彩る休日
つい昨日、花火大会とともに私と姉の凛子の夏休みが幕を開けた。二日目の今日は日曜日。
ああ、日曜日か。
『悪い奴は許さないんだからっ!』
日曜の朝は騒々しい。三女の陽子が、朝から起きているから。
居間のテレビから何度も耳にした台詞が大音量で聞こえてくる。陽子が毎週楽しみにしている、主人公の少女が魔法使いに変身して悪と戦うアニメ。平日は遅刻ギリギリまで起きない陽子も、これを見逃さないよう日曜に限っては早起きをする。
「うるさ……」
キャラの台詞は一部屋隔てた食卓にいる私の耳まで十分に届く。あいつの耳はいったいどうなっているやら。とてもじゃないけど起き抜けの耳には優しくない。しかも今日はまた一段と音量が大きくて、そろそろ近所迷惑を考えないといけないレベルだ。いっそ隣家のいかつい顔したおじいさんが怒鳴り込んでくれたら、陽子のアレもおとなしくなるだろうか。
そんな淡い期待を抱きつつ、食卓に用意されていたホットケーキを口に運ぶ。ちなみに日曜の朝食当番は陽子。
「ああ……」
冷めている。しかもパッサパサ。すでにホットケーキとは名ばかりの食べ物になっていたけど、これはいつもより遅く起きた私も悪いなと諦めた。
わざわざ席を立って温め直すのも面倒で、冷たい牛乳で誤魔化しながらお腹を満たしていく。
「朝っぱらからため息とは、関心しないな」
向かいで新聞を読んでいた凛子が、紙面をずらしてひょいと顔をのぞかせた。
「や、ため息とかじゃなくて……まあ、同じようなもんか」
「せっかく夏休みも始まったんだから、楽しいこと考えよ? ほら、昨日の花火とかさ。友達と行ってきたんでしょ」
「ん、まあ……そうだね」
カメラで切り取ればそこそこ絵になりそうな、かりんと過ごしたひととき。確かに楽しくて充実していたけど、思い返すのは一人の時にしたい。物思いに耽る私はきっとふ抜けた顔をしているから。家族とはいえ、いや、家族にこそそんな顔は見せたくない。
しかし凛子の言うことはもっともだ。せっかくの休日を不快な気分で始めたくはない。楽しいことを想像しよう。何かほかに――
『―――!!』
「……はぁ」
悪役が撃破されたのか、爆発のような効果音が鼓膜を揺らした。さすがにため息の一つもつきたくなる。
「日曜の朝は毎度のことでしょ。そろそろ慣れてもいいんじゃない?」
爆音にも動じず涼しい顔をする凛子は、新聞を食卓の脇に置いて湯気の立つコーヒーを優雅にたしなんだ。私には到底たどりつけない境地だ。
「毎度のことだけどさ、慣れろって言う凛子もアレを快く思ってるわけじゃないんでしょ? テレビの音量といい、朝食の支度具合といい」
「まあまあ。朝に弱い陽子が自分で早起きして朝食の準備まで済ませるぐらい頑張ってるんだから、多少は大目に見てあげてよね。お姉さんからのお願い!」
凛子は手を合わせて、なけなしの茶目っ気をもってウインクしてみせる。我が姉ながら美人ではあるけど、こういう可愛らしいのは似合わない。
「お願い、ねぇ」
そうまで言われると無下にもできなくて、私は返答を濁した。
昔からずっとそうだ。我らが長女は妹に甘い。器が大きいから誰に対しても優しいけど、妹に対しては特別に優しかった。もちろん、この中には私と四女の幸子も含まれている。
凛子から見た妹内での優先順位みたいなものはないらしいけど、下の妹をひいき気味だと私は思う。
「(はあ……)」
あともう少しぐらい厳しくてもいいのに。我が家の秩序は凛子にかかっているんだから。私だって次女として調停側に回りたいけど、幸子はともかく陽子との相性が悪過ぎる。アレと向き合うのは時間の無駄。せめてあと五年は経たないと、互いに納得できるような話し合いなんてできる気がしない。
