クストアの代官邸
「代官サマがいんのはあそこだ。」
ミラに案内され、シェラルとシオンは代官邸から程よく離れた家屋の二階に来ていた。
床や家具には薄く埃が積もっており、扉の立て付けも悪かった。
(ここも廃屋……いや、意図的に避けてるのか。)
代官邸があるのは街の中心である。
普通なら通行人が多く、夜でも屋台や露店で賑わうはずだ。
「クストアは隣接している他領との貿易の要。代官邸の周りは商人や領民が夜でも絶えないはずだよね?」
「先代の領主サマが治めていた時はそうだったらしいぜ。」
シェラルの独り言にミラが反応した。今の領主への嫌悪感を顕にして。
「代官邸の間取り図とかある?」
「ねぇな。代官サマはこんな時でも贅沢な暮らしをしてっから何度か金目のものを貰おうとしたんだが……敷地に入るまでは簡単なんだが、気づいたら街の外にいんだよ。」
(代官邸のものを盗もうとしたことあるんだ……)
シェラルはミラの言葉に耳を傾けながら代官邸を見据える。窓の配置や建物の高さ、奥行きのおおよその数値を割り出し、間取りを想像する。
「……いけるか?」
「何がだ?」
「代官邸に侵入すんの。」
「オメェ俺の話聞いてたのか!?」
音量に気をつけながらミラは叫んだ。
「代官邸の敷地に一歩でも入ったらこの街を囲う防壁の外に出されんだぞ!?そんなに離れた場所に行くわけじゃねぇからすぐ戻ってこれっけど……代官を引きずり出すとかもっとあんだろ!?」
「お嬢様、僭越ながら私もミラの意見に同意いたします。」
あまりシェラルの言動に口出ししないシオンまでもが止めてきた。
しかし、シェラルはそんなことで考えを改めるような玉ではない。
「ちなみに理由は?」
「代官邸の周りを覆うように薄い膜が広がっています。結界術に似ていますが、魔術式が視えません。」
「魔術式が視えないとやべぇのか?」
この中で唯一魔術の心得のないミラは話についていけず、置いてけぼりになっていた。
「ミラ、年齢を伺っても?」
「八だよ。今の話になんか関係あんのか?」
「……なるほど。やはりおかしいのはお嬢様でしたか。」
納得したように頷くシオンを無視し、シェラルはミラを見上げる。その瞳には熱が宿っていた。
「まず、魔術と魔法の違いからね。魔術は魔術式っていう術式を介して魔力に干渉し、現象を起こすことを指すんだ。で、魔法は術式を介さずに直接魔力に干渉して現象を起こすの。私達人間は使えなくて、主に精神生命体……精霊とか悪魔とか天使が使えるんだ。例外として種族の得意属性だけなら魔族も魔法を使えるんだけど――」
突然、早口で饒舌に語り出したシェラルにシオンとミラは気圧される。
オタク特有のマシンガントークを聞くと黙るのはどこの世界でも共通らしい。
「待て。」
「そんでね、魔術の他にも魔力を使って現象を起こす方法っていくつかあってね、呪術とか星占術とか幻術が有名だね。魔術と似てるようで使い道とか術式はそれぞれ全くの別物で面白いの。」
「少し止まれ。」
「それで本題に戻るよ。今、代官邸の屋敷を覆っているのは魔術の中でも結界術、に似てる現象なんだけど、部分強化をした目で視ても術式が視えないの!つまり、この件には精神生命体か魔族が関わってるってことで――」
「お嬢様、ギルバートさんから聞いた話によると人魚が奴隷にされているそうですが、結界を張ったのは別の魔族、もしくは精神生命体なのでしょうか?」
シオンはシェラルのマシンガントークを止めることを諦め、自分の疑問を解消することにしたらしい。
シェラルはその質問に無表情のまま、嬉々として答えるという器用な芸当をやってのける。
「いい質問。十中八九、人魚ではないね。人魚の得意属性は水属性だから。女王様は氷属性も使えるみたいだけど、ミラ達が防壁の外に飛ばされたってことはあの結界は闇属性。人魚は使えない。多分だけど。」
シェラルにしては珍しく歯切れの悪い言葉にシオンは首を傾げる。
「多分……?どうしてそうお思いになられたのですか?文献にも人魚の得意属性は水だと明確に記されていますが。」
「アクシアの女王様はね、大人しくしたら氷属性の魔法が使える理由を教えるって言ってたの。だけど、結局なんも教えずに面倒ゴホッ、脅迫だけして帰ったの!だから氷属性が使える理由によっては人魚が闇属性を使えるのもあり得る話なのっ!」
「なるほど。その面倒事というのが奴隷オークションをつぶすことなのですね。」
シェラルとシオンはミラに構うことなく話を進めている。
シェラルは楽しそうに。シオンは一切説明されていない今の状況を把握するために。
「オメェら一旦黙りやがれ!」
夜の街にミラの怒鳴り声が響き渡った。
「あっ、ごめん。」
「申し訳ありません。少々議論が白熱してしまいまして。」
一応、謝りはしたが、二人とも反省はしていない。
シェラルはちらちらと代官邸――正確にはそこに張られた結界を見ており、シオンも己の雇い主を観察している。
「俺にもわかるように説明を……チっ、逃げんぞ。」
バタバタと足音が聞こえてきた。先程のミラの怒鳴り声を聞きつけた衛兵である。
「やっぱ代官邸の周りに人が寄り付かないようにしてたんだ。」
「そんなこといいからさっさと行くぞ!捕まっぞ。」
ミラの必死の説得も虚しく、三人がいる部屋の扉がバンッと開いた。
「動くな!この家は既に包囲されている!床に膝をつき、両手を肩より上まで上げろ!」
ミラはギリッと奥歯を噛む。どうやったらこの場を切り抜けられるかについて思考を巡らせる。
しかし、そんなミラとは対照的にシェラルとシオンは落ち着き払っていた。
シェラルに至っては近くにある椅子に座っていた。わざわざ椅子の埃を魔術で起こした風で飛ばして、だ。
「私にそんな口をきいていいと思っているの?」
声音を変えたわけでも、声を張り上げているわけでもない。無表情で淡々と問いかけただけだ。
たったそれだけだが、シェラルの言葉には逆らい難い圧があった。
「確かに私は後ろ盾もない子供だ。だがな、無力だとは思わないことだ。」
抑揚もないのに、不思議と響く声だ。
シェラルは興味のない玩具を見るのに衛兵達を一瞥し、左手の組紐を撫でた。
(まさか、この言葉を言える日が来るとは。数々の名場面を彩ってきたこの言葉を。)
深く息を吸い込む。
この場にいる全員がシェラルを注視していた。
そして、シェラルは手をビシッと前に出し、腹の底からよく響く声で命令する。
「侍女よ、やっておしまい!」
全員がズッコケそうになった。
(やっぱ名前じゃなきゃしまんないな。でもなぁ、名前覚えてないんだよなぁ。)
しかし、当のシェラルは非常に満足そうである。
そんな中、一人だけ動いた者がいた。
「承知致しました。主様。」
シオンである。
無駄のない動きで衛兵に接近し、急所に一撃だけ叩き込む。それだけで衛兵はその場に崩れ落ちてゆく。
全員を片付けるのに十秒もかからなかった。
シオンはシェラルの前に跪き、頭を垂れる。
「主様、敵の意識を全員鎮めました。」
「ん。お疲れ。」
シェラルは自分を見るシオンの目つきが変化したことなど、気づくことなく適当に返事をした。
シオンは表情こそ変えないが、その瞳には三日限りの主を映しているとは思えない熱が宿っていた。




