緑の風 決着
「さあ、魔術戦はいよいよ佳境を迎えようとしています!」
地に立って空を見上げるファミアと、上空に滞空して地を見下ろすシェルネス。
二人は同時に詠唱を始めた。
二人の声は競うように大きくなっていく。
詠唱が重なり合うようにしてあたりに響く中、先に詠唱を終えたのはファミアだ。
手のひらサイズの火球が5つ、正五角形を描くようにして現れた。
5つの火球は、一つ一つ順番に放たれていき、シェルネスに迫る。
シェルネスは詠唱を続けたまま飛行魔術を駆使して避けた。
飛行魔術はそもそも難易度が高い魔術であるため、それを維持しながら他の魔術を行使するのは非常に難しい。
しかし、魔力操作において高いセンスを持ち、飛行魔術を数年をかけて練習し続けたシェルネスにとってそれは不可能ではなかった。
しかし、避けようとしたところで突然火球の軌道が変わり、避けた先にいた場所に向かってきた。
ファミアは上空を自由に飛び回る相手に対して、闇雲に火球を放つのは愚策だと考えた。
そこで詠唱によって軌道を設定し、魔力操作で微調整をする、という熟練の魔術師がよく取る方法を採用することにした。
それが刺さり、ファミアの作戦通りシェルネスに火球が命中するかに思われたが、シェルネスはそれすらも織り込み済みだった。
シェルネスは寝そべるように上半身を後ろに倒すと、その勢いのまま縦に一回転した。
空中でしか再現しようがない動きをすることによってファミアの予想を裏切り、見事5つの火球すべてをかわすことに成功した。
「なんとシェルネス、すべて避けてしまいました!!
これは飛行魔術の練度が高くなければなし得ない技です! これほど飛行魔術を使いこなせるのは、まだ世界でも片手で数えられるほどしかいないでしょう!」
シェルネスは難易度の高い技をこなしたにも関わらず、詠唱を途切れさせていなかった。
魔力操作に意識を割いていたファミアには火球を飛ばしている間に詠唱する余裕はなく、明らかにシェルネスの詠唱に遅れている。
ファミアはそれでも諦めずに火球の詠唱を始めた。
そしてファミアの健気な詠唱の途中でシェルネスの詠唱は終わった。
シェルネスは口の端を持ち上げ、ニヤリと笑った。
その瞬間、弱い風が吹き抜けた。
けれどもそれだけで、端からは何も起こっていないかのように見える。
しかしファミアは、いやここにいた観客のほとんどは見えていた。
空を埋め尽くす無数の魔力反応が。
空中に浮かぶ魔力は潰れた三日月のような形をしている。
ファミアはその魔力反応の形状に見覚えがあった。
中位風魔術『刃狐軍嵐』
下位風魔術『風刃』の上位に位置し、80を超える不可視の風の刃を生み出す魔術である。
数の多さ故に魔力操作で操るのには骨が折れるが、同じ中位魔術である斬裂嵐球より多くの風の刃を生み出す事ができる。
魔力操作で風の刃を飛ばすことは困難なので、詠唱で軌道のすべてを設定するしかないが、シェルネスは一気に飛ばすよりも、慎重を喫して段階的に飛ばしたいと考えた。
そこでシェルネスは風の刃を3つに分け、時間差でまっすぐ飛ぶように設定した。
シェルネスが片手を前に突き出して叫ぶ。
「行け!」
その言動に呼応するようにして、風の刃のうちの3分の1がファミアに襲いかかる。
ファミアは魔力視をフル稼働させて不可視の刃の隙間を探るが、本来不可視のものを魔力で位置を探るのは遠近感がつかみにくい。
完璧に避けきれる場所を探すのは無理だ。
ファミアは2、3の刃が当たるのを妥協し、詠唱を続けたまま、かろうじて風の刃の密度が低いと分かる場所へ移動することにした。
後数歩でその場所に行けるというところで、火球を生み出すための詠唱が終わり、数や位置、大きさ、軌道などを設定するところへ差し掛かった。
ファミアはそこで火球の操作は魔力操作に任せるか、何個生み出すかという迷いが生じてしまった。
思考が乱されたファミアの足はもつれ、体勢を崩した。
まだファミアが比較的安全な場所に到達する前に、風の刃はファミアのいるところまで到達し、5つの風の刃がファミアに命中した。
こめかみ、肩、両脇腹、足から血が流れる。
「おーっと、ファミア、思いっきり食らってしまった!
