みをつくし
私の知らない、私の魔法。
それを指摘した五七は、謎を解き明かして満足したような表情を見せた。
「上から落ちてきた時、氷の翼を生やしてやり過ごしたのを私は見た。その時はそれがあなたの唯一の魔法だと思ってたけど、そうじゃなかった。むしろそっちが自覚できていない、無意識に使っていた魔法だったわけね」
辻褄は合う。あの時のガラスが砕けたような音と、辺りに散らばっていた氷の粒。それと、背中に走った激痛も。
ただ、いまだにピンとこない。説明に納得はできるのに自分でどうにかしたような感覚がないせいで。
「まさか……助けてもらったのだとばかり」
「もちろんそのつもりではいた。目の前で肉……惨劇が起きたら、さすがの私でも後味悪いしさ」
「あ、はは」
意味深な言葉選びに、死んだ身とはいえ苦笑いを浮かべるしかなかった。
冗談めかして笑う五七の瞳の奥をのぞいてみるものの、嘘をついているような気配は感じられない。それでも自分がそんな魔法を扱えるなんて信じられなかった。
けど、まったく思い当たる節がないわけでもない。
夢と記憶と、妄想がごちゃ混ぜになったような世界の自分。孤独な世界で自分は、手足が痺れるほど凍えていた。終わりはいつも冷たかった。霜が降りるほどのあの冷気が、私の魔法だったとしたら。
「で、よ。氷の魔法を無意識に使っていたんだとしたら、身バレするのも時間の問題。それぐらいは自分でもわかるでしょ」
「それは……はい。あの、」
「どうしたらいいのか。なんていちいち説明しないわよ? ていうか魔法使いでもなんでもない私にそこまでわかるわけがないし。どうしたらその無意識の魔法を制御できるかは、自分で考えるか同業者にでも聞いて」
そう言われると食い下がれなかった。魔法使いではない人に詳しい説明を求めるのも確かにおかしな話で――
「魔法使いじゃ……ない?」
「あら。私をなんだと思ってたわけ?」
当たり前のことを尋ねられたように五七が目を丸くする。私はその反応に戸惑いを隠せず質問を重ねた。
「霊の専門家なんですよね?」
「そうだけど、それと魔法使いとは別の話でしょ」
「でも、悪霊と戦って……鎌を……えと、」
五七が悪霊との戦闘態勢に入った時のことを思い返す。私の理解を超えた何かをして、アイヴィーの姿が消える代わりに急に鎌が現れたようなイメージが残っている。
「ああ、そのこと。そういえばこの子がなんなのかも話してないんだっけ」
隣に座るアイヴィーの細い肩を小突いて五七は滔々と語った。
「アイヴィーは死神なの。悪霊と戦った時のあの鎌はこの子の力の一部よ。だから私は何の変哲もない、神霊が見えるだけのただの人間」
「しに……がみ……?」
アイヴィーがこくこくと黙って頷く。五七が魔法使いではないこと以上の情報に頭が追いつかない。
背が高くて色が白くて顔立ちが整っていて、かなり気弱なこの美女が、死神だなんて。悪い冗談だと一蹴するには情報が足りなかった。
「ふふ。そういう反応は飽きるほど見てきてるけど、いつ見てもちょっと気持ちがいいわね。でもあなただって俗に言うとこの魔法使いなんだし、ファンタジーな存在なのはおあいこでしょ。どういう生き方してくのか知んないけど、この先もそんな調子で驚いてたらキリないわよ」
驚くなという方が無理がある。信じろと言われてもそう易々と頷けるものじゃない。だけど返す言葉もなかった。
私はとっくに、普通の人が辿らない日常の裏側へと足を踏み入れてしまったんだから。
「それじゃあ私からの用件は伝えたし、爺さんにぶん投げられた務めも果たしたから。お茶が済んだら適当に帰って。アイヴィーは見送りよろしく」
そう言って五七が席を立つ。まだ一番大切なことを訊けていないのに。
「あの、待ってください!」
呼び止めた私に、五七は控えめながらも気だるげな視線を向けた。いつしか友好的な雰囲気で話してくれていたのが、まるで嘘だったかのように。
「あとは任せた。私、寝るから」
私ではなくアイヴィーへ釘を刺すような声を放って、五七は伸びをしながら隣の部屋へと消えていった。
