想い出のかたちは
思い出していた。
九歳の誕生日。父さんからのプレゼント。
その頃流行っていた女児向けアニメのキャラがモチーフになった文房具と、どこかの神社で買ったらしい紺色のお守り。好みからかけ離れた、組み合わせもよくわからない贈り物に内心では落胆していたけど、当時の私はそれを顔に出さなかった。すぐに子どもらしくはにかんで「ありがとう」と応えてみせたのを、いまでも覚えている。
それが正しい振る舞いだと知っていたから。
そうすれば誰も傷つかないと信じていたから。
後から他の姉妹のプレゼントと比べた時に、自分がちょっぴり不幸になるかもしれない。でもそれで丸く収まるなら構わないと、子どもらしく大人を気取ってみた。
思えばそこが始まりだったのかもしれない。自分を騙すことに糸目をつけなくなったのは。
それで良いと思っていた。争いなく平穏に生きられるなら、それはきっと私の幸せだと。それがゆるやかに自分を殺していくのを知っていたけど、私はあの時の選択を間違っていたと思わない。
それなのに――
「いらっしゃいませー」
若い店員さんの声が耳に届く。書店らしい静かな雰囲気になじむ、やわらかな女性の声。それでいて、そこそこ広い宝文堂の奥の書棚まで届きそうな芯のある声に感じた。私とは違う――なんて、また余計なことを考えそうになって首を振る。いまは感傷に浸りにきたわけじゃない。
肩掛け鞄を揺らして、まばらなお客さんを横目に書籍コーナーをうろついてみる。時折かかとを浮かせては棚の上からあたりの様子を見てみるものの、幸子が言っていたおじいさんの姿は見当たらない。手早くぐるりと徘徊して、文具コーナーへ足を運んだ。
文房具を見るのは嫌いじゃない。使い古したペンを新調するとき、まっさらで重みのあるルーズリーフを手に取るとき、何かの始まりを予感して少しだけ胸が高鳴る。その度ほんのかすかにあの日を思い出しかけて、いつもすぐに頭の中からかき消す。今日もまたそれを繰り返して、目的を見失わないよう馴染みの文具コーナーをさっさと抜けた。店の奥、ともすれば用途がわからないような代物が置いてある方へと、吸い込まれるように。
「……いないか」
ほこりっぽい書店の奥に人の気配はまるでなかった。強いて言えば目と鼻の先にある扉の向こうが気になるけど、間違いなく客の入っていいところじゃない。倉庫とか従業員用の休憩スペースとか、そういう何かだと思う。
「誰かお探しかい」
「ひゃっ!」
背後からの声に驚き飛びのいて、その拍子に肩掛けを棚にぶつけてしまった。
「ご、ごめんなさい」
慌てて商品の無事を確認し、今度は鞄をぶつけないよう気を配りながら声の方を振り向く。私の目線より頭一つ分ほど上から、細身のおじいさんが私を見下ろしていた。
猫背のせいで襲いかかって来そうにも見えるけど、そんなことをするような人でないのは知っている。
「こちらこそ、驚かせてすまんかった」
ほっほと笑うおじいさんは幸子の言っていた人、宝文堂の店長ーー桐山さんだ。よく話すような仲でもないけど、近所のお店の人ともなれば顔なじみぐらいにはなる。物心ついたころから見知った顔、聞きなれた声はいまでも変わらない。対面するのは数か月ぶりな気がするけど、馴染みの穏やかな雰囲気に自然と心が落ち着いた。
「いえ、こちらこそごめんなさい」
軽く頭を下げてふたたび見上げる。ちょっと気が引けるけど、できる限り情報を引き出そう。そう意気込んだ矢先、それは急に姿を現した。
店長さんの左肩でちょこんと羽を休める一羽の小鳥。綺麗なガラス質のしなやかな身体は、意外にも質素な書店の景色に馴染む。綺麗な作り物だと感心しかけたけど、どうも様子がおかしい。
きょろきょろと首を動かす様子は作り物にしては精巧すぎる。そしていま、私と目が合った。
これは"当たり"だ。
「ふむ」
声につられて慌てて視線を戻すと、桐山さんの瞳の奥が真剣な色で光っている。新刊の漫画を買うときや新しい文具を買うときたまにレジの向こう側にいた、普段の雰囲気とは違って。
「見えるようになったんだね?」
どんな気持ちで放たれた言葉なのかはわからない。ただ厳かにそう言って、彼は私の目をじっと見据える。