しかし? まだ体内魔力は一割を切っていない模様! どうなっている!?」
観客の歓声が大きくなるが、ファミアはそんなことを気にする余裕はない。
ファミアは顔をしかめつつ、怪我の状態を確認する。
幸い方と脇腹の傷は浅かったが、足首に深い傷ができてしまっていた。
このまま歩き続ければ、傷が広がって移動ができなくなるかもしれない。
まだ詠唱をどうするか悩んでいたファミアは、大きな決断をすることにした。
(大きさはそのままで、全部真っ直ぐ。
残る魔力は……分からないけど多分このくらい。だったら数はこう!)
ファミアの前方に20を超える火球が生み出される。
火球一つに割く魔力を最小限に抑えた上で大きさだけはそのままにし、数に全振りしたのである。
残りの魔力量が一割を下回れば強制的に敗北となるため、一歩間違えば自爆しかねない危険な賭けだ。
しかし一割を切れば鳴るはずのけたたましい音はなっていない。
ファミアは賭けに勝ち、いまファミアが出せる最多数の火球を生み出すことに成功したのである。
観客たちは一際大きな歓声を上げ、シェルネスは目を見開いた。
(嘘だろ……!? 中位相当の格子炎に、数十の火球を使っているはずだぞ!?
しかも一回にそんなに多くの魔術を出せば魔力の消費は激しいはずだ。なぜそこまでの魔力が残っている!?)
一度に出す魔術を多くすれば、その数の分だけ比例的に魔力が必要となるのではない。
出す魔術が一つ多くなれば、必要な魔力はどんどん多くなる。
あれだけ魔術を連発した後のファミアのどこにそんな魔力が残っているのか。
戦慄するシェルネスだったが、気づけば風の刃の第二陣が撃ち出される時間になっていた。
これだけ多くの魔術がぶつかれば、何がどうなるか分かったものではない。
シェルネスは衝撃に備えた。
詠唱に従って風の刃が自動的に撃ち出される。
そして同時にファミアの火球が放たれた。
火球の一部は割れ、風の刃は一部が火球に飲み込まれる。
そして干渉されても生き残った魔術が互いに向けて迫った。
火球は爆発して、風の刃は砂埃を起こす。
障壁の外側にいる観客達には内側で何が起こっているか分からなかった。
「凄まじい攻防です!! 何が起きている!!?」
解説者が興奮気味に解説する中、観客たちは息を飲んで見守っていた。
数秒の沈黙の後、砂埃が晴れて中の様子が見えるようになった。
二人は身じろぎ一つせずに立っていた。
体中傷だらけで、なぜ立っているのか不思議なほどだ。
例の音は鳴っていないので、両者ともに残りの魔力は1割を切ってはいない。
審判も勝敗を下していない。
まだ魔術戦は終わっていないのである。
そんな中、先程の詠唱に従ってシェルネスの背後に残っていた風の刃の第三陣が自動で放たれた。
無言で立ち尽くしているファミアに向かって迫る。
今度こそ本当に終わったかと思われたその時、ファミアと風の刃の間に二重の障壁が展開された。
風の刃は勢いを弱めることなく障壁に襲いかかる。
風の刃は勢いのまま1つ目の障壁をぐちゃぐちゃに掻き回したが、2つ目の障壁で受け止め切れられた。
シェルネスはその光景を見て、薄れ行く意識を無理矢理引き戻した。
(やつはまだ意識があるのか……!)
追撃をしなければならない。
しかし、指一本動かすのさえだるかった。
空中で一切動かず、口だけを動かして詠唱を始める。
詠唱するのは風刃だ。
遠くで誰かの声が聞こえる。
しかし疲れているのか、音は自分の詠唱しか聞こえない。
視界もぼやけてよく見えなかった。
ただ、とにかくすぐにトドメを刺さなければならないと思い、詠唱を完了させることに集中した。
突然、頭から冷水をかぶったかのような悪寒に襲われる。
どこか遠くで腹に響くような音もした。
意識が覚醒する。
反射的に詠唱を止めてしまった。
状況が知りたいのに、視界がグニャリと曲がるような感覚に陥る。
なにもできないまま、自分の身体がぐらりと揺れた。
飛行魔術の制御が効かなくなり、真っ逆さまに落ちる。
数秒後には地面にぶつかる感触があった。
しかし、かなりの高さから落ちたはずなのに、痛みはほとんど感じなかった。
(なにが、起きた……?)
