下が立てる音に神経が逆立つ。こんな調子では戦うどころか、話し合いすらもまともにできるか怪しい。遅れてでもシエラが来てくれたら。そんな淡い期待を抱かずにはいられなかった。
「こちらで主がお待ちです」
足を止めたのはごく普通の、だけどどこか重々しい圧を感じさせる障子の前。この先は自分で行けということなのか、女性は部屋への出入りを任されたように脇で控えて動かない。入ってしまえば容易に出られないぞと、暗に言われているようにもとれる。
もう後戻りはできない。そう予感するとふと鏡が見たくなった。どんな風に決着するとしても、ここを出る時の私はきっといまの自分と違う自分になっている。どう変わってしまうかなんて想像もつかないけど、急に言い知れない不安が押し寄せた。
いまの自分の姿を、目に焼き付けておきたくなった。
だけどそれは叶うはずもなく、息が詰まるほどの剣呑な静寂が目の前に立ちはだかる。多少は実戦らしい経験があるにしても、生身の人間を相手にするという事実が重くのしかかる。話し合いで済めばいいけれど、それで終わらないことを何より死んだ私の身体が理解しているみたいだった。
「どうも」
鉛のような腕を持ち上げ、半ば諦めるように障子を引いた。
何の飾りっけもない、テニスコートほどの広さがあろうかというほどだだっ広い和室。その中央に背の低い長テーブルと座布団だけが用意されている。来客用の部屋なのかは分からないけど、少なくとも生活感はなかった。
「遅い」
奥側の座布団に腰掛ける中年の男――武藤は、背後に例の秘書を控えさせて不満げに息を吐く。
「すみません」
開口一番で立場をわからされたみたいだった。風紀を乱す者として取り締まられるべき武藤だけど、外と隔絶したこの空間では全ての主導権を握っているとみて間違いない。そんな私が交渉を持ちかけようものならへりくだるしかなかった。
武藤は渋い顔で鼻を鳴らして茶をすする。見ればこちら側の席にも一人分の湯呑が用意されていた。
「まあ座らんか」
「……はい」
いきなり戦闘が始まる、なんてことにならなくて安堵した。話し合いたい私としては都合がいい。戦わずに済むなら、それにこしたことはない。
座布団の上に腰を落ち着けて武藤と向かい合う。あぐらをかく武藤よりも正座をする私の方が視線が高いものの、言いようのないプレッシャーが伝わってくる。相手が見知らぬ年配の男性だからというのもあるけど、一番の理由は別にあった。
武藤は慣れている。魔法の扱い、戦うこと、人を殺すことに。そんな事前の情報が武藤を前にして現実味を増した。
だから、怖い。
「茶は苦手かね」
「あ、いえ。いただきます」
気を害さないようにと茶をすする。向こうにはまだ戦意がない。それも「いまは」ないと言うだけなのが何となくわかる。よっぽど私が上手くやり込めない限り戦闘に発展せざるを得ない。
さて、どう話を切り出そうーー
「……ん」
思わず思考が止まって湯呑へと視線が向く。
白い湯呑の中で揺らめく澄んだ黄緑色の液体。お茶には詳しくないけど、よく知っている緑茶の味と香りには違いなかった。
だけど、舌の上をぴりぴりとした感覚が踊っている。香辛料の刺激とは違う経験のない感覚は、魔法のおかげなのか考えを巡らす間もなく消えていった。
「ふむ。そちら側か」
さぞ気が重そうに息を吐く。その理由と言葉の意味を理解するより先、
「ッ!」
弾かれたように右手を顔の前で構えた。そして逆手に、小回りの効く短刀を。
それとほぼ同時。金属のぶつかる音が耳を刺し、右手に鈍い反動が残る。
投げ出された湯呑がごとりと音を立てたのは、その後のことだった。




