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 四歳のとき、母が死んだら悲しいという気持ちに行き当たった。わたしは毎日泣き暮らした。昼間は人形遊びをしながらふと涙をこぼし、夜中は悲哀を超えた恐怖にはっと目覚めた。

 六歳のとき、自分が死んだらどうなるのか、考え始めた。祖父の葬式で、子供が火葬されるのを見たのがきっかけだった。

 わたしが死んだら、わたしが死んだら。

 考えても答えは出なかった。

 十歳のとき、自分や世界の実在感のなさに戸惑うようになった。不思議な自分。いくら自分を見ても顔が見えない。顔。鏡で見る顔は偽物だから見ても意味がないと思った。鏡を見ることは極力控えていた。

 十五歳のとき、死んでしまえば楽だと思った。何も不自由ではない。生きるのに必要なものは世界が用意してくれている。けれど、世界って? 世界が何なのかわからないからには、寄越されるものを食べるのは不気味だった。自分って? 自分という器の不自然に戸惑えば、これを管理することも異様に思えるのだった。

 死のう、死のう。

 けれどわたしは笑い、走り、話している。これを変えるのは難しい。内側から腐っていくわたしの中身を、突然見せても世界がどう言うのかわからない。

 二十歳のとき、わたしは手首を切った。何度も何度もためらい傷をつけた。動脈を切ることはできなかった。わたしは願った。

 死はいつ訪れるのか、死はいつ訪れるのか。

 待っていても丈夫な身体に何も起こるはずがなく、わたしは器を恨めしく思った。

 二十五歳のとき、わたしはわたしを殺したい気持ちを箱にしまった。たくさんの箱に。何度も何度もしまっていたら、数えきれないくらいになったのだ。

 死は、ふわふわとわたしの周りを浮遊している。わたしはあえてそれを掴み取らず、目を逸らしている。

 死とは、死とは。

 わたしは問おうとしては箱にしまう。

《了》

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