転移魔術の根底を覆そう!
「さてと、そろそろ本格的に準備を始めるよ。」
そう呟いたシェラルは詠唱を始めた。
無詠唱で魔術を発動できる彼女がわざわざ詠唱をする理由はただ一つ。
詠唱による補助がなければ発動することが難しい術式を使うためだ。
シェラルが座っていた椅子から降り、床に足をつけたのとほぼ同時に景色が歪んだ。
ミラは少しふらついたが、どうにか踏ん張って転びはしなかった。シオンは涼しい顔で立っているが、その目は驚愕に見開かれていた。
「成功だね。じゃ、行こっか。」
転移魔術の根底を覆そした張本人はニコリともせず、淡々と言葉を発した。
「主様、何をしたのですか?」
シオンは転移魔術によるものだと理解はしている。
しかし、それでも理解できない現象だった。
転移先の座標を知らぬまま転移魔術を行使することなど――
「窓の位置とか建物の大きさ、外から確認できる柱の位置、強度、本数とかから大まかな間取りを推定したの。あとは自分の座標からここの座標を概算しただけ。」
こともなげにそう言うシェラルの声音はどこか不満そうだ。悔しそうに下唇を噛んでいる。
「無詠唱でできないくらい複雑な術式だからまだまだ実戦向きじゃない。それに、ズレた。本当は地下に直接転移する術式だったのに……」
実際、シェラル、シオン、ミラの三人は代官邸の廊下らしき場所にいる。近くに階段らしきものが見えるため、ほぼ誤差のようなものである。
「なんで入れたんだ……?」
ミラは代官邸の敷地に侵入したにも関わらず、飛ばされていないことを不思議に思っているらしい。
階段に向かいながらシェラルは説明した。
「多分、あの結界は魔術を使って入ってきた者には作用しないんだよ。そこら辺は賭けだったけど……上手くいったから考えるのは後ね。私の今後がかかってるから。」
(人魚が一匹でも死んでたらアクシアの人魚達に殺されるんだよねぇ……)
そんな事情を知らないミラはシェラルは領地の今後について考えてくれているのだと思い、密かに見直した。
シェラルもミラもお互い、認識が微妙にズレていることに気づかずに地下の階段を降りていった。
「人間、人間、人間……人魚どこだよ。」
地下のさらに奥にそれはあった。
壁や地面は土が剥き出しになっており、狭い個室のようなものが並んでいた。
鉄格子が嵌められた個室には二、三人の痩せ細った人間が閉じ込められている。
その中には子供もいた。
しかし、肝心の人魚はいない。
「もしかしてここにいない?もう売られたのか?」
推測を口にしながら奥に進むと、行き止まりになっていた。剥き出しの土があるだけだ。
「……主様、この土壁に幻術が施されています。恐らく、通れるかと。」
シオンの言葉にシェラルは驚異的な反射神経を披露した。半歩後ろをついてきていたシオンに向き直り、黒い瞳を見つめる。
シェラルの赤い瞳には好奇心という名の熱が宿っていた。
「幻術ってあの!?大和帝国が実質独占している幻術!?」
かなり大きな声だったが、地下に反響することはなかった。
シェラルが防音結界を張っていたからである。
「はい。正確には魔法で再現された幻術ですので、術式は刻まれていませんが、根本は同じものです。」
シェラルは土壁を触る。硬く、冷たい土の感触だ。幻には到底見えない。
しかし、シオンが触れると抵抗なくその手が壁にめり込んだ。
それを見たシェラルが再度土壁に触れると、土の感触が消えていた。壁の奥に腕が貫通したのである。
「おぉ……!なるほど。私の脳はこの壁を本物だと認識していたから貫通しなかったってことか。だけど、貴女の腕が抵抗なく通ったから脳は認識を改め、私も通れるようになった……」
「一度見ただけでそこまで理解できるものではないのですが……」
シオンは若干の呆れを滲ませながら壁の奥に進んだ。
シェラルとミラもそれに続く。
「うわっ、すげぇ!」
ミラは興奮したように声を上げ、目を輝かせている。
「な?面白いだろ?」
「あぁ!なぁ、いつか俺にも教えてくれよ!」
ミラの純粋な言葉にシェラルは硬直した。
信じられないものを見るようにミラを瞳に映し、口が半開きになっている。
「え……?」
(どうして……?)
シェラルの脳裏に浮かぶのは前世の日々だ。
最初、何も知らない同年代の子供達はシェラルと交流し、暫くすると離れてゆく。
シェラルという本物の天才を知り、己が凡人であると自覚すると、比べられることを恐れて寄り付かなくなるのだ。
中には呪詛を吐いていった者もいた。
「あんだよ。俺に教えるのが嫌なのか?」
ミラの問いにシェラルはぎこちなく首を振る。
(違う。違うよ。)
「じゃあどうしてだよ?俺みたいな学のない平民風情には教えられないってか?」
シェラルは力なく首を振りながら言葉を絞り出そうとする。
だが、体は言うことを聞かない。喉が締まり、口の中がカラカラに干上がってゆく。
「違っ「そうだよな。やっぱ俺みたいなヤツに関わりたくねぇよな。」」
シェラルは黙って俯く。
先程までの胸が弾むような感覚は消え失せ、体が芯から冷えてゆく。
「主様、人魚の子供がおりました。」
敵がいたり、罠が仕掛けられたりしていないかの確認を終えたシオンが戻ってきた。
シェラルは思考を無理矢理切り替え、奥へと進む。
いつもなら好奇心で加速する思考は別のことに向いてしまう。
ミラもそれ以上何も言わずに黙って後ろを歩いていた。




