あかねさす
午後三時四分。某食品メーカーの本社オフィスを出た武藤は、移動のためにターミナル駅を経由して地下鉄の東西線に乗り換える。東西線の茜ヶ丘駅を最寄りとする会社の別拠点へ向かうため、というのは表向きのスケジュール。実際は同じ茜ヶ丘駅から近い彼の別宅へ行くための移動らしいというのが、風紀委員の調査でわかっていた。らしいと曖昧な表現なのは、その別宅の所在地が未だにわかっていないからだそうだ。
シエラから聞かされる情報をスマホのメモに落としながら、少しだけ見知った地下鉄の車内を眺める。前に乗った時は身動きが取れないほど人がいっぱいだったけど、いまは平日だからか車内は閑散としている。おかげで同じ車両のほぼ反対側に座っている、武藤と秘書の様子もうかがえなくはない。
「気を付けて」
「ごめん。ちょっと周りが気になって」
シエラに咎められて慌ててスマホへと視線を戻す。
武藤が展開しているという感知の魔法は視線を鍵にしているらしい。要は自分へと視線が注がれていることを察知することで、いち早く敵意や何やらに勘づくんだとか。シエラに注意されたのはそれが理由だ。
自分でも軽率だったのはわかる。けど、これからのことを思うとどうしても落ち着かない。人間を相手にして戦うかもしれないなんて。
「そういえば、これ」
と、肩をつつかれて振り向くと、シエラが飾り紐のようなものを差し出してきた。先端が小さな桜の模様に編まれていて可愛らしい。
「どうしたの急に」
「首に着けて」
唐突なことに理解が追いつかないまま飾り紐――もといチョーカーを受け取る。桜のワンポイントは可愛らしいけど、全体はシンプルだから私でもギリギリつけられなくはない……だろうか。
「弱点を守るのにあった方がいい」
そう付け加えて、シエラはまごつく私の手からチョーカーを奪い返して問答無用で私の首に手を回した。
なされるがまま、いつも通り言葉足らずなシエラの意図を推察する。弱点というのはおそらく、ネクロマギアとしての弱点ということだろう。
「手足が千切れたり心臓を潰されたりしてもわたしたちは死なないけど、首と胴体が離れると意識が飛ぶから」
「わ、」
急に物騒なことを言い出すから慌てて辺りを見回した。ぱっと見た感じ、聞こえそうな範囲に人がいなくて胸を撫で下ろす。こういうところで警戒心がないことにはいつもひやひやさせられる。駅に瞬間移動したときのように何か対策を打っているならいいけど、対策をしているのかどうかを知らない私としては気が気でない。
そんな私の気も知らないで、チョーカーを着け終えたシエラは平然と続けた。
「そうやって意識が飛べば仮死状態になる。自力ではその状態から復帰できないから、首だけは守る必要がある」
「そのための、これ……」
着けてもらったチョーカーに触れる。さっき目にしたままの手触りで、特に頑丈そうな感じはしない。試しに首筋も突っついてみたけど、守られている感触はなかった。
「あくまで最後の砦。自分でも意識して守るのが大事」
「そっか。御守りみたいなものなんだね」
鏡面になった車窓に映る自分を眺める。ジーパンにTシャツと女の子らしさの欠けらも無い姿だけど、そこに後付けされたチョーカーに違和感は無い。わざわざ私の普段着を意識して用意してくれたんだろうか。
「シエラは着けないの?」
シエラのチョーカーと見比べようと思ったけど、ぱっと見たところ着けている様子がない。黒いワンピースの襟元に隠れているわけでも無さそうだ。
「わたしはいい」
それっきりで、シエラはぼうっと正面の車窓を眺めていた。チョーカーを着けない理由までは話してくれないらしい。強いから必要ないのかもしれないけど、きっと別の理由がある。
その理由も、気持ちにもなんとなく察しはついた。だけどいまここで深掘りすることでもない。
『次は、茜ヶ丘。茜ヶ丘でございます。お降りの……』
車内放送が次の停車駅を告げる。武藤の、私たちの降りる駅だ。
シエラが言うには力尽くで拘束するのは難しくないらしい。ただ、別宅の所在を暴けたら余罪を追及するにも都合がいいということで、できる限りの尾行をすることになっている。戦闘を起こすにも一般人の目を避けられる個人の敷地内の方が、後処理の手間が省けていいようだ。
武藤を追って別宅へ押しかけ、力でねじ伏せる。字面だけなら簡単そうに思えなくもない。私の戦闘能力はさておき、聞いたばかりの弱点を除けば死なない――もとい死んでいるという点が有利に働くはずだから。
