緑の風③
シェルネスは激しい怒りに燃えながら詠唱を始めた。
父親のルーネスからは、ヤマトという最年少魔術師と魔術戦をすると聞かされていた。
しかし、どうだろう。
目の前にいるのは無名の少女だ。
どうやらヤマトと行動をともにしているようだが、最年少魔術師の取り巻きに過ぎない小娘など、自分の敵ではない。
とっとと終わらせてヤマトと戦い、自分の実力が確かなものであると証明して見せようと思っていた。
だがどうやらそれは驕りだったようだ。
少女は自分の隙を見事に咎めてみせた。
危うく実力を発揮できず、ほとんど何もできずに負けてしまうところだった。
シェルネスは先ほどファミアの炎纏を直に受けている。
魔術を喰らえば体に損傷を受けるのはもちろんだが、魔術も大幅に減る。
すでに残りの魔力は6割を切っているだろう。
だがファミアも相当魔力が減っているだろう。
あの無理矢理な大技を使った後にも関わらず、魔力が残っているのが不思議なくらいだ。
おそらくあれで決めきれなかったファミアのほうが魔力の減りが激しいはずだ。
残りの魔力が一割を切れば強制的に負けとなる。
シェルネスはファミアがこれ以上の大技を発動するのは難しいと判断した。
もともと完封するつもりだったが、炎纏をしっかり食らってしまった事によってそれはもう不可能になった。
ならば、何が何でも勝つだけだ。
ある程度の魔術であれば、かすったとしても構わない。
シェルネスは詠唱に時間のかかる魔術を選択した。
ファミアは腕の痛みを感じつつ、再び火球を詠唱した。
手のひらサイズの火球が5つ現れる。
ファミアは間髪入れずにそれを放った。
魔術を放つには大きく分けて2つの方法がある。
詠唱による設定と魔力操作だ。
前者の場合は数字を決めればそのとおりに進んでいくという利点があるが、その分数学ができなければならないし、相手が動く標的だった場合などに困るというのが欠点だ。
後者の場合は臨機応変な対応が可能になるが、そもそも魔力操作が難しい上に、魔力を消費するのである。
例えば、ネルが子ども時代にうまく火球をコントロールできなかったのは、魔力が見えていなかったために火球にどのように魔力が内在しているのかがわからず、魔力操作ができなかったからだ。
しかし、魔力操作は見えていても難しいものだ。
熟練の魔術師はあらかたの動きは詠唱したときに設定しておいて、微調整は魔力操作で行っているのである。
今回のファミアは脳のリソースを次の魔術の詠唱に費して一刻も速く次の魔術を容易するため、基本的な火球の詠唱だけで魔力操作を省略し、真っ直ぐに撃った。
5つの火球がかなりの速度でシェルネス迫る。
軌道上にあるのはそれぞれ頭、心臓、腹、もも、膝だ。
シェルネスはその場で上体を低くしながら右に飛び、火球をギリギリでかわしきった。
5つの火球はフィールドを囲む障壁に当たって霧散した。
「シェルネス、火球をかわしたあああ!! さすが魔導剣士なだけあります!」
そう。解説者の言うように、実はシェルネスもファミアと同じ魔導剣士であった。
ゆえに危険を犯して火球をかわすことくらいはできる。
激しく動きながらも詠唱も途切れさせていない。
火球を魔術を使わずに避けきり、詠唱を続けることに成功したシェルネスの作戦勝ちに思えた。
しかし、突如としてシェルネスの左腕から炎が炎上した。
「おおっと! 火球を完全には避けきれていなかったようです!」
シェルネスはとっさに地面を転がった。
水球を出して火を消すのは簡単だ。
しかし、それではせっかく守った詠唱が阻害されてしまう。
シェルネスは恥を忍んで地面を転がり、詠唱を継続させたまま火を消し止めることに成功した。
「シェルネスはなんと地面を転がって火を消しました!
なんとも大胆ですが、詠唱を途切れさせていません。確かに最善手だったようです!
そろそろシェルネスの詠唱が終わります!」
シェルネスはファミアを見据えつつ、詠唱を完了させた。
シェルネスの目の前に大きな風の球が1つできた。
大きさは一人の大人が両腕で輪っかを作ったくらいだ。
球の中では嵐のように風が渦巻いている。
「――斬裂嵐球!!」
中位風魔術『斬裂嵐球』
火魔術で言う爆炎火球に相当する魔術である。
風の球の中に閉じ込められた一つ一つが不可視の斬撃だ。
切れ味はそこそこだが、炸裂すると突風が起きて閉じ込められていた数十の風の刃が一気に広がり、周りのものを無差別に斬りつける恐ろしい魔術である。
シェルネスは大きさこそ小さくして魔力を節約していたが、威力は言わずもがなである。
シェルネスが叫ぶと、斬裂嵐球はありえないほどの速度で飛び出していった。
シェルネスが斬裂嵐球の詠唱のあとに強風の詠唱をしたことにより、この速度を体現していた。
そのせいで軌道が少しファミアからそれてしまったが、シェルネスは斬裂嵐球内の魔力を操作して軌道を微調整した。
そしてファミアの肩のあたりに向かっていった。
ファミアはそれを避けようとしたが、速度が速度だったのでかわしきることはできなかった。
斬裂嵐球が炸裂して突風が吹き、ファミアは体勢を崩し、詠唱は途切れ、床に倒れた。
そこへ大量の不可視の風の刃が襲いかかる。
「あうっ!」
風の刃は肩、首、頬、耳、胸、腹、腰、あらゆる箇所にパックリと大きな切り傷を作って、ファミアは血を流した。
ネルから借りた白い制服が、花飾りが血に染まる。
ファミアはどの切り傷よりも、胸が痛くなった。
せっかくネルが貸してくれた制服が、もらった花が、自分の汚い血で穢れてしまった。
だが今は魔術戦の真っ最中だ。
心傷に浸っている時間はない。
立ち上がって、めげずに火球の詠唱を始めた。
「大きなダメージを食らってしまったファミア! 諦めずに立ち上がりました!