彼女の表情にあてられて食い下がれなかった。一押しのちっぽけな勇気も出なかった自分が情けない。それで大事なことを聞き出せないなんて、自分の薄っぺらさに気付かされるようだった。
「……」
逃げ場を求めるようにミルクティーを口にする。すっかり常温になった液体が、優しく喉を抜けて身体のどこかへ消えていく。ぬるくなってもペットボトルのミルクティーと比べて何倍も上品な味わいで、思わず涙を零すほど気持ちが和らいでしまいそうになる。まるで目の前にいる、泣き虫な死神のように。
「……あ、」
目の前に、まだ死神がいる。
「あの、死神様」
「ひゃい!? あ、アイヴィーでいいです」
私の肩越しにぼうっと窓を見つめていた彼女はびくりと肩を震わせた。死神のイメージが崩れそうなほど威厳の欠片も感じられないけど、本当に死神だというなら私の疑問をぶつけるのに申し分ない相手のはずだ。
「アイヴィーさん。私、霊のことでいろいろ訊きたくて……その、霊と話すことってできないんですか?」
つぶらな目をじっと見つめると、アイヴィーは視線を泳がせた。まるで答えてもいいかどうかを探るようなそぶりで。五七が席を外したことで自己判断がつかないような、そんな印象を受ける。
それならもう、一方的にでも話して押し切ろう。
「私、大切な友達が」
言いかけて早々、言葉に詰まった。気持ちの整理はとっくに終えていたはずなのに。
「……いたんです」
"いる"と言いたかった。そんな未来が欲しかった。普段は自分の正直な気持ちに蓋をできても、こうして語ろうと思うと目を背けてばかりはいられなくなる。
かりんとの因縁は根深い。気を緩めればすぐにでも泣き崩れられる。そんな無様な真似はしないけれど。
「私の何倍も可愛くて、人懐っこくて、明るくて……素直な子でした。自分にはないものをたくさん持っていて、憧れのような存在でもありました」
思い出す。かりんと過ごした穏やかな日常を。
思い出す。かりんの部屋で目にした光景を。
「つい最近、その友達を喪いました。彼女が亡くなる直前まで一緒にいたのは私だったのに……私は異変に気付いてあげることも、手を差し伸べることもできなくて」
たどり着いたときにはもう、手遅れだった。
「……だから私が殺したようなものなんです」
殺した。その一言にアイヴィーの瞳が揺らめく。
「それは……」
彼女から引き出せた最初の言葉は尻すぼみに消えていく。軽々しく反論し切らないあたり、この手の話には慣れているのかもしれない。最後まで言う勇気がなかっただけ、という可能性も否定できないけど。
「もう一度だけでいいから、その子と話がしたい。謝りたいんです。そういうことってできないんでしょうか」
意志に反して目頭が熱くなった。唇を薄く噛んで涙がこぼれるの堪えながら、困った顔をするアイヴィーの答えを待つ。
「え、と」
五七が消えていった扉の方をちらりと見て、アイヴィーは諦めたように口を開いた。
「かなり……難しいです」
難しい。不可能とは言ってない。
かすかでも開けた希望につい声をあげそうになる。喉元まで出かかった言葉を飲みこんで、私は耳を傾けた。
「あなたが望んでいる対話は本当に難しいというか……きっとほぼ無理というか……。まず死んだ人って、みんながみんな霊になるわけじゃなくて。霊になるにもなんて言うか……才能?がないとだめで。だから未練を残して死んだ人の中でも、霊になるのはごくごく一部だけ。その中でまともに話せる相手となると、もっと数が少なくなります」
申し訳なさそうな顔をしたまま、アイヴィーはテーブルの中央に置かれた二つの玉に人差し指と中指をあてがった。
「霊と話すにはまず霊が見えないといけません。……まあ、そこは問題ないとして、次に問題になるのが霊の状態です。もしそのお友達が霊になっていたとしても、この二人みたいに自我が崩壊した霊だったら話は通じません。残念ながら、霊のほとんどはこういう状態です」
「その、自我をもとに戻すことってできないんですか?」
私の問いにアイヴィーは首を振る。死神が無理だというんだから、その点に関してはよっぽど望みがないんだろう。
