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視察前夜 Sideギルバート

 外はとっくに暗くなり、スティウム邸の中も静まりかえっていた。その静寂を破るようにギルバートはシェラルの部屋の扉を三度ノックした。


(明かりは漏れていますが、返事が返ってこない……)


 ギルバートは無礼だとは分かっているが、音を立てないようにゆっくりと扉を開けた。扉は立て付けが悪く、ギィと不快な音を響かせた。

 シェラルの部屋の中を見て、ギルバートは絶句した。

 部屋の中にはアンティークと言えば聞こえはいいが、古びたベッドが一つあるだけだった。

 その光景にギルバートの胸は痛んだ。


(クロード様、申し訳ありません。)


 クロードとは、先代のスティウム侯爵で、シェラルの祖父である。シェラルが生まれる前に亡くなった。

 昼間、シェラルが執務室の扉を開けた時、ギルバートはその姿にクロードを重ねていたのだ


 シェラルは古びたベッドの上や床に図書室から持ち出したのであろう本を広げていた。枕のすぐ横には、シェラルが魔術で作ったと思しきランタンが置いてあった。


(ランタンの外側は……木ですね。庭にある木の枝を活用したのでしょうか?中の火が燃え移らないよう付与魔術も……)


 ギルバートは目の前の光景をすぐには受け入れられなかった。たった五歳の令嬢が自力で魔術を習得し、()()()まで作っていたのだ。ギルバートの常識の範疇を超えていた。

 驚くなというほうが無理だった。


 魔道具とは、魔力を流すだけで付与された魔術を使うことができる道具だ。魔術の媒介となる道具や宝石に付与魔術で術式を刻み込むことで完成する。

 しかし、付与魔術を習得するには魔術式を完璧に理解し、自分で改良できるほどの知識が必要である。無詠唱ほどではないが、短縮詠唱よりは扱える者が限られる。

 魔術の媒介として耐えられるものは高価なため、平民にはあまり普及していないことも付与魔術師が少ないことの一因だ。


(あのランタンは高価なものが一つも使われていない……どこにでも落ちているような木の枝だけでここまでのものを……)


「お嬢様。」


 内心で感嘆しながらも、それを欠片も感じさせずにギルバートはシェラルに声をかけた。予想通りだが、シェラルは無反応である。本の頁をめくる以外の動きはない。


 ギルバートは一度、シェラルの部屋を退室し、厨房に向かった。


(あのご様子では夕食も摂られていないのでしょう。この辺りは北の地と比べれば温暖な気候ですが、夜は冷える。それに、あの部屋は北向き……このままでは風邪を引いてしまわれる。)


 ギルバートは砂糖入りのホットミルクを作り、戸棚にあった手つかずのクッキーを何種類か皿にのせた。


(おや、あちらの棚……料理人が閉め忘れたのでしょうか?)


 厨房の中の油などの調味料を仕舞っている棚の扉が開いていた。さらに、その棚の付近の床には白い粉が落ちていた。ギルバートは不思議に思いながらその粉を片付け、棚の扉を閉めた。

 それが終わると、ホットミルクとクッキーを持ち、もう一度シェラルの部屋へ行く。扉をノックするが、返事は当然のようになかった。


「失礼いたします。」


 ギルバートは数秒待っても返事がないことを確認すると、数分前と同じように部屋に入った。部屋の中には相変わらず本が散らかっていた。


「お嬢様、休憩をとられてはいかがでしょうか?」


(無反応、ですか。)


 ギルバートがどうしたものか、と考えているとシェラルはゆっくりと顔を上げた。その目はギルバートが持っている盆の上のホットミルクとクッキーに釘付けだった。


(おや……)


「お嬢様、ホットミルクとクッキーをお持ちしました。少々休まれてはいかがでしょうか。」


「休む。」


 シェラルはあっさりと頷いた。ギルバートがベッドの上に盆を置くと、シェラルはすぐにホットミルクの入ったコップを手に持ち、一口飲んだ。無表情のままだが、僅かに目が輝いている。一度、コップを盆のうえに戻し、クッキーを一枚囓った。クッキーを頬張る姿は小動物のように愛らしい。