歪む視界の中、目の前には幼い黒髪の少年がいた。
少年は満面の笑みでボソボソと何かを言っていた。
そこでシェルネスは限界を迎え、意識が途切れた。
時間はほんの少しだけ遡る。
20を超える火球と30を超える風の刃がぶつかったのを見て、ヤマトはこれで決着がつくと予想した。
土煙が消えると、二人は無言で静止していた。
一瞬まだ決着がついていないのではないかとも思ったが、魔力視を持っていない代わりに目が良いヤマトには見えていた。
シェルネスの目にはかろうじて薄く光が宿っているが、ファミアは白目を剥いている。
気合でまだ立っているようだが、勝負はすでについていた。
しかし、審判はそれが見えていないのか、軍配を上げない。
シェルネスはまだ勝負が終わっていないと思ったのか、刃狐軍嵐を解除せず、風の刃は詠唱に従ってファミアに向かっていった。
意識を失っているファミアには対応不可能だ。
このままではなすすべなく風の刃を喰らってしまうだろう。
当たりどころによっては即死もあり得る。
ヤマトはこんなこともあろうかと、決着がつくと思っていたときから障壁の詠唱をしていた。
ちょうど今詠唱が終わったところだ。
ヤマトはフィールドの障壁越しに、広範囲にわたる平面型の障壁を2重に展開した。
本来あるべき『カタチ』を捉え、豊富な魔力を使ったヤマトの障壁は中位魔術に対しても有効である。
流石に1つは耐えきれなかったが、無防備なファミアを守ることができた。
ファミアはその場で崩れ落ちた。
だがしかし、あろうことかシェルネスは追い打ちをかけるべく、風刃の詠唱を始めた。
審判はシェルネスがいる方の手を上げ、大声で宣誓した。
「勝者、シェルネス!!!!」
おおっ、と観客が沸き立ったが、シェルネスの耳にその声は届かず、シェルネスは詠唱を続けていた。
(まじか……!)
危機感を感じたヤマトは強硬手段に出た。
ヤマトはその場でローブを脱いで手に持ち、体内の真っ黒な魔力を体外に放出した。
魔力視を使った状態でヤマトを見ると、ヤマトの周囲4メートルを囲む真っ黒に染まった魔力が空に立ち上る様子が見えただろう。
魔力は外側にそのまま放出するだけでも威圧となる。
そして魔力が大きければ大きいほどその威圧は強くなるのである。
ヤマトのように魔力濃度が濃い魔力であれば、障壁越しでも死神が顕現したかと思うほどの威圧になっていた。
威圧の猛威にさらされたシェルネスの体はピクリと動き、詠唱は途切れた。
ヤマトは速度重視で火球の詠唱をし、閃光を放つ火球を放って障壁を破った。
そしてそのまま流れるように風球の詠唱をし、通常の1.5倍の速度で詠唱し終えると、上空のシェルネスを撃ち落とした。
だがこのままではシェルネスが落ちて大怪我をしてしまう。
ヤマトは詠唱しておいたもう一つの風球をシェルネスの落下地点に敷いてクッション代わりにした。
ヤマトは目の前に落ちてきたシェルネスが無事なことを確認すると、手に持っていたローブをもう一度羽織りつつシェルネスの胸板に乗った。
「うちのファミア殺す気かよ」
その言葉はヤマトの偽らざる本音だった。
しかし、それよりもヤマトはシェルネスが使った、魔術を強風で支援する技術や飛行魔術に興味津々だった。
言葉とは裏腹に、ヤマトの顔には満面の笑みが浮かんでいる。
シェルネスは白目を剥いて意識を失った。
ここまで来て目を閉じて意識を失うのではなく、目を閉じずに白目を剥いて意識を失ったことに、シェルネスの執念が垣間見えた。
ヤマトはシェルネスの額を指でつつき、本当に意識がなくなっていることを確認すると、顔を上げてあたりを見回した。
観客だけでなく、勝敗の判定をした審判も、常時その状況を伝えることが仕事であるはずの解説者までもが怯えきって立ち尽くしていた。
中には粗相をするものまでいた。
障壁越しでも人を止めることができるほどの威圧が、周囲を巻き込まないはずがないのであった。
(どうしよ……)
現実逃避したい気持ちにもなるが、今は一刻を争う事態だ。
ヤマトは立ち上がって、二人を直す方法を探し始めた。