前提として霊になっていないと話せない。そのうえで自我がまともな状態じゃないといけない。聞く分にはかなりハードルが高いけど、可能性がないとは言い切られていない。望みはまだあるということ。
だからつい、話せる状態で霊になっていて欲しいと願ってしまいそうになる。そんなのは私のエゴでしかないけれど、謝りたいなんて気持ちがそもそもエゴの塊なんだ。結局は自分が罪悪感から逃れたいだけなんだろうけど、それもいまに気付いたことじゃない。
いまさら綺麗事で蓋をするのはやめにしよう。でないと、永遠に前にも後ろにも進めなくなる。
「あ……あと、目当ての霊を見つけるのってけっこう難しいんです。霊自体も少ないけど、霊が見える人の数はもっともっと少ないから聞き込みも難しいし、それに霊が誰かに取り憑いてたら元の姿も見えないので……」
「取り憑くって……この、さっきの蜘蛛みたいなのが?」
虫、特に脚が多いのが苦手な身としては対峙した霊の姿を思い出すとぞっとする。正面切って戦うのはまだいいとしても、あれが取り憑くだなんて。
そう思っていたところ、アイヴィーは眉を寄せてうなった。
「うーん……この人たちみたいに形がハッキリしてて力が強いと、取り憑くことは少ないと思います。霊が取り憑く理由はだいたい二パターンに分かれてて。一つは力の弱い霊が現世に干渉するためで、もう一つは消耗した霊が消えないように力を蓄えるため。だからこの二人みたいな霊が取り憑くことはあんまりないはずです。もちろん例外もありますけど」
「その、取り憑いてるかどうかって私でも見分けられますか? なにかこう、見た目とか」
「難しい……ですけど、運良くその人が霊の力を使っているところに居合わせればわかると思います。それ以外だと話す内容や行動の違いで区別するしかないですね。ただ、取り憑いた霊が必ずしも意識を乗っ取るわけじゃないからそういう難しさもあって」
裏を返せば、そういう異常を当たっていけば見つけられる可能性もあるということだ。それは十分な手がかりになる。
「そんなわけで……話せるのはほんとのほんとに運が良かったら、です」
運。きっとその通りなんだと思う。たとえ宝くじに当たるより確率が低いとしても、もう一度かりんと向き合うチャンスがあるかもしれない、その可能性があるだけで十分だった。
「ああ……少し、救われました」
思わず安堵の息が漏れる。ティーカップを両手で包んで液面を覗き込んでみたけど、淡い褐色の水面に自分の顔は映らない。見えなくても、自分の顔が多少なり緩んでいるのがわかった。
「あの、あんまり期待はしないでくださいね」
恐る恐るといった口振りでアイヴィーが釘を刺す。わかっているつもり。過度な期待はしない。
ただ、
「ひとまず目指す先ができただけで十分です。望んだ結果が得られなくても、永遠にゴールにたどり着けなくても……いま自分が進むべき道がわかったので」
いるかどうかも定かではないけど、かりんの霊を追うことがネクロマギアとしての私の行動理由に、拠り所になった。『どうしたい』か、いつかシエラに訊かれてぼんやりとさせたままだった返事も、いまなら返すことができる。
朽ちた身体に自信と落ち着きが満ちていく。残ったミルクティーを飲み下して、私は立ち上がった。
「ありがとうございました」
「あ、送っていきます」
そこまでしてもらわなくても、と言いかけて思いとどまる。五七が見送れと言っていた。たぶん私が変なことをしないようにと、監視の意味も込めてのことだろう。
玄関を出ると開けた原っぱと森の景色が広がる。アイヴィーは森の手前まで私を先導してくれた。
「ここ、もう一度来られますか?」
別れ際、急に思い出したように訊いてみた。きっとまた尋ねたいことが出てくると思うけど、なんだかもう二度と来られないような気がして。
「うーん……」
アイヴィーは困ったように、曖昧な笑みを浮かべる。それ以上は何も言わなかったけど、私も深くは追求しなかった。
大丈夫。かりんと向き合うのに必要であれば、どんな手を使ってでももう一度ここに来る。そう思えばなんとでもできる気がして、根拠のない自信を持った私は軽い会釈をしてその場を後にした。




