はざまより
木立へ一歩、足を進める。
どれだけ先の方を見据えても、木々の並ぶ景色は永遠に変わらない。同じような景色がただ連綿と続いている。
どこへ向かえばいいんだろう。
私は、どこに向かっていたんだっけ。
生ぬるい風に頬を撫でられ、急に怖くなって誰かに縋るように振り向く。すると、通って来たのとは違う景色が広がっていた。
見覚えのある、細い脇道の景色が。
「……っつ」
焼けるような日差しに思わず声が漏れる。
そうだ。いまは夏。日差しが鋭いのも、地面から立ち上る熱気がむさ苦しいのも当たり前。セミの鳴き声がシャワシャワと暑苦しさを助長するのだってそう。そんな当たり前のはずのことも、ついさっきまで忘れていた。
五七たちの暮らしているあの場所ではこんな暑さを感じなかった。日差しも春のように穏やかだった。まるで夢でも見ていたんじゃないかと思えるほどに。
「……」
ジーパンのポケットから無造作にメモ用紙を取り出す。改めて目を通すと、そこには振り込み先と「180万円!」の覚え書きがしっかりと残っていた。
「はは」
ファンタジーにしては現実的だ。いや、一周まわって非現実的と言えなくもない。そうやって冗談で済ませられればいいのに、そういうわけにもいかないのがまた失笑を誘う。
ひと月でそんな大金を本当に用意できるんだろうか。いっそ踏み倒してしまいたいけど、私はともかく家族にとばっちりがいくのはいただけない。
「ねえ、シエラ」
なんとなく小声で呟いてみた。
やりたいことがある。
やらないといけないこともある。
けど、何から手を付けるべきか、どうしたらいいか――
「うっ……」
不意に強い風が吹く。踏ん張るので精一杯なぐらいの突風は十秒もしないうちに凪いで、
「呼んだ?」
気がつけば目の前に金髪の少女が立っていた。こんな山中には似つかわしくない白いワンピース姿で。
「え、や……確かに呼んだけど」
まさか本当に、しかもこんなすぐに来てくれるなんて思わなかった。
「……ありがとう」
「うん」
思った以上にほっとしている自分がいる。聞き慣れた色のない声に安心感を覚えた。
だって、隠し事をせずに話せるのはもうシエラしかいないから。
「いろいろ相談があって。ここだと……いや、ここの方が人がいなくていいか」
「?」
魔法の話をする時は人のいる場所を避けたい。そういう意味では田舎の寂れた山の中はぴったりな場所だと思う。自分の部屋は安全なようでいて、いちばん聞かれたくない相手が近くにいるから。
脇道の入口にあたる、廃墟じみた小さなお寺の御堂の前。木陰になった石段でシエラと隣合うように腰掛けた。お寺に人はいないだろうし、こんな炎天下にわざわざここまで登ってくる人もいないはず。もし誰かがやってくる気配があれば、その時はその時だ。
「そういえば、シエラの魔法ってどんな魔法?」
本題に入る前に聞いてみた。五七に聞いた話が正しければ、特別な場合を除いてネクロマギアは一種類の魔法しか使えないはず。だけど記憶にある限りでは、シエラは何種類も魔法を使い分けていた気がする。
「わたしはかなり特殊」
斜め下の中空を眺めるシエラの声色が、かすかに暗い色を帯びた気がした。
「メインは風を操る魔法だけど、他にもいろいろ」
「それってやっぱり、例外ってこと? 普通は一種類の魔法しか使えないってさっき聞いたんだけど」
「例外なのは確か。でも、きっと冴子が言うのとは違う例外」
どう違うのか尋ねかけて、横目で表情を盗み見たらとても訊けそうな雰囲気ではなかった。何がそう思わせるのかもわからずに黙っていると、シエラは首も動かさずに口を開く。
「魔法に詳しい人と話した?」
「ああ、うん。そもそもここに来たのもね――」
シエラのことを深く掘り下げる勇気が出なくて、私は気まずさを紛らわすようにこれまでの経緯を洗いざらい話した。
「――それで、シエラなら魔法の制御について詳しいかと思って。……頼れる人、他にいないんだ」
ただ教えを乞おうとしていただけなのに、気付けば弱音を吐いていた。それも傍から聞いていれば狡い言葉の選び方だったと思う。私の嫌いな、弱味を盾にする感じ。最悪だ。
だけど言ってしまったことは巻き戻せなくて、自分嫌悪が胸に広がりかけた。その時、
「わ、」
少し強い、それでいて柔らかな風に右肩を押された。バランスを崩した私は手をつく隙もなく、シエラに半身を抱きとめられる。
「ごめん」
反応をうかがおうと私が首を回すより早く、冷たい手が私の頭を撫でていた。思いがけないことに言葉も忘れて、私はされるがまま呆然と地面を見つめる。
「むかし、よくこうしてもらった」
頭の上、すぐ近くでシエラの声がする。こうして間近で聞くと思いのほか耳触りがいい。この状況がそう感じさせているのかもしれないけれど。
無言で半身を預けたまま、シエラの言葉を噛み砕く。「むかし」と自ら過去のことに触れたのが意外だった。誰しも辿ってきた過去があるのは当たり前だけど、これまでのシエラからはその一端も感じられなかったから。こうしてその片鱗に触れてみると、見えにくいだけで感情が豊かなことに気付かされる。頭を撫でてくれているのはきっと、弱音を吐いた私を慰めようとしてくれているからだろう。
