魂の重み
目覚めると椅子に腰掛けていた。見慣れない部屋の景色に戸惑いかけて、すぐ目に入った二人の存在でおおよその状況を掴む。
「あっ。ごぇ、ごめんなさい」
小ぶりな丸テーブルを挟んで斜向かいに座るゴスロリの長身女性、アイヴィーが身を乗り出して潤んだ眼を見せる。謝られているこちらの方が謝りたくなるような表情には慣れてきた。きっと気の弱い人なんだろう。
「いえ、大丈夫です」
何を謝られているのかはさっぱり分からないけど、面倒を避けるために適当な相槌を返しておいた。たぶん、まともに取り合っていたらキリがない。
「わかってるじゃない。この子の扱い方」
アイヴィーの隣に腰かける五七はスマホから視線も上げずに言った。きょとんとした顔でアイヴィーが顔色をうかがうのにも構わずスマホとにらめっこすることしばらく。視線と指の動きが落ち着いて、五七はようやく顔を上げた。
「ま、わかりやすいか」
ひと仕事終えたように息を吐くと、五七は手元に用意していた小さなグラスをつまんでよこした。透き通った黄金色の液体が一口分ほど。どこかで見たような記憶がある。
「せんぶり茶。身体にいいから」
「ありがとうございます」
そう応えながら五七の表情を確かめた。笑ってはいないけど、何かを隠している感じもしない。いたって普通の何気ない顔。でも、お茶と言ったのはきっと嘘だ。
あまりいい予感はしないけど私に拒否権はない。気を失う前のことを思うと、ここには迎え入れられたというよりも連行されたという方が正しそうだから。
とは言え、結果的に五七と話す機会を得られたのは願ってもないことだ。
「いただきます」
グラスをつまみ、ひと思いに飲み下す。予想通り味はなくて、ただ色のついただけの水のようだった。知らないうちに味覚まで失っているわけではないと思う。
「飲んだわね。はい、180万円」
「え?」
嫌な予感はしていたけど、思いもよらない方向性の言葉に耳を疑った。自分の味覚に対する不安は一瞬で消え去り、血の気が引くような錯覚に見舞われる。
悪い冗談であればいいのに。残念ながら、催促するように手を出す五七の表情は真剣そのものだ。
「死人にわざわざただの茶なんて出すわけないでしょ。あなたには気休めにしかならないし、そもそも私にメリットがない。……とは言ったものの、そういうことも知らないのよね。はあ……なんで私が」
私がそっち側の魔法使いであることはとっくに見抜かれていたらしい。五七には隠す必要もないと思っていたし、バレているなら話が早くてありがたい。あとは話を切り出すタイミングさえ掴めたら。そしたら、かりんに一歩近づけるかもしれない。
そんな私の思惑をよそに、大げさにため息を吐いた五七は気だるげに頬杖をついた。
「アイヴィーお茶。二人分。ミルクティーで。あとお菓子」
「お菓子は何を」
「何でもいいから甘いの! ほらさっさと準備する!」
「は、はいぃ」
アイヴィーが慌ただしく席を立って奥の部屋へと向かう。虫の居所が良くない五七をいたずらに刺激しまいと、私はゴスロリの後姿をやんわり見送って視線を泳がせた。
気が立っている理由が私にあることはわかる。わかるけど、機嫌を取る方法はわからなくていたたまれない。とてもじゃないけど自分から話を切り出せる雰囲気ではなかった。
「あー……なに。ちゃんと自己紹介はしてなかったけど、私のことは知ってるのよね」
頬杖を崩さずに五七がじっとりと私を見つめる。
「ええ、はい。桐山さんには霊の専門家と聞きました」
これ以上は機嫌を損ねたくないと思うと言葉の選び方も慎重になる。自然と背筋も伸びた。
「あの爺さん、そんな触れ込み方を……。はあ、なんで全部私に回すかなぁ、もう。面倒ったらありゃしない。……ああ、ごめん。いまのはこっちの話。そうね、自己紹介は済んだことにして何から話そうか」
「あの……さっきの180万円っていうのは」
恐る恐る尋ねると五七の表情がほんの少し明るくなった。実益に関わることとなると心持が変わるんだろうか。そうだとしたら、彼女もアイヴィーに負けず劣らずわかりやすい性格をしている。