見えるようになった。それは小鳥のことだろう。すぐにわかったけど、正直に「はいそうです」と答えてしまっていいものだろうか。もしかすると、なにかを試されているのかもしれない。はったりでないとも言い切れない。
「取って食おうなんて思っとらんよ」
警戒しているのを察して声をやわらげてくれたけど、それでも私は応えられない。腹の中がまだ見えないから。
「探るような訊き方をしてすまんかったな。こいつは、ある特定の人にしか見えんのだ」
小鳥の方を一瞥して、彼はまた私の方を向き直る。
「その条件は……すでにわかっとるとは思うがね」
察しはついている。でもまだ核心には触れてない。相手は魔法の一言も口にしてはいない。
この人が嘘をつくような人だとは思ってないし、思いたくもない。自分でも不思議なほどに桐山さんを信用しているけど、いまの私は情にほだされたぐらいで素性を晒せる状況にない。自分のためにも、凛子のためにも。
「まあ、いきなりで信用してもらえんのも無理はない。むしろそれだけ警戒心があるのはいいことだ。……もし時間が許すのなら、場所を変えて話さんかね?」
だんまりを決める私を横目に脇を抜けて、彼はさっきまで私が気にしていた扉に手をかけた。なんの変哲もない、ちょっと古びた書店の扉。その先にあるのはきっとありきたりなもののはずなのに、いまはどうしてか新しい世界への入り口に見えて仕方がない。
私はそれを嬉しいとも、悲しいとも思わない。俯瞰的に、ただ次のステップがそこにあるんだと直感した。
「他のお客さんに聞かれたくないこともあろう。お互いにな」
意味深に呟いて振り向くその顔に後ろ暗い様子はない。だけどいつもの優しい顔とも少し違って、どこかかしこまったような印象を受けた。それがまた私の判断を狂わせる。
それでも迷いはない。何があろうと自分の身ぐらいは自分で守れる。まだろくに魔法を扱えないくせに、そんな根拠のない自信だけはあって。
また一歩。私はもとの自分から遠ざかる。
そんな予感に感傷を覚えることもなく、案内されるままに扉をくぐった。
「どうぞ、座って」
そこは私の部屋より二回りほど大きい空間で、想像していたような倉庫だった。壁際には私の背よりも高いラックがいっぱいに並んでいて、そこに収まりきらない段ボール類は部屋の隅でうず高く積み上げられている。
それだけなら普通の光景だけど、部屋の中央を広めにあけて幅広のローテーブルと対面用のソファを配置してあるのは奇妙に感じた。
「ありがとうございます」
ひとしきり部屋の中を眺めて怪しい気配がないことを確認する。それからいつでも刀を出せるような心づもりだけしておいて、二人掛けソファの片側にそっと腰を下ろした。
扉を閉めて戻った桐山さんが向かいに座ると同時に、ガラス質の小鳥はテーブルの端にとびうつった。優雅に、透き通った羽をはばたかせて。
「訊きにきたんだね。魔法のこと」
「っ……はい」
やっぱり見抜かれていた。臆面もなく核心を突いてきたのには驚いたけど、それはそれで話が早くて助かる。小鳥の流れから察しはついていたけど、これで関係者であることに疑いはなくなった。あとは自分の情報をできるだけ出さずに、どれだけ話を引き出せるか。
はやる気持ちを抑えて、自然な流れになるように先を続ける。
「昨日はうちの妹がお世話になったみたいで、ご迷惑をおかけしました」
「いやいや、迷惑だなんて。むしろ話し相手になってもらって、こちらの方が世話になったぐらいだよ。しかし家族にも話さんようにとは言ったんだが……まあ、お姉さんも魔法が使えるなら良しとするか。いや本当は良くないんだが、まあ、うん……」
さっきまでの厳かな雰囲気はいつの間にか消えていて、腕を組んで一人うなる様子からはいつもの雰囲気がにじみ出ている。私の見知った、書店の店長をしながらも平凡に日々を過ごす、ただのおじいさんに見える。いまのいままでその片鱗にも気付かなかったし、対面しているいまでさえ魔法の気配を微塵も感じさせない。けど、間違いない。
この人が陽子の言っていた「師匠」だ。
これで凛子への土産話はできた。そっちの用件はひとまずお終い。それはいいとして、彼が私のことをどこまで理解しているのかが問題だ。ただ魔法が使えるという話なら生きている方でも死んでいる方でも変わらない。でも実態は全然違うはずで、それによって互いに身の振り方も変わるに違いない。だからまだ、うかつに自分のことは話せない。