「降りるよ」
「うん」
とは言え、緊張しないはずがない。いつ戦闘が始まるかわからないせいで指の先まで力が入る。こんな風に気を張っていては少しの刺激で氷の魔法が暴発しかねない。人目もあるからそれだけは避けたいけど、制御の仕方は未だにわからないまま。万が一のカバーはすべてシエラが背負ってくれるらしいけど、できるだけ迷惑はかけたくない。
やがて車窓の外が明るくなり、地下鉄がゆるりと停車する。いままさに降り立とうとする茜ヶ丘の駅周辺に目立った観光施設や学校なんかはない。高級住宅地とオフィス、それとオシャレな飲食店がまばらに混在した街だと事前の情報で聞かされた。私たちは近ごろ話題のお店を目当てにやってきた大学生という、アレン考案の設定で尾行をすることになっている。
ホームの構内案内を見ながら横目で武藤たちが降りたのを確認して、私たちも少し遅れて同じ方向へと歩き出した。
「お腹空いた」
武藤まで聞こえるはずもないけど、それっぽいことを言って自分の緊張を紛らわせた。食事の必要も、お腹が空くこともない私たちには少し皮肉っぽい設定だと思う。飲食店のほかに設定の足しになる施設がなかった結果なんだろうけど。
改札へ向かう階段を上る。意識し過ぎないよう武藤の足下を目で追いながら、ほどほどの距離感を保つ。
改札を通って地上へ出ると、聞いていた通り閑静で小洒落た街の景色が広がっていた。道行く人の数はまばらで、後をつけるには少し分が悪い。武藤たちが信号を渡っていくのを一瞥して、怪しまれないようにといったん立ち止まる。茜ヶ丘駅の2番出口を出たすぐ脇でカフェの場所を調べるフリを、
「あの」
「わっ」
不意に声をかけられて思わず肩をビクつかせてしまった。顔を上げたら見知らぬ若い女性が目の前にいる。人の顔を覚えるのは苦手な方だけど、武藤の秘書とは違うのが着ている服でわかった。
あの秘書でないことと、加えて魔法が暴発しなかったことにひとまず胸を撫で下ろした。
「すみません急に。大学生さん? ……たちなら詳しいかと思って。この辺りに美味しいフレンチトーストのお店があるって知人に聞いたんですけど」
妙齢の女性は穏やかな表情で言った。フレンチトーストの一言ですぐにピンと来たものはある。何の因果か、アレンが決めた私たちの設定上の目的地に違いない。
女性の柔らかな物腰も相まって力を貸してあげたくなるけど、いまだけはタイミングが悪い。
「すみません、私たちもこの辺りには詳しくなくて」
「あら、そうでしたか。ごめんなさいね急に。茜ヶ丘に来る学生さんならこの辺りのカフェ事情に詳しいかと思ったんですけど。何か他の用事ですか?」
「ああ、いえ。確かに目当てのお店があって来たんですけど、そこ以外は全然知らないというか……」
「あら! どこかいいお店があるんですね! 良ければお店の名前を教えてもらえませんか?」
「えと、ちょっと待ってくださいね」
またスマホで調べるフリをしながら思考を巡らす。
まずい。会話を切るきっかけが掴めなくて思いがけず足止めを食らっている。しかも中途半端な嘘をついたせいで返答に困ってしまった。返答に時間をかければ怪しまれて時間を食いそうだし、正直にお店の名前を出せばそれはそれで時間を食う。
声をかけられて素直に取り合ったのが間違いだった。いまさら無視もできないのが歯がゆい。こんな簡単な判断もできないなんて、自分の未熟さを思い知らされる。
「えー……」
シエラの助け舟がほしい。そもそもシエラが受けていた、私には関係ない依頼だったはずなんだから。
そんな思いで棒立ちしたままのシエラを横目で見た、次の瞬間。
「ギッ……」
耳障りな音が聞こえた。
何事かと振り向けば、話していた女性がふらりとバランスを崩して地面に倒れる。急なことに気が動転しつつも手を差し伸べようとして、
「だいじょうぶ……」
シエラにぐっと腕を掴まれた。それとほぼ同時、倒れた女性の顔を――顔があったところを見て息が詰まった。
突然のことに焦るあまり辺りを見回そうとして、またぐいと腕を引かれた。
「やられた」
私の注意を引いておきながら、こっちを見ることもなくシエラがぼそりと呟く。状況がさっぱり飲み込めないけど、言葉の割にいつも通りの平然とした様子でいるシエラが心強い。