しかしシェルネスはすでに詠唱を先行しています!!」
シェルネスはファミアに斬裂嵐球が命中した後も油断せずに詠唱を続けていた。
シェルネスが不承不承ではあるが、ファミアの実力を認めた証拠である。
ファミアの実力を認めたシェルネスは斬裂嵐球でもファミアを倒せるとは考えていなかった。
残嵐風球でより多くの時間を稼ぎ、より確実に倒すために発動させたい魔術があったのである。
しかし、シェルネスが行使しようとしている魔術の詠唱は長かった。
隙を作って詠唱に時間を持たせても火球の詠唱のほうがはるかに短い。
ファミアのほうが先に詠唱を終えて火球を8つ出現させていた。
ファミアは今度は慎重に、まずは4つの火球を放った。
今度は詠唱するときに曲がるような軌道を描くように指示を出している。
先ほど真っ直ぐに撃ち出して、かわされてしまったためである。
詠唱した通りに火球は曲がり、シェルネスに襲いかかった。
シェルネスはその場でしゃがみ込み、なるべく小さくなった。
しかし、その場で小さくなっただけでは火球がかわせないのは当たり前だ。
火球は頭に当たって髪が燃えた。
ファミアはシェルネスの魔力量が減ったのを視認した。
しかし、シェルネスはファミアを鋭く睨みながら、まるで痛みなど感じていないかのように詠唱を続けていた。
(追い打ちをかけなけないと!)
ファミアの手元に残るの4つの火球は、詠唱によってしばらく浮いているように指示を出していた。
そうやって時間差で放つつもりなのだが、一階詠唱してしまえばその魔術は後出しで追加の指示を出すことはできない。
単なる魔力操作で撃ち出すしかないのである。
ファミアは追い打ちをかけるべく、魔力の消費を厭わずに魔力操作のみで4つの火球を放った。
ファミアはすぐさま次の詠唱に移れるよう、4つの火球を横に並べ、シェルネスがうずくまっている下の部分だけを狙って真っ直ぐに撃ち出す。
シェルネスの様子からして魔術を受けても詠唱を完成させたがっているようなので、それでも十分効果的だろうと判断した。
火球は迫っているが、シェルネスは動かない。
ファミア勝ちだ。
観客の全員が思った。
そんな折。
――シェルネスの詠唱が完了した。
シェルネスはその場で立ち上がり、空に飛び立った。
下だけを狙っていた火球が空振って障壁に炸裂して霧散する。
シェルネスはそのまま浮き上がっていった。
「なんと! シェルネス空を飛んだ〜〜〜!!!」
シェルネスはそこにいた全員が上を向くほど上に上がった。
そして上空で水球を詠唱してそれを頭から被り、髪から燃え上がっていた火を消化した。
燃えていたところだけ、不自然に毛量が少なくなっている。
シェルネスは忌々しげに舌打ちした。
だがシェルネスが飛び上がったからと言って怯むファミアではない。
上空に飛び上がっている間に詠唱していた火球を完成させ、5つの火球を同時に放った。
詠唱で軌道を設定しており、放射状に広がってシェルネスに襲いかかる。
しかしシェルネスは空を縦横無尽に飛翔して火球を難なくかわした。
ファミアは悔しそうに唇を噛んだ。
「ははははは! 驚いただろう?
これがベスゴゼル王国発、『飛行魔術』だ!!!」
飛行魔術は近年成長が著しいベスゴゼル王国が発表した特異特殊魔術である。
風魔術を得意とするシェルネスにとって飛行魔術は相性が良かった。
飛行魔術は正しく詠唱すれば飛べるというわけではなく、自由に飛べるかどうかは自分の体幹と、魔力操作の技術が必要になる。
シェルネスはこの魔術の有用性にいち早く気づいて自分のパーティーに取り入れた。
半年ほどかけてこれをパーティーメンバーに教え、まだ技術が拙い者もいるが今では全員が飛行魔術を習得したている。
緑のマントでをなびかせて空を飛ぶ姿を人々はこう呼んだ。
――『緑の風』と。
これがパーティーの名前となり、シェルネスたちは飛行魔術を駆使して魔獣を狩り、冒険者として名を馳せた。
緑の風はフェルメの領主に目をつけられ、高収入で護衛をするに至っているのである。
直属の魔術師団になるように勧誘もされており、前向きに検討しているところでもあった。
今ファミアが相手しているのは、時代の波に乗る有力冒険者のリーダーなのである。
「俺は上から魔術を撃てば良いだけ、お前は簡単に魔術を当てることもできずに右往左往することしかできない! さあどうする!!?」
シェルネスの言う通り、ここまで好きにされてしまったファミアが劣勢だ。
だが、飛行魔術には魔力操作が必要である。
ファミアはそれを知らなかったが、シェルネスの魔力が今も減っていくのが見えた。
これから襲い来るであろう猛攻をしのぎきればあるいは。
そして少しでも勝てる可能性が残っているのなら。
ファミアはヤマトのために諦めなかった。
ファミアは闘志の灯った目でシェルネスを真っ直ぐに見据えた。
「来いっっ!!」
「上等じゃこらああああ!!!」
こうしてファミアとシェルネスの魔術戦は最終局面を迎えようとしていた。