面倒だけど、質問は回りくどくしないと。
「どうして魔法のことは話しちゃいけないんですか?」
「良い質問だ。まずはそこから……おお、これこれ。いたっ」
桐山さんがまた変にかしこまった様子に戻ろうとする。と、さっきまで大人しかった小鳥が痺れを切らしたように飛び、話の腰を折るように彼の白髪頭をつつき始めた。鬼をこらしめるキジのワンシーンを彷彿とさせる光景に、張り詰めていた私の緊張も思わずゆるみそうになる。
「わかったわかった。猫を被るのはやめにする。わかったから」
小鳥は言葉を理解しているのか、その一言をきっかけにつつくのをやめた。それでもしばらくは頭の上にとまったまま、つつきたそうに首を動かしていたけど、やがて興味を失ったようにテーブルの端へと戻った。
「……ふう。見苦しいところを見られてしまった。せっかく先達の威厳を見せようとしていたのに、リリのせいで台無しだ」
いまのが余計な一言だったのは私でもわかる。小鳥――リリは氷のように透き通った翼を勢いよく広げ、
「――!」
油断していた桐山さんに向けて何かを放った。目には見えない、けれど確かな何かを。
いまのが魔法らしいことはわかったけど、私がそっち側じゃないから見えなかったのか、そもそも見えない魔法なのかはわからない。いずれにせよ私の方にも仕掛けてこないかと身構えかけたけど、リリが翼をたたんだのを見てひとまず安心した。
見えない何かを食らってのけぞっていた桐山さんは少しの間をおいて身体を起こす。そしてそのままの勢いで深々と頭を下げた。リリに。
「――悪かった」
微笑ましいと言っていいのかもわからず、私はかける言葉を見失う。
「えぇと、」
「ああ、怖がらんでくれ。この子は間違ってもお客さんに危害を加えたりはせんからな。話の途中にすまんかった」
「いえ。……リリちゃんって、桐山さんのペットなんですか?」
何気ない好奇心で問いかけてすぐに後悔した。言葉の選び方を間違えたかもしれないと。
私から視線を外してリリを見つめる彼の瞳には、ここではないどこか、いつかが映っている。優しく、寂しげな表情がすべてを物語っていた。
「大事な、家族だ」
こういう時どうしていいかわからない。いつもは自ずと出てくる、外れのない答えがさっぱり出てこない。目の前には手に取りづらい苦手な選択肢ばかり。
逃げたいと思う。いつもならそうする。当たり障りなく話題を変えるか、相手が口を開くまでごまかすか。今回もそうしようと思っていたのに。
「ずいぶん大切にされてるんですね」
そんな言葉が出てきたのは自分でも不思議だった。
「ああ。この子は妻の形見でね」
やっぱり明るい話題ではない。でも、彼の表情に影が落ちなかったことに私はひどく安心した。
「なんでもないある日、急に何かを思い立った妻がガラス粘土を使って命を吹き込み、リリと名付けた。それがこの子、魔法と魔具から生まれた人工生物だ」
桐山さんがそれっぽく手を差し出すと、それに気付いたリリがすかさず飛び移る。あんなやり取りをしていたのが嘘のようだ。
「本来の人工生物は一時的な使い魔みたいなもので、魔力がなくなれば動かなくなる。こういう言い方は嫌だが、それが本来の使い方でね。その場での使い切り。だが妻は何を思ったか、この子に器を分け与えたんだ」
「器?」
「そう。魔法の力を使うにもエネルギーを貯めておく器がいる。スマホのバッテリーみたいなものだ。それがあることで私たちは魔力を蓄えられて、蓄えた魔力を魔法として出力できる。器の容量は生まれつき決まっている不変のものなんだが、妻はそのうちの何割かをリリに文字通り"分け"与えたんだ」
「それはつまり、奥さんの器の容量は減ってしまうということですか?」
「その通り。でも、そのおかげで術者がいない今でもこの子は動き続けられるし、さっきみたいに魔法を使うこともできる。もちろん、器が小さいから限度はあるがね」
器。魔法の容量。かみ砕いて話してくれたからそのイメージはつかめた。流れ的に"あっち"の前提で話をされていることも。
どうやら私が死んでいることには気付いていないらしい。
「リリちゃんにはどんな魔法が使えるんですか?」
