それはきっと坂の上
結果的に、桐山さんには自分の正体がバレずに済んだ。あれからほどほどに情報を引き出して、課題としてシエラへの質問をいくつか抱えた私は宝文堂をあとにした。
そうしていったん家で軽い昼ごはんを済ませて、あの名刺を頼りに歩いていまに至る。歩くというか登山だったけど。
名刺の裏に書かれたひらがなは一見ただの怪文書だけど、地元の人間ならピンとくる単語ばかりだった。「せいりゅうさん」は美咲ちゃんの神社の背後にそびえる小山の愛称。漢字はわからない。「みはらしだい」は文字通りの「見晴らし台」で、せいりゅうさんの登山道を上ったところにある簡素な休憩スペースだ。
「ああ。いい眺め」
その見晴らし台に設置された丸太の椅子に腰掛けて、眼下に広がる地元の景色を眺めた。
ここに来るのは小学校の遠足の時以来かもしれない。あの時に見た景色から、町の様子は変わっていないように見える。背の低い家と田んぼばかりしかない田舎の景色だけど、見ているだけでも気持ちが潤うようだった。
町の景色はさほど変わらない。けど、私の身体はやっぱり変わっている。八月のはじめといえば凄まじい暑さになるし、山道を上っていたらいくら木陰が多くても汗だくになるはずなのに。見晴らし台まで上りきった私は汗の一つもかいていない。そればかりか暑いとも思わなかった。ベタつくのが嫌だからありがたいけど気味は悪い。道中で人に会わなくて良かった。
これから先、自分の正体を隠すならこういうところも気を付けないといけない。いままで当たり前だったことが、いまは違う。そうやって変わったところがどれだけあるのか、リストアップすることを考えるだけでも骨が折れそうな気がした。
「はぁ」
憂鬱になりかける気持ちを紛らわすように顔を上げて、もういちど地元ののどかな景色に癒しを求める。いまはまだ、先のことまで考える余裕なんてない。まずは目の前のことに決着をつけていかないと。先のことはそれからだ。
気分だけの休憩もそこそこに、町の景色に背を向けて登山道の先へと足を進める。それから数分もしないうちに次のチェックポイントにたどり着いた。
見晴らし台とほぼ同じ標高にある小さなお寺。「てらのわきみち」も文字通りの「寺の脇道」で、お堂の横からさらに奥へと続く道無き道がある。
なんとなくお堂の前で手を合わせてから、その脇道の入り口に立った。入り口と言っても看板や目印があるわけじゃない。ただ奥に続く道の始まりの場所というだけなんだけど、異変はすぐにやってきた。
「……さむい」
背中から風が吹きつける。これまで暑さを感じなかったこの身体に、寒いと思わせる風が。ここに来るまでは風の気配なんて微塵もなかったのに、風はここに立った瞬間から吹き続けている。
誘われている。
視線の先にはこれまでの登山道と大して変わらない、整備されていない道があるだけ。奥へと目を凝らしても背の高い針葉樹しか見えなくて、人工物の気配はない。
見えない。それなのに、何かがあるという確信がある。私はその感覚にしたがって、風に押されるがまま道の先へと踏み出した。
何が起きたかよくわからなかった。
家らしいものを探しながら山道を歩いていたはずなのに。気付いたら私は足を止めていて、開けた場所に立っていた。
目の前には二階建ての小さな家がある。事務所やお店なんかには見えないただの民家が。家庭菜園のためか、家の周りには小さな畑と水田がこしらえてある。いまは何も育てていないのか、畑はやわらかそうな土が整えられた状態で、水田にもうっすらと水が張っているだけ。作物どころか雑草の一本も生えていなかった。
そのほかに目立つものと言えば私から見て家の裏手にある、一本の枯れ木ぐらいだろうか。ちゃんと世話をされていないのか元々そういう木なのかはわからないけど、ぱっと見では葉っぱの一枚もついていない。季節的なこともあってか、不思議な存在感を放っていた。
そんな民家を中心とするように、辺り一帯には整備された草っ原が広がっている。外周はぐるりと木々に囲まれていて、この敷地と外をつなぐような道の入り口らしいものはどこにも見えなかった。
「うそ」
振り返ってみると歩いて来たはずの脇道もない。そもそも山の中腹ぐらいを歩いていたはずなのに、ちょっと視線を上げてもこの場所を取り囲む木々より背の高いものや場所が外には見えなかった。
