視察当日
ギルバートは「おやすみなさいませ。」と言ってシェラルの部屋から退室した。
「はぁ……」
シェラルは溜息をつき、ベッドに寝転ぶ。ギシリ、とベッドが軋むが、シェラルは気にせず、目を閉じた。しかし、睡魔は一向にやってこない。
「やっぱダメか……」
シェラルは不眠症だ。目を閉じても眠気が訪れることはない。仮に眠れたとしてもすぐに目が覚める。眠りは浅く、休息には程遠い。さらに、眠っている間は周囲に誰もいない状態でも体が強張る。最悪、過呼吸を起こして気絶する。
シェラルは眠ることを諦めて体を起こす。転生する前からの症状はどうしようもなかった。前世では何度か改善を試みたが、酷くなる一方だったため、とっくに諦めている。
「しょうがないよね。」
そうポツリと呟き、読みかけの本の頁をめくる。それはスティウム領の資料だった。時折、本から顔を上げ、傍らの紙に何かを書き込む。そして再び本に視線を戻す。
それを繰り返しているうちに夜は明けていた。日が昇っても、シェラルの部屋に陽光が入ってくることはない。ちいさな北向きの窓があるだけの部屋は多少明るくなった程度だった。
(もう朝か。さてと……ギルバートは執務室か?視察する場所も決まったし、報告に行くか。)
シェラルは執務室へ向かう。廊下には誰もいない。早朝であるため、当然と言えば当然だが、気配すら感じられないのは異常だった。
(魔力感知……いないな。)
屋敷内にはほぼ人がいなかった。シェラルは執務室へ行こうとしていたが、方向を変え、馬車小屋へ向かう。
案の定、馬車は一つも残っていなかった。
(使用人用のも出払ってる……昨日は使用人の気配もスティウム侯爵夫妻の気配もあった。ギルバートが気づいていたら昨夜私の部屋に来たときに報告するはず……)
馬車で出かけたとしたらギルバートがシェラルの部屋を退室してから明け方頃までの時間帯だ。
シェラルはスティウム侯爵夫妻の寝室へ転移した。
「家令!?」
「お嬢様!?」
二人の驚きの滲む声が重なった。シェラルは転移した先にギルバートがいたことに、ギルバートは突然シェラルが現れたことに驚き、数秒固まる。
「ギルバート、なんでここにいるの?」
先に動き出したのはシェラルだった。本棚の近くにある文机の引き出しを躊躇いなく開け、中を探る。中からは封筒が出てきた。封蝋には家紋が使われていた。執務を何年もサボっていたスティウム侯爵夫妻の部屋にある封筒だ。碌なものではないだろう。シェラルは封筒の中にあった数枚の便箋を取り出す。その便箋はほんの僅かだが、アルコールのような匂いがした。それに気づいたシェラルは便箋を重ねたまま光に透かした。
「……アホすぎない?」
シェラルはこめかみを抑えながらギルバートに封筒ごと便箋を渡した。ギルバートは無言で受け取り、同じように便箋に目を通す。
「当主様には失礼ですが……なんと稚拙な。」
ギルバートは額に手を当て、天を仰いだ。
便箋は――表向きは――茶会の招待状だった。
しかし、それらの便箋には全て重ねたまま光に透かすと焦げ茶色の文字が浮かび上がるよう細工がされていた。
(特殊インクか……この世界にもあるんだな。前世の記憶ものよりは大分性能が悪いけど……ギリギリ及第点ではあるかな。)
シェラルの意識は便箋の内容よりもこの世界にもあった特殊インクに注がれている。このままでは本題を忘れてしまいそうだ。
「お嬢様、どのように動かれますか?」
ギルバートのその言葉にシェラルの意識は現実に戻ってきた。
(あっ……ヤバい……)
シェラルは恐る恐る顔を上げた――ギルバートに侮蔑の視線を向けられると思いながら――
しかし、シェラルの予想に反してギルバートの視線は優しいものだった。孫を見る祖父の目に近しい穏やかな目だった。
(そう……だよね。そうじゃん。ここは前世の世界じゃないんだから。)
シェラルは無意識のうちに指の先が白くなるほど服の裾を握っていた。その力を抜き、自分を落ち着かせる。
(今は忘れろ。暫くは思い出すな。目の前のことに没頭しろ――)
シェラルは自分に暗示のようにそう言い聞かせた。
楽しいことが、面白いことが、手を伸ばせば届く位置にある。だから、見逃すのはもったいない、と。
「お茶会はスティウム侯爵夫妻が外出する建前。本当の目的は奴隷取引。そうだよね?」
「はい。私も先程拝見致しましたが、間違いないかと。」
便箋を光に透かすと、奴隷オークションについての日時や場所、合言葉などが浮かび上がったのだ。
シェラルが住むこの国で、奴隷は法的に認められている商人のみが取り扱いを許されている。
奴隷には大きく分けて二つの種類がある。借金奴隷と犯罪奴隷だ。
借金奴隷と犯罪奴隷の一番の違いは平民に戻れるか、である。貧乏で首がまわらなくなった者が最終的に自分を売ると借金奴隷に、重罪を犯し、尚且つ余罪もある者が平民の身分を剥奪されて奴隷になると犯罪奴隷になる。
借金奴隷はその後の態度とその時の主によっては平民に戻ることも可能である。
しかし、犯罪奴隷は二度と平民にはなれない。一生を生きた道具である奴隷として過ごすことになる。
法的手続きを経て奴隷の取り扱いを許された者は皆、それが必要なことであると理解している。自分を売らないと生きていけないほど困窮している者がいることを、法を犯し、更生する機会すら奪われた者がいることを。
だから、奴隷であっても最低限の衣食住の保障はされ、必ず二名以上の立会人がいる前で店頭でのみ取引されているのだ。
そのため、オークションなどは絶対に開催されない――違法な取引を除いて。
「国家反逆罪に違法な奴隷取引も上乗せか。救いようがないな。」
「王城に連絡いたしますか?」
「ダメ。」
この時、ギルバートには親の罪を認めたくないのだな、と妙な感動を抱いた。あの二人を親と思っていない、と言いながらも少しは情があったのか、と感動していた。
しかし、実際は違った。
(王城に連絡したら国家反逆の件についても芋蔓式にバレるじゃん!!そしたらスティウム侯爵家は取り潰し……魔術の研究がぁ!!)
夢もへったくれもなかった。シェラルにはスティウム侯爵夫妻を庇う気など一欠片もなかった。
「お嬢様、お気持ちはお察し致しま「よしっ。こうなったら今日の視察も全部余すことなく有効活用して情報が漏れないように握りつぶすしかないな。」」
「そうでした。お嬢様はこの程度でへこたれるような方ではありませんでした。」
ギルバートはすぐに認識を改めた。シェラルに常識という物差しは通用しないのだ、と。
「ギルバート、この二つの街の代官に視察に行く旨を連絡して。私は少し準備してくるから。」
シェラルはギルバートに街の名前を書いた紙を押し付けると脱兎のごとく廊下を駆けていった。