確かに、悪い気はしない。
「ありがとう」
これまでの人生で頭を撫でられた記憶なんてない。別にそうして欲しいと思った瞬間もなかったけど、そういう機会に恵まれることもなかったから。だからこんな風にされるのは新鮮だった。そういう引き出しがシエラの中にあったことも。
少しの間だけ落ち着かせてもらって、私を支える細い腕をそっと遠ざけた。
「もう大丈夫」
「うん」
姿勢を元に戻して改めて向き合う。やっぱり無表情にしか見えないけど、そうなった事情があるに違いない。いつか打ち明けられるのか、永遠に胸にしまったままなのか。そもそもいつまで彼女とのやり取りが続くのかさえ、いまは何一つとしてわからない。
でも、私の最優先事項はあくまでかりんにある。だからいまは踏み込まない。ただ、もしもシエラから頼られることがあるとすれば、その時は私が同じことをしてあげよう。
「魔法は自覚したら制御できる」
今までの流れをすっぱりと切るようにシエラが言った。その方が余韻に後ろ髪を引かれなくていい。
頭を切り替えて、自分が制御できる刀の魔法をイメージしてみた。言わんとしていることはわかるけど、聞きたいこととはちょっとズレている。
「いや、問題はそこじゃないというか……そもそもどうしたらその感覚を掴めるのかがわかんなくて」
「だから、わかっているつもりになればいい。自分がその魔法を扱えるつもりで、実際に使ってみればいい」
納得しかけて、でもやっぱり的が外れているような気がしないでもなかった。
とは言え、自分で解決策を見つけられない以上は半信半疑でもやってみるしかない。助けを求めて助言をもらったんだからなおさら。
「わかった」
立ち上がってお尻の砂を払う。石段から少し距離を取って、何があっても良いようにお寺の広場の真ん中に位置取った。
五七は氷の翼を見たと言った。だから少なくともその時と同じことはできるはず。どんな形でどんな大きさだったかはわからないけど、始めるならきっとそこからだ。
「……」
背中から翼を生やすイメージをしてみるものの、そう簡単には出てこない。冷気の欠片も感じない。何が足りないのかと考えた時、記憶とも妄想ともつかない私だけがいた世界を思い出す。
凍てつく痛みと、孤独。恐怖。
目を閉じて、白装束に身を包んでいた自分の姿を思い描く。枯れた桜の傍らで刀を携えていた白無垢の私。あの骨身にしみるような冷たさを、空洞になった胸の中心から広げていく。
外へ、外へ――
「冴子」
声をかけられ、肩を揺すられて我にかえる。
白昼夢のように自分の世界へ浸りかけていた。はっとしたように目を開けると、背中へ手を回すよりも先に異変に気付く。
あたり一帯が、白い。足元の石畳も、そこらに生えている雑草も、灯篭や近くの木も。霜が降りて冬を思わせる景色に変わっていた。
「あ、はは」
しゃがんでそっと石畳を撫でると、照りつける日差しとは対称的な温度が手を伝う。
「……まだよくわかんないや」
翼とは関係ないけど、最終的に抱いていたイメージの再現には近い。だけど制御なんて言える代物ではないし、未だに刀のように扱える感じはしない。よっぽどのことがないと無意識に発動するものでもないのかもしれないけど、その危険が残るのはやっぱり怖い。こんな風に周囲の様子が一変してしまうほどの魔法だから、なおさら。
それに、
「これ、どうしたら消える?」
触れたところは水になって蒸発したけど、それ以外は変わらず霜が降りたままだ。この炎天下にも関わらず。普通ならすぐに溶けるはずのものが、ギラつく日差しに晒されていてもそんな気配を見せない。
「この発現の仕方からして、刀と同じようにしまえるはず」
「え、と……しまう?」
シエラは理屈がわかっていそうだった。だけど私の方はぴんと来なくて、そうこうしているうちにシエラのワンピースの裾から黒い影がぬるりと這い出してくる。
「実戦で慣らそう」
質量を持った影が人間一人を丸呑みできるほどの大蛇の形になると、炎のように身体の端々をゆらめかせて私の周囲を素早く一周した。
「え、え、」
もしや戦闘開始の合図かと慌てたけど、そういうわけではないみたいだった。
熱気をまとって私の生み出した霜を溶かしきると、蛇の影はみるみる縮んで元いたワンピースの中へと帰っていく。前にも見たけど、これも色いろ使える魔法のうちの一つに過ぎないんだろうか。なんとなく抜け殻に似ている気がしないでもないけど、先のことを思い出して触れるのはやめておいた。
「いまから依頼をこなしにいく。一緒に行こう」
「依頼? って、どんなこと?」
実戦で、という前置きがあったからにはそれなりの覚悟が必要な気がした。二回ほどそれらしい経験はしたけど、まともに戦えていたかと言うと微妙なところだ。
落ち着かない気持ちで返事を待っていると、間近に寄ったシエラがそっと私の手を握る。
「魔法使い狩り」
その言葉がどれほどの意味を持つのか。訊く隙も、考える隙もなく、目の前の景色がブラックアウトした。