「お嬢様は甘い物がお好きなのですか?」


 ギルバートの質問にシェラルはクッキーを頬張りながらコクコクと頷いた。


「魔術は膨大で複雑な計算をしてるようなものだから……甘い物欲しくなる。」


 シェラルはクッキーを飲み込んでからそう言った。魔術の行使には座標や威力などの様々な計算が必要になる。

 要は魔術を使いすぎると脳に負担がかかるのだ。主にそのような理由から、魔術師には甘党が多い。


 クッキーを頬張り、ホットミルクを飲むシェラルは年相応の子供だ。昼間、執務室で王城の文官以上の辣腕を振るっていた人物とはあまりにもかけ離れている。


(なんと言えばいいのでしょう……とてもお可愛らしい。)


 ギルバートの目尻は優しげに下がっている。孫を見る祖父のような目になっていた。


(それにしてもあのランタン、底の方に付与魔術をしているように見えますが……従来のものとは違いますね。)


 ふと、ギルバートは枕の横に置かれているランタンに視線を留めた。一切、高価な材料を使用していないランタンに。


「お嬢様、失礼ですがあのランタンはどのような仕組みになっているのですか?」


 ギルバートの疑問にシェラルは僅かに目を輝かせる。ほんの少しの変化だが、普段無表情で眉一つ動かさないシェラルの場合、かなり印象が変わって見える。

 話したくて話したくてたまらないという表情だ。クッキーを頬張りながら説明をし始めるが、口にものが入っている状態では意味を持った言葉にはならない。


「お嬢様、口の中のものを飲み込んでから話してください。」


 シェラルは素直にクッキーを飲み込んでからもう一度説明を始めた。


「ランタン自体は庭に落ちてた枝を植物属性の魔法で弄って作った。」


 シェラルはそこで言葉を切った。


(どうしたのでしょうか?)


 シェラルはほんの一瞬、うかがうような視線をギルバートに向けた。しかし、ギルバートの優しい――はたから見れば孫を見る祖父のような――表情に肩の力を抜き、説明を続ける。


「火を起こすための媒介は厨房の油。」


(……棚の扉を開けたのはお嬢様でしたか。)


 厨房の棚を開けっ放しにした犯人はシェラルだったらしい。シェラルはギルバートの反応を気にせずに楽しそうに語り続ける。


「油に小麦粉を混ぜて固めてから付与魔術で火が出る術式を組み込んだ。対になる魔術式をランタンの底にも付与したから油が残り少なくなったら自動的に火が消える。さらに、火が消えた後もすぐに固めた油を足せるようにランタンが早く冷めるようにした。前の油の残りから魔術式が新しいのに移るようにもしたから一々付与魔術を使わなくてもいい。」


(油を固める……さらに付与魔術ですか。)


 ギルバートは驚愕していた。どう考えても五歳児にできることではない。


 無論、油を固めるという発想もこの世界にはない。シェラルの前世の知識だとギルバートは知らないため、純粋に驚いていた。


「少々お待ちを。一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」


「何?」


 シェラルはコテンと首を傾げる。一見すると愛らしい子供にしか見えないが、その目は説明を中断されたことに不満を抱いていることを隠していない。


「失礼ながら、お嬢様はどの程度まで魔術を修めておいででしょうか?」


「うん。一応、全属性。」


 ギルバートは微笑んだまま固まった。

 これだけの腕があれば、付与魔術師として十分に名を上げられる。全属性の魔術の使用も可能である。

 普通の人間だったならば動揺を隠せなかっただろう。シェラルを質問攻めにするくらいには理性を失っていただろう。彼は落ち着き払った声で結論を下した。


「……お嬢様、今夜はもう遅いので明日の朝、詳しくお聞かせください。」


 問題を後回しにしたように聞こえるが、これ以上シェラルに夜更かしをさせるわけにはいかない、という理由からだった。

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