切り断ち結び
視界の端で、飛び散ったお茶がじわりと畳の色を濃くしていく。
謝らなければ。なんて一瞬でも考えた自分が馬鹿馬鹿しい。この期に及んで優等生を演じる必要も、ましてや攻撃してきた相手のご機嫌取りをする必要もないのに。
「ふん。勘がいいな。油断し切ってはいなかったか」
顔を庇うように右腕を構えたまま、事もなげに無精髭をさする武藤を一瞥する。その延長で秘書の方にも目を向けてみるものの、どちらも落ち着いた様子で攻撃してきた後には見えなかった。
お茶に気を取られていたせいで、二人のどちらが動いたのか判然としない。何ならどういう攻撃を食らったのかもわからない。短刀を伝った感触と衝突音からして金属のようだったけど、その何かは目視できていないうえに辺りには湯呑みしか落ちていない。
言い知れない気配を感じて咄嗟に首を庇ったのは奇跡に近かった。
「っ……」
遅れて舌の痺れが喉を伝って降りてくる。咄嗟に喉を抑えたものの、痒いような熱いような痛いような感覚は胸元を過ぎる辺りには消えていた。
「本当に厄介な身体をしているな、お前たち死に損ないは。大人しく毒に呑まれておればいいものを」
「どうして、毒なんて」
まだ毒が残っていたのか、ざらついた声が出て咳き込んだ。
「どうしてもこうしてもなかろう。人の後をつけてきた怪しい輩を懲らしめて何が悪い。素っ首落とされなかっただけマシだと思ってもらいたいがね」
「……落とすつもりだったくせに」
下卑た笑みを浮かべる武藤に啖呵を切る。ここまで来たら和解の道なんてない。アレンから受けた依頼をこなすために、シエラに聞かされていた最終的な手段を取るだけ。
「よく分かってるじゃないか」
武藤の顔が愉しげに歪む。人間の顔はこんなにも醜悪に染まるものかと、ぞわりと背筋を震わせた矢先。
パン、と武藤が柏手を打つ。
「っあ、」
何事かと身構える間もなく、右肩に衝撃が走った。
咄嗟に見れば馴染みのある模様が目に入る。緑色で円筒型の――竹が、深々と肩に刺さっている。
「うん? 少しズレたか」
直感的に腕の長さほどあろう青竹は、その半分が私の身体に埋もれて半分が肩から突き出ている。吹き出るほどではないにせよ、それなりな量の血とともに。
あと少しズレていたらどうなっていたか。想像すると鳥肌が立ちそうだった。
「私が何をしたって言うわけ」
「ふん。断りもなく人の後をつけてきた不届き者を殺すのにそれ以上の理由がいるかね」
何の躊躇いもなく武藤は言った。尾行していたことには弁解の余地もないし荒事になる想定だってしていた。けど、こうも簡単に「殺す」だなんて。
言葉を失っていると、私をしげしげと眺める彼の視線がほんのわずか上を向く。角度からして私の頭上、何もないはずの天井へ。そこに何かがいる、もしくはあるかのようなサインに見えた。
武藤の感覚は理解し得ないけど、この状況で冷静さを保っている自分も大概だと思う。どう考えたってこの身体のせい。この身体のおかげ。
だって痛くない。
だからそれほど怖くない。思考が囚われない。
「ふっ」
左手に出した刀を真上に投げた。長細い刀身は狙い通り天井に刺さる。だけど何の音沙汰もない。
人か、それに準ずるものはいないと見た。
「戦い慣れているな」
「そうでもないけど」
そんな自負はない。機転が利いたのはたまたまだし、それが的を得たことだったのかも分からない。けど、そう思われたということは天井の方に何かがあったことの裏付けとも言える。
「私は面倒なことが嫌いでね。必要なければ歩くことすらしたくないと思う」
