詠唱とは対話である。
翌朝。
ヤマトとシェルネスは屋敷前の庭で大勢に囲まれて向かい合っていた。
今まさに魔術戦が行われようとしているところだ。
「ルールは通常通り、魔術師ギルド公式、魔術戦規則魔術書に基づき……」
昨日と同じ審判が、全く同じセリフを口にする。
魔術学院に通っていた二人にとっては何十回と耳にした言葉だ。
その文言は覚えたくなくても覚えている。
シェルネスは説明は不要とばかりに、寡黙に集中力を高めていた。
昨日は油断してファミアに負けかけた。
いや、実際に負けていたと言うべきだろうか。
目の前のヤマトの体を見る。
ヤマトの魔力は見えないのでパッと見た限りでは実力が測れない。
魔力という絶対的な要素が見えない以上、ヤマトがファミアよりも弱い可能性も十分ある。
そうだとするならば、ヤマトは負けるのを恐れて、自分より強いファミアをシェルネスと当てたということになるため、たしかに辻褄も合う。
だがヤマトは最年少魔術師だ。
そんな可能性は頭の隅に追いやった。
もうシェルネスは油断しない。
頭の中で、昨夜練った作戦を反芻する。
「では、お互い名を名乗りなさい」
審判の宣言が聞こえた。
時間切れだ。
「私は緑の風リーダーのシェルネスです」
「ヤマト」
お互いに宣言し合い、目が合う。
ヤマトは無表情だった。
相変わらず感情が読みづらい。
だから、目が異様なほど光って見えるのも気のせいだろう。
「それでは……始めっっっ!」
「「よろしくお願いします」」
魔術戦の始まりの合図が出て挨拶をすると、両者は同時に詠唱を開始した。
魔術戦のお決まりというやつだ。
シェルネスはまず、牽制に風球の詠唱をしながら相手の詠唱に耳を傾ける。
自分の口から音を発しながら周りの音に耳を傾け、何の詠唱かを当てるのは難しい芸当だ。
しかし、魔術戦では必須の技術。
シェルネスにとっては造作もないことだ。
シェルネスは容易にヤマトが詠唱している魔術を突き止めることができた。
(障壁魔術か。堅実だな)
守るにも詠唱が必要な魔術戦においては、初手で障壁魔術を詠唱するのは珍しいことではない。
むしろそれを選択する人のほうが多いくらいだ。
シェルネスは作戦通りとばかりに詠唱を完成させ、風球が1つ現れた。
発現した風球はまっすぐにヤマトに迫っていった。
そしてある程度まで近づいていった瞬間、突如としてカクンと軌道が曲がり、異なる角度からヤマトに迫っていった。
障壁で簡単に防がれないように、詠唱に工夫を凝らしていたのである。
そして風球が当たる寸前、ヤマトの詠唱が終わった。
ヤマトを中心に、ドーム状に障壁が展開される。
風球は障壁に当たって霧散した。
(作戦通り)
風球はヤマトに防がれて、無意味なものになってしまったといえば作戦失敗に見えるかも知れない。
しかし、単純な平面型の障壁ではなく、複雑なドーム型を展開させることによって、より多くの魔力と労力を消費させることに成功した。
風球はヤマトには届かなかったが、シェルネスは満足してすぐさま次の詠唱を始めた。
障壁を突破するために、攻撃力は高いが時間はそこまでかからない、風刃を選択した。
何百回と詠唱した魔術を間違えるはずもなく、シェルネスは7つの風刃を生み出すことに成功した。
障壁を破れるように、いつもより多くの魔力を消費して風刃を生成した。
それは先の魔術戦でファミアが多用した小細工だ。
特にあの格子炎は脅威だった。
負けを認めたような気がして癪ではあるが、背に腹は変えられないと思って採用した。
7つの風刃が、列をなすように障壁に突撃していく。
狙うのは全く同じ場所だ。
狙いは一点突破。
これならば、いくら硬かったとしてもあの短い時間で展開した障壁ならば破れるだろう。
魔力操作をして撃ち出した風球の軌道の微調整を終えた瞬間に、障壁に空くであろう穴から攻撃すべく、次の魔術を詠唱を開始する。
詠唱を始めようとしたその瞬間、何かを見落としているような、そんな感覚に囚われた。
(なんだこの違和感は……?)
ともかく詠唱を開始する。
その瞬間、ちょうど風刃が障壁に着弾した。
突破したかに思われたが、風刃は障壁を破るどころか、傷一つつけられていなかった。
(何!?)
風刃は確かに、いつもより多くの魔力を消費して強化していた。
それが7つ連続で一点を攻撃したにも関わらず、傷一つつけられなかった。
遅れて、違和感の正体に気づいた。
そして詠唱をやめた。
詠唱を完成させるでもなく、中断して他の詠唱に移るでもなく、単に詠唱をやめてしまった。
本来なら悪手である。
しかし、そうせずにはいられなかった。
障壁の中にいたヤマトは、何一つ詠唱をしていなかったのである。
「はぁぁ?」
おもわずそんな声が漏れた。
だってそんなの、一生懸命詠唱していた自分が馬鹿みたいじゃないか。
(舐めてるのか?)
