パンが無ければXXX
息をのむ。顔に出したり、下手なことを口走ったりすればお終いだ。
でも、なにがどうお終いになるだろう。戦うことにでもなったとしたら、私はそっちの魔法に殺されるんだろうか。それなら死ねるんだろうか。
それともやっぱり私は死ねなくて、彼を手にかけなければいけないんだろうか。理由もないのに?
わからない。"敵"というだけでは情報が少なすぎる。その話はここでもう少し掘り下げておかないといけない。
できるだけ、ぼろが出ないように。
「敵を三種類と……おや、顔色が悪いな。やっぱりこんな話は」
「いえ、大丈夫です。続けてください」
考えていたそばから顔に出ていたらしい。言葉は隠せても表情を隠せていなければ意味がない。もっと気を引き締めないと。
幸いなことに、桐山さんは納得したように頷いてくれた。
「ふむ。それなら続けよう。……いましがた敵を三つに分類したが、やつらの狙いはおおよそ同じ。われわれマギアの持つマナだ」
「マナ?」
「そう、目には見えない生命エネルギーのことさ。人に限らず動物や植物まですべての生き物が持っていて、活力の源になり、魔法の源にもなるもの。そのマナから魔法を生み出せるのが、われわれマギアなんだ」
理屈はなんとなくわかるけど感覚的にはピンとこない。魔法で刀を出した時、目に見えない何かを変換したような感じではなかった。どちらかと言うとあれは、手足を動かすような感覚。
魔法ってそういうものなんだろうか。それとも、あっちの魔法とこっちの魔法の違いなんだろうか。
「ただ困ったことに、マナは生きているものだけでなく化け物たちのエネルギー源にもなってしまう。先ほど敵といった抜け殻や幽霊もね、人間のマナから生まれるんだ」
「えっ」
幽霊はともかく、聞いていた話と少し違う。
抜け殻と対峙したあの時、シエラは抜け殻のことを「感情が形になったもの」と言ったはずだ。マナの話なんてひと言も口にしていない。
「言ってしまえばやつらも魔法の一種みたいなものさ。マナを消費することで存在を維持しているが、自力ではマナを生み出せない。だから自分が消えてしまわないようにと、われわれの元へやって来るんだよ。より多くのマナを奪いにね」
「なる、ほど……」
シエラに聞いた話と比べてみると、抜け殻の構造はどっちも同じように思える。捉え方や、言葉の選び方が違うだけなのかもしれない。
それでも"マナ"="感情"とは考えにくい。その二つを関連づけるとしたら、強い感情がマナにはたらきかけている、なんてところだろうか。それっぽいけど確証は持てないから、後でシエラにでも尋ねてみよう。
なんにせよ、敵の意味するところは少し掴めてきた。
「奴らがわれわれを狙うのはきっと生き物と同じ、存在し続けるための本能なんだろうね」
ぼそりと呟くように放たれた彼の言葉が、やけに私の心に響いた。
生き物と同じ、本能。
そう言われるとしっくりくる。あの時の、狼の姿をしていた抜け殻のこと。本能らしいものが垣間見えたから、あの黒い影が生き物のように感じたんだ。
そのせいで、かりんを見出そうとしてしまったんだ。
「……ところで、抜け殻や幽霊とは話せないんですか? なんて言うかこう、平和的に解決できたりとか」
そして私はまだ、希望を捨てきれていないんだと思う。たとえまともな方法でなくても、かりんともう一度向き合えるんじゃないか。どうにかしてあの子の存在を感じられるんじゃないか、と。
「会話……か。抜け殻はまず無理だ。やつらは気が立った野獣のようなものだから、そういう知性や理性がそもそもない。だから人の身体を乗っ取った状態だとしても、まともに言葉を交わすことはできないね」
それは予想した通りの答えだった。痛々しいかなえさんの姿を思い起こせばわかる。
私が気にしているのはもう一方のことだ。
「幽霊の方は……半々だろうか」
「えっ、じゃあ」
顔に出るのは必死でこらえたのに、思わず声が漏れてしまった。頭の片隅に隠していた期待が一気に膨れ上がったせいで。
「いや、待ってくれ。恥ずかしい話なんだが、実は私も詳しくは知らなくて断言できない。というのも、この地域には幽霊を相手にする専門家がいてね。幽霊にまつわることはおおよそ彼女が対処してくれている。だから私は専門外なんだ」
「その人ってどこにいます?」
はやる気持ちを抑えきれないまま質問を投げると、桐山さんは笑顔を見せながら快活な声をあげた。
「気になるかい? はっはっは、まあそうだろうね。この世界に足を突っ込んだからには知りたいことがたくさんあるだろう」
数分ぶりに聞いた朗らかな声に、場の空気がほんの少しやわらいだ気がした。つられて思わず緩みそうになる気持ちを、こっそり唇を噛んで引き締めなおす。
桐山さんが合図のように二度、手を叩く。するとどこぞのダンボールから姿を現したリリはいったん別のダンボールに頭を突っ込んで、それから白い何かをくわえてテーブルのはしに戻ってきた。
「……名刺、ですか?」
「そう。いま話した専門家の名刺だ。もしそっちの話も気になるようなら、いちど足を運んでみるといい。妹さんは怖がって受け取らなんだがね」
リリが私の前に置いてくれた名刺を手に取る。表には「坂上 五七」という変わった名前だけが書かれていて、他の情報が一切ない。裏返してみると意味深な一文が筆文字のようなフォントで書かれていた。
『せいりゅうさん みはらしだい てらのわきみち より』
「……住所?」
「ほう! よくわかったね。ピンと来たのならきっとたどり着けるはずだ」