何を思ったか、ゆとりある声色で武藤が語り始める。実際のところ、敵地の中心で一対二の状況に置かれた私が有利なはずもなく。
「戦うにも最小限の労力で、それが私のモットーだ」
「何が言いたいわけ」
会話に応じる風を装ってちらりと辺りを見回す。希望的観測をするなら敵は目の前の二人と私を案内してくれた一人。武藤が魔法を使うことは把握済みで、秘書も恐らく戦闘能力がある。外にいる人は前情報にない。イレギュラーな存在こそ厄介極まりないけど、いまは考えても仕方ない。
考えるべきは目の前のことだ。
「手を下すのも楽にしたいわけだよ。武器を振ったり命中するかもわからない属性魔法で体力を消費したりなぞは論外だ。そこで私が選んだ魔法はね、罠だよ」
「罠……って、なんで」
「なぜ手の内を晒すのかって? 簡単なことだ。その方が楽しめる」
食い気味に答えた武藤の意図は想像もつかなかった。
魂に刻まれた魔法しか使えないネクロマギアと違い、マギアは術式さえ構築できればおおよそどんな魔法も使えるらしい。戦う上では手の内が読まれにくく、それが大きな利点になる、はずなのに。
「魔法で罠を張ってあることがわかったとて、この部屋にどういう罠がどれだけあるか分からんだろう。だから手の内なぞ晒していないも同然。よってお前はいつ、どこから来るかも分からない攻撃に怯えながら戦うことを強いられる。ネクロマギアと言えど首を撥ねられれば終わりだろう?」
何も言い返せない。大した経験もない私と違ってこの男、戦う術もネクロマギアのこともよくわかっている。
「それにな、」
武藤が机を小突く。罠の発動する合図だろうと身構えるもあてが外れた。気付けば武藤の後ろに控えていたはずの秘書が目の前に。飛び退く隙もなく、私はみぞおちを蹴り上げられた。
「っ……ぐ」
吹き飛んだ。比喩ではなく数メートル。思わず短刀が手を離れて声まで出たけど、痛みの方は相変わらず。普通なら気絶していたかもしれない。秘書もそのうち動くだろうとは思っていたけど、まさか肉弾戦で来るなんて。
受け身も取れず尻もちを着いたのは畳の上だった。間取り的には先に障子にぶつかっていたはずだと違和感に振り向いてみれば、障子は色が霞むほど遠くに見えた。
「ここは私の部屋だ」
空間さえも思いのままだと言わんばかりに。武藤は茶を啜って不敵な笑みを浮かべた。
「どうせ風紀委員の差し金といったところだろう。私をどうにかしたくば、せいぜいここまでたどり着いてみせるがいい。飽きるまでは見物しておいてやろうじゃないか」
武藤の言葉が終わるのを待っていたのか、私を蹴り上げた位置にいた秘書の姿がまた消える。
「っ、上!」
咄嗟に刀を出して頭をかばうように掲げる。直後、秘書のかかと落としが刀身を叩いた。
後手になったとはいえある程度の鋭さにしていたはずなのに。切れたのはタイツだけで、むき出しになった肌は傷一つ付く様子もない。見た目は人間と変わりないけど、常人離れした身体能力を鑑みても人間でないというのは頷ける。
「重っ……」
体重をかけられ、必死に押し返そうとしたら不意に重さが消えた。
均衡がずれて情けなくよろめく私をよそに、身を翻して弾みをつけた秘書のつま先が下からみぞおちを抉る。
「うっ」
さっきよりも上向きに身体が浮く。血で汚れた畳が遠ざかっていき、
「!」
言い知れぬ悪寒が背筋を突き刺した。
必死に身体をよじって迫る天井に目をやると、木目にみるみる蜘蛛の巣状の亀裂が走っていく。かと思えば、その隙間が鈍く光った。
両眼に全神経を集中させる。受け身のことなんて露ほども考えない。
直感に全てを委ねて、一秒と経たずに降り注ぎ始めたギロチンの雨を弾く、弾く、弾く!
