海の王からの依頼
「詳しく話を聞きたいが……その前にあの氷を消せ。」
「あっ……忘れてた。」
ポン、と手を打つついでに氷の球体を解除した。
自由になった人魚達はレヴァーナに恭しく頭を垂れ、全員同じ方向へ泳いで行った。恐らく、その方向にアクシアがあるのだろう。
シェラルはその方向をジッと見ている。
(あっちか……あの方向に進むと急に深くなるんだっけか。)
脳内で地図を展開させ、アクシアのおおよその位置を割り出そうとしている。
「――で―――最近――私の――――」
レヴァーナの言葉など聞こえていない。感知術式を発動させ、人魚の魔力反応を追っている。
海には人魚の他にも魚や魔物などの様々な生き物の魔力反応や漏れ出た魔力が満ちている。
(海の生物は水属性が多いな……たまに氷がいるくらいか。)
魔力感知を通して見える海は夜空のようだった。魔力が青や紺、空色や藍など様々な青色で染まっていた。魚は淡い色、魔物は濃い色を纏っている。魚の群れが泳いでいるところは天の川に、遊泳している魔物は惑星に。
シェラルが前世で見たどんな宇宙の写真よりも綺麗だった。
「だから――を――――い。何か―――」
レヴァーナは説明を終えてからシェラルが話を聞いていないことに気づいた。目は開いている。しかし、その瞳は目の前にいるレヴァーナではなく、全く違うものを映している。
結界の外には無属性の魔力が漂っている。海の王が意識しなければ気づけないほど薄く広がっている。
「ふむ。」
即座に現実を受け入れたレヴァーナはどうしたものか、と思案を始めた。
シェラルの瞳はレヴァーナが知る中では一番生き生きとしていた。この短い間でも、目の前の幼子は魔法やそれに準ずるものに強く惹かれることは嫌というほど理解した。
そして――人間やその姿を持つ生物を酷く嫌っていることも。
「哀れだな。」
ボソリと独り言を漏らし、レヴァーナはギルバートに意識を向けた。
「執事よ、話は聞いていたな?そこの礼儀知らずな小娘に伝えておけ。」
「承知致しました。」
用は終わったとばかりに二人に背を向け、海の王は結界の向こうへと泳ぎ去った。
「お嬢様、一度お屋敷の方へ戻りましょう。」
返答はない。完全に意識が別のところに向いている。
「……お嬢様、暫しの無礼をお許しください。」
ギルバートは強制転移の術式を行使した。次の瞬間には二人はスティウム邸の執務室にいた。
そこでようやく状況を呑み込んだシェラルは条件反射で執務室の扉の前まで後退した。いつでも外に出られるようにドアノブに手を伸ばしたところでぴたりと固まった。
「いつの間に戻ってきたの?」
ギギギ、と壊れた人形のような動きでギルバートに顔を向けた。
「お声がけ致しましたが、お嬢様が何の反応も示さなかったため、強制転移で先程戻ってきた次第でございます。」
(強制転移……同意なしに生物を転移させる術式だったよな。転移させる対象の魔力抵抗力が高いと失敗する……)
シェラルの意識が再び思考の海に沈みかけていると、「ゴホン」と咳払いが聞こえた。
「お嬢様、アクシアの女王陛下がおっしゃっていたことを今からお伝え致します。」
ギルバートはシェラルの意識が現実に残っていることを確認し、そう前置きしてから話し始めた。
「人魚の子供や女性が知らぬ間に消息を絶つことが増えているそうです。それも、ヒィウスの近くで多発しているようで。我々が張っていた結界自体は視認こそできなかったものの、魔力濃度の違いから『何かがいる』と察したそうで。」
一度、言葉を切ってシェラルが話を聞いているか確かめる。いつの間にか執務用の椅子に座っていたが、一応話は聞いている。
「女王陛下の配下は我々に気づいていなかったため、こっそりと人魚を誘拐しに来たと推測し、我々に攻撃をしたとおっしゃっておりました。」
「わかった。つまり、海の王はこう言いたいわけだ。『アクシアに来たければ消えた女子供を連れてこい』って。」
「はい。それも三日以内に連れてくるようおっしゃっておりました。」
(三日……つまり、一番最初に消えた人魚の生存率が三日後にはゼロに等しくなるってことか。)
魔族は同族が傷つくことを極端に嫌う。もし、他種族のせいで同族が死んだ日には怒りを顕にしてその種族を殺しに来るだろう。
(むしろ、人魚は魔族の中でも特に排他的な種族だから最悪、国ごと滅ぼされる。)
魔族は遠い昔、人間の奴隷にされていた。
その代表格が人魚や竜である。見目麗しい者が多いからだ。
奴隷だった魔族を解放したのが海と空の女帝である。
(海の王と空の王は魔族の英雄。その片方から怒りを買ったら……首謀者は問答無用で殺され、監督不行届でスティウム侯爵家の人間も……王家は国を守るためなら躊躇いなく差し出すな。そしたら魔術の研究ができなくなる……)
結局、シェラルにとって最も大事な部分はそこだった。
「今日中に……遅くとも明日の昼までに奴隷オークションを叩く準備を終わらせる。」
「承知致しました。」
ギルバートはシェラルの宣言に跪き、片手を胸に当て、頭を垂れる。臣下の礼だ。そのことにシェラルは首を傾げる。
彼はスティウム侯爵家に仕える家令だ。当主に仕えているわけでも、その嫡女に仕えているわけでもない。「侯爵家」に仕えているのだ。
(形式上、当主やその代理にすることはあるけど……まさか――)
そこまで考えたところで、ようやくシェラルはギルバートの意図に気づいた。シェラルが制止の言葉を発するよりも早く、ギルバートは朗々と宣言する。
「不肖ギルバート、この身が朽ち果てるまでシェラル様に忠誠を捧げることを誓います。」
普通は忠臣ができたことに感極まる場面かもしれない。しかし、シェラルは哀愁すら感じさせる表情をしている。
(……こうなったら便利なコマができたと割り切るしかない……!)
そう割り切り、ギルバートに奴隷オークションを潰すための計画を語り始めた。
✽✽✽
「ギル、儂が死んだらいずれ生まれてくる孫を頼む。」
ギル、クロードはギルバートをそう呼んだ。
「主従を結べとまでは言わないが、儂の馬鹿息子に殺されないように面倒を見てやってくれ……大変だったら使用人を止めても構わぬ。」
それがクロードの遺言だ。
ギルバートはそれを片時も忘れず、侯爵家に留まった。
膨大な書類に忙殺され、自らの不甲斐なさに呆れながらもクロードの孫の誕生を待ち続けた。
生まれた赤子の瞳はルビーのような赤。クロードと瓜二つだ。
(クロード様、お孫様は貴方を超える傑物でした。)
彼はその思いとともに誓いの言葉を述べた。
「不肖ギルバート、この身が朽ち果てるまでシェラル様に忠誠を捧げることを誓います。」
彼は亡き主に、そして亡き友に。
――貴方の孫を守り抜く、と。