ひらがなに戸惑ったけど、馴染みのある名前だったから思い当たるのは早かった。この地域とは言っていたけどずいぶん近い。いまからでも歩いて行けるぐらいの場所だ。
「ありがとうございます」
鞄から財布を取り出して、名刺はなくさないようカード類と同じポケットにしまっておいた。これなら忘れることもないだろう。いますぐにでも行ってみたいけど、まだ聞いておくべきことがある。
「さて、残す敵の一つについてまだ話していなかったね」
そう。その話。
薄れ気味だった緊張感が揺り戻って、無意識に背筋が伸びた。私にとっては本題と言ってもいい。
「ネクロマギアは、奴らはまた特殊でな。端的に……いや、うむ……」
桐山さんはあごを擦りながら口ごもる。なにか言いにくそうにしているのは、さっき顔色を悪くした私のことを気遣ってのことだろうか。
さすがに私の正体には気付いていない、はずだ。
「大丈夫ですよ、私。倒れたりしませんから」
落ち着いた声と笑顔を作ってみせる。学校で先生にするのと同じように。緊張が混じってぎこちない笑顔になっていなければいいけど。
桐山さんは私の言葉と表面上の気持ちをゆっくりと噛み砕いて、それから自分に言い聞かせる風に頷いた。
「……そうだね。君になら話してもいいだろう。ただ、妹さんにはまだ詳しいことを言わないでやってほしい。あの子にはネクロマギアも他の敵と同じくくりで話しておるから」
「わかりました」
その口ぶりからネクロマギアが他と違うということが伝わってくる。うっすらそんな気はしていたけど、こんな重ったるい空気で前置きするほどのことなんだろうか。
疑問や想像が膨らんだけど、真相はすぐに明かされた。
「ネクロマギアは、マギアを喰らう」
一瞬、理解が及ばなくて言葉を失う。
見せかけでもなんでもない、本物の動揺が私の思考を埋めた。ソファに深々と腰掛ける桐山さんの姿が揺らいで見えかけるほどに。
「喰らう……って、」
「文字通りの意味だ」
喰らう。文字通り――食べる。
「死の間際、死にきれずに魔法使いになったものをネクロマギアという。奴らは人間の姿をしていて、魔法を使うこともできる。一見してマギアと区別がつかないんだが……奴らは紛れもない化け物だよ」
化け物。
それはマギアを食べるから?
それとも死んでいるのに動いているから?
尋ねたい衝動をぐっとこらえて唾を飲む。そう言われるのも無理はない。本当にマギアを、人を食べるのかは知らないけど、おかしな状態であることは自覚しているから。
自覚している。でも、やっぱり言葉にされると胸のあたりが苦しくなる。
「奴らがマギアの血肉を求める理由がマナを得るためなのか、それ以上の目的があるのかは分からないがね。死に切れなかった、ネクロマギアになる前の人間のことを思うと胸が痛いが、奴らの存在はあまりに危険だ」
「そんな、わた……」
思わず口を滑らせかけた。そう思って中途半端なところで言葉を切ったせいで、驚きの混じった桐山さんの視線が私に注がれる。
どうする。
また顔色を悪くしたらごまかせるだろうか。
いや、無理だ。笑顔は作れてもそんな顔は作ったことがない。
考えろ。考えるんだ、私。
「私、食べられちゃうんですか……?」
吉と出るか。凶と出るか。気が動転していたから自然と震える声が出て、それっぽくはなったかもしれない。
それにしても私らしくない言葉だ。反吐が出そうになる。相手がクラスメイトだったら嘘だってすぐに気付くだろう。
でもいま目の前にいる人は違う。彼とまともに話したのは今日が初めてだから、きっとバレはしない。
視線が交差する。深く、優しく、それでいて鋭い眼差しが私を捉える。それから彼は視線を落として、あごをさすったままなかなか口を開かない。
最悪のビジョンが脳裏をかすめて、冷や汗が膝の上に落ちたような錯覚に見舞われる。
さあ、どっちだ。
「君たちのような若い子は、われわれのような先達が守る。……できる限りね」
静かに、悲しげに、どこか寂しそうな目をして彼は言った。
よかった。この人はまだ私をマギアだと勘違いしている。内心ダメかと思っていたけど安心した。
回答にやたら時間をかけたのには別の理由があったみたいだけど、そっちはなんとなく想像がついた。
「何事も絶対はないから、どうしても断言はできない。こんな頼りないことしか言えない私をどうか許してくれ」
言葉の裏にわだかまりが見え隠れする。「何かあったのか」とはとてもじゃないけど訊けそうにない。
だってなんの得もない。桐山さんの傷口を広げて、私の首が絞まるだけなのは目に見えているから。
「いえ、そんな。……自分の身は自分で守るべきだと思いますし、気にかけてもらえるだけで十分ですよ」
代わりに私は、またそれっぽい言葉を並べ連ねる。
自分がもし本当にそっち側の魔法使いだったら、恐ろしくてこんな余裕のあることなんて言えないのかもしれない。恐怖のあまり、傲慢にも桐山さんのことを無責任だと罵るのかもしれない。
ネクロマギアの私には、正しいマギアの気持ちなんてわからない。
「ありがとう。君や妹さんを守るために、私もできる限りのことはする。だから魔法のこともできる限り教えるよ」
「心強いです」
ああ、またひとつ。
私はこうして嘘を重ねていくんだ。他人を騙して、自分さえも騙すんだ。化け物と呼ばれるこの身体になったせいで、きっといままでよりも多く。
いまが夏休みでよかったと思う。おかげで嘘をつく労力も多少はマシだから。だけどいつか学校が始まったらと考えると、気が遠くなるようだった。