「うん。お金の話、いいわね。さっきのはふっかけたわけじゃないわよ。飲み干したその液体、霊薬っていうの。あなたたちネクロマギアが"堕ちる"のを防ぐための、貴重なお薬」
「堕ちる……ですか?」
「そ。わかりやすく言うなら、二度目の死のこと」
背筋がぞわりとした。いつしか緩慢になっていた死への恐怖感が呼び戻されたように。
ああ。私、やっぱり死にたくはないんだ。死んだ身だからと悟ったようなつもりでいたけど、そんなものはまやかしだった。ちゃんと死ぬことがあるんだと言われたら、普通に怖いと感じるんだ。
怖い。けど、そう思える自分がいたことにほっとする。まだこの身の在り方に染まり切っていないことに。
「魔法を使ったのは今日で何度目?」
「えと、三……四、いや、三回目ぐらいだと思います」
「そんなとこか。まあ見たまんまって感じね」
「わかるんですか?」
「多少は。不本意だけど、人の付き添いでいろいろ見てきたから。困ったもんだわ本当に」
誰のことを思い浮かべたのか、五七は恨めしげに息を吐いた。それから再びじっとりとした目を私に向けて、人差し指をぴんと立てる。
「私から言いたいのは一つだけ。何をどう間違っても、堕ちるな」
それは私の身を案じてのことだろうか……なんていう幻想は、気だるげな声に打ち消された。
「後始末がめんどくさいのよねぇ、アレ。堕ちた魂がばらまいた穢れを、無関係の私がわざわざ浄化して回らなくちゃならないんだから。わかる? いや、わかるわけないんだけど、はあ」
彼女が強調したいことがなんなのかはよくわかった。損得で感情が大きく左右されるということも。
「魂とか穢れとか、どういう」
「ああ……あなた、理屈がないと納得できないタイプ?」
「それは……はい。すみません」
想像である程度補えるならまだしも、まったく未知の領域だからどうしようもない。ネットで調べて解決できるかも怪しいし、できる限りのことはいま聞いておきたい。あわよくば欲しい情報への足がかりを掴みたい。だから五七の反応は想像できたけど、ここだけは機嫌取りのためと譲るわけにはいかなかった。
五七はあからさまに面倒そうな表情を見せつつも、観念したように重い口を開いた。
「ヒトって肉体と魂でできてるの。肉体という器に魂が収まっているから、ヒトはその人たり得る。このイメージはわかる?」
「はい。なんとなく」
「で、魂なんてふつう目に見えなくて日常生活にはなんの影響も与えない。それがどういう訳か、あらゆる現象として目に見える形になることがある。それが魔法であり、霊であり、抜け殻であるってわけ。在り方や成り立ちはそれぞれ違うけど、元を辿ればすべて魂に行き着く。そっちの業界的にはマナって呼び方で通してるみたいだけど、私から言わせれば……まあその話はいいか」
マナの話は桐山さんからも聞いた。魂をマナと言い換えれば話は早い。五七は何か裏の事情を匂わせたけど、その先については聞かせてくれなかった。
「で、あなたみたいなネクロマギアってのは、肉体の死によって抜けていくはずだった魂が身体に留まることで生まれる。留まるというより、引き戻すという方が正しいかしら」
「引き戻す?」
「現世への未練が、抜けようとする魂にしがみつく。そんなイメージね。そうして引き戻しが成功すればネクロマギアになって、失敗すれば霊になる」
「それじゃあ私は、マギアよりも霊に近いってことですか」
「成り立ちだけはね。在り方はぜんぜん違うの、さっきのでわかるでしょ」
そう言うと五七は首をひねって、後ろの方に声を投げた。
「アイヴィーまだなの!」
さっきアイヴィーが消えていった扉の奥。そこにキッチンがあるんだろう。少し遅れて遠巻きに声が返ってきて、やがてティーセットをおぼんに乗せて戻ってきた。
「お待たせしました」
ミルクティーとクッキーを私と五七の前に用意し、給仕を済ませたアイヴィーはおとなしく席につく。
「アイヴィーさんは、」
「ああ、この子はいいの。飲み食いするだけ無駄っていうか、ウチの家計に響くだけだし」
