海の王
パリン、と音を立てて氷の球体が砕け散った。
そのことにシェラルは目を丸くする。
「小娘にしてはなかなかやるな。」
レヴァーナは内心で舌を巻き、岩の上に落ちた氷の欠片を光に透かすように持ち上げる。
「これはそこの家令が私の配下と戦闘をしている間に作成した魔導石によって生み出されたものだな、小娘?」
魔導石とは、魔道具の上位互換のようなものだ。魔道具は基本、消耗品だ。しかし、魔導石は使用者が魔力を補充すれば半永久的に使うことができる。
「うん。」
シェラルは肯定した。
レヴァーナの視線がギルバートに向けられた。ギルバートは海の女王に黙礼をした。
「家令よ、貴様の主は常識を知らんのか?」
「私の口からは女王陛下が見聞きしていることが全てとしか言えません。」
割れた氷の破片を並べているシェラルには人魚の王と家令の会話など届いていない。
(使用可能な魔法の属性はその種族が得意な魔術属性のみ。人魚族の得意属性は水。だけど――魔術式の回路に干渉したのは氷属性。)
疑問に思ったことはすぐにその道の専門家に訊くのがシェラルの流儀である。彼女は無駄に機敏な動きで顔を上げた。
「ね、貴女……女王陛下が使える魔法は水属性だけじゃないの?」
流石のシェラルにも王を敬称なしで呼ぶのはヤバいくらいの分別はあるらしい。ギルバートは小さく安堵の溜息を吐いた。
「今のはその慧眼に免じて不問にしてやろう。」
「寛大な御心に感謝致します。」
レヴァーナの偉そうな物言いにギルバートは丁寧に礼を述べた。
だが、その気遣いは数瞬後には木っ端微塵に打ち砕かれることになる。
「早く答えて。」
結界内に沈黙が落ちた。
ギルバートとレヴァーナは勿論のこと、結界の外で半ば存在を忘れ去られそうになっている氷の球体に閉じ込められた人魚四人。その計六人は同時にシェラルに目を向け、「コイツ大丈夫か?」と内心で思った。
先程まで戦闘を繰り広げていた六人だが、常識を知らない子供のおかげで心が一つになった。
「小娘よ、まだ子供だから百……いや千歩ほど譲って敬語を使わないのは許してやろう。」
一度言葉を切った。レヴァーナは何を言えばいいのか分からなくなっている。そして、慎重に言葉を絞り出す。
「もう少し落ち着け……まだ鮪のほうが落ち着きがあるぞ……」
「いいから質問に答えて……答えやがれください。」
ギルバートは片手で腹を押さえた。レヴァーナ含め、人魚達は彼に同情の念を抱いた。
「お嬢様……屋敷に戻ったら一度、敬語についてお勉強しましょうか。」
「必要ない。」
一刀両断。
「敬語は研究の世界において邪魔。よって、いらない。」
無表情のままレヴァーナが名乗った時と同じくらい堂々と言い切った。いっそのこと清々しさを覚える態度であった。
余談だが、シェラルは敬語が使えないわけではない。むしろ、使おうと思えば一国の王を完璧にもてなせるレベルで扱える。そう、使おうと思えば、だ。
シェラルは敬語が嫌いだ。理由はいくつかあるが、一番の理由は研究をするうえで邪魔以外の何ものでもないからである。
前世では引きこもっていたため、使う機会はほとんどなかった。たまにリモートで国内や他国の大学教授なんかと話すときも当然のようにタメ語を使っていた。向こうもシェラルと似たようなタイプだったこともあり、然程問題にならなかっただけだ。
「研究……領主代行を務めるならば必要なスキルでございます。」
「うぐっ……」
ギルバートの言葉にシェラルは叱られた子供のような表情になった。
魔法に気を取られすぎて自分が領主代行を務めることをしっかりと忘れていた。
「はぁ……執事よ、その小娘が私に対して敬語を使わずに話すことを許可しよう。だから顔をそれ以上青くするな。」
「女王陛下のお気遣いに感謝致します。」
シェラルはちらりと自分の半歩後ろに控えているギルバートに視線を向けた。顔色は青色を通り越して蒼白になっていた。
(何があったんだ?この短い間に大分老けたな。)
元凶は言わずもがな。
海の支配者たるアクシアの女王にタメ語を使っているシェラル本人である。
「私が氷属性の回路に干渉できた理由、だったか。魔術式に干渉したとは思わんのか?」
レヴァーナの瞳が試すようにシェラルを射抜く。
シェラルは自分を落ち着かせるために深呼吸をしてから口火を切る。
「魔術式とそこに流れる回路は別物。私達人間は魔術式を書き換えることで術式に干渉する。だけど、女王陛下の魔力の残滓は回路に直接干渉してた。回路には魔力が流れているだけ。回路に流れていたのは氷属性の魔力。つまり――」
レヴァーナは一言も聞き逃すまいとシェラルを注視している。
シェラルはその視線を気にしないようにしながら言葉を続ける。
「魔力に直接干渉してる。回路に流れている魔力が乱れたら術式が壊れる。だから、これは割れた。」
結界内を波の音が支配した。
レヴァーナの肩は小刻みに震えている。
(怒ってる……?)
「ククッ……アッハハハ……」
突然、波の音をかき消すように笑い声が響いた。
「正解だ。私は魔力回路に直接干渉した。術式を書き換えてはいない。」
レヴァーナは満足そうに頷いた。
「合格だ。貴様らがアクシアに立ち入ることを許可してやる。」
その言葉にシェラルは目を輝かせた。レヴァーナの尊大な態度は一切気にしていない。
「ただし、今から言う条件を呑んだらだ。」
「なに?人魚の子供を助けろとか?」
「なぜそれを知っている?」
地を這うような低い声だった。そこら辺にいる普通の子供だったら泣き出していただろう。しかし、シェラルは眉一つ動かさずに内心でほくそ笑んでいた。
(やっぱり奴隷オークションに人魚も出品されてるのか。この問題を片付ければ領地運営が楽になってさらにアクシアにも入れる……最高か。)
それはさながら、悪代官のような思考であった。