下手なことは言えない。そんな緊張感が戻ってきたけど、情報が錯綜しないから都合はいい。自然な流れでマギアの情報を引き出して知識が得られれば、もしもの時にそっち側のふりができる。凛子にバレた時の、せめてもの保険ぐらいにはなるだろう。
「端的に言えば、音だ。目には見えなかったと思うが、さっき私にぶつけてきたのもそう。これまた耳がキーンとして、なかなかに辛くてね」
桐山さんが右手にとまるリリを見て苦笑いを浮かべてみせる。リリの方は素知らぬ様子であたりをきょろきょろして、たまに私のことを見つめては首を傾げる。その仕草は愛らしいけど、この子の方は私の隠したい事実に勘付いている気がしてどうも落ち着かない。
「音……私にはよく聞こえませんでした」
「ああ、それは指向性の問題だな。魔力の浪費と被害の拡散を防ぐために、この子は音波を収束させてレーザーのように私へ向けて発した。だからお前さんの耳には入っていないというわけだ。妻に似て器用な……ああ、いかん。また話が逸れてしまう」
「あはは、気にしないでください。奥さんに似たところがあるんですね」
少し恥ずかしそうに頭をかきながら、彼はリリに目配せをして部屋の中を飛ばせた。リリはせわしなく翼を動かして壁際のラックに並べられた段ボールの一つに飛び移り、半開きだった箱の中に身をねじ込んだ。
「器を分けたからか、はたまた妻がそういう教育をしたせいかはわからんがな。でも、おかげで寂しくはない」
リリの軌跡を目で追っていたその顔は、確かに優しくて穏やかだ。大事な人の死を乗り越えて、きっと想い出として昇華できているんだろう。それにどれだけの時間がかかったか、どうしたら乗り越えられたのか。考えだすと魔法なんかよりもそっちの方が気になってしまう。
私はこれからどうしたらいいのか。訊いたところでどうにもならないのはわかっているのに、話したくなってしまう。誰でもいいから誰かに許して欲しいと思ってしまう。
抑えていたものが急に吹き出しそうになって必死でこらえた。少なくともいまは、その話をすべきではない。
「私やリリの話ばかりになってしまったな。昨日の――妹さんが来た時もそうだったが、すぐ自分のことを話してしまうのは悪い癖だ。直したいとは思いつつ、この歳にもなるとなかなか変えられんでなあ。気を抜くと延々と語りだしてしまうから、いつでも話の腰を折ってくれ。面と向かって言いにくければリリを呼ぶといいぞ」
「そうすると……さっきみたいなことが起こるわけですね」
冷静に。目の前のことに意識を向ける。いまは情報を引き出す時。
「それで、聞きたいことがあって訪ねてきたんだろう?」
どっしりと腰を据えて私の返事を待ってくれているけど、話したくてうずうずしているしているのはなんとなくわかる。向こうから話してくれる方が私としてはありがたい。下手に尻尾を出さないで済むから。私が口ごもることはあっても、きっと横やりを入れて話を止めることはないだろう。
そんなことを思いながら、ふりだしに戻った気持ちで最初と同じ質問を口にした。
「妹に魔法のことは内緒だと言われたんですけど、口止めされる具体的な理由が知りたくて」
「おお、そうだった。つい話が流れてしまった。忘れないうちに簡潔に答えると、それは敵から身を守るためだ」
「敵?」
リリちゃんのようにきらびやかな姿を目にした後では、敵という語感がひどく不穏に感じる。イメージにないとは言わない。ファンタジーの世界には悪役がつきものだけど、いざ現実で聞かされると心がずっしり重くなるようだ。陽子の気持ちが引き締まっていたように感じたのも、これで納得がいった。
「ああ。われわれ魔法使い――マギアには大きく分けて三種類の敵がいる。一つは抜け殻という黒い化け物。一つは世間一般的に言うところの幽霊」
桐山さんが一つ、二つと指を立てていく。
抜け殻はすでに出会った。かりんの家で対峙した黒い影。思い出すと寂しさがよみがえる。他のどんな気持ちよりも寂しいという気持ちが。どういう存在かは、まだ曖昧にしか把握できていない。
幽霊についてはあまりに唐突だけど、魔法を知っている身で驚くほどのことでもない。
「そしてもう一つは――」
じゃあ三つめは悪魔か何かか。そんな軽い気持ちのままでいられたらどれだけ良かったことか。
「ネクロマギアと呼ばれる、死の魔法使いだ」
程よく張っていたはずの緊張の糸は、一瞬ではち切れんばかりに張り詰めた。