一瞬頭が真っ白になる。
しかし、ある可能性が思い浮かんだ。
(いや、そういう作戦もありうるのか……?)
様子見に徹して、隙を見て魔術を打ち込むという作戦。
あるいは相手の魔力切れを待つ作戦か。
理屈は分からないが、あのクソ硬い障壁であれば確かに取れる選択だ。
(それでも魔術を撃ち込んだほうが良いはずだろ!?)
分からない。
分からないが、なんとなく、ヤマトは魔術を撃ってこないような気がした。
(だったら!)
シェルネスは飛行魔術の詠唱を始めた。
それは大きく隙を見せる行為だ。
ヤマトが障壁越しに魔術を撃ってきたらまずい状況になる。
しかし、ヤマトは微動だにしていなかった。
(こいつまさか、魔術戦が始まってから一歩も動いていない……!?)
思考が乱されるも、詠唱だけは中断させない。
詠唱は中盤に差し掛かる。
ヤマトの無表情が崩れ、恐ろしく無邪気な笑顔になった。
シェルネスは怖くなった。
思考が回らない。
けれど詠唱だけは途切れさせない。
無心で、必死に詠唱をして、飛行魔術は完成した。
詠唱が終わった瞬間、シェルネスの体はふわりと浮き上がった。
その瞬間、ヤマトの障壁が瓦解した。
ヤマトの深い黒の目が怪しく光り、さらに口角が上がる。
「ハハハッ、頑張れよ?」
シェルネスの頭が再び思考を始める。
(飛行魔術の詠唱が終わった瞬間に、障壁魔術を解除した!?
そうか、こいつ…………)
――詠唱とは対話である。
この言葉は、魔術師界隈で有名な言葉だ。
こちらが詠唱して、それを相手が対応して。
それで相手が何をしたいのか、何が言いたいのかがわかる。
そういう名言だ。
シェルネスはずっと、『受け止めてやるから、やれるものならやってみろ』と言われ、『万全な状態で潰す』と返しているつもりだった。
でも違った。
ヤマトから投げかけられているのは、『待ってやるから、万全な状態で来い』だった。
(舐め腐ってる!)
シェルネスが怒りに燃えたその時、ヤマトの詠唱が聞こえてきた。
その詠唱は澄み渡るようで、聞くものの心を掴んだ。
ヤマトの詠唱は、本来あるべきカタチに完璧に合わせた、完全な詠唱だ。
それにヤマトの幼い子ども特有の高音が組み合わさって、とても神秘的な詠唱になっていた。
奇跡のごとき詠唱だ。
でもそれは、ヤマトの果てしない努力の積み重ねに過ぎなかった。
シェルネスも刃狐軍嵐の詠唱をする中で、ヤマトの詠唱が聞こえた。
シェルネスにはヤマトがしているものが完璧な詠唱だとは分からないが、なにかすごいものが来る、と察する。
シェルネスはいつの間にか、自分の怒りがどうでも良いことのように感じていた。
怒りに燃えていたはずなのに、ヤマトの詠唱に心を掴まれていた。
怒りが、喜びに変わる。
口角が不自然なほど上がった。
(うれしい! こんな人とやれるなんて、光栄すぎる!)
恐怖と畏怖、そして嬉しさに震え上がる。
ヤマトの詠唱が終わった。
さっき始まったと思ったら、もう終わっていた。
本当に圧倒的な速度だ。
ヤマトの手元にたった一つの風球が現れ、シェルネスに向かっていった。
シェルネスは飛行魔術でそれを避けた。
簡単に避けることができた。
たったそれだけの弱い魔術だったのだろうか。
いや、とシェルネスは心のなかで首を振る。
(これだけなはずがない…………っ!)
シェルネスは体勢を崩し、前に吹き飛ばされていた。
(何が起きた?)
錐揉み状態でヤマトの方向へ吹き飛ばされていく。
上下の感覚が狂うような状況で、必死に飛行魔術を制御して体勢を立て直そうとした。
とっさに刃狐軍嵐の詠唱を手放して、魔力操作に没頭する。
しかし、ものすごい速度で吹き飛ばされていく中、どれだけ体勢を立て直そうとしても制御が効かなかった。
――それは突然だった。
時が止まった。
それは階段から落ちた時、地面に体を打ちつける直前のような、どこからかボールが飛んできた時、頭に直撃する直前のような。
短い時間が引き伸ばされた、そういう感覚だ。
シェルネスの目の前には、人差し指と親指だけを立てたヤマトの小さな手があった。
その人差し指のさきには、小指の先ほどの風球がある。
小さいけれども、本能があれは危険なものだと言っていた。
ヤマトの指の先から、風球が放たれた。
軌道上にあるのは、シェルネスの額だ。
その距離はわずか指二本分ほど。
見えているのに。
体が動かない。
動かしようがない。
避けようがない。
次の瞬間、シェルネスの視界は暗転した。