とにかく疑問をぶつけようと口を開きかけたものの、シエラはまた何も言わずに私の腕を引いて歩き出した。私がすっかり見失ってしまった武藤の足取りがわかるのか、車道脇の歩道をぐんぐん進んでいく。倒れた女性には目もくれずに。
「ちょ、あの人は」
「人じゃない」
「え?」
思わず振り返る。さっきまで立ち話をしていた2番出口はやや遠目に見えて、そこに女性が
「……いない」
確かに喋っていたはずなのに。その辺りには誰もいなくて、目につくものといえば地面に落ちたひしゃげたビニール傘ぐらい。
あんなもの、あっただろうか。
「幻惑魔法の一種」
どこかへと向かう足を止めないでシエラが言った。
「幻惑って、シエラが瞬間移動の時に使ってたっていう?」
「そう。わたしのは周囲の人の意識をわたしたちから逸らせる幻惑魔法。範囲が広くて影響力が弱い。さっきのはターゲットを絞った幻惑魔法。範囲が狭くて影響力が強い」
「もしかして、あの傘が女の人に見えてたってこと?」
シエラが無言で頷く。要はあの女性、実際はただの傘だったということだ。私はヒトではなくモノに向けて独り言をぶつけていただけだったらしい。
なるほど。それなら女性が倒れた時に、近場の人達が悲鳴の一つも上げなかったこととも辻褄が合う。強いて言えば冷ややかな視線を向けられていた気がしたけど、それは傘に話しかける異常者として見られていただけに過ぎない。
「シエラはいつから気付いてたの」
「最初から怪しいとは思っていた。なかなか確信が持てなかったから、少し強めに叩いてようやく気付いた」
「叩いたって……あ、」
女性が倒れた――正確にはビニール傘が壊れたのがあまりに唐突だとは思っていたけど、何かしらの方法でシエラが攻撃していたらしい。その時に殴り掛かるようなそぶりは見えなかったから魔法でも使ったんだろう。
こうして状況を振り返ると、改めてシエラが経験豊富であることがわかる。おかげで私がいかに無力で無知かを思い知らされるようだ。応戦の仕方も咄嗟に思いつかないだろうに、実戦で魔法の制御を学ぶなんて、やっぱり……
「……ってこれ、もしかして尾行に気付かれてる?」
「おそらく」
攻撃されたとまでは言わなくても、魔法で罠にかけられた。辺りに見知らぬ魔法使いがいないとも言いきれないだろうけど、流れを考えれば武藤の仕業としか考えようが無い。
別宅まで尾行を完遂するという流れは早くも崩れてしまった。でもそれは、最善のルートが絶たれただけに過ぎない。遅からず尾行に気付かれるのは見込んでいたから、気付かれた原因まではわざわざ探らない。その辺りも事前に確認したことだ。
シエラが足を止める。民家と民家の間を縫う薄暗い路地の途中で。
「おいで」
私ではなく、上に向けてシエラが小声で呼びかけた。つられるように見上げても民家の壁と狭い空が見えるだけ。そう思っているうちに黒い影が頭上高くに現れ、みるみるこちらへと近付いてきた。
「カラス?」
それは翼をはためかせ、シエラが掲げていた左手の甲にとまった。手懐けられている風なのを除けば何の変哲もない、どこにでもいるカラスに見える。
「目を閉じて」
空いた方の手で私の手を取り、シエラは手本のように目を閉じた。疑問は置いておいて、言われるがままに目を閉じてみる。
「あ……」
高い場所から街を見下ろす景色が、閉じたまぶたの裏に映った。視線の先と思しき視界の中心には常に同じ人影があって、それが武藤と秘書であることはすぐに理解できた。第二の追跡策があるとは聞いていたけど、それがこんな形だとは思わなかった。
ただ、慣れない土地だから映像を見ても具体的な位置や方角はわからない。貴重な情報には違いないけど、どれだけ参考になるだろう。
「えっ?」
武藤と秘書の姿が急に消えた。建物に入って見えなくなったとか、うっかり見失ったとか、そういうのとは違う。普通に歩道を歩いていた二人が、文字通り瞬きの間に消えた。
「行こう」
シエラの声に目を開けるとちょうどカラスが飛び立つところだった。その子に案内してもらうのかと思いきやそうでも無いらしく、飛び去った方を見向きもしないでシエラはまた歩き出す。きっと検討がついたんだろう。
「うん」
慣れてはきたけれど、素っ気なさと言葉の少なさに怒っているんじゃないかと思うことがある。特にいまは私にできることがなくて、足を引っ張ることしかできないから。
せめて戦闘の場ぐらいは役に立とう。いつしかそんな気持ちを胸に、日陰から出た小さな背中を追った。