私の視線か表情でも読んだのだろうか。飄々とそんなことを言って、五七はそそくさとミルクティーを口に運んだ。
「そういう意味では食事の必要が無いあなたも一緒だけど、客人に何も出さないわけにはいかないからね。こっちはお金取らないから、安心してどうぞ」
「……いただきます」
自分の身体についてまた一つ詳しくなる。薄々勘づいてはいた事だけれど。
勧められるまま熱々のカップを口元に引き寄せ、温度を探るように口をつける。白濁した褐色の液体は、ちゃんとミルクティーの味がしてほっとした。
「アイヴィーさっきの出して」
「さっきの?」
「倒した霊二匹」
「あ、うん」
五七はただお茶を急かすためだけに呼んだわけではないようだった。アイヴィーは自分の腰元に視線を移してごそごそと手を動かし、何かをテーブルの上に引っ張り出した。
白濁した、ビー玉大の球体とピンポン玉大の球体がそれぞれ一つ。球体とは言ったものの、綺麗な球形ではなく少し歪んでいる。
「これがさっきの霊たち。力を削がれて形を維持できなくなればこんな風になる。こうなればもう消えるのを待つだけ」
五七は大きい方の球体をつついて転がし、私の方によこした。
手に取ってみると重さは見たままビー玉のようで、質感はあの蜘蛛の脚と同じだった。
「それがあなたを襲っていた方。こっちの小さいのは私が先に始末した方」
「意外としっかりしてるというか、なかなか消えそうには見えないですね」
ぼそりと呟くと五七が首を振った。
「それはここが特別な場所だから。外ならこの状態になって数分と経たないうちに消えるわよ」
「え?」
「神聖な場所なの。これ以上は企業秘密」
真剣な顔だった。こればかりは面倒がっているわけではなく、詳しく話せない理由があるらしい。多少気にはなるけど、最も気になっていることとは繋がりが薄そうだから、無闇に掘り下げないでおこう。
「本題に戻るわ。その玉を片手に持って。ああ、握らないで開いて」
言われた通り、開いた左手の上に白い玉を乗せる。
「そいつから目を離さずに、何か魔法を使ってみて」
「魔法って、」
「なんでもいい。出力はこっちで制限かけてるから」
五七の言葉を補うようにアイヴィーがこくこくと頷いた。どちらかの魔法で制約を受けているんだろうか。歯止めをかけられているような実感はないけど、真偽は試してみればわかる。
左手の玉を見つめながら右手にイメージを寄せた。鋭さなんかはいらない。おもちゃみたいでいい。ハサミ程度の大きさで。
「……」
右手に何かが現れつつあるのを感じる。それと並行して、左手に乗った白い玉がじわじわと黒ずみはじめた。
「もういいわ。止めて」
「はい」
魔法の発動を止める。ちらりと右手に目をやると、手のひらに収まるごくごく小ぶりな刀が生まれていた。サイズ感は想像通り。特に制限を受けていたような感じはしなかった。
ただ、いまの論点はそこじゃない。左手に乗せていた玉の方が問題だ。経過も見ていたけど、真っ白だった球体が錆に蝕まれるように黒い何かで侵されている。
「見ての通り、ネクロマギアの魔法は魂を蝕む。私はこれを穢れって呼んでる。いまは特別に穢れをその玉に肩代わりさせたけど、普段あなたが使う魔法っていうのは、こうしてあなた自身の魂を穢れさせているの。穢れが進行していけば身体までも侵されていく。それは経験があるんじゃない?」
自分の腕が墨のように真っ黒になった、かりんの家でのことはよく覚えている。五七の口ぶりからすると、あれはかなり進行した状態だったのかもしれない。
「穢れは自力じゃ浄化できない。だからあなたたちは魔法を使えば使うほど穢れていって、最終的に堕ちるってわけ」
「それが私の、死」
「そう。堕ちれば自我は無くなって、周囲の魂を穢しながら魔法を乱発する暴走マシーンになる。霊たちや抜け殻より、もっとたちの悪い化け物にね。最悪でしょ?」
それは確かに最悪だ。想像していたより何倍も悪い。
ただ自分という存在が無くなるだけではなく、周りまで巻き込んでしまうだなんて。