まるで、ここだけ不自然に世界から切り離されているかのよう。
いまさら驚くこともない。きっとそういう魔法もあるんだろう。むしろその方が尋ねる相手を間違っていないと確信できる。ここがどんな場所かは関係なくて、私は私の目的が果たせればそれでいい。
冷たい風が吹く。背中を押されたように、私は葉っぱのこすれる音を背に民家へと歩いた。目の前の景色が変わらないことを確かめながら。
やがて玄関の前に立った私は、一呼吸置いてから円形のドアノッカーを鳴らした。
「~~!」
少しの間を置いて家の中から女性の声が聞こえる。誰かに指示を仰ぐような、そんな声。
それからすぐにバタバタとした足音が近付いてきて、玄関のドアがゆっくりと開いた。
「いらっしゃ……」
出迎えてくれたのは背の高い、いわゆるゴスロリの服に身を包んだ綺麗な女性だった。
彼女はドアノブに手をかけたままぽかんとした顔をして、私のつま先から頭のてっぺんまでを舐めるように観察してくる。私は私で、日焼けとは縁がなさそうなほど白い女性の肌や整った顔立ちに目を奪われていた。
この人が坂上五七だと言われれば納得できる。幽霊の専門家というより、この人がそもそも幽霊なんじゃないかと思えるほどの出で立ちだから。
ただ他にも人がいたみたいだから、念のため確かめておこう。
「あの、坂上」
そこで思わず口をつぐんだ。話しかけようとするのにも構わず、女性が無言で私に手を伸ばしてきたから。
頭を。肩を。確かめるようにさすったり軽く叩いたりしてから居直って、彼女はひとり納得したような顔をする。背格好も顔立ちも大人の女性なのに、どこかあどけない表情で。
「うん! 生きてる!」
満足げな笑みを浮かべてそう言うなり、彼女はドアを開けっぱなしにして家の奥へと駆けていった。
残された私は呆然と立ち尽くす。「生きてる」のひと言に思わずどきっとしたけど、不審には思われていないみたいだったから大丈夫だろう。思うに、私が幽霊でないか確かめたというところだろうか。
ほどなくしてまた足音が近付いてきて、ゴスロリの女性がふたたび顔を見せた。さっきまでの無邪気な明るさはどこへやら、打って変わって表情が曇っている。
「あ、あのぉ……」
「はい」
女性はいかにも「言いにくいことがあるんですけど」と言いたげな表情でもじもじする。
「えと、その……言いにくいんですけど……」
あまりにも想像通りだったせいで思わず口もとが緩みそうになった。慌てて唇を噛んでごまかしたものの女性は気付く様子もなく、視線を右へ左へと泳がせている。
少しもどかしいけど、急かしたら余計に面倒なことになりそうだから黙って続きを待った。
「本当に申し訳ないんですが……その……生きている人の依頼は受けられないそうなので……あの…………お引き取り、いただけますか……」
さっき推察した通りだ。それはいいとして、いまの口ぶりからすると彼女はおそらく坂上五七ではない。
そうなると、なんとか話を通して貰わないといけない。
「あぁ……いえ、依頼とかではなくお話を聞きたいだけなんですけど」
「話、ですか?」
食い下がると女性はいったん考えるようなそぶりを見せて、すたすたと奥へ消えていく。きっとその奥にいるもう一人が、坂上五七だ。
やがて力ない足音とともにゴスロリ女性が戻ってきて、ドアの陰に隠れるようにして顔だけをのぞかせた。人のことは言えないけど、気持ちが顔やら行動やらに出てわかりやすい人だ。
「……あの、」
「お話だけでもダメなんですね」
手間を避けるために先手をうつ。すると女性はドアの端に手をかけたまま、こくこくと頷いた。
察した通りなのはいい。だけどやすやすと引き下がりたくもない。ここで身を引いたら、もう二度とここまでやって来れないような気がするから。
「どうしたらお時間いただけますか?」
「えっ、と…………」
また奥へ戻るのかと思いきや、女性はおろおろして動こうとしなかった。どう答えるべきか迷っている、そんな顔をしている。
せめて目の前の女性からもう少し情報を引き出せないだろうか。上手くやれば丸めこめそうな気もするけど、言葉の選び方を間違えるとまずいことになりそうな気もする。できればそれは避けたい。
互いに口ごもったまま思考を巡らせていた、その時。
リィン……リィン……
と、家のどこからともなく鈴のような鐘のような音が鳴り始めた。綺麗だけど、なんとなく居心地の悪くなるような音が。