父さんがもし生きていれば――とか、母さんの仕事がもっと楽になって家に居てくれたら――とか、こういう時はどうしても考えそうになる。ああ、良くない。もしものことを考えたって仕方がないのに。
やはり日曜は憂鬱だと嘆きつつ、気を紛らわすように残りのホットケーキを頬張った。
「そろそろですね」
はす向かい、凛子の隣で黙って本を読んでいた幸子がおもむろに呟いた。壁掛け時計を見ると、針はもう少しで九時を指す。幸子の言う「そろそろ」の後には、陽子の見ているアニメが終わって神社の掃除に向かわなければいけない頃、という言葉が隠れている。
そんな幸子の一言がきっかけのようにテレビの音量が下がり、庭でさえずる鳥の声が聞こえるようになった。これがあるべき休日の姿だよなあと風情を味わうひまもなく、背後の引き戸が勢いよく開く。
「お姉さま、おはようございます」
幸子のやわらかな声が私の背後へ飛ぶ。凛子もそれに続いておはよと言ったけど、振り返るのも手間だからと私は構わずホットケーキの咀嚼を続けた。
「うん、おはよ! 時間だし行こっか!」
陽子は手に持っていた食器を流しに置き、準備万端とでも言いたげに体を揺する。いつにもまして上機嫌なのは結構なことだけど、いちいち急かされるのが鬱陶しい。口の中のものを飲み下して、小さく舌打ちを一つ。
「なあに? 冴ねえ、感じ悪いよ」
いちいち突っかかって来るのが余計にむかつく。何か言ってやろうかと思ったけど、凛子に視線で制されておとなしく引き下がった。陽子との口喧嘩で負けたことはないけど、それをわかった上で口論を始めるのは大人げない。それに何より、凛子に仲裁の手間をかけさせることと、幸子に気を遣わせることは避けたかった。
「はいはい。美咲ちゃんを待たせるのも悪いし、さっさと行くわよー。軍手持ってくの忘れないようにね」
不穏な空気を断ち切るように凛子が席を立つ。私もくだらないことをずるずるひきずるまいと、水道水で食事をシメて凛子の後に続いた。
家から歩いて十分ほどのところに大きな神社がある。田舎の神社にしては大きいというべきか、田舎だからこそ大きいというべきか。隣接する小学校の校庭なみに敷地が広い。南側には背の高い針葉樹が並んでいて、さらに用水路を挟んだ向こう側には駐車場がある。東の端には石造りの大きな鳥居が立ち、神社の外側は道路を挟んで小学校の敷地になる。北側には蓮が浮かぶ小さな池があり、西側が神社の本殿だ。
今日はそんな神社の境内をまんべんなく掃除しなければならない。面倒だけど町内会の決まりだから仕方ない。日が少しずつ高さを増す頃、本殿の入り口あたりに私たち四姉妹と、神主さんの娘の美咲ちゃんが集まった。
「ひっさしぶりだなー!」
一人、最も面倒がりそうな陽子はやけに上機嫌だった。理由は単純、
「陽子ちゃん、はい」
「ありがと美咲ちゃん!」
陽子のクラスメイトでもある美咲ちゃんから竹箒を受け取り、陽子は一段と嬉しそうな顔を見せる。そう、この竹箒に触れるのが楽しみでこいつは上機嫌なんだ。陽子はこれを手にするだけで、朝のアニメのヒロインみたいに魔法少女になった気分になれる。らしい。
「幸子ちゃんもどうぞ」
「ありがとうございます。ではお姉さま方、いってきますね。また一時間後に」
「うん、そっちは任せたわ」
幸子はニヤつく陽子を引き連れて持ち場へと向かった。いつもと同じく、妹二人は東と南の二ブロックを担当する。