「ああっ!!」
考えない。思考を挟めば、死ぬ。
反射と同じ速度で刀を振るって首まわりを死守する。唯一にして決定的な、私の弱点を。
そうして致命傷に繋がるものはどうにか捌き切った。捌けなかった分でどうなったかは考えたくもないし、それ以前に次の展開へ思考を巡らす必要がある。
辛うじて受け身は間に合いそう。とは言えそれが許されるなんて
「潰れてください」
初めて聞いた秘書の声はごく間近に。罠をやり過ごすのに必死で跳び上がって来ていたことに気付かなかった。
直後。仰向けに落下する私の腹に、今度こそ秘書のかかとが刺さった。
「うぐっ」
落下の速度が上乗せされる。刺さったギロチンで針山のようになった畳の上に、敢え無く叩きつけられた。
「……っく、」
たぶん酷い落ち方をした。それでもやっぱり痛くない。
ただ、痛みはなくとも伝わるものはある。凄まじい落下の衝撃や、いくつかどこかの骨が折れた音。ついでに、肩に刺さっていた竹が身体の中で割れたような音。
右腕をクッション代わりに背中へ回したのは吉と出たか、無意味だったか。身体のどこを動かそうとしても軋む感覚がある。肋骨はいってるだろうし、なんなら首の骨も砕けたかもしれない。
それでも、まだ大丈夫。
「やはり首でないとダメですか」
無様に横たわる私を秘書が見下ろす。まるでとどめを刺される寸前の光景を見ているみたいだ。
「はは」
乾いた笑いが込み上げる。
私にここまで身体を張る理由なんてあっただろうか。
そう思うと、つい馬鹿馬鹿しくて。
「狂っていますね。この状況で笑えるとは」
「ああ……言えてる」
けど、それはお互い様だ。こうも躊躇なく人をいたぶれるなんて正気じゃない。この空間が隔絶されているからこそ許される所業だ。そうでなければとっくに捕まっているはず。警察にそんな力があるかはさておいて。
「終わりにしましょう」
「ぐっ……」
辛うじて健在だった左腕が、避ける間もなく踏み抜かれた。
ああ、いったいどれだけの人が殺されてきたのだろう。
どういう理由で手にかけられてきたんだろう。
見ず知らずの犠牲者に同情するほどできた人間ではないけれど、ただ、知らない誰かの二の舞にはなりたくない。
そんな私に逃がす隙を与えまいと秘書が馬乗りになる。
「あはっ!」
どうかしていた。
笑ってしまった自分も。
これまでになく緩慢な動きで接近してきた秘書も。
油断したのか、反応し切れないほどの身体能力を誇る彼女が初めて見せた隙に他ならなかった。それをみすみす逃すほど私も馬鹿じゃない。
刀を生み出す私の魔法は長さや切れ味、厚みなんかも思いのままにできる。生み出すタイミングは当然ながら、どちらの手に持つのかも自由自在だ。
でも、それだけ?
魔法、というより刀に対する私の解釈。それを広げられるとしたら。
「なん、て」
刃だけを生み出すイメージ。その起点を背骨や肋骨に置いて、ありったけを腹の上へ向けて突き出した。
「滅茶苦茶、な――」
私の腹を突き破った刃は六本。そのうち一本はあらぬ方向へ伸び、四本は先端だけ秘書の身体に刺さっている。
最後に残る一本だけが、肋骨の間を縫うように彼女の身体を貫いていた。
狙いも何もあったものじゃない。だけど闇雲に放った攻撃は奇跡的に急所を突いていたようで、伸ばされた秘書の手が私の首に届くことはなかった。
「そんなところに……」
人工生物の心臓である核。それを壊せば動かなくなるとは聞いていた。とは言え核がどこに置かれるかは製作者次第で、狙うのは現実的ではないとも。シエラとの計画でも私が氷の魔法で足止めをすることになっていたから、思い付きでの反撃が功を奏したのは本当に運が良かった。
そう、本当ならシエラと一緒に戦うはずだったのに。
「シエラ」
ぽつりと呟いた。いつもならその一言だけでどこからともなく現れそうなものを、いまは微塵も気配を感じられない。あんなに万能そうな顔をしているのに、居て欲しい時に限って来てくれないなんて。
やっぱり一人でどうにかするしかない。本来のターゲットに、まだ触れられてすらいないことを考えると気が重い。無事でいるのは必死で守った首から上だけで、自爆技も相まって心も身体も満身創痍だ。
「っと」
刃を消すと秘書が腹の上にのしかかる。左腕でそれを押しのけると、べったりとした血の感触にどきっとした。痛みなく折れた骨より生々しい。八割方は自業自得だけど、それでも気味の良いものじゃなかった。
全身を軋ませながらゆっくりと立ち上がる。パキパキと音が鳴るのは、ダメになった部分を魔法でどうにかしているからだろう。治す方向のどうにかであれば良いけど、きっと違う。流れた血もどうしているやら。
畳にできた血溜まりや言葉にできないほど無惨であろう自分の姿を見なくてもいいように、いまはただ前だけを見据えた。