「あ、わわわ、そんな、」
女性はまた視線を泳がせて、見るからに慌て始めた。おかげでこの音が警報らしいことはすぐにわかった。
「どうかしたんですか?」
「え、えっと、そのぅ……」
女性はドアの端をぎゅっと握って視線を落とす。これも言えないらしい。
聞き出すのを諦めて、とりあえず辺りを見回してみる。家の外にはさっきも見た畑や田んぼと、この敷地を外界と隔絶するように立ち並ぶ針葉樹があるだけ。
「あーもう。だから早く追い返せって言ったのに。なにもたついてんのよアイヴィー」
と、初めて聞く声がして振り向くと、ドアに隠れるゴスロリの女性――アイヴィーの横に、私と同じぐらいの背の女の子が立っていた。うすい寝間着姿のその子は、歳も私と同じぐらいに見える。
もしかして、この子が。
「あの、」
「あ~はいはい。そうです私が坂上です。いいからあなたは家に入ってじっとしてて貰える?」
あからさまに面倒な顔をして五七はそう言った。目当ての人にたどり着けたはいいけど、この人もまた絡みにくそうだ。
「それじゃあ」
「勘違いしないで。話はしないわよ。ただ流れ弾食らってあんたに悪霊になられても困るってだけのこと。それとも何? 一円にもならない悪霊を連れてきたお詫びに慰謝料でも払ってくれるわけ?」
「え? 連れてきたって、」
私の疑問を一蹴するかのように五七は大袈裟にため息をついた。
私が、連れてきた。思い当たる節はまったくない。さっき見回した限りでもそんな気配はなかった。もしかして、どこかに目に見えない何かがいる?
「はあ、もう。タダ働きほど嫌なものはないってのに。ほらアイヴィー」
「はいっ!」
気だるげな声に呼ばれたアイヴィーはドアからさっと離れて五七の背後に回る。これから何が始まるのか見守ろうと玄関の前に立ったままでいると、彼女はすかさず鋭い視線を投げてきた。
「ここから先は見学料取るけど」
「っ……いくら、ですか」
そんな意味深なことまで言われたら見逃すわけにはいかない。一方の五七は私の返答にまた大きなため息で返して、小さく「いくわよ」と呟いた。
頷いたアイヴィーが五七の肩に手をかける。すると二人の全身が淡く光って、溶けるようにゴスロリ女性の姿は消えていった。
その代わりなのか、五七の右手には大きな鎌が握られていた。死神を彷彿とさせるような三日月形の鎌が。ふわりとした寝巻き姿とは対照的で、薄ら寒い物騒な雰囲気が溢れ出ている。
やっぱりこの人たちも、魔法を――
「高くつくからね」
そう言い残すと彼女は身を屈めて、飛ぶように私の横を駆けていった。
背後にいったい何が。遅れるように振り向くと、彼女の向かう先にそれはいた。
二人。さっきまでは気配もなかった、やたら背の高い影が一つと小柄な影が一つ、十数メートル先の敷地のきわにぼうっと立っている。親子のようにも見えるけど顔までは見えない。というか、
「あれが……」
悪霊。五七は確かにそう言った。
どちらもぼんやりと人型のシルエットをしてはいるけど、全身が薄い灰色をしている。加えて膝あたりから下はおぼろげに霞んでいて、足首から下は影すらもない。
小さい方はこちらに背を向けていて、背の高い方は大鎌を振りかぶって迫る五七をじっと見つめている。そんな風に見える。
五七が距離を詰めても二人の影はほとんど動かない。それなのに――いや、だからこそ不気味で、私は玄関のドアの影に半身を隠した。
なんだろう。不気味さというか薄ら寒さが少しずつ増しているような。
それに、この寒さは。
「不法侵入よあんた!」
大きい方に狙いを定めた五七は駆け抜けざまに大鎌を振り抜いた。
それでも二つの影は微動だにせず、きらめく切っ先は狙い通り背の高い悪霊の腹をとらえた。
そう思われたのもつかの間。
「ん」
いない。抜け殻の時のように、切られて霧散したような雰囲気でもない。
五七も異変を感じとったらしく、その場から飛び退いてひとまず小柄な悪霊から距離を取った。背の高い方は姿を消したけど、小柄な方はそれでもなお動く様子を見せない。
そもそも彼らに敵意なんてないのかもしれない。悪霊だなんて言うのは五七の早とちりじゃないか。そう思いかけたのとほぼ同時。
全身を凄まじい悪寒が駆け巡る。
「危ない!」
五七が吠えた。けど遅い。
冷たい何かが私の首を絞める方が早かった。