「お姉さんたちも、いつもありがとうございます」
美咲ちゃんは改まって、少し申し訳なさそうに頭を下げた。
「別に美咲ちゃんが頭を下げることないわ。町内会でボランティアしようって決めたことだし、神社のお掃除っていうのも風情があるもの。ね、冴子」
「うん、そうだね」
掃除自体は面倒だけど、確かに美咲ちゃんが頭を下げる理由はない。陽子みたいな人間だったら対応の仕方も考えたけど、この子はよくできた子だ。だから真面目にお手伝いしようと思える。
「それじゃあいつも通り、あたしと美咲ちゃんで本殿の掃除をしてくるわね。冴子あとは頼んだ」
「りょーかい」
そうして美咲ちゃんは凛子を引き連れ、私は一人になった。
「さて、と」
目を閉じて深呼吸を一つ。
山から吹きおろす風が木の葉を揺らし、ふっと私の体をなでた。あたりからは石橋の下を流れる小川のせせらぎや鳥のさえずりが聞こえてくる。すずやかな音と木陰があいまって、八月初旬とは思えないほど涼しかった。
「心地いい」
日常の煩雑なことから離れて自然に身を置く。こういった普段あまりしないことができるから、神社は好きだ。そう思えば掃除も大して苦ではない。
はめていた軍手をきゅっと引き絞り、気分も引き締めなおした。
「よし、やるか」
任された西側、本殿の周りの掃除だ。敷地こそ広いけど、東側と違って落ち葉は少ないから仕事量はそれほど多くない。陽子と幸子は二人で作業するから、仕事量は私と同じぐらいになる。凛子だけやや負担が多くて、本殿では雑巾掛けやら備品の手入れやらをしなければならないらしい。それを思うと、一時間のうち三十分ほど持て余す私たちは楽な方だ。
「ん?」
手始めにと、手洗い場に近付いた時だった。夏のわりに涼しいと思っていたけど、そういうのとは違う。一瞬だけ感じた、あからさまに異様な寒気。
振り返り、ぐるりとあたりを見回し、手洗い場の陰を覗いてみる。先月の掃除で来たときと変わった様子はない。
「夏風邪かな……やだな」
そう口にしてはみたものの、風邪だなんてこれっぽっちも思っていない。さっきの寒気はそういう性質のものじゃなくて、もっと異質な――たとえば恐怖のような、なにか。
なんとなく狐にでも化かされたような気分になりながら、私は掃除を再開した。わからないことに頭を悩ませても仕方がないし、さっきのはどちらかと言えば気付きたくない類のものだ。だから手洗い場の近くに散らばる湿った落ち葉を拾う作業に、私は没頭した。
時々たばこの吸い殻のようなものや、エアガンの弾なんかも見つけてはゴミ袋に入れていく。少しずつ袋の底に溜まっていくゴミから客層というのか、神社に訪れる人の様子が浮かぶようだ。そんな風に気を紛らわせていた、そのとき。
「……っ!」
はっきり聞き取れなかったものの、遠くで陽子のわめく声がした。どうせ箒で遊んでいるんだろうと、ちらりと視線を向ける。
「なに、あれ……」
目を疑った。さっきの寒気は、得体の知れないことが起こる予感だったのかもしれない。
箒にまたがった陽子は、ゆっくりと地面から離れている。やがて背の高い針葉樹すらも越えて、ずっと、ずっと高くに。気付いた頃には視認するのがやっとになり、やがて見失った。
私は陽子のいた場所に、幸子のもとに駆けつけるのも忘れてしばらく固まっていた。いったい何が。あれが見間違いでなければ、魔法は本当に……?
でもどうして、よりにもよって、あいつが。考えるほど無性にいらつく。別に羨ましいだなんて思っちゃいない。陽子がどうなろうが私には関係ない。
だけどなんだろう、この胸のざわめきは。




