視察 港町ヒィウス
(港街……?漁村のがまだマシだぞ?)
シェラルはギルバートの転移魔術でスティウム侯爵領の西にある港街ヒィウスに来た。しかし、港街というより漁村と言われたほうが納得できる有様であった。建物自体は漁村よりもいいが、活気が全くなかった。しかも、民家はほとんど廃墟と化していた。人が住んでいる民家は全体の三割にも満たないだろう。
「お嬢様、代官邸はこちらでございます。」
シェラルはギルバートの案内についていきながら街を見る。
(予想より酷いな。)
先代領主の時代は栄えていたらしいが、今は見る影もない。他の領や街へ引っ越せる者は皆そちらへ移ったのだろう。街には老人や元犯罪者と思しき者達が多かった。
「ほ、本日はようこそおいでくださりました。私はヒィウスの代官を務めておりますレイズと申します。」
小太りの男はレイズと名乗ると、シェラルより先にソファへ腰を下ろした。シェラルはそれを冷ややかな目で見ながら対面のソファにちょこんと座った。
「緊張しなくて大丈夫ですよ。早朝に突然、先触れをお送りしたにも関わらず、これほど丁寧にお嬢様をもてなしていただけるとは……感服致しました。」
ギルバートも普段の穏やかな目とは一転し、氷のように冷たい微笑みを浮かべている。
(うん。それは同意。)
今、シェラルは代官邸の応接室にいる。革張りのソファに座り、紅茶を飲みながら心の中で頷いた。そして、レイズがギルバートに気を取られている隙に部屋の調度品やローテーブルの上のポットに視線を走らせる。
(調度品もティーセットもそこそこ値が張るものだな。今のヒィウスの状態だと代官でも個人で所有できる代物ではないらず……)
「資料を取ってまいります。少々お待ちを。」
シェラルが思考を巡らせている間にも話は進んでいたらしく、レイズは資料を取りに応接間を退室していった。
「あの代官、黒だね。」
「はい。話している間、私と目を合わせず、時折床に視線を向けていました。」
「地下か。ギルバート、おつかい頼んでいいよね?」
シェラルはそう言いながらコツリ、と靴音を響かせた。すると、下からほんの僅かだが、弱い振動が返ってきた。注意していなければわからないものだったが、意図を察したギルバートは一礼し、部屋を退室した。
数分すると、レイズが紐で綴じられた分厚い紙の束をいくつか抱えて戻ってきた。
「使用人の方は……?」
レイズはローテーブルに紙の束を置きながらそう尋ねてきた。
「おつかいを頼んだだけですからお気になさらず。」
「左様でしたか。必要な物がおありで?ここにあるものでしたらお貸ししますが……」
シェラルはレイズの言葉を無視し、紙の束を開き、視線を走らせる。昨夜読み込んだ領内の資料と脳内で照らし合わせながら不審な点を探す。
(……この代官が愚かで助かった。)
シェラルは目当ての情報が手に入り、内心で代官を嘲笑いながら最後の頁まで目を通した。
「今日はありがとうございました。それでは、本日は帰らせていただきます。」
シェラルはお礼もそこそこにソファから降り、扉へ向かう。レイズは慌てて見送りのために応接間から出ていくシェラルを追う。
「シェラル様、出口はこちらですっ!」
シェラルは出口とは反対側にある裏口に向かっていた。レイズはその体を割り込ませるようにして立ちはだかり、必死に止める。まるで、その先に見られたら不味いものがあるとでも言うように。
その姿が一瞬、シェラルの記憶の中のある人物と重なった。
「ご、ごめんなさい…」
シェラルの身体は強張り、僅かに声は震えている。そして、体の向きを変える際に近くの階段の二階へ視線を向けた。二階の薄く開いた扉へ向かって誰にも気づかれぬよう口だけを小さく動かし、すぐに出口へ向かう。
そして、一度も振り返ることなく、代官邸を出た。
シェラルは代官邸を出ると、海の方へ駆け出した。砂浜に着くと、大きな岩に背を預け、ズルズルとその場に座り込む。
「はっ、はっ、はっ……」
身体は震え、呼吸も浅い。何か気が紛れるものはないかと海へ視線を向ける。すると、魚の尾が海の底へ泳いでいくところが見えた。シェラルの目はそれに釘付けになった。
(あった……!)
自分の推測が当たっているとわかり、思考が今のことへと切り替わっていく。数秒後には前世のことなど頭の片隅に追いやられていた。
(魚にしては尾が大きすぎる。さらに、魔力量も。)
「お嬢様、こちらにいらしたのですね。」
シェラルの肩がびくりと跳ねた。そろそろと視線を上げると、満面の笑みのギルバートが立っていた。
「いくら待てども待ち合わせ場所に来ないので探しましたよ。」
(ひっ……怒ってる……よね?あぁ、またやっちゃった。)
「ごっ「心配致しました。」」
シェラルが謝るよりも先に、ギルバートは言った。その目はいつもの優しい目だった。心の底から本気で心配していたのだろう。
(えっ……?)
シェラルはまじまじとギルバートの顔を見た。
確かに、怒ってはいる。しかし、それはシェラルを心配しているからだ。シェラルに危害を加えようとはしていない。
それがわかると、シェラルは息を吐き出し、立ち上がった。
「勝手にいなくなったのは謝る。でも、必要なことだった。」
目をそらしながらだが、嘘は言っていない。ギルバートが「次からはせめて行き先を告げてからにしてください。」とだけ言ってこの話は終わった。
「ギルバート、今日の午後に予定していた視察はなしで。向こうには後日行く旨を伝えておいて。」
シェラルは言いたいことを言うと、何の躊躇いもなく海に入った。自分の周囲に結界を張っているため、水に濡れることはない。しかし、あまりにも突然のことにギルバートは目を剥いた。
「お、お嬢様!?説明が足りません!」
ギルバートもシェラルと同じように自身の周囲に結界を張り、シェラルを追いかける。
シェラルはギルバートが着いてきていることを確認すると、先程大きな魚が海の底へ泳いでいったあたりで海中に潜っていった。
✽✽✽✽✽
(もうこんなに……)
階段の下に人がいることは分かるが、輪郭がぼやけており、容姿などはわからない。
(っ……やっぱり、父さんは――)
薄く開けていた扉を閉め、足元に視線を落とす。
(逃げたい……だけど、これがある限りは逃げれない。)
少年は「父親」が戻ってくる前にノルマを終わらせるべく、机に向かった。