「そこで取るべき対策の一つが霊薬ってわけ。さっき飲ませたアレ、穢れを浄化するための薬なの。堕ちたら効かないけどね」
「だからそんなに高価なんですね」
「そーゆーこと。お金は一ヶ月ぐらいで用意してくれればいいから。ここの口座によろしくね」
五七はテーブル脇に重ねてあったメモの束から一枚をひっつかみ、私の方へ滑らせた。提示された金額の理由に納得はしたけど、用意できるかどうかはまた別の話だ。そんな貯金があるはずはないし、家族に相談するなんてもってのほか。自分の、ひいては周りのために必要なものとは言ってもあまりに桁が違う。
「ああなに。そんな顔しないでよ。あなたがそんな大金持ってそうにないことぐらいわかってる。ただ、いまはなくても手にする方法はあるっていうか……稼ぎ口はあるから、そこは同業者に聞いてよね」
「それってふ」
「あー違う違う! あなたが想像してるような仕事……もなくはないだろうけど、もっと健全……ではないかもしれないけど、まあほら、あるから。大丈夫」
とても大丈夫なようには思えないけど、何が待ち受けていようとやるしかない。金銭面で家族に迷惑をかける訳にはいかないし、やっぱり、もう死にたくはないから。
思いもよらぬ現実を突きつけられて気が重い。お金の工面については早めにシエラに尋ねておこう。シエラからもらった霊薬の金額も忘れないように。
「ところで気になってたんだけどそれ、なに」
シエラにどう連絡を取ったものかと考えかけたところで、五七が私の右手を指した。
「刀です。小さいですけど」
「……それ、何でできてる?」
五七が怪訝な顔をする。思いがけない質問に対して、私自身もどう答えていいかわからなかった。
「そういえば……なんなんでしょう。ダークマター?」
柄から切っ先まで真っ黒なこの刀が何でできているのか、訊かれるまで考えたこともなかった。半ば投げやりに言ってみたけど、他にそれっぽい答えも見つからない。
五七は眉間に皺を寄せてしばらく唸っていたけど、やがて何かを閃いたように手を叩いた。
「レアなタイプか。あれはまだ無自覚だったってわけだ。は〜なるほど、なるほど」
「え?」
「魔法って言ってもネクロマギアは一種類の魔法しか使えないでしょ? でもあなたは――」
魔法を一種類しか使えないなんて初耳だ。感覚的には薄らわかっていたけれど。五七が同意を求めるような聞き方をしたのは、きっと私が桐山さんから聞いていると見込んでのことだろう。
あえて小首を傾げてみせると五七は目を丸くした。
「まさか、それすら聞いてない?」
「えと、多分なんですけど、桐山さんにはマギアだと思われてて……」
言い切るのを待たずに五七が天井を仰いだ。蚊のような声を漏らして居直り、茶菓子を雑多に盛り付けたた小皿からアーモンドチョコを三つつまんだ。
「いまさらだけどあんた雑なのよ。見栄えってもんがあるでしょ見栄え」
「ごめん、急いだから」
アイヴィーの潤んだ声に物言いたげだけど、五七は出かけた言葉をぐっと飲みこんでそれ以上は追求しなかった。
「はあ。とりあえず桐山の爺さんとのことはわかった。私から連絡とることもないけど、話は合わせるようにしとく。バレたくないんでしょ?」
「はい。お気遣いありがとうございます」
理解がある人で良かった。陽子も桐山さんとの繋がりがある手前、あの人にバレればもう家にはいられなくなる。何より凛子に合わせる顔がない。
「いつまでも隠し通せるとは思ってないですけど、でも、可能な限り隠しておきたいんです」
五七は目を閉じ、納得するように頷いた。
「それじゃあなおさら、自分の魔法のことは理解しておくことね」
意図が読めず、思わず首を傾げてしまう。
自分の魔法に無自覚であるつもりは無い。だけど、五七の口ぶりからするとどうも自覚が足りていないらしい。
「あなたが使える魔法は?」
「刀を生み出す魔法です」
「やっぱり。それがあなたが自覚してる方、もとい扱えている魔法ね」
その言い回しに連なる言葉は想像がついた。
「あなたはもう一つ、氷を操る魔法を使うことができる」




